女王試験の結果を受けて、アンジェリーク・リモージュが第256代女王と決定され、その即位式が無事滞りなく行われた翌日の夜、先の第255代女王── 奇しくも新女王と同じ名である── アンジェリークと、その補佐官を務めたディアの二人を見送るべく、ささやかな送別の会が宮殿内の広間で催された。
 二人は当初固辞していたが、新女王と彼女の補佐官となったロザリアのたっての申し出に、頷いたのである。



 宴も酣を迎えた中、前補佐官ディアは、風の守護聖ランディや緑の守護聖マルセルと穏やかに談笑していた。
 そんな彼女の瞳の端を、闇の守護聖クラヴィスにエスコートされながらバルコニーに出てゆく、彼女の誰よりも大切な親友である前女王アンジェリークの姿が(よぎ)った。
 そんな二人の姿を、ディアとはまた別に、いささか複雑な心境で見送る者が二人。光の守護聖ジュリアスと、炎の守護聖オスカーである。
 大きな窓ガラスの向こう側、月明かりに照らされたバルコニーで真っ直ぐに見詰め合って会話をしている二人を見ながら、オスカーは濃い目の水割りを一気に呷った。そしてさらに新しいグラスに手を伸ばしかけた彼に近づく影があった。
 その気配に気付いて振り向いたオスカーの氷蒼(アイスブルー)の瞳に映ったのは、金色の髪と翠の瞳を持つ、昨日至高の座に就いたばかりの女王── アンジェリークであった。
「……陛下」
「二人だけでお話したいことがあるのですけれど、少しお時間をいただけますか?」
 女王の申し出を断ることのできる者が、この聖地のどこにいるだろう。いはしない。だからオスカーは彼女をエスコートすべく、左手を差し出した。
 嬉しそうに微笑って右手を差し出されたオスカーの左手に乗せた女王は、前女王とクラヴィスがいるのとは反対側のバルコニーに、導かれるままにその歩を進めた。



「それで、お話というのは何でしょう、陛下」
 早速そう尋ねるオスカーに、女王は真っ直ぐにその氷蒼の瞳を見詰めながら答えた。
「その前に、今だけ、戻っていただけませんか、オスカー様」
「戻る?」
 女王の口調に、そしてその一言に、オスカーは訝しげな顔をした。
「ええ」頷きながら続けて「私が、女王候補だった時に。オスカー様が私を『お嬢ちゃん』と呼んで下さっていた時に」
 その言葉で、オスカーは察しがついてしまった。
 自分を見つめるアンジェリークの瞳の中にあったもの、それが何なのか、気が付いていなかったわけじゃない。分かっていて、あえて無視していた。彼女の、自分への想いを。
「分かったよ、お嬢ちゃん。で、俺に話っていうのは、一体何だ?」
 あくまで気付かない振りをして、アンジェリークの願い通りの態度で先を促す。それが、オスカーの彼女に対してできるせめてものことだ。
「私……、後悔はしていません、女王となる道を選んだことを。でも一つだけ、心残りがあるんです」
 そこまで言って一旦言葉を区切り、軽く瞳を伏せて意を決するように一度大きく深呼吸をして、それから再びオスカーを真っ直ぐに見つめ上げ、アンジェリークは自分の想いを言葉に乗せた。
「私、オスカー様が好きでした。いえ、今も好きです。オスカー様の周りにいるのは、皆私と違って大人で、素敵な女性ばかりで、だから私ではオスカー様の恋愛対象になんてなれないって、自分でも分かってました。でも、それでも、私はオスカー様が好き。この気持ちは変えられなかった。女王となるのを決めたこと、決して後悔はしてません。自分で考えて決めたことだから。でも、一つだけ悩んだことがありました。オスカー様に自分の気持ちを告げようかどうしようか。結局告げないままに即位式を迎えてしまって……、そうしたら、何か、心の中に痼があるのに気が付いて……。それで思ったんです。このままじゃいけないって。そして決めたんです。一度だけ、女王候補だった自分に戻って、オスカー様に告白しようって。オスカー様には迷惑なだけかもしれないけれど、でも言わずにはいられなくて……」
 自分の胸に組んだ両手を当てながら必死に自分の想いを告げていた少女は、どうにかそこまで言ったものの、黙ったままのオスカーに、どんな反応が返ってくるのか不安になって、怖くなって、俯いてしまった。
 そんなアンジェリークを見下ろしていたオスカーは、そっと右手を彼女の顎に当てると上を向かせた。
「……オスカー様……?」
「俺は、狡い男だ。お嬢ちゃんの気持ちにはずっと前から気付いてた」
 そう告げられて、アンジェリークは自分の気持ちを知られていたというその事実に、思わず頬を真っ赤に染めた。
「知っていて黙ってたんだ、俺は。お嬢ちゃんの、アンジェリークの気持ちに応えてやることは、俺にはできないから、だから、君が何も告げてこないのをいいことに、気付かない振りをして、黙ってた」
「オスカー様」
「君の気持ちを迷惑に思うなんて、そんなことはない。とても嬉しい。君のことはとても大切に思っているし、愛しいとも思う。だが」
「それは恋愛感情では、ないんですね?」
 アンジェリークの気持ちに応えてやることは、俺にはできないから── 先に告げられたその言葉を思い出して、アンジェリークは確認するように尋ねた。
 オスカーは黙って頷いた。
「……どなたか、他に想う方が、愛している方がいらっしゃるんですか?」
 目の端に涙を溜めながら、震える声で更に尋ねる。心の内でもう一人の自分が、そんなことを聞いてどうするんだ、惨めになるだけだ、やめておけと叫んでいたけれど、でも聞きたかったから、知りたかったから。
「ああ、いる」
 全てを話すことはできなかったが、それでもせめて嘘はつきたくなくて、オスカーは頷きながら答えた。
「……私の気持ち、迷惑じゃないとおっしゃいましたよね? 何かを期待したり、望んだりはしません。でも、このままオスカー様を想っていること、許していただけますか? 女王としてではなく、一人の女の子として」
 オスカーはアンジェリークの頬に両手をそっと当てると、その額に優しく口付けた。
「いつか君に相応しい、君だけを想ってくれる男が現れることを祈っている」
 それはこの宇宙の女王たる少女に告げるべき言葉ではない。少女が女王という至高の座にある限り、それは不可能なこと、決して叶わぬことだ。
 だが女王としてではなく、唯の一人の少女としての彼女を思う時、そう願わずにはいられなかった。自分には決してできないから、妹のように大切に思う彼女に、せめて、と。
「ありがとう、ございます、オスカー様」
 アンジェリークはそれがオスカーの本心だと、そう分かって、微笑を浮かべた。
 自分の恋が決して叶わないだろうことは、最初から分かっていた。それでも何も告げずに終わらせるのは苦しくて、たとえ自分でこの恋に終止符を打つことになるのだとしても、それでもはじめての恋だったから、告げたかった。それにたとえ叶わなくても、きっと自分の気持ちは変わらないから、せめてオスカーに自分の気持ちを知っていてほしかった。そして自分が彼を好きでいることだけは、認めてほしかったから。
 だから告げずにいて後悔することよりも、告白することを自分で決めた。だから自分の気持ちを告げたことを後悔はしない。
「……先に、戻って下さい。私はもう少しここで風にあたっていますから」
「冷えないうちに戻れよ」
「はい」
 兄が妹にするように、オスカーはアンジェリークの頬にキスを一つ落として、一人、先に中へ戻った。
 その後ろ姿を黙って見送るアンジェリークの頬を、耐えていた涙が一筋流れる。
 広間に戻ったオスカーと入れ違いに、女王補佐官、いや、アンジェリークの一番の親友であるロザリアが、アンジェリークのいるバルコニーへと向かった。
 そうして一人涙しているアンジェリークに静かに声を掛ける。
「アンジェ」
「……やっぱり、振られちゃった……」
 そう言って涙の後を残しながらも、精一杯の笑顔を見せながら、けれど縋るような瞳で自分を見詰めてくる親友を、ロザリアは腕を伸ばしてその細い躰を優しく抱き締めた。
 ロザリアはアンジェリークの気持ちを知っていた。女王候補だった頃から、時々彼女の気持ちを聞いて、相談にのっていたから。
 この宴の始まる前にも、オスカーに告白しようと思っているのだと、相談を受けていた。そうしなければこの恋はどこにも行き場がないから、告げて、終わりにするのだと。
 本来ならば女王となったアンジェリークに許される行為ではないだろう。
 けれどこのままでは先に進めないと、必死に泣くのを堪えながらそう言うから、そしてその気持ちが分かるから、女王補佐官としては止めるべきだったのだろうけれど、友人として認めたのだ。
 暫く黙ってそうしていて、やがて縋りつくアンジェリークの腕の力が弱くなったのを認めて、ロザリアは優しく話し掛けた。
「もう戻りましょう。いつまでもここにいたら、皆が心配するわ」
「うん」
 微かに濡れているアンジェリークの眦を右手の指で軽く拭ってやりながら、ロザリアはアンジェリークを広間へと促した。女王とその補佐官に戻って。





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