2006年3月

03/18_竹の子
03/21_野球盤
03/26_ファミリーカップ

2006/03/18 たけのこ

「HARTたけのこ堀りしたーい」と去年の秋頃から言っていた。
「春になったら成田のおじいちゃんに連れて行ってもらおうね」

 3月、彼岸の入り。この時期の筍は子供が食べてもやわらかくて美味しい。というのはたてまえで私が食べたいのが本音。でもまだ時期としては早いので見つけにくいかもしれないが、2、3本くらい何とかなるだろう。

「ねえ、今日はたけのこ掘りに行くんでしょ、早く行こうっ!」
とHARTが飛び起きてきた。休日だとは思えないくらい、HIROがデザートのイチゴを出すのを躊躇してしまうくらいの速いペースで朝食を済ませ、高速で成田へ向かう。成田へは10時前に到着。彼岸で外出中だったがおじいさんが帰ってくるのを待って早速竹林へ。

 私の実家の近くはシーズンともなれば他県ナンバーの車が道路に並ぶたけのこ堀りの名所(?)。この日もピーク時とは程遠いながらも数台止まっていた。車の止まっていない竹林を選び、さあ筍堀りの開始。熊手で草や葉っぱをどかして丁寧に探して行く。早々におじいさんが1個見つけた。地面からちょこんとでた頭の先を、HARTに見せるおじいさん。貴重な1個目の筍と記念撮影をしようとすると、「写真なんか撮ってないでたけのこ探して」と怒られてしまった。私も足の裏に神経を集中させ、靴で葉っぱをよけながら探す。HARTはと言うと、スコップを片手に竹をたたいたり、倒れた竹に乗ったりして遊んでいる。

 奥に向かって探す範囲を広げていくが、まだちょっと時期が早いこともあり2本目がなかなか見つからない。SATSも飽きてしまい、「もうおへやにかえろう、だっこ〜」、HARTも「のどが渇いた〜、お茶飲みた〜い」となったので、竹林を出る。他の場所を探そうということになったが、HARTの「田んぼに行きた〜い」でとりあえず田んぼへ。もう、たけのこ掘りには満足してしまったのかな・・・

 田んぼではザリガニを取り、めだかをすくい、堆肥からカブトムシの幼虫を掘り出し(これが一番喜んだかな)すっかりご機嫌の様子。暖かくなって生き物と遊べる季節が近づいてきた。12時近くなったので帰ることにした。

 午後は近くの川に偵察を兼ねて釣りに行った。水量も少なく水温も低くてまだ釣れそうな気配もない。HARTが「お父さん、午後、別の場所にたけのこ掘り行くんでしょ」(なんだ、ちゃんと覚えていたのね)と言うのですぐに切り上げ、おじいさんと午前中とは別のポイントへ行ってみる。午前中の場所と比べて、かなり人の入った後がある。3時前の竹林の中はうす暗い。「じいちゃん、暗くてよく見えねえや」と言いながらも早速1本見つけた。「HART掘ってみた〜い」土が固いのでおじいさんと一緒にスコップを持って掘り出した。おじいさんも楽しそうである(私の子供の頃は一緒にたけのこ掘りしたことあったかなあ)。
 私もようやく1本見つけた。小指くらいの小さなものだった。見つかり出すと「HARTも見つけた〜い」とほうきで葉っぱをどかしている。SATSも私の真似をして靴や棒で葉っぱをどかしている。「あと1本見つけたら帰ろう」とHARTが言い出してから2回アンコールに私が応えたが、3回目はかなわずも、午後の収穫は6本とこの時期にしては満足できるものだった。採った筍は天ぷらにすることにした。

「HART、天ぷら作りたーい」
釣った魚の時と同様、自分で最後までかかわりたいと思う気持ちが嬉しいし、これがHARTのいいところ。楽しみ方を解かってくれているよね。皮をむいた筍をHARTに洗ってもらい。一緒に天ぷらネタのサイズに切る。ころもの作り方をHIROに聞いて、HARTに混ぜさせ、天ぷらに挑戦。せっかくなのでサツマイモも一緒に天ぷらに。最初は温度が変動してしまい仕上がりがいまいちだったが、その後は許せる範囲で旬の筍の天ぷらが完成。揚げたてをつまみ食い、うーん美味しい!!。HARTにも食べさせるが熱くて揚げたてはダメだったが、冷めてから食べた。SATSは嬉しそうにサツマイモの天ぷらをおかわりしていました。

 HARTは、自分で見つけられなかったのが悔しかったらしく「またたけのこ掘りに行くからね」とリベンジを決意していました。

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2006/03/21 野球盤

 前日、HARTがスーパーの発泡トレイでサッカーゲームを工作しようと奮闘していたHART。人形を動かす仕組みを、発泡トレーに穴を開けて、割り箸とつまよう枝で作ろうとしているが、なかなか思うようには動かない。
「HARTは何でサッカーゲーム作っているの?」
「野球だと難しいから、サッカーにしたの。いいからお父さん手伝ってよ〜。」
「はいはい、もっと溝の幅を広げないと動かないかな。今度さあ、野球盤買ってあげようか。やる?」
「うん!」

 当然のごとく、エポックの野球盤を買った。人形がリアルなデラックス版を選択。それにしても、思い立ってすぐに買うのは気持ちいい。カタログ等でいろいろ検討するのも楽しいけどね。
 帰ってから早速HARTと対戦。いやあ懐かしい。消える魔球も健在だし、よく出来ている。今でも基本的な仕組みは当時のものと同じ。進歩しているのは投球用のボール補充機能かな。TVではWBCの決勝戦、日本対キューバ戦、臨場感もたっぷり(?)。でもTVを見入っているとHARTから催促がすかさずはいる。

 TVやコンピュータのゲームと違って、子供の目が悪くなることもないし、操作方法だって簡単だから、HARTだって、買って箱を開けたすぐその場で出来る。SATSだって投げるのとバットを振るだけなら出来ちゃう。強いて言えば箱が大きくてしまう場所をとるのが難点。

 HARTが慣れるまでは、速球にならないようにして、消える魔球や変化球も使わないようにしていたら、すっかり負けてしまった。私の守備の時にSATSに投げさせると速球になってしまうので
「SATSにはやらせないで、お父さんがやって」
と文句を言っていたが、私との対戦の後は、二人で大声を出しながら遊んでいた。さすがにSATSにはまだ使いこなせないが、まあ楽しい遊び道具として活躍してくれるだろう。

 今度二人が寝た後にでも、HIROと対戦しよう。

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2006/03/26 ファミリーカップ

 2005年3月、リフトからポールを滑る同じ世代の子供、表彰式の賞品の数々を見て
「お父さん、HARTもやってみた〜い。」「よおしっ、来シーズンは一緒に出よう。」

 10月になったら、かたしな高原のホームページをチェックし、ファミリーカップの情報を待った。定員オーバーにならないうちにと、早速電話を入れエントリーした。

 HARTはポールが初めてなので、前日のポールレッスンも申し込んだ。春の陽気で気温も上昇し、午前中なのにもう既にザクザクのザラメ雪で波打っている状態。(もうスキーシーズンも終わりだなあ。)
 ゲレンデ全体がゆるゆるの大荒れの中で、硫安を散布し整備された専用のポールバーンが用意され、特別待遇を受けているようで私はいい気分。しかし、初めてポールを滑る子供は、その異質な“固さ”に戸惑い1本目からコース途中で転んでしまった。普通のコースではゲレンデ暴走族と化すHARTも、その後はペースがガクンと落ち意気消沈状態・・・
「HARTさあ、今日はポールはもういいからモクセイコースの反対側を滑りたいなあ。」
「えっ、まだ1本しか滑ってないじゃない。」
「ちゃんと滑れるからもういいのっ!」
「今だって転んじゃったでしょ、明日はすぐに本番だよ。どのくらいのスピードならコース通りにちゃんと滑れるか確認しとかないと。」
と、なだめすかしてコースに入らせたものの、2本も滑ると、インストラクターの話を聞くために待ち時間が多く退屈してしまい
「ねえ、お父さんあと何本滑るの?HARTもう普通に滑りたいよ。」
「じゃあ、あと1本で終わりにしよう。」
 スキーを始めて3シーズン、私以外からの指導を受けたことはなく、ほとんど自由に滑らせてきたので、コースが規制されていることよりも、順番を守って、滑った後に人の話を聞くということなじめなかったのかもしれない。

 ファミリーカップ当日。受付で渡されたのは、なんとナンバー1ゼッケン。大会の第1滑走である。幼児クラスは7人、親子のエントリーは5組だった。
「1番だよ〜」 とゼッケンをつけてあげるも
「今日はさあ、お父さんが前を滑って〜」 と少し弱きな発言。(まだ昨日を少し引きずっているのかな。)
「今日は大会で順番が決まっているから、HARTが一人で先に滑るんだよ。頑張ってね。昨日みたいにゆっくり滑ればいいんだよ。」

 インスペクション開始。昨日よりも少し気温が下がっていたが雪はやわらかい。でもこのくらいの方がHARTにとってはちょうどいいかなと思っていた。しかし、スタート直前のコース再整備で固められた。約20分遅れたが、HARTなりのリラックスと言うか時間つぶしは胸ポケットにいっぱいの飴やガムなどのお菓子。朝一番こそテンションが低かったが、インスペクションとその後のフリースキー2本を滑り、特に緊張もしてないようだ。どちらかと言えば私の方が緊張しているくらい。
「HART、昨日みたいにゆっくりでいいからちゃんとコースを滑るんだよ。そうすれば記録が残るからね。」

 前走が終わり、いよいよスタートが迫る。スタートバーの前にストックをおいてスタート準備。アラームが鳴る。音が変わってさあスタート・・・ストックの位置が前過ぎてうまく漕ぎ出せず、係の人に押してもらってスタート。
 上から見守る。慎重にスタートして、暴走することなく着実に旗門を通過していく。最後の緩斜面に入った。よしっゴールしたぞ!

 子供達の各クラスの滑走が終わると次は親の番。もちろん私のゼッケンも1番である。スタートを待つ他の選手達を見るとレーシングワンピを着た人が後ろに並んでいる。(私のレベルでは勝ち目はなさそうだし、無理して転倒するよりHARTにも言ったように着実に滑ろう。初参加なんだし親子としての記録を残さなくちゃ。)

 ゴールすると「お父さん!」とHARTが寄ってきた。リフトで上がってこないので妻と合流しているのかと思ったらずっと下で待っていただった。
「お母
さんは?ずっと下で見ていたの?」 「ううん、お菓子食べながら待っていたの。でもお父さんのはちゃんと見てたよ。HART、1分14秒もかかっちゃった。でも3分もかかった子もいたよ。お父さんはどのくらい?」
「うーん40秒くらいかな。お父さんもHARTが滑るのを上からちゃんと見てたよ。」
 ちょうど妻と下の子もゴールに歩いて近寄ってきた。“ゼッケン1番、横瀬選手スタートしました”とのゲレンデ内放送を聞いてきたのだった。(放送されていたのか、気分いいもんだね、記録がよければもっとね)
 ちなみに私の記録は39秒66で後ろの選手とは7〜8秒差もあった。まだまだだね。HARTもタイムには満足していないようだった。
「初めてなんだし、完走出来てよかったね。ちゃんと記録も残るよ」
「でもHARTが1分以上かかっちゃったから、優勝できないね。」
(私のタイムでも、絶対優勝できないけどね、でもHARTもいつものゲレンデの勢いで滑ることが出来たら1分は切れただろうな。)

 閉会式は妻に出てもらって私は下の2歳の子供を抱えてのスキー。下の子も「またリフトにのる。リフト降りたところでラムネする」と繰り返し滑った。3日目でもう腕はパンパンになってきた。リフトで閉会式のナレーションに耳を傾けながら、早く終わらないかなあと願った。

 1時前になってやっと「もうおへやに入る」と言うので抱っこで閉会式会場そばで終わるのを待った。最後の賞品『任天堂DS』の発表・・・、ゼッケン1番、ではありませんでした、残念っ。
 閉会式を終え、口を尖らせながら戻ってきたHART。理由を聞くと貰った賞品がボックスティッシュと紳士物ばかりで子供が楽しい物がなかったからとのこと。

ところで、幼児と親クラスの成績は・・・
なんと “3位入賞!!!”  エントリーが少なかったのかDFがあったのか解からないけどすごいではないか。
「ちゃんと完走したから、3位になれたね、HART」
と声をかけても相変わらず口が尖っている。ちなみに3位の賞品は紳士用のシャツ。せめて幼児クラスの賞品くらい子供ものにしましょうよ。かたしなさん!

「来年はHARTもう出ない。」(相当ご機嫌ななめである)
「お父さん出たかったら一人で出れば」
「お父さん一人だったら出ないよ。HARTと一緒じゃないと」
「お父さん一人だったら頑張れば優勝できるかもよ」
「HARTと一緒じゃないと、お父さん一人だったら出ないよ。」(出来るわけないじゃん)
「お父さんどうしても出たい?」
「せっかく今年参加したんだから、続けたいね」
「お父さん、来年は何秒で滑る?」
「そうだなあ目標は35秒かな、HARTは1分切ろうね」
「たったの4秒かよ〜、一番早い人は29秒だったよ。」
「10秒も速く滑るには、お父さん一人で20回位スキーに行って練習しないと・・・」
(20回行っても、私には無理だろうが、子供の持つ父親像を壊さないようにもっとがんばんないとな。)

「お父さんどうしても出たい?HARTは閉会式出なくてもいい?」

さて、来シーズンはエントリーできるでしょうか・・・・

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