説経をぐり の 世 界

以下は、2003年度春セメスター開講「古典文学講読」の講義録です。

6月10日(火) 小栗判官講読1:蛇淫
あらすじ  主人公は都の大納言の父に鞍馬の毘沙門天の申し子として生まれた。ある日、彼は美女と恋におちいる。愛欲の果て懐妊した妻は、実は深泥が池の大蛇であった。大蛇は子を産むところを求め神泉苑の池に行くが、池に住む竜王と争いになり、天地が振動する。天地擾乱の罪が小栗にとわれ、小栗は東国へと流される。
読 解

 主人公は、「申し子」(=神仏に祈って得られた子)である。仏法を守る武神、毘沙門に守られ、武士の信仰を集める八幡神を烏帽子親(=元服式の祭祀長的役割をし、以後、その子をバックアップする存在となる)とする小栗は武勇に秀でた若者である。その属性は武=破壊者であり、また愛する人であった。
 最初の破壊は妖魔(=異類)との通婚である。その正体が蛇であるという点で太古の蛇神=水神という次元にさかのぼり、共同体の奉ずる神(農耕社会によって形成された共同体にとって水神は重要な存在だ)への侵犯と読み取る(岩崎武夫「小栗判官―侵犯・懺悔・蘇生」)ことができるが、異類との通婚自体、非日常的な破壊行為だ。さらに二人の婚姻は懐妊という結果を生み、生み場を求めた深泥ヶ池の大蛇は神泉苑の竜王(=水神)と対立する。帝の庭園に住む竜王が王権(日常世界の秩序の中核)を意味するとすれば、小栗と大蛇との愛欲は王権と対立する。
 この対立の結果は、
 七日が間は雨風しきりに振動して、御殿も崩るるばかりなり。

と、雨風の「振動」という言葉を用いて表現される。要するに天変地異である。秩序への破壊が天変地異をもたらし、それは主人公の追放という決着によって回復される。似た話を読んだよね。(次回講読へ続く)

6月13日(金) 小栗判官講読2−1:婿入り
あらすじ

 東国で彼は妻を求める。選んだ妻は地元の豪族、横山氏の末の娘、日光山の観音の申し子である照手姫であった。小栗は東国武士の掟を無視して照手姫と結婚する

読 解  追放された小栗は、そこで美女と結ばれる。小栗の婚姻は、商人後藤が文(ふみ=「玉章たまずさ」とも)をとりもち、成立させる。その文は「大和言葉」と呼ばれるナゾナゾのようなことばで書かれている。奇妙な語を読み解く面白さが、ここでの眼目なのだ。だから、「照手、文の段」と、別に章立てされている。ナゾナゾのような文を読み解き、照手が恋の世界に引きずり込まれてゆく場面は、語り物としてひとつの聞かせどころだったと思われる。
 ひとたび小栗からの文を破り捨てた照手は後藤によって脅しをかけられ、小栗との恋を納得する。ここには文字を破れば、文字(かな)を発明した弘法大師を傷めることになり、その罪で死後、苦しむと脅されるである。そこで照手は小栗を受け入れることを受け入れるのである。状況に従順な照手の姿を気に止めておきたい。
しかし、この結婚もまた、東国武士の掟を無視するという点で強引であり、彼の属性=秩序の破壊者としての性格は温存されているのである。
6月17日(火) 小栗判官講読2−2:鬼鹿毛
あらすじ  掟破りの婿入りに父横山は息子の三男の三郎と語らって小栗殺害を計画する。まずは人食い馬の鬼鹿毛をけしかけるが、小栗は鬼鹿毛を手なずけて、その背に乗って曲乗りを披露する。
6月20日(金) 小栗判官講読3:毒殺
あらすじ

 殺害に失敗した横山親子は、次に毒殺を計画し、酒宴に小栗を招待する。照手姫は夢見が悪いと小栗をひきとめるが、夢違いの呪いをして小栗は酒宴に臨む。だが、小栗と十人の家来たちは毒殺されてしまうのである。小栗は土葬、十人の殿原たちは火葬にされる。
 横山殿が小栗を殺したのは娘を奪われたからではない。掟を破った罪を問うたのだ。だから自分の娘も同罪として、照手姫を相模川に沈めることを鬼王鬼次の兄弟に命令する。しかし、兄弟は照手姫を沈めることができない。照手姫を乗せた牢輿は相模川を下ってゆく。

読 解  京を追放された小栗は、東国で美女を得る。しかし、相手の女性の親権者から危害をl加えられる。このような話の展開は記憶にないだろうか? そう。授業の前半で読んだ出雲神話と類似した構成になっている。表にしてみよう。
  訪 問 者 : ス サ ノ ヲ    ・オホアナムチ ・小栗
  結婚相手: クシナダヒメ   ・ス セ リ ビ メ ・照手
  親 権 者 :(オホヤマツミ) ・ス サ ノ ヲ ・横山殿
  試  練 :ヤ マ タ ヲ ロ チ ・毒 虫の部屋・鬼鹿毛
 スサノヲの場合、やや異なった点もあるが、オホアナムチの場合は、その後の展開も含めてほぼ同じ構造をみせる。すなわち、オホナムチは火の試練をうけ、スセリビメはオホアナムチが死んだと思い、嘆く。小栗も死んで照手が嘆く。オホアナムチは地中に逃れて死を避けた。一方小栗は土葬にされる。こまかなデティールまで似るのである(だから逆にオホアナムチの地中に落ちたことを「死」と認定することもできるのだ)。
6月27日(金) 小栗判官講読4:流離
あらすじ

 照手を乗せた牢輿はゆきとせ浦に流れ着き、村君の太夫に助けられ養子となるが、太夫の妻は夫と照手姫の関係を邪推して人買いに売ってしまう。照手姫は転々と売られ美濃国青墓宿の君の長のもとで常陸小萩と呼ばれ、下女働きをすることになる。

読 解  照手の流離がはじまる。関東地方の海岸には、漂着したものを神として祀る信仰が広がっている。照手の姫君が漂着するのもその延長上にあるだろうが、縁起物のように単純にすまないのは、姫君は村の漁師たちに不漁の原因として=魔物として殺害されそうになることである。その危機を救うのが慈悲第一の村君の大夫である。大夫は姫君の保護者として位置づけられる。対する姥は姫君を燻したり人買いに売ったりする加害者として、設定されている。この場面は実に明確に登場人物の性格づけがなされた場面だ。
 売られた先の君の長は、もう少し複雑で、姫君に「流れをたてさせ」(=売春させ)ようとするところは、加害者的だ。しかもいうことをきかないとなれば脅し、無理難題をひっかけるなど執拗に照手を追い詰める。だが、姫君が難題をこなすと加害者ではなく保護者的な性格をみせはじめる。
7月1日(火) 小栗判官講読5:道行
あらすじ

 殺されて土葬にされた小栗は、閻魔大王のはからいで地上に戻ることになった。また十人の家来たちは火葬にされていたので、そのまま十王として閻魔大王の配下となった。小栗の塚が割れ、異形の姿となって地上に現れた小栗は藤沢の上人によって餓鬼阿弥と名づけられ、土車に乗せられて復活の約束された地、熊野湯の峰へ運ばれてゆく。東海道を登り、美濃国青墓宿に至り、照手姫の働く君の長の門前に放置される。それを見て常陸小萩(照手姫)は亡き夫の追善に餓鬼阿弥を夫とは知らずに五日の間、大津まで曳いてゆくのだった。

読 解  小栗は餓鬼阿弥となって蘇生する。だが、これは復活ではない。復活は相模からは遠くはなれた熊野で約束されている。餓鬼阿弥は車に乗せられて東海道を上ってゆく。このとき、街道沿いの地名や名所を列挙してゆく、韻律に富む詞章が印象的だ。このような詞章を「道行(みちゆき)」といい、日本文芸の一つの類型として特徴を示す。古くは『万葉集』や『古事記』の歌の中にも見られるこの表現技法が、どうして文芸の類型となり得たのか(つまり人気=ポピュラリティを得ることができたのか)。折口信夫は、そこに古代の神群行(ぐんぎょう)からの流れを見る(神の群行は、祭りにおける神輿の渡御と関係する)。すなわち、神が生まれ、渡り歩いて祀られる地に定着するまでの物語を、神の独り言として想定する(出雲神話の八千矛神の神謡を想起せよ。一人称が用いられていたであろう)。定着までの神の独り言は、叙事詩として道中の景色を詠みこむ。その形式が道行に発展すると説くのである(『全集』1)。
 餓鬼阿弥の道行は美濃国青墓で常陸小萩とめぐり合う。常陸小萩は、異形の餓鬼阿弥と恋に近いほどの愛情を注ぐ(照手はそれが小栗だとは思っていない。ともに名前が異なっていることに注意せよ)。小萩も姿を狂女の姿に=異形の者へと変身する。「狂=くるふ」というのは、ある物に執着する、いいかえれば物に心身を奪われることだ。それはモノ(精霊、神など)に憑依されることに等しい。むしろ逆で、本来神を憑依させる巫女の、トランス状態がその聖性の衰退とともに精神錯乱の意味に変化してきたのだ。小萩はここでは餓鬼阿弥という、「神のようなもの」を引き寄せる巫女としての性格が見られるのである(天の岩戸神話のウズメノミコトを想起せよ)
7月4&8日(金・火) 小栗判官講読6:復活・再会・復讐
あらすじ

 大津から熊野へ運ばれた小栗は21日の間、熊野の湯につかり、熊野権現の助力を得て、もとの小栗に復活する。都に戻り両親と対面、帝にも拝謁すると死からの帰還は珍事であるからと小栗に常陸・駿河・美濃国が与えられる。美濃国の君の長のもとに国主として着いた小栗は、常陸小萩を酌にさし出さないと君の長の命を奪うと脅迫する。下女働きの身ゆえ酌には出ぬというが、餓鬼阿弥を曳くときの約束(彼女は君の長の命が危ないときは身代わりになるという条件で五日の暇を得ていた。)をもちだされ、やむなく酒を注ぎにでる。素性を問う新しい国主に、「身上を話す筋あいはない」と突っぱねるが、国主がかつて車を曳いた餓鬼阿弥だと知ると、自らの素性を明かす。それが照手と知った小栗も自らの正体をあかし、二人はぎゅっと抱き合うのだった。
 照手への苛酷な労働を強いた君の長への小栗の怒り。しかし、それは照手によってなだめられる。照手に死を命じた横山殿へも小栗は復讐を企てる。だがそれも照手によってなだめられる。しかし唯一横山の三郎だけは罰するのであった。
 小栗と照手姫とは都に帰り、栄華にすごしましたとさ。めでたしめでたし。

読 解  小栗が復活する。単なる蘇生ではない。京に戻り、帝によって復権される。小栗は、秩序の破壊者であった。罪人であった。しかし、流離と死、蘇生を経て、王権と和解する。三カ国の国主として、彼には王権さえ与えられる。つまり、この物語は小栗の王権樹立の物語なのだ。大穴牟遅命が死と蘇生、流離と試練を経て大国主神になるのと同じ図式がここにはある。
 死と再生の物語は通過儀礼にかかわる神話に淵源する話型である。この型の物語は、遠くフィンランドの伝承文学『カレワラ』のレンミンカイネンの話にも見られるし、エジプトの神話にも見られる。『小栗判官』の王権誕生の神話としての側面は、〈死〉を〈異界への流離〉と拡大解釈すれば、小栗の場合、〈都→東国(異界)→都〉という大枠があり、次に〈小栗(人間)→餓鬼阿弥(異形の者)→小栗(人間)〉という核心があり、二重構造を見せている。核心部分に照手の〈照手姫→常陸小萩(異形の者)→照手姫〉というパラレルな関係が現れる。再生する彼と彼女は、そのままもとの人間に戻るのではない。小栗は貴族の御曹司から東国の領主へと身分を変え、また照手も東国の豪族の娘から都びとの妻へと変わる。その変化を庇護される者から庇護する者へ、「こども」から「おとな」へと見ることができる。ヒーローとヒロインの〈死〉はこどもからおとなへの通過儀礼でもあるのだ。

戦え!ヒロイン―常陸小萩ー

 小栗判官の物語のヒロイン、照手はいつだって現実を受け止める女性である。後藤によって小栗との結婚を強いられたときも、父から死を命ぜられたときも、与えられた情況に従順だ。彼女が唯一抵抗したのは、君の長に遊女働きを求められたときだが、それでも替わりに与えられた十六人分の「下の水仕」を働けという要求を受け入れるのである。

 照手の魅力は常陸小萩と呼ばれていたときに発揮される。この名前の変化は重要だ。父から流され、ゆきとせ浦の姥に売られて青墓にたどりついた照手の様子に注意しよう。
「定まる名とては候はず。良き名を付けて使はされ候らへ」
と答えるばかりである。そして君の長が
「今日よりして汝が名をば、常陸小萩と付くるなり」
と「常陸小萩」という名を与えられ、遊女働きを要求したとき、初めて彼女は拒否という姿勢をみせ、抵抗する。さらに餓鬼阿弥を引くときの君の長との積極的なかけひき。一歩も引かない力強さがここにある。「照手」というキャラクターは戦うヒロイン「常陸小萩」というキャラクターに変身する。それは名前だけではない。餓鬼阿弥を引くときには彼女は「姿を狂女に」なすのである。描写は具体的だ。「長に烏帽子を申しうけ、肩を結んで下にさげ、裾を結んで肩に掛け、笹の葉に、幣切りかけて振りかたげ」という異形は、小栗が餓鬼阿弥という異形になったのとパラレルである。


 それでも語り(地の文)は彼女に対してテルテの名を押し通す(豊孝本では地の文に「小萩」とある例も見られるが、絵巻本はテルテで統一している。「小萩」は会話文の中のみで使用されるのだ。)。照手は千手観音を本尊とする日光山の申し子である。ゆきとせ浦で姥に燻べられたときに千手観音に守られるのはそのためだ。「てるて(照天)」の名前も「日光」を背後に持つ名前であり、それは照手自身を千手観音に通じさせる。地の文のテルテへのこだわりはここにあり、それは照手の苦難が菩薩行であることまで包み込む。菩薩行とは仏に至る階梯の一つで、衆生救済が求められる。千の手は多くの衆生に手を差し伸べるためのものだ。照手のキャラクターは、こうして衆生の苦の中にわが身を導いて救済する姿として浮かび上がりその救済の手は君の長にも、横山殿にも向けられる。だがもっとも深く広く向けられる相手は餓鬼阿弥である。

 餓鬼阿弥とは何者か。本性の小栗は、荒ぶる魂の保有者であり、秩序の破壊者であった。荒ぶる魂は女性を求め、蛇との通婚、照手への婿入りに集約される。そこにあるのは愛欲(エロス)である。「心ふでう(不調)」なる小栗は、愛欲ゆえに追放され、殺害され、漂泊する。目も見えず、耳も聞こえず、歩くことすらできない餓鬼阿弥は、原罪ゆえの姿である。その原罪
は照手によって救済される。照手に与えられた16人分の「下の水仕」は動けぬ小栗に変わっての贖罪の行為であり、それは「一ひき曳いては千僧供養、万僧供養」という宗教的行為で頂点に達する。照手が常陸小萩に変身するのは、滅罪をもとめての戦いなのだ。

小栗判官を読むために―参考文献―

テキスト 『説経正本集 第二』 横山 重 編 昭和四十三年 角川書店 入手困難。
『佐渡七大夫豊孝本 説経 小栗判官』 東海大学文学部日本文学科
2002年度古典文学演習受講生
平成15年 六條院工房 非売品
東洋文庫『説 経 節』 荒木繁・山本吉左右編 平凡社 底本は絵巻本
新潮日本古典集成『説 経 集』 室木弥太郎 校注 新潮社 底本は絵巻本
新日本古典文学大系『古浄瑠璃・説経集』 信多純一・阪口弘之校注 岩波書店 底本は絵巻本
『小栗判官の世界』 第五回全国をぐりサミット
「八王子人形劇フェスティバル」
実行委員会
1995 説経祭文の正本
論 考 折口信夫 「餓鬼阿弥蘇生譚」(昭和4年) 『折口信夫全集第2巻』 中央公論社
折口信夫 「小栗外伝」(昭和4年)  ( 同   上  ) (同 上)
折口信夫 「小栗判官論の計画」(昭和5年) 『折口信夫全集第3巻』 (同 上)
福田 晃 「小栗照手譚の生成」 『國學院雑誌』 昭和4011月号 國學院大學
桜井好朗 「小栗判官の世界(上・下)」 『文学』vol.53 1985―4・5 岩波書店
広末 保 「説経「小栗」(一〜三)」 『文学』vol.55 1987―9〜11 岩波書店
山本吉左右 『くつわの音がざざめいて 語りの文芸考』 平凡社選書122 1988/8 平凡社
岩崎武夫 『さんせう太夫考 中世の説経語り』 平凡社選書23 1973/5 平凡社

2002年度古典文学演習受講生有志による小栗判官ツアーの記録もあります。

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