雨が、降っていた。
激しい降りではない。だがしとしとと、決してやむことはないとでもいうように、朝からずっと雨が降り続いている。
夜、主星の首都の外れにある王立派遣軍総司令部から、一台の地上車が出てきた。
後部座席に乗っているのは、半年前に副司令官となったグレゴール・ゲンシャー大将である。
この年、55歳になるゲンシャーは、外見的には、軍人というよりも官僚といった雰囲気が強い。実際、若い頃は暫くの間、軍においては裏方ともいえる事務方を務めていたこともあり、それはあながち外れているとは言えないだろう。
地上車の中でも、仕事がまだ残っていると書類に目を通していたが、流石に疲れたのか、眼鏡を外して右手の指で目元を抑えた。
同乗者である彼の秘書官、エレオノーラ・サンテール中尉は、ゲンシャーから彼が目を通していた書類を受け取るとアタッシュケースに収めた。
「明日の予定はどうなっていたかな?」
「11時から、総司令部の第1会議室にて、王立研究院の方々と会議の予定です。Ω座の例の惑星の件で、9時には最終報告書が上がってくることになっていますから」
「ああ、そうだったな」
頷きながら、ゲンシャーは背を預けて深く座り直し、大きな溜息を一つ吐き出した。
不幸な出来事だった。一つの惑星が滅亡したのだ。
その惑星では、大きく二つの陣営に分かれて、長い間に渡って戦争状態が続いていた。内政干渉はすべからずとの聖地の観点から、王立派遣軍は監視をするに留めていたのだが、状況の悪化から異常を察してすぐさま聖地に報告を上げた。しかしそれに対して聖地からは何の指示もなく、結果として王立派遣軍は何の手を打つことも叶わなかった。そして指示が下された時には、既に手遅れだった。
ABC兵器の相次ぐ開発と、実戦への投入。それがどんな事態を引き起こすことになるのか、それを理解せぬままに互いに報復を繰り返した。
そして不運は重なる。
折りから活動を活発化させていた火山の噴火と、それに伴う地震の多発。それによるガスの発生と降り積もった火山灰、噴煙とその影響による太陽光の遮断、津波と洪水── それらが拍車をかけた。
惑星内における戦争は、あくまで内政問題であり、内政不干渉を基本とする聖地にしてみれば、王立派遣軍の介入を是としなかったのは、一面においては当然のことだろう。
そして惑星上で起きている出来事がサクリアに起因するものではなく、あくまで人為的に起こされたものであるということが、聖地に事態を軽視させ、行動を起こさせることを良しとせず、また、それがどのような状態を引き起こしているかとの認識に欠けていたのかもしれない。
その結果、聖地が事の深刻さに気付いた時には、全ては終わっていたのだ。
当事者たる惑星の住民たちにしてみれば、不幸な出来事、などという一言では済まされない。だが、それを訴える者は既に一人もいない。助かって生き延びた者は誰一人としていなかったのだから。
王立派遣軍は、全てを見ていながら何もできなかった。聖地の許しなく動くことはできず、ただの観察者でしかなかった。助けることのできる命を、みすみす見捨てたのだ。その苦渋はいかばかりのものだっただろう。それとも、命令違反になることを承知で、どのような処罰を受けることになろうとも動くべきだったのだろうか。
この宇宙を支配する聖地。そこに在る聖なる女王、神にも等しき守護聖たち── 自分たちが仕える貴き存在。逆らうことなど、考えようもない存在。
だが今。確かに以前から多少なりともあったことではあるが、特に今回の、一つの惑星の滅亡という状況に関して、王立派遣軍の中には、自分たちがただの傍観者でいることしかできなかったことから、一体何のために存在するのかという、自分たちの存在に対する疑問、自分たちの報告を真剣に受け止められなかったという事実に対する疎外感、聖地から王立派遣軍の存在は軽視されているのではないかという思い── それらから生み出される無力感、虚無感と共に、聖地への不信感がより深く芽生え、成長するのを、誰も止めることはできなかった。
そしてそのことが起きてから、間もなく3年が経とうとしている。明日上がってくることになっている最終報告書は、現地から上がってくる惑星の現状、および、王立研究院からの、今後の状況について予測されることについての報告である。それを会議にかけてから王立研究院を通して聖地に報告し、今後の対処についての指示を仰ぐことになっている。
だが、聖地からその惑星のために何をせよとの指示は下るまいと、そうゲンシャーは思っている。
そこには既に住民はなく、死の星と化した惑星は救いようがない。たとえいかほどのサクリアを送ろうとも、すぐにどうにかなるようなものではない。その時期はとうの昔に過ぎてしまっている。そのような惑星に対して、もはや聖地は何もしないだろう。そちらに回すサクリアがあるならば、聖地は他の惑星にその力を向けるだろうと。
そんなことを考えていると、不意に地上車が急ブレーキを掛け、ゲンシャーとサンテールは大きく身体を揺らした。
「どうしました!?」
「申し訳ありません、人がっ!」
「人を撥ねたのか!?」
「ぶつけてはいないと思いますが……」
言いながら、運転手は慌ててドアを開けて外に出た。後を追うようにゲンシャーとサンテールも地上車から降りて前に回った。
運転手が、意識の無い若い男を抱き起こしていた。一見したところ外傷は無いように思われたが、地上車のヘッドライトの中に浮かぶその男の顔に、ゲンシャーは愕然とした。
ゲンシャーは、その顔を知っていた。数年前にたった一度会ったきりだが、忘れはしない。それほどに印象的な青年── いや、まだ少年といってもいいかもしれない── だった。
なぜ、と思う。どうして彼がこんなところにいるのかと。こんなふうに会うべき人物ではないのだ、彼は。
「閣下」
後ろから掛けられた声にはっとして、ゲンシャーは運転手に指示を出した。
「彼を車に乗せて、総司令部に戻ってくれ。中尉、総司令部内の病院に連絡を入れてくれ、患者を一人連れていくと」
「はい、閣下」
降り続く雨のく中、その雨に全身を濡らした意識の無い青年を乗せて、地上車は総司令部に向けて戻っていった。
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