医者のやる事はもう何もなかった。全部看護婦の仕事だった。
実の娘である母だけには、ばあちゃんは弱音も愚痴も吐いていたようだ。14日には僕にもそれを言い出した。痰が出ないのとは別に、苦しいと言って看護婦さんを何度か呼んだ。僕の頭をたたいて「ごめん」「ありがとう」と言った。
母と交代して、しばらくしてから容態が急変した。みんながそろった頃には、もう意識もほとんど無いような状態で、短い間隔の呼吸を繰り返していた。酸素の出力は最大限にあげられていた。
うちの男3人で夕食を食べに行った。帰ってくると、病室には心電図と脈拍出力と呼吸状態のモニタが設置されていた。
その晩はみんなで泊まって、夜が明けた。血圧は低いが安定しているようだった。母と叔父を残していったん帰る事になった。このとき帰らなければと後で思うのだった。
朝食の支度をして、食べようと言うときになって母から電話がかかってきた。病院に着いたときには、酸素マスクがはずされていた。ばあちゃんはもう苦しまなくていい。
「看病してくれるからお小遣いやろうと思ったけど、あげられへん。」と言って、祖母ちゃんは泣いた。
午前3時頃、ひどく気持ち悪くなって救急で病院に駆け込んだそうだ。肺癌に加えて脳梗塞の疑いが有るとの事。昨日は昼ご飯を全部食べて、具合が良さそうだったのに。
もう言葉も聞き取りづらい。胸が苦しい苦しいと言う。痰が出なくて吸引してもらったが、カテーテルを鼻からつっこまれたりしてたいそう嫌がった。
昨年無くなった父方の祖父は肺炎だったが、家族が帰った後で痰が詰まって窒息死したらしい。
母親はほとんど寝てない。