第1話:滅びの夢
………。
武蔵坊弁慶
「殿、弁慶もすぐ跡を追いつかまつります…。」
「九朗判官義経公が家臣、武蔵坊弁慶じゃ!!勇気ある者は我を倒してみよ!!」
…ぐわぁぁぁ。
………。
藤原泰衡
「頼朝殿の意にそうために義経を討ったというのにそれでも平泉を攻めるのか…。」
「…忠衡じゃ、忠衡が義経を討つのに反対したのが悪いのじゃ!!」
「忠衡を討つぞ!!」
…うぉぉぉ!!
………。
藤原泰衡
「…不運じゃ、もうこれ以上持ちこたえられぬ。かくなる上は北海道に渡りかの地で暮らすとしよう。のう河田。しばらくここにかくまってもらえぬかのぉ…。」
「!!!!!」
河田次郎
「まこと運も尽きられましたな。ご覚悟めされ…。」
…うぉうぉうぉうぉうぉぉぉ!!
藤原泰衡
「か、河田ぁ〜!!!!!」
…がばっ!!
………。
藤原泰衡
「………。ゆ、夢か。なんとも嫌な夢を見たものじゃ。自分が滅びる夢を見るとは…。」
ドタドタドタドタ…。ガラ!!
藤原国衡
「大声をあげておったが、どうした!!」
藤原泰衡
「あ、兄者。」
(自分が滅びる夢を見たなどととても言えぬな…。)
「あ、いや、何、奥に追いまわされる夢を見てな。奥は恐ろしいゆえ…。」
藤原国衡
「はっはっは!!範子は癇癪もちじゃからのぅ…。あまり他の女子のところば
かり通っていると本当に追いまわされるぞ。あの剣幕でな!!」
「なにもなければそれでよい。はっはっは…。」
………。
藤原泰衡
「………。さても、先ほどの夢はいかなる掲示であろうか。義経を討てば滅びるぞ…という父の戒めであろうか…。」
奥州平泉は泰衡の代で4代目。清衡が築き、基衡、秀衡と奥州の独立国を繁栄させ、今では少々のことではびくともしない独立勢力となっていた。
先代秀衡は頼朝が義経を討つをよしとぜず、この平泉にかくまっていた。そのころの平泉の勢力は強大でさすがの頼朝も秀衡のいる間、この平泉を攻める事ができずにいた。
しかし、1189年に秀衡が倒れると頼朝は動き始めた。泰衡おそるるに足らずと踏んだからである。
そもそも4代目泰衡は公卿藤原基成の血筋を引いていたため、異母兄の国衡を差し置いて国主の地位についていた。それゆえ兄の国衡は争いは起こさないものの泰衡のすることを傍観することが多く、また義経の処分問題では義経擁護派の弟の忠衡とは険悪な仲となっており、内部は三派に分かれてしまっていたが、泰衡にはそれを収集する力はなしと見られていた。
藤原忠衡
「兄者、頼朝からまた義経殿の追討令が来たというのは本当か!!」
藤原泰衡
「これじゃ、今まで何とか理由をつけて拒みつづけてきたが、もう限界じゃ。父の喪に付してすでに1年以上、鎌倉方は天皇の院宣まで得たというではないか。もはや義経を討つ以外に平泉が助かる道はないのじゃ。義経を討たねば朝敵にされ滅ぼされてしまうではないか…。」
藤原忠衡
「何を!!義経殿がどのような苦労をしてこの平泉を頼ってきたかわかっていよう。いったいこの先どこへ行けばいいというのじゃ。わしは討つのは反対じゃ。のう大兄様もそう思うじゃろう。」
藤原国衡
「父の遺言は義経殿をかくまう事にあったが、そういう状況とも言えぬ。ここは鎌倉方の出方を待つのもよいかも知れぬ…。」
藤原泰衡
「またか…。兄者はいつもそういって自分の意見を濁すのじゃ。はっきり物申されよ!!」
………。
藤原泰衡
(兄者も忠衡もわかっておらぬ、義経を討てばそれでまるく収まるのじゃ…。かくなる上は義経を討って、ついでに忠衡も討って………。忠衡を討って………?)
河田次郎
「まこと運も尽きられましたな。ご覚悟めされ…。」
…うぉうぉうぉうぉうぉぉぉ!!
藤原泰衡
「か、河田ぁ〜!!!!!」
藤原泰衡
(そういえば前にそんな夢を見たことがあったな…。最後は河田に打たれたんじゃったな。あれは父の戒めであったのだろうか…。であれば、義経を討つのは身を滅ぼすことになるな…。よし………。)
第2話へ続く
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