Written by 春日野 馨
*第九七管理外世界 地球 海鳴市 翠屋 (Gold meets Silver T)
「フィリス矢沢です。はじめまして。よろしくお願いします」
小柄な女性が挨拶をする。お若い感じで可愛らしい女性(ひと)。
「シャマル八神です。こちらこそはじめまして。よろしくお願いします」
これが私とフィリス先生の出会いだった。
「はい、フィリス先生、お待たせしました。ココアとシュークリームです」
桃子さんがオーダーを持ってきてくれる。
「ありがとうございます。翠屋さんにお邪魔するとこれだけは外せないんですよ」
にっこりと笑う笑顔が優しげで本当に可愛らしい。どうしてこんな笑顔が出来るんだろうと私は思ってしまう。
「シャマル先生、フィリス先生はうちのホームドクターなんですよ。なのはも小さいときからずっと診ていただいたんです。
お若く見えますけれど腕はとっても確かな先生です」
「桃子さん、そんな……恥ずかしいです」
「あら、フィリス先生、その通りじゃないですか?大学病院を出られる時に患者さんから強い希望があって非常勤で外
来を診るってことになったのなんて、うちの大学始まって以来だって聞いてますから」
「石田先生まで……んもう……勘弁してください」
真っ赤になって軽くうつむいてしまうフィリス先生。
「そうですよ。うちの恭也だってフィリス先生とお話させていただくのが楽しみで診察にお邪魔していたらしいですから」
「へぇ〜。恭ちゃん、そうだったんだ〜。忍さんという人がいるのになぁ。あれって誰に似たんだろう?」
いつの間にか沸いて出て来た美由希さんが止めに近い一言を入れるとフィリス先生の紅くなったお顔が沸騰しそうな
くらいになる。
「で、シャマル先生は向こうでなのはを診てくださっているんですよね」
タイミングを計ったかのように桃子さんがフォローを入れる。
「ええ。まだまだ未熟者ですけれど」
「なのはちゃん、本当に信頼できる人じゃないと本音を言ってくれないんでしたよね。そういうところはお兄さん似なのか
しら」
「あ〜、確かに恭也もなのはもそういうところはあるわねぇ。おかげで兄妹そろってご面倒をお掛けしまして」
「いえいえ、そんなことはないですよ。なのはちゃんは今でもそんな感じなんでしょうか?」
「そうですね、ちょっとそんなところはありますでしょうか」
「ふふっ、相変わらずなんですね」
「それではごゆっくりどうぞ」
「失礼しま〜す」
桃子さんと美由希さんが戻っていく。
「そういうところははやてちゃんもちょっと手がかかった患者さんだったかしら。あっ、シャマル先生、すみません」
「いいえ、本当のことですから。その節はさぞかし石田先生にご迷惑をお掛けしたのではないかと思います」
「そんなことはないんですよ。さっきも申し上げたんですが、わたしもはやてちゃんが初めて長期に担当する患者さんで
したからちょっと焦っていたところもあったんです。でも、完治されてお元気でお過ごしなんですから、医者としては本当 に嬉しいです」
「本当にありがとうございます」
思わず石田先生に一礼。今のはやてちゃんがあるのは本当に石田先生のおかげだと思うから。
確かに病気の原因そのものは『闇の書』時代のリィンフォースがはやてちゃんのリンカーコアを浸食していたことだっ
たけれど、石田先生が必ず治すって気持ちで治療に当たっていてくださったのは間違いない。はやてちゃんはそんな石 田先生にどれほどの元気を分けてもらっていたのだろうと考えると石田先生に巡り合えてはやてちゃんは幸運だったの だと思う。
もし、あの出会いがなかったら……はやてちゃんが『闇の書』の暴走を止めることも出来なかっただろうし、魔導騎士
として時空管理局に入局することもなかっただろうし、機動六課の部隊長としてJS事件を解決してミッドや他の次元世 界の平和を護ることなんてできなかっただろう。
勿論、私たちがなのはちゃんやフェイトちゃんたちと巡り会う事もなかったのかもしれない。
そう考えると出会いとは本当に不思議なものだと思う。
それが偶然なのか必然なのかは私たちには判り得ない事だし、それが判ったからといって私たちの行動にどれだけ
の影響があるのだろうとは思うけれども、私たちの知り得ない何処かに緻密な計画があって、私たちはそれに基づいて 動かされてのではないのだろうか。
私たちは次元世界よりもはるかに高次の何かの歯車の一つなのかもしれない。
そうでなければ『夜天の魔導書』の一部分でしかなかった私たちが今こうして生を得ていることの説明がつかなくなる
ような気がする。
「わたしがはやてちゃんの担当だった時にはフィリス先生にも随分お世話になったんでしたよね」
「石田先生、わたし、何にもしてないですよ」
「いいえ、いろいろとご指導いただきましたよ。でもまだ本当に未熟者ですけれど」
「わたしだってまだまだ未熟ですよ。もっと勉強しないといけませんし、患者さんにもいろいろ教えていただいていますか
ら」
「勉強は本当にずっと続けていかないといけないですよねぇ……」
「……私は耳が痛いです……未熟者の極みですから」
「シャマル先生はそんなことはないと思いますよ。自信もおありで落ち着いていらっしゃるようにわたしには見えますか
ら。ねぇ、フィリス先生」
「外見だけなんです……お買い物でもお料理でもミスばっかりです」
「その分、診察はきっちりかっちり、ですよね」
座に軽い笑い。石田先生もフィリス先生も本当に優しいと思う。
「あ、ごめんなさい。電話が入っちゃいました。ちょっと失礼しますね」
石田先生が携帯電話を取り出して席を外す。何かあったのだろうか。
「こういう仕事だと呼び出しって当たり前ですよね」
「ええ、私もしょっちゅう呼び出されます」
「お待たせしました。ごめんなさい。ちょっと呼び出されちゃいました。差し迫ったわけじゃないんですけれど、どうもわた
しが居ないと駄目みたいな話のようなんです。済みませんがわたしはこの辺で失礼します」
「今日は本当にありがとうございました。美由希さん、先ほどお願いしていたあれ、よろしいですか?」
「シャマル先生、ご準備できてます。どうぞ」
石田先生と一緒に入口まで行くと、レジに入っていた美由希さんが箱を二つ渡してくれる。
シュークリームのステッカーが貼られた方の箱を石田先生に渡そうとする。
「あの、本当は病院にお邪魔しようと思っていましたので失礼になるかと思いますが、お持ちください」
「シャマル先生、そんな。お気遣いなく」
「いえ、ほんの気持ちですから」
「すみません。それでは有難く頂戴させていただきます。ありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ。それではどうぞお気をつけて」
「またお話させてくださいね。それでは失礼します」
「こちらこそ。失礼します」
石田先生を見送って席に戻る。
「……あの、初対面で失礼だとは思うのですが……」
「はい?なんでしょう」
「あの……何か心配事がおありのような感じがしまして……」
「……やっぱり判りますでしょうか?」
「ええ、本当に何となくなんですけれど。患者さんのことでしょうか?」
「……ええ、そうなんです……これって医師失格でしょうか」
「いいえ、そんなことはないと思いますよ。実はわたし、心療内科のほうもやっていますから表情を読めないと診察でき
ませんしね」
フィリス先生は笑顔でフォローをしてくれるけれど、やっぱり少なからずショックかも。
「身内にもよく言われているんですよ。隠し事をしようとするとすぐにわかるって」
「ふふっ、それってきっとシャマル先生が真面目で正直な方だからだと思いますよ」
「だといいんですが……」
「わたしで良ければお話、聞かせていただけないでしょうか?」
「……そうですね……お願いします」
『フィリス先生はとっても腕のいい先生なんですよ』と桃子さんがさっき言っていたのが本当に良く解る。自然に話をし
てもらえるような流れを作るのがとても上手。
「ええと、どの辺からお話したらいいのかしら。かなり長くなっちゃうかもしれないですし……」
「大丈夫ですよ。わたしの方は時間はありますから」
「そうですね……それじゃあ、できるだけさかのぼったところからにします」
そうして私は話し始めた。
私たちとなのはちゃんたちとの出会いと私がなのはちゃんを診る事になったこと、なのはちゃんが無理を重ねたため
にほんのちょっとの判断ミスをして現役復帰できなくなるかもしれないほどの大怪我を負ったこと、それでも全力全開で 物事に当たるのを止めようとしないこと、『ゆりかご』の中に突入してヴィヴィオを助け出すために限界をはるかに超え る無理をしたこと、検査でその後遺症がまだ残っていること、治療のために休養を勧めたけれど、自分には後輩たちに まだ教えたいことがあるし、ヴィヴィオのためにも続けていきたいからとそれを固辞した事など……
勿論それがなのはちゃんであることは伏せておいたし、魔法の話も伏せてはおいた。
「……そうですか……なんだか昔の、新米の頃のわたしを見ているみたいです」
フィリス先生はそう云って笑う。
「昔のフィリス先生……ですか?」
「ええ、そうなんです。わたしも同じ様な経験があったんですよ」
ココアを一口飲んで続ける。
「あの人は……お父さんが大怪我をして、自分が家族を護らなくてはいけないと考えて剣術の稽古に熱中したんです。
成長期で無理が一番いけない頃だったというのに昼間はお家やお店の手伝いをして、その分の稽古を夜や早朝にし て、それで膝を壊してしまったんです。それでもまだ無理を続けていました。それを見るに見かねたわたしの親友が無 理やりにわたしのところにあの人を連れてきてくれたんです」
フィリス先生はちょっと遠い目をする。
えっ、それって……なのはちゃんのお兄さん、恭也さんの話?
「状態は……それはもう酷い状況でした。度重なる無理が祟って明らかな手遅れになっていました。関節は変形してい
て軟骨は座滅、歩くだけでも激痛が走る程だっただろうと思います。あのまま無理を続けていたら……ううん、治療をし なければ遅かれ早かれ車椅子生活になってしまうだろうということはまだ新米だったわたしにも容易に判断が出来まし た。勿論、わたしは医者としてそれを告知しました。それなのに、あの人はまだ無理を続けようとしていたんです」
再びココアに口をつけるフィリス先生。
「結局、ほぼ泣き落としに近い形で説得して治療を受けることを了承してもらいました。でも、そのときには膝が回復す
るかという見通しなんてわたしにはついていなかったったんです。医者としてはこんなやり方は失格ですよね。もっと冷 静に治癒の見通しをつけて治療の計画を立てて、必要性を患者さんにちゃんと理解してもらって、それで諒解をもらわ ないといけなかったんですよね」
大きな溜息を一つ。
「でも、あの人はわたしが治療をする事を了承してくれました。その理由が『泣きながら、顔を涙でくしゃくしゃにしながら
訴えられたら断れません』でした。それから治療を始めて、時間はかかりましたけれど幸運にも普段の生活と軽い運動 くらいなら耐えられる程度まで回復させることが出来たんです。あの人が若くて治癒能力が高かったのもあるんでしょう ね。今では普通の人と全く変わりない生活を送れるようになりましたけれど」
私は言葉を発することが出来なかった。さっき、なのはちゃんのお父様が怪我をしたときの話を聞いたばかりというの
もあるのだけど。
「あの人は何故治療をするのを固辞していたと思いますか?わたしも気になってそこを尋ねてみたんです。そうしたら、
こういう答えが返ってきたんです。『親父が大怪我で入院していて、その上俺まで入院する事になったら、今でも精一杯 なお袋や妹達が倒れてしまうし、末っ子を本当に一人ぼっちにしてしまう。そんなことは絶対に出来ない。俺が無理をし てそれを食い止められるならどうしても食い止めたい』って。優しいんですよね。そして、自分が笑うよりも他人に笑って いたい人なんですよ」
「……そんなことがあったんですか」
「そんなふうにかなり強引に説得をしてしまったのは、わたしの医師としての信念に理由があるんです。実はわたしが医
師をしているのは『仕返し』のためなんです」
「『仕返し』の……ためですか?」
予想もしていなかった。この女性(ひと)からこんな言葉を聞こうとは。
「あっ、言葉が足りませんでしたよね。『仕返し』というのはなにも他人に対してという訳ではないんです。わたし自身に
対して、わたし自身の出自への『仕返し』なんです」
自分の出自への『仕返し』……それってどういうことなのだろう。こんなに優しそうで周りを包み込んで癒せるような女
性(ひと)に何があったというのだろう。
フィリス先生は、私がそんな疑問を言葉にするのを予想していたかのように言葉を続ける。
「実は、わたしも病人なんですよ。高機能性遺伝子障害、略称HGSって云いますけれど、これって薬で症状を押さえ込
むことくらいしか出来ない、一生付き合わなくちゃいけない病気なんです。本当に稀に発症するんですが先天的な遺伝 子レベルの障害が原因で普通の人にはありえない能力が発現するんです。例えばこんなふうに」
フィリス先生は紙ナプキンを手に取った。それが目の前から消える。
「シャマル先生、失礼ですが上着の右ポケットを確認していただけます?」
促されるままに自分の上着の右ポケットを確認する私。
「……!」
思わず息を呑む。入れた筈のなかった紙ナプキンが入っていたから。
「これって……」
「ええ、これがわたしの病気の症状の一つです。あまり大きな物は無理ですけれど、こうやって物を転送することが出来
る。わたしたちHGSの研究者は『トランスポート』と呼んでいます。発現する能力には人によっていろいろな種類があり ます。『テレポート』『透視』『エリアサーチ』『テレパシー』その他にもいろいろ……」
フィリス先生が再び遠い目をする。ううん遠い目じゃない。哀しい目。
「本当のことを云ってしまうとわたしは普通に生を受けたんじゃないんです。ある組織によって、クローンとして、生体兵
器のプロトタイプとして研究施設で生み出された内の一人なんです。わたし達にとっての世界は研究施設そのものでし た。マシンで圧縮教育を受けて能力の訓練をして検査をされる毎日。それはそれである意味平穏だったのかもしれま せん。ですが、そんな平穏な日は長くありませんでした。戦闘訓練が始まるようになって、わたし達は姉妹同士で戦わさ れ、姉妹たちと殺し合いまでしてしまいました。あるときは単独で、あるときはチームで……実際にわたしが死に追いや ってしまった姉妹たちもいました。そんな日が続いたある日わたし達のオリジナルが組織から脱出したんです。プロトタ イプとして二人だけ残っていたわたしと妹は、組織の命令で自分のオリジナルまで手にかけようとしたんです……でも、 オリジナルとその仲間の皆さんにわたし達は敗れて保護されました。それがきっかけになって組織も壊滅させられて、 そうして解放されたわたし達は外の世界で暮らしていく事になったんです」
そんなことがこんなに穏やかそうなこの世界でもあったなんて。
「オリジナルとわたし達の三人はそれぞれ別々に引き取られて育ててもらいました。オリジナルの姉は桜台にお住まい
の獣医さんご夫婦の養女になって警察関係の仕事をしています。妹はアメリカの方に引き取られて災害対策関係の仕 事を。わたしは大学病院の先生ご夫婦に引き取っていただいてこうして医師をしています。あっ、話が大分逸れちゃい ましたね」
フィリス先生が優しい笑みを浮かべるけれど、その目にはまだほんの少し哀しみが残っている。
「わたしが医師になったのは養父の影響が大きいんです。養父も医師でHGS研究者です。わたしや姉の治療も担当し
てくれています。その養父が、わたしが医師になると決めた時にこう云ったんです。『医者は人を救おうと思う気持ちだ けでやっていける職業じゃない。医者をしている限りは必ず人の死に直面する。自分が医者であることの無力さを感じ るのはそんな時だ。だから、『救おう』と思う気持ち以外に、何か自分を支える信念が必要なんだ。お前にはそれがある のか』と」
「……信念ですか」
「ええ、そうです。お話しましたように、わたしは破壊と殺戮のための兵器として作られました。そんなわたしが人を救う、
救えないまでも心や身体を癒したり、ほんの僅かでも心に安寧を持ってもらう、わたし自身の出自と真逆のことですよ ね。それが、わたしが医師としてできることだと思うんです。それがわたしにとっての『仕返し』なんです。わたし自身へ の、わたしを兵器として作り出した組織への『仕返し』なんですよ。それがわたしの医師としての存在意義で医師として の信念なんです」
そう云ってフィリス先生は優しく微笑んだ。その目はさっきとは違って強い決意の光を湛えていた。
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