シャマルの休日

Chapter 5



Written by 春日野 馨


*第九七管理外世界 地球 海鳴市 翠屋 (Gold meets Silver U)
 そうしてフィリス先生は優しく微笑んだ。その目はさっきとは違って強い決意の光を湛えている。
 あぁ、この女性(ひと)がこんなに優しくて可愛らしいのは強いからなんだ。物理的に強いからなんじゃない。どんな困
難にも必ず打ち克とうとする強い信念があるからなんだ。

 『強さ』って何だろう。
 一般的には自分や自分の仲間達に対する抵抗を排除する力のこと。
 でもそれは本当の意味の強さなのだろうか。
 
 『強さ』は誰かを打ち負かすというものじゃない。
 『強さ』は自分に打ち克ち誰かを護る為のもの。
 『強さ』は誰かを支え、自分を支えるためのもの。
 『強さ』は優しさの基本。
 この女性(ひと)はそれを解っているんだ。だからこんなにも優しく笑えるんだ。

「……ありがとうございます」
 私はフィリス先生に自然と頭を垂れていた。
「えっ?そんな……わたし、自分のことをお話させてもらっただけですよ」
「いいえ、本当にいいお話を聞かせていただきました」

 なのはちゃんが休養の勧めを固辞した理由……
 それは『強く』ありたかったから。
 きっと、自分の目標から逃げることをしたくなかったから。
 休養を理由にして自分に打ち克つことを捨てたくなかったから。
 自分の存在意義である『誰かを育て、護り続ける事』を捨てたくなかったから。
 そして、『強さ』の本当の意味をスバルやティアナ・エリオ・キャロ達に……これから教導していくであろう皆に伝えてい
くことを止めたくなかったから。
 あの件のあった後の訓練でなのはちゃんが見せた最高の笑顔の意味を、私は理解していなかった……

 ヴィータちゃんは昔、なのはちゃんが大怪我をした現場に居合わせた。
 なのはちゃんが復帰できるようになるまで、それはもう三日と空けずに病院に通っていた。リハビリの状況も見ていた
だろう。それでもなのはちゃんがやりたいようにさせている。そして、自分はなのはちゃんのバックアップに徹するんだ、
楯になって何があってもなのはちゃんを護るんだと『強く』なるんだと自分に云い聞かせ続けて。
 機動六課が正規運用される直前、私はヴィータちゃんと隊舎の屋上で一緒になったことがあった。
「はやても酷な人事をするよなぁ。あたしがなのはの分隊の副隊長だってさ。『腐れ縁もここに極まれり』だな」
「ふふっ、でも、隊長クラスの中でなのはちゃんを良く知っているのはフェイトちゃんを除くとヴィータちゃんしか居ないっ
ていうことだと思うわよ」
「……あたしはそんなんじゃねえ。ただ、なのはが自分のことを考えずに無理をし続けるようなら体を張ってでも止めて
やるくらいしかできねえよ」
「ふふっ……ヴィータちゃんってばなんだかんだ云ってもなのはちゃんの事は好きよねぇ?」
「……っ!?なに云ってんだ、シャマル!あたしとあいつはただの腐れ縁って奴だけだ!」
「はいはい、そういう事にしておいてあげましょうね」
「シャマルッ!!」
 あの時は単なる笑い話程度に聞いていた。
 でも、今ならヴィータちゃんの気持ちが良くわかる。
 そしてなのはちゃんの気持ちも。

 アインスが自ら天に還る選択をしたのも『強さ』なんだろうと思う。改変されてしまった自分の弱さを強さに変えて、は
やてちゃんを護っていく最良の選択をしたのだろう。
 そしてアインスにその任を託された私達ヴォルケンリッター。
 その中でアインスの気持ちを本当に理解していなかったのは私だけではないのだろうか。

 私は医者失格だ……『強さ』という、そんな大事なことにも気が付いていなかったなんて……
 ただ検査して治療して現場に復帰させて……それが医者の仕事だと思っていた。
 何が『風の癒し手・湖の騎士』だろう……

「あの、シャマル先生……」
 フィリス先生に声を掛けられて我に返る。
「あっ、ごめんなさい、フィリス先生……」
「ふふっ、シャマル先生ってとっても真面目な方なんですね」
「真面目……でしょうか?」
「ええ、とっても。失礼かもしれませんけれど、『真面目』が服を着て歩いていらっしゃるみたいな感じかしら」
 目の前には全てを包み込むようなフィリス先生の笑顔。
「存在意義なんて人それぞれいろいろあって当たり前だと思うんです。わたしの場合がたまたまそうだったというだけ
で、シャマル先生にはシャマル先生の存在意義があると思いますし、シャマル先生でなければ出来ないことがあるんじ
ゃないでしょうか。それはきっとわたしには出来ないことだと思います。……お悩みの事ってなのはちゃんのことでしょ
う?」
 また見抜かれてしまった……どうしてこうも私は隠し事ができないんだろう。
 シャーリーにマリーさん、すずかちゃんにアリサちゃん……そしてフィリス先生にも。
「お話を聞きながらそうなんだろうなって思っていたんです。……さっき、膝の治療をした患者さんの話をしましたけれ
ど、あれって実は恭也さん、なのはちゃんのお兄さんのことなんです。やっぱり兄妹ですよね。本当にそういうところまで
そっくりなんですから。あの……とっても恥ずかしい話なんですけれど、あの頃、わたしは恭也さんに恋心のようなもの
を持っていたんだと思います。ううん、恋をしていたんだと思います。だから何とかして治すんだって意地になっちゃった
のかもしれません。膝を治して、一緒に心も虜にしちゃおうって企んでいたんですから。かなりというか相当に腹黒いで
すよね。ですから、わたしってとっても不真面目なんですよ。でも、残念ながらその後に恭也さんには忍さんという女性
(ひと)ができて、わたしの恋は終わってしまいましたけれどね」
「そうだったんですか」
「ええ、でも、今でも恭也さんのことは大好きですよ。だって、いろいろな経験をさせてもらえたんですから。人を好きに
なるって本当にいろいろな経験をしちゃうものなんですね。恋を知って、恋心だけじゃない『好き』があるって知ることが
できたのも恭也さんのおかげですし、患者さんを本当に『好き』な気持ちで治療できるようになったんですから」
「『好き』な気持ちでの治療ですか……」
「はい。患者さんを治したいと思ったら、患者さんを『好き』になることが必要なんだって解ったんです。単に病状を分析
して機械的に治療することだったらそれは難しくないと思うんです。あっ、勿論病状の程度にもよりますけれどもね。で
も、本当に患者さんのプラスになる治療をしたいんだったら、患者さんを『好き』になって患者さんがどうしたら笑顔にな
ってくれるのかを自然に考えていくのが必要だと思うんです。わたしがそう思えるようになったのは恭也さんのおかげで
すから。だから、恭也さんには本当に感謝しているんですよ」
 懐かしそうに、でも前向きな口調でフィリス先生が語る。
 ……私は患者さんに前向きで居られたのだろうか。
 患者さんが笑顔になれるような診療ができていたのだろうか……
 少なくとも今、この時からそういう診察をしなくては。
 それが患者さんのためだけでなく医師である私自身のためでもあることを知ることができたから。

 『からん、からん』と入口のベルが鳴った。
「いらっしゃいませ〜。あ、リスティさん、お久しぶりです」
「美由希、お久しぶり。フィリス、来てる?」
「ええ、いらしてますよ。奥のお席です。ご案内しますね」
「あ、いいよ。見つけたから」
 フィリス先生と同じくらいの背格好でシルバーブロンドだけれども肩よりちょっと短いくらいのショートヘアをした女性が
近づいてくる。
「フィリ〜ス、どこで油を売っているのかと思ったらここに居たのか」
「リスティ、たまにはいいじゃない。わたしだってゆっくり息抜きしたいときあるんだから」
「……矢沢先生が心配していたぞ。予約の患者さんのことを忘れているんじゃないかって」
「えっ?あ、いけない」
 慌てて時計を見るフィリス先生。
「うん、リスティ、車よね。だったらあと三十分くらいは大丈夫ね。リスティもお茶、一緒にどう?」
「ったく、いつからそんなに不真面目になったんだよ。ボクはそんな妹に育てた覚えはないからね」
「わたしもリスティに育ててもらった覚えはありませんから」
「本当にもう、口ばっかり達者になったんだから」
「ふふっ。それは年季というものです。あ、ごめんなさい。紹介しますね。こちら、わたしの姉でリスティ槙原です」
「リスティ槙原です。一応、こいつの姉なんてやらされてます」
「あ、リスティ、こちらはシャマル八神先生。向こうでなのはちゃんを診て下さっているそうです」
「はじめまして。シャマル八神です。『シャマル』と呼んでください。よろしくお願いします」
「リスティさんはコーヒーでしたよね。今日のお薦めはモカ・マタリのストレートですよ」
 美由希さんがオーダーを取りに来る。
「うん、じゃあそれとケーキを適当に」
「はい、モカストレートにケーキお一つですね」
「そうそう、お代はフィリスにつけておいて」
「りーすーてぃー、あなたはいつもいつも〜」
「フィリスはボクよりも遥かに高給取りなんだから、貧乏な姉に奢ってくれるよねえ」
「はぁぁ……リスティの懐がいつもブリザードなのはお酒に消えていくからでしょ?」
「人聞きの悪い。何も酒だけに消えているわけじゃないよ。ちゃんと専門書にも投資してるって」
「でも部屋の隅に積んでいるだけなんでしょ?そういうのは『投資』じゃなくて『無駄遣い』って云うんですよ」
「っ!どこからそれを?」
「ふふふ、情報ソースはひ・み・つ♪」
 姉妹の楽しそうな会話。
 幸せそうなのが良く解る。こういう姉妹や家族があるなら全力で護りたいのは当然。

 リスティさんのオーダーが届いて、ちょっとした雑談。
「シャマルさん、フィリスが何か余計なことを云っていませんでした?端にも棒にも掛からない不肖の姉が居るとか」
「いいえ、とってもいいお姉さんと妹さんがおいでだとおっしゃられていましたよ」
「やっとフィリスも解ったようだね。いつでも妹達には優しい姉でいたいボクだ」
「その割にはいつもわたしに無心に来るくせに」
「まぁ、それはそれさ。それも愛情の一つだからね」
「……ものは云い様なんだから……」
「ふふっ、本当に仲がよろしいんですね」
 お二人を見ていると自然に笑みがこぼれてくる。

 こんなふうに温かい生活を護りたい。
 そうだ。私が護りたかったのははやてちゃんと私達の温かい生活。
 JS事件で隊舎が襲撃されたときにザフィーラと一緒に戦ったのもその気持ちがあったから。

 やっと解った。
 なのはちゃんは生き急いでいたんじゃない。
 みんなとの温かい生活を護るために全力で生きているんだ。
 自分が護りたいものを護る為に全力全開で飛び続けているんだ。

 私にできることはみんなのこんな温かい生活を護っていくこと。そのために医師としてできることをしていくのが私の為
すべき事なんだ。それが私の存在意義なんだ。
 なのはちゃんとヴィヴィオの温かい生活も、なのはちゃんの笑顔を絶やさないように、ヴィヴィオが笑顔でいられるよう
に、私がバックアップして護っていくんだ。
 あの時、休養を勧めた時、私はなのはちゃんの気持ちに正面から向き合っていなかった。
 医師としての考えばかりを先行させていた。
 なのはちゃんの気持ちを考えていなかった。
 自分の医師としての立場からだけ物事を考えていた。
 なのはちゃんが休養をしたくないというのなら、それに合わせて私にできることをしていこう。
 騙し騙しでなく真正面から向き合って、なのはちゃんと協力してお互いに最良と思えることをしていこう。
 それは、きっと、医師として私が成長する事になるから。
 患者さんを『好き』になること、それが私が医師としてジャンプアップするための第一歩。
 『癒し手』から『医師』になるために必要なこと。

「さて、フィリス、そろそろ時間じゃないかい?」
 リスティさんが促すように時計を見て、それを合図に皆が立ち上がる。
「あっ、そうね。シャマル先生、今日はありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ本当にありがとうございます。貴重なお話も聞かせていただきまして」
「いいえ、恥を晒すような話ばっかりでしたけれど」
「あの、フィリス先生、一つお願いがあるんですがよろしいでしょうか?」
「はい?なんでしょうか?」
「あの……ご迷惑でなければ、これからもいろいろご教示いただきたいのですが……よろしいでしょうか?」
「こちらこそ、ぜひよろしくお願いします。わたしのほうからお願いしようって思っていたんですよ♪」
 きゅっと私に抱きついてくるフィリス先生。
 私もフィリス先生をきゅっと抱きしめていた。
 フィリス先生の優しさを現すような温かい感触。
 私はこの感触を忘れないだろう。そして、この感触を心の支えに医師として患者さんと接していこう。
 患者さんの、そしてみんなの温かい日常を護るために。

 お会計を済ませて外に出ると車を取りに行ったリスティさんが到着する。
「さぁ、フィリス、そろそろ行かないと」
「……うん……シャマル先生、またお会いしましょう。メールしますね」
「はい、フィリス先生もお元気で。私もメールします」
「今度はぜひうちにもいらしてくださいね」
「はい、ありがとうございます」
 お互いに握手。小さいけれど温かいフィリス先生の手。
 フィリス先生のような温かい医師になるために、私はこの手の温かさを忘れない。
 強く温かい、みんなの日常を護る医師になることを誓ってフィリス先生の手を握った。
「それでは、失礼します」
「お気をつけて。ありがとうございました」
 フィリス先生が乗り込んだ車が出発する。
 私は車が見えなくなるまでずっと目で見送り続けていた。

 出会いは本当に不思議。
 今日のこの出会いは、もしかしたらアインスがお膳立てをしてくれたのかもしれない。
 今日の出会いはきっと明日の糧になる。
 私も立ち止まってなんていられない。
 みんなを『好き』で『強い』、みんなの日常と笑顔を護る医師になるために今日よりも半歩でも一歩でも前に進もう。
 今日よりも明日はもっと『好き』になろう。
 今日よりも明日はもっと『強く』なろう。
 それが今の私にできることだから。



平成二十四年三月十二日





「シャマルの休日」目次へ戻る

「魔法少女リリカルなのはシリーズ」目次へ戻る

「主人の書斎」目次へ戻る

店内ホールへ戻る