Leidenschaft - 2




 前女王と前女王補佐官の二人を送るための宴を終えて、守護聖たちはそれぞれに自分の屋敷に戻ったが、オスカーは自分の屋敷ではなく、闇の守護聖クラヴィスの屋敷を訪れていた。
 そしてクラヴィスの私室の居間で、まだ飲み足りないというように、二人して新しい酒を開けていく。
「……女王と、随分と長い間二人きりでいたようだが……」
 グラスに口をつけようとしていたオスカーは、クラヴィスのその言葉に僅かに片方の眉を上げると、テーブルにグラスを戻した。
「ジュリアスが随分と心配気に見ていたぞ。他の娘ならいざ知らず、相手は陛下だからな」
 苦笑を交えて告げるクラヴィスに、オスカーはフッと笑った。
「女王候補だった時に俺に言いそびれていたことがあると、そう言われてそれを聞いていただけですよ」
 そう告げるオスカーを、クラヴィスは目を細めて見詰めた。
 そんなクラヴィスの表情から、オスカーは彼が何を考えているのか読み取ろうとしたが、さてそれが、自分が予想したものと同じものかどうか、確信にまでは至らない。
「気に、なりますか? 俺たちが話していた内容」
「別に、興味はないな。私には関係の無いことだ」
 そう言い放つクラヴィスに、オスカーは本心からか、それともただの演技なのか、寂しげな笑みを浮かべた。
「少しは気にして下さってもよろしいでしょうに」
 長い足を組み直し、一度戻したグラスを再び手に取って口元に持っていきながら、オスカーは続ける。
「俺は、気になりますよ。貴方と、先の陛下との間で何が交わされたのか」
 気持ち上目遣いで聞いてくるオスカーに、クラヴィスは少なくとも表面的には何の表情も乗せぬまま、その瞳を伏せた。
「……特に何も無い。ただ、昔話をしていただけだ」
 そう、昔話だ。とうの昔に終わった話。終わっていたのに、終わっていなかった話。





「明日、ディアと共にこの聖地を去ります」
 そうクラヴィスに告げる彼女は、かつて彼が愛した、ソバカス顔の少女ではない。美しく成長した、彼の見知らぬ大人の女だ。
 女王の座にあった間、彼女は常に薄いヴェールでその顔を隠し、その瞳が何を見詰めているのか、知ることはできなかった。表情を伺うことは叶わず、何を考え、思っているのか、察することすらできなかった。
 たった一枚の薄いヴェールに遮られ、隔たれて過ごした年月、その間に、少女は大人になった。
 真っ直ぐにクラヴィスを見詰める彼女のその瞳は、今、自分の目の前にいるクラヴィスと、そしてまたかつての遠い日の自分たちを見ていた。
「貴方と約束を交わしていたあの日、女王陛下は私を後継者として指名されました。それを承諾したのは、私の意思です、誰に強制されたのでもありません。それから昨日アンジェリークに玉座を譲るまで、私は私の力のおよぶ限り、女王としての務めを果たして参りました。あの日から昨日までの年月を、後悔したことはありません。でも一つだけ、後悔していることがあります」
 そこまで告げて、アンジェリークは眉を寄せ、俯いた。思い出しているのだろう。自分がずっと後悔し続けてきたことを。
 再び顔を上げ、切なそうにクラヴィスを見詰める。
「それはあの日、貴方に自分の口から告げられなかったこと── それだけが、私の中に重い痼となって在りました」
 ずっと黙って聞いていたクラヴィスは、右手を上げるとそっともう女王ではなくアンジェリークという名の一人の女性に戻った彼女の、金色の髪を撫で梳きながら優しく抱き寄せた。
「もう、忘れろ。全ては過ぎ去ったこと、終わったことだ。もう、気にするな」
「クラヴィス……」
「おまえは解放されたのだ、女王という重い枷から、聖地という檻から。これからは、ここでのことは忘れて唯の一人の女性としての幸せを見つけてくれ。それが、私の願いだ」
 クラヴィスにそう言われて、アンジェリークは力無く首を横に振った。
「どうしてここで過ごした歳月を、貴方のことを忘れることができるでしょう。共に過ごすことはできなかったけれど、貴方のサクリアは、いつも私の傍らに在りました。貴方はずっと、私を見守っていて下さった。だのに、私は貴方に何も返せなかった。私を必要だと、そう言って差し出された貴方の手を拒み、自分の口から伝えることもせずに突き放して……」
 決して泣くまいと、涙を流すまいと、必死に耐えるアンジェリークの唇が、嗚咽を堪えて微かに震える。
 クラヴィスはそんな彼女を抱き寄せる腕に、少し、力を込めた。
「もういい。もう、いいから。おまえと出会えた、共に在ることは叶わなかったが、同じ時間(とき)を過ごすことができた。それだけで、私は十分だ」
「……私の幸せを願うと言って下さる貴方に、私も願ってやみません。まだ長いであろう、貴方がここで過ごす歳月が、貴方にとって少しでも満ち足りたものであるように。そしていつか、貴方がこの地を離れた時、貴方もまた唯人として、幸せを得ることができるように」
 その言葉に、クラヴィスは思った。
 今度こそ、本当に終わったのだ── と。





「昔話、ですか。本当に、それだけで?」
 思い出しているのだろう、どこか遠い()をしているクラヴィスに、オスカーは問いを重ねた。
 どうしても、気にはなるものだ。
 昔、具体的に二人の間に何があったのか、本当のところを知っているのは、先の女王が誰よりも心を許し、深く信頼していたディアくらいのものだろう。
 けれど噂は耳に入ってくるものだ。その噂のどこからどこまでが真実か否かは分からないが。
 だから聞きたい、クラヴィス本人の口からはっきりと。
「あとは、最後に別れを、な。で、そういうおまえはどうなのだ?」
 そう問い返されて、オスカーはフッと微笑った。
 先刻は興味は無いなどと言っていたが、どうやら少しは気になっているらしいと知れて。
「告白されました、好きだと」
 言いながら、クラヴィスの表情を伺う。だが、そのオスカーを見るクラヴィスの表情に変化は見られない。
「おや、驚かれないんですか?」
「あの娘がおまえを想っていることなど、とうに承知していたからな。私に限らず」
「確かに」
 言って、オスカーは肩を竦めた。
「気付いてなかったのは、お子様たちくらいのものでしょう」
「で?」
「で? とは?」
「……」
 自分が何を聞きたいかくらい分かっているだろうにと、そう思い、軽く息を一つ吐き出してから、クラヴィスはオスカーが自分に言わせたがっている問いを口にしてやった。
「おまえはどう答えたのだ?」
「もちろん断りましたよ」
 微笑みを浮かべながらそう答えるオスカーに、クラヴィスはアンジェリークが気の毒になった。もっとも、その一方でそれを喜んでいる自分がいるのにも気付いていたが。
「彼女が、女王だからか?」
「いいえ」
 首を横に振って答えながら、立ち上がる。
「たとえ相手が女王だろうと、それが本気で惚れた相手なら、俺はどんなことをしても手に入れます。だが彼女は違う。愛しいとは思うが、それは恋ではない。男として、女である彼女を、愛してはいない」
 短く言葉を切りながら、はっきりとそう告げながらクラヴィスの正面に立ったオスカーは、彼が座るソファの背、彼の両脇に手を付いた。
「それに何よりも、俺には、貴方という人がいますから」
 言いながら背を屈めて唇を寄せてくるオスカーに、クラヴィスは満足そうに微笑みを浮かべると、両腕を上げて彼の首に回して自分に引き寄せた。

── das Ende




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