小栗判官ツアー2002

2002年度古典文学演習(志水組)は、受講生60名を数え、数量にモノをいわせて『説経正本集 第二』(角川書店、昭和42年、東海大湘南校舎4号館中央図書館書庫に配架)に翻刻された佐渡七大夫豊孝本『をぐり判官』の本文を整え、注釈を加える授業を行いました。その成果は『佐渡七大夫豊孝本 説経小栗判官』として六條院工房によって製版、東海大学印刷業務課によって印刷製本されました。
民間伝承から語り物文芸へと発展したらしい『小栗判官』は東海大学に近い藤沢市内に伝承地をもっています。授業の中から〈小栗判官ツアー〉の企画がもちあがり、おりしも民間伝承の形態を残す「絵解き」が行われると聞いて数人の学生が見学に出かけました。そのときの学生のレポートのいくつかを写真付きで紹介します。

 2003116()、古典文学演習の受講者+担当の志水先生で、「小栗判官ツアー」と銘打ち、授業で学んだ小栗判官のゆかりの地を訪問しました。
 はじめに訪れたのは、藤沢駅より少々歩いたところにある「遊行寺」です。記念撮影・本堂参拝の後、境内の「長生院」へ移動、こちらの「小栗堂」といわれる建物の開基は照手姫だそうです。「小栗堂」の裏には小栗判官・照手姫・鬼鹿毛の墓があり、狭いながら全員で拝みに行きました。照手姫・鬼鹿毛の墓の向かいには照手姫建立の厄除地蔵尊が並んでいました。そのほかにも、遊行寺境内には「資料館」など、たくさんの見所があります。次回訪れる際には、今回見られなかったところも見ておきたいと思います。
 遊行寺の次に訪れたのは藤沢市西俣野の「花応院」です。到着後まもなく御本尊への挨拶(お経)が始まり、我々を含む訪問客全員で順に焼香をしました。続いて住職による閻魔十王図の絵解き、西俣野史跡保存会の会員による小栗判官縁起絵の絵解きが行われました。小栗判官のみならず、閻魔様にまつわるお話もユニークでわかり易く、大変為になりました。最後には質問の時間が設けられ、会員の方々には個別に様々なことを教えていただきました。私がこの日までイメージしていた絵解きと実際の絵解きとは微妙に異なり、後者はいわゆる「紙芝居」のようで、おもしろかったです。
 絵解き終了後、花応院より徒歩ですぐのところにある「閻魔堂跡」を訪れました。こちらにはこの日2箇所目の小栗判官の墓があり、全員でお参りをしました。なんでも小栗の墓や伝説は全国各地にあるそうですが、保存会の会員によると「ここが本場」とのことです。
 さらに歩き、小栗塚の跡地へ。現在は通称「小栗坂」と呼ばれる道になっていています。道沿いの某施設のフェンスには「小栗塚之跡」とかかれた石碑が建てられており、付近の四阿には保存会の会長が書かれた由緒書きがありました。先に会長より「ここと併せて『榊の木』も見ておくとよい」と聞いていたので、我々はその木を探しましたが、残念なことに見つけることができませんでした。その後湘南台駅へ移動し、ツアーは終了となりました。
 日本文学科では「日本文学実地踏査」の授業や研修旅行を除くと、学生が集まって出かけることがほとんどないと思われます。今回の「小栗判官ツアー」は、そういった意味でも貴重な体験となりました。
 最後になりましたが、「小栗判官ツアー」を実行するにあたり、ご協力いただきました花応院住職さま、保存会の方々に、この場をお借りして、お礼申し上げます。(高橋英士=ツアー幹事)

遊行寺長生院小栗堂にて

私は今回この“小栗ツアー”によって、活字の上だけでない文学の楽しみ方・捉え方というものを、自分自身少し学べたように感じて、参加して本当によかったと思いました。
 今回のツアーは藤沢を中心に遊行寺・花応院を訪れました。遊行寺は藤沢の駅から少し歩いたところにありました。賑やかな駅周辺を抜けていくと、昔ながらの家屋や古びた商店街などがちらほら見られて、そんな移り変わりも何だか愉快に感じられました。遊行寺は落ちついた雰囲気のあるした風格のあるお寺でした。私達は本堂でお参りを済ませた後、本堂右にある長生院参道をのぼって長生院(小栗堂)を見学しました。小栗堂の裏には小栗の墓を始め、鬼影の墓や小栗の眼洗い池などがありました。長生院には小栗判官照手姫の伝説があって、これが私達が授業で学んだ説経浄瑠璃・説経節の『をぐりの判官』の元になっています。伝説の話の筋と説教等のものとは、微妙に異なる部分があるようですが、それがまた面白く感じられました。「伝説が語り継がれれいく中で、伝説は次第に文学作品へと形を変えてゆく
―― この伝説→文学へという過程に1つの文学的価値があるのだろうし、そしてまた文学を辿ってそれが実地へ帰ってゆく ―― このサイクルが面白くて味わいのあるものだね」と先生がおっしゃいました。私はこの言葉がすごく印象的で頭に残りました。
 次にお昼からは花応院へと向かいました。一月十六日のこの日は年に2回行われる“閻魔まつり”にあたる日で、地元史跡保存会の会員の方々による小栗判官縁起絵と住職による閻魔十王図の絵解きが見学できるということで私はとても楽しみにしていました。花応院に入り、祭壇のある部屋へあがらせて頂きました。まず始めは“閻魔様への御挨拶”から始まりました。祭壇には閻魔大王像が置かれていました。この像は江戸末期1840年閻魔堂が火災にあったとき、村の青年が三尺帯に六尺袴(ふんどしという説も?)をつなぎおぶって運び出したといわれています。実物は私が予想していた以上に大きなものだったので大変驚きました。大王像は外の像は入れ物として中が空洞になっていてそのお腹の中に木で作られた本当の像が入っています。外側の像は赤い顔に目のギョロリと大きないかめしい顔の閻魔様でしたが、内の閻魔様はやさしい顔をしていました。“外はきつく内は和かく”このようなところが怖い姿をしていても十大王中最も情け深いと言われている閻魔様にぴったり合っているな、と思いました。住職の絵解きが終わって今度は保存会の会長の方が小栗判官絵巻図を使いながら『小栗判官』の語りをして下さいました。保存会の方々は「説経節がどんなものだかよく分かっていませんが、、、」とおっしゃっていましたが、会長さんの語りは聞いていてとても心地のよいもので楽しいものでした。話の一部だけしか行われなかったのがとても残念なくらいでした。最後まで聞いていたかったです。本物の絵巻もまじまじと見せて頂けて本当に嬉しく思いました。このように地元の方達が、土地に残る伝説や史跡などを積極的に守っていこうとする姿勢がとても素晴らしいことであると思いましたし、大切なことであると思いました。(武田明子)

遊行寺の小栗判官の墓  同、照手姫の墓  同、鬼鹿毛の墓  

私たちは小栗判官ツアーで、小栗と照手姫、閻魔大王にまつわる遊行寺と花応院を見学した。
 遊行寺という呼び方は、清浄光寺の通称で、境内に入ると、右側に長生院参道という参道があり、つきあたりに行くと、長生院の建物があった。左手前にあった本堂は、「小栗堂」と呼ばれるものであり、本尊は阿弥陀如来であるそうだ。緑色の文字で「小栗堂」と書かれていたのが印象に残った。花応院は、「閻魔大王」が安置されていて、本尊は聖観音である。毎年115日と816日に地獄の釜のフタが開くという「閻魔まつり」というものに、地元史跡保存会の人々と一緒に私たちも参加した。私たちまでお焼香をするとは思っていなかったので少し戸惑ったけれど、無事にすますことができたので良かった。閻魔まつりでは、住職による閻魔十王図の絵解きや地元の方による小栗判官縁起絵についての話があった。閻魔十王図の絵解きでは住職の方が1枚1枚絵について丁寧に話をして下さり、私たちでも知っている「手と手のしわを合わせて幸せ」という古い話などとても興味深く聞くことができた。地元の方による小栗判官縁起絵についても詳しく話して下さったのでもう少し聞きたいと思った。地元の方々もとてもやさしい人ばかりで甘酒までごちそうになり、本当に有意義な時間が過ごせて良かったと思う。
「をぐり」を授業の中で原文で読んだり、註釈をつけたりして、内容や、人物については理解することができたけれど、小栗に由来のある場所はやはり実際に行ってみないとわからないものなので、この小栗判官ツアーに行って、非常に自分の為になったと思う。ツアーに行ってさらに深く学んでみたいという気持ちが大きくなった。慶田盛瞳)

 初めに訪れた遊行寺は、時宗の総本山ということもあって、境内も広く、大きくて立派な佇まいをしていた。寺の最奥にあった小栗判官や照手姫らの墓をお参りしたが、説明文もしっかりしたものが設置されていて、その言われもよくわかるものだった。墓自体は、それほど広い場所にあるわけではなかったが、寒さのせいもあってか、静かでひっそりとしていて、なんとも言えない雰囲気だった。小栗は現実に存在していて、その話しが長い年月をかけて、様々な逸話が集合して、伝説として語り継がれてきたのだと思うが、こうして実際に、お墓を前にすると、古の小栗の一端に触れることができたように感じた。しかし、小栗の縁の墓は、日本中にまた、この藤沢にもいくつかあるのだから、伝説というものはおもしろいと思う。
 花王院では、絵解きという貴重な体験をさせていただいた。毎年二回、地獄の釜のふたが開く日という、「閻魔まつり」のために日にちをずらしたほどの価値はあったと思います。ご年配の方々も大勢いらっしゃっていて、想像以上に大人数だったので少々戸惑ったうえ、初めての体験だったので、どのようなことを始めるのか想像できず、まずお経を読むこと始まったのにもまた驚いた。その後の、住職さんによる軽快なお話と閻魔十王図の絵解きが始められたが、住職さんの説明は、話し方も非常にわかりやすく楽しいもので、堅苦しくなく、終始和やかな雰囲気だった。このような会をどのくらいお続けになっているのか、わからないが、話し振りから、ずいぶん手馴れていらっしゃると思いました。それで、閻魔十王図ですが、一度は見聞きしたことのある地獄絵図のイメージどおりの、釜茹地獄や、舌を抜かれるといった場面のほかに、ご飯を食べようとしても燃えてしまって食べられない場面や永久に殺し合う地獄など、見たことのないものも含まれていて、非常に興味深いものがあった。また、どの王も微妙に顔や姿が異なり、それぞれがとても表情が豊かに描かれていた。地獄の鬼たちも躍動感というか、動きのあるように描かれ、同じく表情が豊かであった。各々の地獄でそれらは際立って描かれているのに対し、地獄で責苦にあっている人間たちは、顔は線で描かれていて、表情の変化に乏しく、恐れや痛みを感じているとは、とうてい思えないような顔で描かれているのが、とても不思議だった。次に、地元の史跡保存会の方々による小栗判官縁起絵の説明では、小栗判官伝説と、その土地周辺との関わりや言われを知ることができ、また貴重な絵巻の一部とともに、小栗の語りの一部を聞くことができた。語りや、周りで聞く人たちの雰囲気が非常に素朴な感じがしてよかったし、休憩時間に甘酒まで頂けて、非常にうれしかった。保存会の方々は、地元の農家の人だと言っていたが、このように地元に残る伝承や貴重な文化を残し、次の世代へ繋いでいくことは大切だと思います。今回、私たちが小栗判官という作品に触れることができたのも、過去の人々が、形が少々変わろうとも、今日まで伝えてきた結果だろうし、今自分が触れることができるものの多くは、そのように伝えられてきたものばかりだと思います。だから、地域に残る大切な文化を残すという活動に、私たち若者も積極的に参加する必要があると感じました。また、今回このツアーに参加して、作品の縁のある土地に実際に訪れてみることで、様々な体験ができることと、改めて作品について考える機会ができたことは、自分にとって大きな収穫になったと思っています。(水野大輔)

西俣野にある小栗墓塔。背後の卒塔婆に照手姫の名が見える。→

 今回の小栗ツアーでは作品の舞台となった場所、登場人物ゆかりの地を巡ると言う、非常に貴重な体験ができました。今回のように前もって作品について学んだ上でこのようなゆかりの地を歩く事で作品の内容理解に非常に役立つと同時に、作品に対する興味が一層強くなったように思えます。最初に見学した遊行寺ではその広さ、寺の大きさ、そして何より歴史ある風格が非常に強く印象に残っています。次に訪れた花応院では小栗判官縁起絵と閻魔十王図の絵解きを見学し、非常に興味を惹かれました。非常に古くから伝わっている小栗判官縁起絵を見る事ができただけでも貴重な体験でしたが、その小栗判官縁起絵を見ると同時に描かれている場面の解説、そして花応院周辺の小栗判官ゆかりの地の説明も聞くことで、ただ授業の中で扱った作品という感覚があった小栗判官も実際に人々に語り継がれており、地域に根ざした物語である事を再確認させられました。このように今回の小栗ツアーでは非常に貴重で有意義な体験ができたと思います。(藤城豪)

←花応院での小栗絵解き。

 絵解きを見て、市民が地元の伝説を残すためにボランティアで絵解きをすることはすばらしいことだと思いました。退職した後長い話を暗記するのは大変なことだと思いますが、これからも頑張って続けていってほしいです。小栗の話はさまざまな場所にある伝説らしいので、それぞれどのように違うか比べてみたいと思いました。この日はとても寒くて外にいるのがつらっかたけど、暑い季節の方が大変そうなので冬でよかったです(菊池景子)

 小栗塚址にて。地獄への入口だという。かつては九十九折の道だったが、道路拡張にともなって取り崩された。↓

 このツアーに参加して色々と知識が増えました。まず、遊行寺では小栗判官や照手姫、鬼鹿毛のお墓などを見てきました。実際の小栗判官のお話と授業で勉強した説教節での小栗判官のお話とは違う点もいくつかあり、元の話からこんな風に話がアレンジされて説教節のような形になるのか…と興味深く感じました。そこには、当時の人々の何らかの想いが込められているのだろうなと思いました。次に花応院では、閻魔大王像やそのお腹に入っている石造りの閻魔大王像、また小栗判官縁起絵、閻魔十王図の絵解きを見てきました。絵解きは自分が想像していたのとは違いびっくりしましたが昔話を聞くような感じで面白かったです。また、授業で勉強したものの実物(絵)を目にしながらお話を聞くというのは新鮮で面白く良かったです。閻魔十王図の絵解きでは、自分にとって初耳な事が多くてびっくりしっぱなしでした。自分はずっと、地獄で審判をしているのは閻魔大王様だけだと思っていましたが実は閻魔大王様の他に九人もの王様がいて、人間が死に初七日、二七日…とそれぞれの王様のもとで罪の裁断を受け、それにより来世の生所が決まるという事だそうです。閻魔大王様が十王の中の一人であるという事に本当にびっくりでした。また、閻魔大王様は最初の死者であったといわれていて、しかも実は地蔵菩薩の化身ともいわれているそうです。小さい頃からなんだかただ怖いというイメージしかなかったのですがこのお話を聞いて、本当は心優しい王様なのかもしれないななんて思ったりもしました。また、初七日などといった法事にはこういうちゃんとした意味があるのだと知って感心しました。絵解きの途中で甘酒をごちそうになったり、このような知らなかった事を色々教えてもらえたり…たまにはお寺などでこんな風にお話を聞いたりするのもいいことだなと思いました。(小林優子)

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