オスカーは、だいぶ前に読み、オリヴィエにもその一端を話して聞かせた、ある論文のことを思い出していた。
 その論文によれば、簡単に言えば、全ての物質は崩壊を続けるものである。しかし、宇宙の全域において物質は消滅すると同時に、一方で刻々に生成している。消滅はもっぱら物質の内部で起こっている。言うなれば永遠の舞台であって、役者は入れ替わり立ち替わり登場しては消えていくが、舞台は決してなくならない。故に、宇宙は不滅であると。
 だが、旧宇宙は滅亡に瀕し、それを受けて、女王の力をもってこの新しい宇宙に旧宇宙の星々を移行させ、旧宇宙を封印した。
 もし仮に、その論文からオスカーが推測した彼の説が正しいとすれば、旧宇宙は、宇宙に満ちる(エネルギー)、本来使用されるべき以上のエネルギーを、惑星(ほし)の育成という名目の下、サクリアを送るという形で必要以上に使用された結果ということになる。それはつまり、需要に供給がついていっていない、ということだ。つまり生み出される以上のエネルギーを、常に使用しているということ。それが続けばどうなるか。必然的に、宇宙が存続するために本来必要なエネルギーが不足するという事態になる。
 そのために旧宇宙が滅亡への道を辿ったのだとしたら、それはこの移行してきた新しい宇宙にも同じことが言えるのではないか。しかもおそらくは、旧宇宙の星々を移行させたことにより、本来この新しい宇宙に誕生すべき星々を、誕生させることなく、それ以前に消滅させている、いや、させたのではないか。
 結論として、オスカーの読んだ論文が正しく、かつそこから導き出した彼の説もまた正しいとするならば、この宇宙もまた、旧宇宙と同じように、いつか滅びの時を迎える時がくるのではないか。旧宇宙が滅亡へと至ったのは、老いさらばえたからではなく、エネルギーの不足からくるバランスの崩れ、それが旧宇宙を滅亡させたということになるのだから。
 ちなみにその論文は、オスカーがそれを読んで程なく、王立研究院によって発禁処分とされ、それが提出された機関に対しても削除要請がなされ、その論文はなかったこととなっている。王立研究院の命令によるということは、すなわち、その命令の背後には、どの部門から出されたものであれ、聖地の意向が働いているということだ。そしそそれはつまり、論文が、そこから導き出したオスカーの説が正しいことを示しているのではないか。オスカーにはそう思えてならない。あるいは、単にその論文の中にあった、宇宙は不滅だとすることに対して、旧宇宙の滅亡について、人々が疑問を抱くのを防ぐことだけが目的だった可能性も否めないが。



 そして今、オスカーは数日前に彼に対して提出されたある報告書によって、聖地の、女王と守護聖の行っている“惑星の育成”というものに対して、更なる疑念を抱くこととなった。
 それは、とうに見捨てられ、人々から忘れ去られた古代文明の遺跡に対しての極秘裏の発掘と、それにともなう研究、及び、過去において先の論文のように、発禁処分となった書物や論文を密かに探し出し、現在のことも含めて、それらを纏めたものであり、学術論文的な感じの内容となっていた。それも主に生物学的な。
 それらはもちろん、軍隊である王立派遣軍がするようなものではない。しかし、聖地とはなんなのか、聖地── 女王と守護聖── が“星の育成”と称してなしてきたことは一体なんだったのか、それを知る為には必要なことと思われ、オスカーは畑違いを承知の上で、内密に外部の専門家の力も借りて進めさせたことの結果だ。その外部の協力者となっているのは、殆どがその学会においては異端児扱いされ、省みられることのない者たちだ。特に古代遺跡に関していえば、ごく限られた範囲においてであっても、それなりに認められ、研究者として名を馳せてる者は一人もいない。そういった者たちは、遺跡のことは全く知らないか、知っていても無視しているような状態である。まるで王立研究院の指示を受けているかのように。いや、実際にそうなのだ。いつからなのかは今となっては分からないが、上からの命令を受けて、場所によっては王立派遣軍が、他の者たちの立ち入りを禁止するための方策をとっているのだから。オスカーが集めた者たちは、それらの存在を知り、そしてその研究をしたいと思いながらも、立ち入り禁止になっていることに加え、周囲からは認められず、頼るべき研究機関もなく── たとえ研究機関に属していても、それらの研究をすることを認められていない者たちだった── 、自分が本当にやりたいと思っている研究を思うように進めることができずにいるような者たちばかりだった。オスカーは直属の部下たちに命じて、あえてそういった者たちを集めたのだ。
 そして彼らを前にしてオスカーは告げた、自身が何者であるかを知らせることなく。「これはあくまで聖地、王立研究院には極秘裏のものであり、公にできる研究ではない。ある意味、反聖地的な研究に属すると言ってもいいかもしれない。故に、君たちが生きている間に、その研究成果を公表することはできない可能性が高い。だが、思う存分、自分のやりたいことをやってもらってかまわない。もちろん、こちらからやってもらいたいことを指示することもあるだろうが。それでもかまわないというなら、是非とも協力してほしい」と。それに対して、集められた者たちは、たとえそれが自分が生きている間に公表されることがなくとも、本当に自分がやりたいと願っていることを行うことが叶うならそれでも構わないと多くの者が協力を応諾した。ある意味、彼らは研究馬鹿、とでも言えるような存在かもしれない。そしてだからこそ、より真実に近づけるのではないかと、オスカーはそう思った。そうして集められた者たちは、オスカーのバックにあるものが何なのか頓着することなく、己らの研究に打ち込み、その研究に携わる者たちは少しずつ増えていった。表向きは、王立派遣軍の存在をうかがわせるようなものは一切出さず、あくまで一民間のシンクタンクの体裁をとりながら。
 そして今回あげられてきたその報告書の内容は、一言でいえば、生物の進化、についてである。
 もともと、オスカーが今回の調査を思い至ったのは、以前、ある娼館で過ごした時の、寝物語のように発されたある女の言葉が発端だった。
「よくこんなところに来るお金があったものだって思えるような(ひと)だったんだけど、ちょっとばかり気になることを言ってたのよね」
「どんなことを?」
「親戚の関係で他の惑星に暫くいて、時間があったから手慰みに自分の研究をそこでもやったらしのよ。ちなみに生物学者だって言ってたわね。でね、そこでは進化の系統がおかしいんですって」
「おかしい?」
「そう。私にはよく理解できないんだけど、その惑星固有の動物は、殆ど同じ系統の進化をしているのが確認できるんですって。なのに、そこに住んでる人間だけが違うって。人間だけが全く別の進化の系統にある、いえ、人間に限って言えば、突然そのまま唐突に現れたように、一切進化の状況を辿れないんですって」
 オスカーは女の唇からつむぎだされる言葉に眉を顰めた。
「で、その惑星を離れて主星に戻ってから、他にもそんなところがないか調べたいけど、上から許してもらえない、それどころか、これ以降もそのことについて研究を進めようなどというなら辞めてもらうことになるだろう、って半ば脅しみたいなことを言われたそうよ。愚痴をこぼすように嘆いていたわ。研究者なのに、自分が本当にやりたいことをやらせてもらえない、することができない、これでは何の為に大学に残って研究者の道を選んだのか分からない、って」
 人間だけが違う── その言葉に、オスカーは脳裏に引っかかるものを覚えた。そして、過日の女王試験の際の、試験が行われた新宇宙の惑星における大陸育成の際の状況を思い返した。
 その時は全く気にも留めていなかったが、あの時にも、大陸の状況がある程度安定した後、唐突に人間が現れたのではなかったか。動植物に関しては、時間的関係もあってのことだろう、王立研究院からの要請により、王立派遣軍が人間の生活に必要と思われる物を種々運び入れさせた記憶はあるが。だからあの惑星では、動植物の進化といえるようなものはなかった。固有の動植物の発生は起こりえなかった。もし時間的な制限がなかったら、長い歳月(とき)の果て、あの惑星の二つの大陸にはどのような動植物が生まれ出でたことだろう。そして何よりも、人間は……?
 オスカーが抱いた疑念の一つの回答が、今回、彼の元に提出された報告書にある。それがどこまで真実に近いものかはまだ判断しかねるし、また、最終的な回答とも言いかねる段階だが。





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