何もないのなら何もないで良いとは思わないかね?
この一年あなたは何をした?
やらなきゃいけないことが沢山ありそうな気もする。やりたくないので放っておこう。いっそ、ずうっと放っておくのも良いかも知れない。
時が流れて、面白かった物が面白くなくなったり、楽しくなかったものが楽しくなったり、そんなことが有ったり無かったり、どっちだ。どっちでも良いか。
一年前に何を考えていたかなんてすっかり忘れてしまった。もっと何かすごいことを考えていたような気がするが、まあどうでも良い事だ。多分。
生半可能力があるが故に期待され、期待されるが故にそれを裏切り、裏切ったが故に嫌われるとしたら、どうだろうね。
人間は一般論でいうと何のために生きているんだろう。金を稼ぐために生きているのかね。何のために金を稼ぐのかといって、喰うためだったとしたら、生きるために生きることになってしまう。それは何だか良くない気がする。
例えば、楽しむためというのはどうか。金がたまるのは楽しいかも知れない。うまいものを喰うのは楽しいかも知れない。うまいものを腹一杯食べた後に吐き戻してまたうまいものを食べるのも楽しいかも知れない。
想像だが、やりたいことをやりたいときにやりたいだけやるのが一番楽しいかも知れない。うん、まずまずの答えだ。
というわけで、書きたいだけ書いたことだし、この辺で終わろう。
貴方は今夜夢に見る。今日と言う日のために殺された沢山の頚の無い鳥が逆さに吊られている姿を。
奴は来なかった。
奴って誰だ、と男は言った。女は答える。髭の長い、赤い奴さ。そうか、分かったぞ。美髯公だな。中華街とかで祭られているあの2mの巨人だろう。違うわ。女は、悲しげに古い歌を口ずさんだ。
今は良いのさ全てを捨てて〜
最近愚痴っぽくていけねえ。こういうのはスタックにpushされていって、スタックオーバーフローになる前にpopしていかにゃならんのです。たぶん。そのpopした内容を標準出力に出力するか標準エラー出力に出力するかで子供か大人かが決まるのかも知れません。
まあ、ユーザー側で > /dev/null
していれば問題ないのかも知れませんが。
多少のアナウンスぐらいすれば良かっただろうか。かと言ってわざとらしいのも好みでないし。それでも一声かけてもらえれば矢つ張り嬉しいのかも知れない。
聖者が行く。聖者達が行く。いつか俺も、その末席に加えてもらいたい。
全く、彼女にはわるいことをした。生まれてすぐに小さな部屋に閉じこめられて……、小さな部屋、便所さえも分離されていない、薄っぺらい布団と食事用の皿、そんな中に閉じこめられて2年間だ。便所にも、皿にも、布団にも血が付いていた。痛かったんだろうな。胴体ほども膨れあがった左脚。一週間前は、それでも元気にしていたのに。
血は、左脚の先から出ていたようだった。噛み切ろうとしたのかも知れない。痛みを切り離すために。
「よいこ」が問題なのだそうです。「よいこ」は登校拒否になったり拒食症になったり家庭内暴力をしたりするのだそうです。逆説めいてますが嘘ではなくてそうなのだそうです。
日本のお子様は成績は優秀でも課題以外の勉強はあまりしないそうです。本もあまり読まないそうです。そう言うことなんだそうです。
先生がそうおっしゃっているんだからまちがいないと思います。
寝る。
寝た。
サボると言うのはサボタージュをするという意味である。Obunsya's COMPREHENSIVE English-Japanese Dictionaryにはこんな風に書いてあるのである。
- sabotage
- n
- サボタージュ[労働争議戦術の一つ。故意に機械設備・製品などに損傷を与え生産を阻害する行為]
- 破壊、妨害
- v
- vt
- …に対してサボタージュをする
- [故意に]…を破壊(妨害)する
- vi サボタージュを行う
別に私は労働争議をしているわけでもないし、生産に必要な機械類を破壊している訳ではないので、私はサボってはいないのである。などと辞書の内容をあげつらって自己の正当性を証明しようとするのもいささか子どもじみた方法であるようにも思う。
なので、別の方法を持って自己の正当性を証明しようと試みるにそれが叶わなかったとしたら、そもそも正当性などそこに無い物ではないかという疑問を現実のものにせざるを得ない状態になるのである。
しかし、そもそも正当性とは何であるか。正当であるとはどう言う事であるのかを我々は問わずばなるまい。正当であるとは即ち、ある定められた規則の中においてその規則に妥当であるか否かということであって、ここで問題となるのはその規則を誰が決めているのか、という点である。点ではあるが、この点が非常にあいまいであって、君が決めているようでもあって私が決めているようでもあるのである。
何より注意されたいのは、かように曖昧な論法でもって読者を煙に巻く論者であるので、読者の皆様方はくれぐれもご注意なさいますよう。
「俺はおまえに期待していたんだ。お前だって期待されたいだろう。」
男はそう言った。少年は暫くうつむいて、今まで言おうか言うまいか悩んでいたことをついに口にした。
「僕は期待されたくありません。」
少年は他人の重荷を背負うのが嫌だった。少年は少年のために生きているのであって男のために生きているのではないのだ。誰にも期待されたくない、誰にも期待されずに自分の思ったことをやりたい。それが少年の願いだった。
男は面食らって暫く考えていたようだったが、やがて「じゃあ、期待し続けてやる。」と言った。少年はうんざりした。呪いをかけられるのは御免だ。
それから何か月か過ぎた頃、少年は逃げ出した。結局期待に答えなければならない理由なんか無いのだ。勝手に期待してそれを裏切って少年は嫌われていくのだろうか、それは剰りにも不合理だと少年は考えるのである。
自分で何も調べずに言う「分からない」は「興味がない」と同じ事ではないか。
「なんだよう。scanf()使っちゃいけないのかよ。」と叫んだ彼はいつもそう言う。例えば、配られた教科書にはこのように書いてあるのです。
scanf("%d %d", &a, &b)
入力例 12 5(%dと%dの間が空白なので、入力は空白で区切って行う。)
一方、手もとの資料には、こんな風に書かれています。
この関数は、指定された書式で標準入力からデータを読みだします。データは、空白、タブ、改行で区切られているものと解釈されます。
うちのLinuxのjmanページにはこんな記述が有りました。
フォ ーマット文の後に続く pointer 引数は、ひとつひとつが変換文字と正しく対応しなければならない (例外については以下の`抑 止' を みよ)。すべての変換は % 文字(パーセント記号)によって示される。 format 文字列は、その他の文字も含ん で 良い。 format 文字列の中の(空白、タブ、改行といった)ホワイトスペースは、入力の中の(「何もなし」を含む)ゼロ個以上のホワイトスペースに対応している。他のすべての文字は、それ自身のみに対応する。読み込みは入力文字がフォーマット文字と合わなくなると中止する。また、入力変換が成功しなかったときにも中止する(以下の記述を参照すること)。
強調夜刀。かの友人には、何故使い慣れたscanfでなくて文字数を指定したり、改行文字の残るfgetsを使わねばならないのか分からないのです。
解らなければ勉強したり、調べたりすれば良いのです。ゲームをやってるだけで計算機科学が身につくのなら日本の子供は皆SEに成れたでしょうに。
サンプルプログラム scanftest.c fgetstest.c
じつは俺は狸か貉に騙されていて、もし、この右手に下がった5kgの荷物がただの土嚢だったとしたら、あのコンクリートに殺された細い川にこいつを投げ込んで流れをせき止めてしまって、とどめを刺された川の神様が夜な夜な枕許に立って俺が眠ろうとしたときを見計らって鼻を摘むのではないか、と言う話。