2024年

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今回の「tuzi now」は2021年(令3)5月の出来事です

2月17日(土)

「皆既月食〜2021」

皆既月食の5月26日は水曜日で、太極拳の練習日だった。
どうしても観たくて、練習抜け出しては夜空を見上げる。
今晩は晴れて月食日和。
赤銅色の隠れた月は美しい。幻想的でもある。
次回は12年後。




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今回の「tuzi now」は2023年(令5)3月の出来事です

2月18日(日)

「ファイナル〜2023」

私は「限定」とか「ファイナル」という言葉に弱い。
「鉄道開業150年記念ファイナルJR東日本パス」という切符が発売された。
この「ファイナル」に反応してしまったのだ。
3日間乗り降り自由のフリー切符で、新幹線の座席指定を4回まで取れる。
決してお安くはないが、ネットから限定なので、つい購入をクリックしてしまった。
これまた「ネット限定」というところにも脅迫感漂っていた。
3月2日〜3月12までの連続する3日間となると、私には3月5日〜3月7日しか空きがない。
東日本フリー区間には静岡近くで富士山を見るとか、福井に行って国宝の城を見るとかも可能である。
新幹線を乗り継いで行けば日帰りだって可能かもしれない。
そしてこのフリー切符を最大限に活用できるのではないかとも思う。
でも、極力宿泊を避けて日帰りで3日間通いたい。
なので、東京駅に朝9時着の指定を3日間分予約することに決めた。

今回の目的は、その1、皇居の城門全11を制覇すること。
その2、忠犬ハチ公の剥製と、明治天皇の愛馬、金華山号の剥製を実際に見ること。
その3、香港の味、腸粉を食べること。
というわけで、遠出は難しい。
もっと時間があれば、念願の葛飾柴又帝釈天、寅さんを訪ねたいところだが、今回も見送るしかなさそうだ。
1日目は皇居めぐり。2日目は横浜中華街で腸粉。3日目は剥製メインの博物館めぐり、と決めた。
もちろん、それぞれの詳細は下調べして計画済みである。


1日目・3月5日(日)
「東京マラソンと電池切れ」
東京駅に朝9時到着。
「さあて、江戸城の城門制覇すっぞ!」
気合は十分、東京駅北口をを出た。


なんだなんだ?この青ジャンパーの群集は?は?東京マラソン?知らなかったよ・・・
皇居周辺は警備も厳しく、進入禁止のポールが張り巡らされていて、道を渡りたくても渡れない。
近くを散歩中のご夫婦も道を渡りたいらしい。
みんなで渡れば怖くない精神で、私たちはポールを跨いで渡りだした。
当初の計画通り、@和田倉橋を渡ってA桔梗門へ晴天のもと軽快に歩き出した。
B坂下門でのこと。カメラの電池が切れた。相変わらずスマホを持っていない私。
確か、和田倉門近くに休憩所があったような・・・?
とりあえずC皇居正門に向かう。警備の人に電池切れを訴える。
「近くで手に入りませんかね?」なんなら譲ってもらえないだろうか、くらいに思って聞いてみた。
「駅まで戻らないとありませんね」とにべもない返事。
せっかく全城門制覇しようと意気込んでいたのに、カメラに収められないのでは仕方ない。
今日は日曜日、明日は月曜日・・・ということは美術館めぐりはできない。
よし!日程変更して、今日美術館めぐりをしよう。急遽予定を入れ替えることに。

さっそく東京駅に戻って、上野に移動。
まずは科学博物館へ直行。目指すは忠犬ハチ公の剥製。
それは丹念に見ていかないと見落としてしまうような、ごくごく普通に他の剥製たちにまぎれて展示されていた。
「思いのほか大きくない」
目を引いたのは首輪だった。ハチ公号の首輪はシックでかっこよく、時代を感じさせるクラシカルな渋みがあった。
もちろん他の展示物も網羅して楽しんできた。
お土産を買おうと思って、ミュージアムショップに立ち寄ったところ、ハチの生誕100周年グッズが。
知らなかった・・・私って持ってるかも・・・
次に向かうはエゴン・シーレ展。これは上野に着いたら旗がやたらあったので、観ていこうと。
東京都美術館は混雑していた。そして予約制でチケット販売はなかったのだ。
諦めて、今度は東京芸大美術館に向かった。こちらはなんと受験日のため休館。ガッカリ。
次の目的地新宿に移動する前に、上野やぶそばを食したい。
うっわー、お昼時でもあって長蛇の列。並んでまでも、そば食べなくてもね。
上野駅に向かってる途中、ワゴンセールでプーマのジャケット衝動買い。
私、プーマに目がないんです・・・。
新宿ビックカメラでようやく電池を調達。
新宿に来た目的は花園神社の骨董市である。目当ては手巻き腕時計。
私は滅多に腕時計をしない。出かける時は大抵懐中時計(手巻き式)を持ち歩いている。
手巻き式の腕時計を持っていないわけではないが、母から譲り受けた高級時計なので普段使うにはもったいない。
だから骨董市にありはしないかと、立ち寄った一件目にはめぼしいものはなく、二件目で見つけたものの
結構なお値段。そりゃ、手巻き式となればプレミアムが。それにしても高い。
諦めかけた3件目でもそれらしきものがケースに入って置かれていた。
「これは手巻き式ですか?」
そうだ、という。値段を聞いたところ、1,000円だと言うではないか。
「動くけど、時間が合うかどうか分からないよ」
動くならとダメもとで購入。後日、ちゃんと動くし、時間も合うことが分かった。
新宿から信濃町絵画館へ移動。
銀杏並木の奥の絵画館建物自体は知っていたが、中を見学したことはなかった。
教科書に載ってる、大政奉還の絵など多数所蔵。実際は巨大絵画ということが今回の見学で知った。
でも、私が見たいのは絵画ではない。
明治天皇の愛馬、金華山号の剥製である。今日は偶然にも剥製ばかりがお目当てなのだが・・・
金華山号の話しは父から聞いて興味を持っていた。
その金華山号について調べてみると、絵画館に剥製があるとのこと。
このことを知ったのは数年も前のことだが頭に残っていた。
受付で確認したところ、展示されてるとのこと。ひととおり絵画を見て回っていたら、
金華山号が収められた時の絵もあるではないか。明治天皇が馬に跨っていたら、これが金華山号だろうかと思ってみたり。
そして、いよいよ金華山号の本物にご対面。
栗色の小柄な馬。
一度は埋葬されたが明治天皇の希望で掘り起こされて剥製に。骨格も展示されている。
金華山号
宮城県鬼首産
岩手県前沢で買い付けされた。他に数頭がいた。この時の様子が絵画になっている。
明治天皇の愛馬となり数々の逸話を残す。
○明治天皇が見えられると、お辞儀をして跪いた。
○橋の前でピタッと止まって動かないので、調べてみたら木が腐っていて危なかった。
修復後は何事もなかったかのように渡った。
○大砲の大音にも動じることはなかった。などなど・・・
小柄ながらサラブレッドの血統。背高148cm。
金華山号を堪能して池袋に移動。
以前、テレビで話題というか取り上げられていた、本場のディープな中国料理が食べられるフードコートが池袋だった。
そこに行けばもしや私が食べたい本場の腸粉があるのではなかろうか。
そんな期待を持って池袋へ。でも、どこなのかさっぱり分からない。
しばしウロウロして、ふと見上げるとそれらしき看板が。やっぱ、私って持ってるかも。
そのビルが中国物産館になってるみたい。
お目当てのフードコートに行ってみる。3時くらいだったが結構混雑いていた。だけど腸粉はない。
食材や雑貨などみて、下の階に移動。書店と小さなフードコート。
こちらはテレビで紹介されたいので客は常連の中国人だけが数人いるだけ。
小腹がすいたので何か食べようかと見てたら、なんと腸粉をみっけ!やっぱ、持ってるよねー。
迷わず注文。おやつというよりしっかりした一品料理で日本人向けの腸粉だった。
味は・・・美味しいけど・・・香港の腸粉とはまたちょびっと違う。


腸粉が食べられて嬉しい気持ちで本日の最後の目的地、巣鴨に移動。
前々から巣鴨の刺抜き地蔵に来たかったし、商店街で買物もしたかった。
地蔵通商店街はおだんごや大福や私の大好きな柔らか系お菓子に溢れている。
還暦祝いに友人と私の赤パンを購入が目的のひとつ。
Sサイズ、Mサイズ、Lサイズ。
普段ならMサイズかLサイズでしょ。そう心の中で思うものの、デカすぎるでしょ!
Sサイズ、これすら大きいでしょ。でもこれが最小でしょ?
もう迷うことはない。Sサイズ2着ゲット。ひとつは贈り物としてリボンかけてもらう。
還暦祝いに渡したら地蔵マークがカワイイと喜んでくれて、Sサイズは穿けないよ、と語っていた。
もったいなくて穿けないとも語っていた友人だが、後日穿けたの報告があった。
私はパンツの上に赤パン穿いてますからー。
寄り道しているうちに5時も近くになろうとしていた。お線香買ったところで「もうすぐ閉まります」をなんとか滑り込みセーフ。
両脇にお見送りの僧侶が立ち並ぶ中、合掌しながら後にした。
大福とわらび餅を大量購入。一日目を終了、無事ノルマ達成。
明日は月曜日なので、公共施設が休館を考えると、明日は横浜方面へ。


2日目・3月6日(月)
「定番の横浜中華街」
石川町から延平門へ。関帝廟へ直行。お線香あげておみくじ占いを。良いことひとっつもない運勢。


気にせずおかゆを求めてさまよう。
人気店はすでに行列ができている。並んでまでおかゆでもない。
謝甜記でおかゆを食す。美味しかったです。満足♪
お腹も満たされて、お買い物♪
線香3箱と関帝廟であげるような線香の束を購入。玉の指輪、ビーフン、太極拳の教室の皆にお菓子・・・
ふ〜。
書道用品が置いてあった貿易商店が見当たらない。通りにはこれまでなかった新店舗が増えていた。
行きつけの商店がなくなってしまいがっかり。
新店舗、西遊記で腸粉と杏仁で一休み。ここの腸粉は少々硬めでえびも香港風ではないけれど、ソースはいけてた。
杏仁はもちもち感があって申し分なし♪
中華街を出て、思い出の桜木町へ。
何年も前から桜木町を訪れて、お世話になっていた大○ホテルを訪ねてみたかった。
「カネちゃんはどうしてるんだろ」
でも現在も営業してるとはとても思えない。
桜木町駅を降りたら迷うことなく行けるかと思っていたが、完全に迷ってしまった。
ピオシティの中で迷い込んだのがいけなかった。あらぬ出口から出てしまったのが命取りだったようだ。
橋を渡るのは確かだが、果たしてここはどこなんだ?の橋なのだ。
たまらず通りがかりの若い学生さんに声をかけた。
「伊勢崎モールに行きたいんだけど」伊勢崎モールにさえ行ければ迷うことはない。
ところが、その女性スマホのマップで説明しようとしだした。いまどきだな、と思いながら理解できないだろうと諦めた。
次に子犬を抱いたセレブ奥様風に声をかける。
すっごく丁寧に教えてくれたけど、私の場合ざっくりと「あっちの方」と指差してくれたほうが理解しやすい。
素直に教えてもらったように歩いて、あとは感を頼りに歩いたら、やっとのことで伊勢崎モールに出てきた。
ここまで来てしまえば、懐かしの大○ホテルは目前だ。
うん、うん、分かるぞー。果たして・・・高層マンションになってました。
ここから桜木町駅までは目を閉じても行ける。ピオシティにも立ち寄りたかったけど、
歩き疲れてしまい、すぐ電車に乗ってしまった。
浜松町で思いついて途中下車し、増上寺に行く。
浮世絵でも有名な大門が見てみたい。
実際に目で見た大門は素晴らしかった。けれど東京タワーとコラボの本堂はいただけない。
あれが良いのだ、と言われるが、私的にはミスマッチに思える。
時間も遅かったので、宝物殿も徳川墓所も見れなかった。
本堂でお線香とお守り購入して本日タイムアップ。
明日は最終日。いよいよ皇居城門をめぐります。


3日目・3月7日(火)
「城門制覇」
朝9:00東京駅丸の内中央口出発。
今日も晴天。暑くなりそう・・・
1日目と同様、@和田倉橋、城門跡から巡る。ほどなくA桔梗門が見えてくる。
しばし歩いてどっしりしたB坂下門、玉砂利歩いてC皇居正門D桜田門(高麗門、渡櫓門)
ここまではサクサクッと進んで来れて、一区切り。
桜田門を出て堀沿いに進む。警視庁前を通って国会議事堂を前方に見て歩き続ける。
奥にE半蔵門が見えてくる。
しばらく歩くと公園があって、その先から千鳥ヶ淵緑道に入る。
F乾門を過ぎて北の丸公園に入る。科学技術館前を通って日本武道館を目指す。
G田安門の登場に感動した。堂々たる風格が感じられる。
田安門 重要文化財
枡形門であり、正面の高麗門と、その右手奥の櫓門からなる。
江戸城完成当時に遡る現存唯一の建物である。
武道館前に戻って吉田茂像前を通って急な石段を下りてH清水門
清水門 重要文化財
枡形門であり、正面の高麗門と、その右手奥の櫓門からなる。


国立近代美術館をみたかったのだが入れ替えのため休館。なんて日だ!
歩道橋を渡りI北桔梗門。手荷物検査を受け皇居東御苑に入る。
天主台に登ってからJ平川門へ暑くてたまらず上着を脱ぐ。
平川門には高麗門、櫓門、木橋が揃っている。3点が揃ってるのはここが唯一。門までに急坂あり。
しばし東御苑内を散策。
石室(火災の際、大奥の貴重品などを避難させた)
富士見多門櫓から御所を臨む。松の廊下跡を見たところで想像力が働かない。
富士見櫓を見てK大手門。江戸城の正門。
門にいたるまでは大番所、中之門、百人番所、同心番所、そして三の丸尚蔵館とつづく。
尚蔵館には伊藤若冲など収蔵されている、はずだけど新施設への移行準備のため休館。なんて日だ!
仕方ない伊藤若冲のクリアファイル購入で我慢することに。
大手門には高麗門、櫓門。昔は木橋がついていたが現在はコンクリート製になっている。
現在13:00、所要時間4時間
12城門制覇
御徒町に移動し、ジュエリー街をぶらりしながらアメ横まで歩く。
ラム肉串を食べて小腹を満たし、上野天ざる蕎麦を食べる。満腹じゃー。現在2:30
東京国立博物館で大安寺の仏像展とアイヌ展、常設展をみる。
企画展では何度か訪れているんだけど、常設展は初めてかも・・・


国宝の宝庫なはずなのに、そのほとんどは公開してないのね。
16:45退館
さあて、西郷さんに会って帰るとするか。
歩き始めたら上野東照宮を見つけた。行ったことがないので寄ることにした。
家康、吉宗、慶喜が奉神。五重塔も立派、桜が咲いている。
金ピカじゃー
17:00閉門
西郷さんを見上げて、なにかを忘れてることに気がついた。
佐伯祐三展・・・忘れてた・・・国立博物館見てる場合じゃなかった・・・終わってるし・・・(泣)
18:30
上野駅から帰宅の途に。



(おわり)



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今回の「tuzi now」は2023年(令5)10月の出来事です

2月20日(火)

「飛び初段〜2023」

令和4年(2022年)4月から弓道を始めた。
前々から興味があったので、「ようやく重い腰をあげた」といういつものパターン。
なーんにも知らない状態で、とりあえず始めた。
近くの体育館で、弓道の道具を毎回設置して練習を始める。我町には弓道場がないのだ。
まあ、私としては、「こんなもんなんだろう」と不思議にも思わないくらい何も知らなかった。
会員は私を入れて5,6人てとこ。
指導は5段を持ってる先輩。
この先輩やたら声が大きい女性(私より年下)で、ゴム弓で握り方などから始まった。
週に一度の練習。
何週かゴム弓練習が続いて、いよいよ本弓を持って巻藁練習になった。
右手に‘弓がけ’という道具を使うのだが、会から借りた。‘胸当て’も借りた。弓ももちろん会から8kgを借りた。
みんな借り物です。
6月に入って、弓道協会に入会しないと昇段試験が受けられないとのことで会費を徴収された。
私は今年の試験を受けられそうにないと内心思ったが、とりあえず支払った。
父は出かける私が面白くないのか、弓道する私を完全にバカにしていた。
そんな父が10月に突然逝ってしまって、弓道どころじゃなくなって、もちろん昇段試験は受けられなくなった。
父の初七日の頃、指導してくれてる5段の彼女がお悔やみに来てくれた。
父は工務店をしていたので、作業場には材木が残されている。
結局それ欲しさに来たことが判明。差し上げることは良いのだが、タイミングというものがあるでしょ(怒)
その日のうちにもう一人の先輩(お悔やみなし)とやってきて、材木を漁っていった。
私だったら、お悔やみとは別にお礼を考えるところだが、そんな常識など持ち合わせていないのは明らか。
不要な物、くらいにしか考えていないのだ。私にしては不用であっても遺品ですから(怒)
高々半年の付き合いでも、以前から不信感はあった。正直「やっぱり」という感触だった。
年が明けて練習に戻って、的前で射るようになっても、弓が弱い(8kg)こともあって全然届かない。
9kgに上げても全然届かない。一度も届かないまま1年が過ぎた。
私は体が小さい。よって弓を引くリーチも短い。
理屈からいえば、同じ強さの弓で引いてもリーチの長い人と短い人とでは飛ぶ距離は違って当たり前。
ならば小さい人ほど強い弓を引かねばならない。そうでしょ?
でも、指導の女は強い弓を与えてはくれない。
その指導力にも疑問を持っていた私は業を煮やし、勝手に10kgの弓を使い出した。
それでも届かない。一度も届かない。
弓の強さだけじゃない、フォームやら様々原因はあるのだろうが、10kgでなんとかせねばならない。
指導が的確でないのだ。指導者としての力量にも欠けるのでは。
私はあらゆる本から習得し始めることに。
初めて矢が届いたのは2023年5月のことだった。しかも的中。
だからといって同じ射ができるかといえばそうではなく、また届かなくなる。たまに届いたり、的中したり・・・
2023年の昇段審査が10月にある。
申し込みは6月とのことなのだが、審査を受けるかどうか迷うところだ。
昨年始めて審査を受けた先輩が3人おりまして、初めて審査を受ける人は「無指定」となる。
「無指定」なので、その力量で2級かもしれないし、1級かもしれないし、的に当たればいきなり初段もありえる。
普通1級なんだそうで、昨年受けた先輩3人も1級になった。
私は昨年受けられなかったので、今年初めての審査なので「無指定」で受けることになる。
あらかじめお題2問について筆記の提出がある。そして10月の実技である。
2射中、1射でも的中させれば初段確定。
「狙うしかないでしょせっかく受けるんだから飛び初段狙いですよと公言して憚らない私。
ろくに届きもしないで大風呂敷広げた私。誰も本気で聞く人などいない。
10月の実技に合わせて、9月に入って何度か審査会場となる弓道場に行って練習した。
2023年審査を受けるのは「無指定」の私と、昨年1級保持者の2人が「初段審査」を受ける。
飛べるのは「無指定」だけで、後は順次昇段していくしかないのだ。
だからこそ飛ばねば。
10月の第1週。団体戦の大会があった。メンバーが足らず私が借り出された。
「来週の審査の予行練習と思って」と言われ出場することにしたものの、不安もあった。
不安と言うのは、矢の数である。
私の矢は会からの借り物なのだが、4本しかないのだ。
本番は2本あればよいのだが、大会では4本使うわけだから、1本でも損傷させてしまったらおしまいだ。
損傷させないためには何としても的まで届かせることが必要。
届かず下に落ちて、途中の側溝にぶつかるものなら、折れたり、矢尻、はずが取れたり・・・使い物にならなくなってしまう。
たからせめて的横の土まで届かせたい。
その思いが強かったのか、的中はなかったが、なんとか全射届かせることができた。
精神力の成せる賜物。
ふ〜、矢が無事で一安心。

そして翌週の審査本番。
当日発表の立ち位置は、4人立ちの2番になった。
私以外の3人のベテラン感が半端ない。
1番射は男性、2番が私、3番の女性は座れず立射、4番の女性はかつての国体選手。
4番の女性と少し話したが、指導者を尊敬し、また尊敬に値する指導者に付いていた。
羨まし〜
私の指導者とは天と地だ。
本番をむかえる。緊張感はまるでない。
1射目、1番(男性)が的中させた。
「(飛び初段確定じゃん)」
2番(私)の1射目
「(惜しいっ。次こそは)」
2番(私)の2射目
「あちゃー、外した〜(1級だ。。。)」
もう、ガックリ感充満して、「千と千尋の神隠し」の臭い神のようにモワ〜となって戻った。
1番の1射だけが的中で、3人の女性陣は2射とも外していた。
初段審査を受ける先輩2人と合流して、ダメだったっぷりを報告。
さっさと着替えて審査結果を待つ。
審査受験者の98%は高校生だ。
結果が張り出された。
飛び初段から確認。6名しかいない。
「!」
私たち4人と高校生の的中者2人だった。
「え?的中させられなかったのに飛んだ・・・」
マグレでも奇跡でも運だけでも初段くれるんだったらありがたく。
飛び初段になった私に、指導5段の女が皆の前で言い放った。
「今年の先生方の中に甘い先生がいてね。運も実力のうちね」
人間性が問われる発言。指導した人間を貶めて‘おめでとう’の一言もない。
だからあなたは6段落ち続けてるのよ、と言いたい。言わないけどね
昨年受けた先輩2人も初段審査に合格した。私も並んじゃったよ〜。
来年は3人して2段審査。

2024年2月現在。
2段審査では弓返りが実技で問われるのだそう。
無理!
全然できない〜(泣)
私が入会してからあれよあれよと会員が増えて10人ほどになった。
後輩に抜かれる日々をおくるtuziです。



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今回の「tuzi now」は2023年(令5)10月の出来事です

2月22日(木)

「一周忌〜2023」

令和4年(2022年)10月突然父が逝ってしまい、人目憚らず泣きました。
平成26年母を亡くしたときは父の悲しみが私の悲しみを超えていただろうことを思うと泣くわけにはいきませんでした。
父も同様に耐えていたのだろうと思うと尚更泣くわけにはいかず、
喪主の父に代わって一切を仕切り、あいさつも喪主に代わって話さねばならず、で悲しむ余裕すらありませんでした。
令和4年父を亡くしたときは私が喪主です。
母も父も悔いなく送れたかと問われれば、むちゃくちゃ後悔、懺悔せねばならないと答えます。
父を送る葬儀は盛大に。
最初で最後の喪主として父にふさわしい葬儀をだしたい。
お通夜の振る舞いも大量に余して、お悔やみ礼状も印刷しすぎたりと無駄も多かったものの、できる限りのことはした。
喪主としてのあいさつ、娘としての勤め・・・
葬儀が済んでも、毎週のお墓参りに集まる親戚や近しい人への振る舞い。
四十九日の法要にはお膳を手配して、手料理も数品作る。引き出物も持たせて一区切り。
静かな日々がかえってきた。
ひとりの日々・・・この先ずっと・・・死ぬ時もひとり・・・
ひとりで両親の供養をしていくのだ。何回忌までできるだろうか・・・

令和5年10月、命日に一周忌法要をした。
親戚と、近所の近しい人だけを呼んで、自宅で法要をいとなんだ。
法要後の供養膳を準備し、自宅でいただいた。
親戚も高齢になってきて、移動するよりも自宅に用意したほうが望ましいし、
私としても父が見守る中で食したほうが供養膳らしいと考えている。
お膳のほかに料理を作ったが、みんなに配ったりしても作りすぎて食べ続ける羽目になったが。
父のお墓参りの日は、前日まで大荒れでも、当日はぽかぽか陽気で晴天になる。
天気の心配いらずなのだ。

令和6年10月は三回忌をむかえる。
何をごちそうしようか、全力を尽くしたい。



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今回の「tuzi now」は2023年(令5)11月の出来事です

2月23日(金)

「県民文化祭〜2023」

令和4年(2022年)10月突然父が逝ってしまった日は日曜日で、
私は町の文化祭で太極拳教室の練習成果を舞台で披露してきた日だった。

一周忌の命日は月曜日でしたが、前日の日曜日はやはり秋の文化祭だった。
しかし、私は翌日の法要準備の料理や仕込みがあるし、生花も仏前と墓前と準備せねばならず、
おそらく舞台を務めるには無理がある。
私は出場できないが、生徒さんたちで舞台にでてはどうか、もちろんその指導は行います旨を話したのだが
指導者が出ないのでは心もとないので、今年の文化祭のお舞台は見送ることに決まった。
私の私事で生徒さんの発表の場をなくしてしまうのは申し訳ないので、
県民文化祭に立候補した。
選出されるかどうかは、まだ先にならないとわからない。
日程は11月半ばなので、まだ練習時間はある。

町の秋の文化祭には毎年参加をしていた。
田舎町には分不相応なホールがあり、その舞台での発表なのだが、客席はいつもガラガラ
舞台のために何ヶ月も特訓しているのに、悲しくなるくらい客席はガラガラ
やる気を無くし、張り合いのない舞台発表を繰り返している。観客は数えられるくらいガラカラ
でも、今回は県民文化祭。
県民だもの出演も県全体の地域にわたって、しかも2日間の舞台である。
私たちは2日目の出演と決まった。しかも後半である。
観客だって町のとは比べものにならないでしょう。満席とはならないまでもガラガラはないでしょう。
なにせ、初めての県民文化祭出演なので、期待も大きい。
演目は3演目。
太極拳、太極剣、最後は私のソロ演目は楊式刀。
刀の演目は久しぶりなので自分にも特訓を課した。
普段の練習の他にも練習日を設けて、太極拳、太極剣も特訓した。

本番当日
乗り合いをして、会場近くでお昼ごはんを皆で食べてから会場入り。
受付に知り合いの方がおられた。
「どうですか、お客さん入ってますか?」
「少ないんですよ」
意外な言葉にショックを受け恐る恐る観客席のドアを引く。
ガーン
いない、観客がいない。
どういうこと?
県民文化祭なのに、町の文化祭より少ないんじゃ・・・
はるか遠くまでやってきて、この誰もいないに等しい所で舞台をせねばならないのか・・・
私たちの太極拳はこんな所で見せるにはもったいないほどレベルが高いんだぞ。
そう自負しているのに、このガラガラは情けないと言うしかない。
しかし、数人でも観客は観客、渾身の舞台をお見せした。
観た方々からはお褒めの言葉をいただいたが、やはり張り合いのなさは否めない。
来年の町の文化祭時期は父の三回忌に当たるが、日にちが離れていれば出演も可能だ。
もし、ぶつかったとしても、だからって替わりに県民文化祭には出演しないことを心に決めた私でした。



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今回の「tuzi now」は2023年(令5)11月の出来事です

2月26日(月)

「四国再び〜2023」

令和4年(2022年)10月突然父が逝ってしまった。
ほんの15分目をはなした間のことで、いったい誰が想像できたというのだ?
元気なまま逝ってしまったと勝手に思っている。
平成26年母が逝ってしまった時は四十九日法要、百か日法要、新盆、秋彼岸済ませても、
年内に供養の四国88ヶ所に出かけることができた。
父の供養に再び四国を巡礼する心積もりでいるが、四十九日法要、百か日法要で年を越してしまう。
年内に出かけるのは無理なので、早くても新盆、秋彼岸、一周忌を終えて11月に予定しようと考えた。
母の供養で88ヶ所を巡ったので、父の供養には「別格20ヶ所」を巡る。
このことは母の供養の時から計画していたことでもある。
「別格20ヶ所」は歩ける距離ではないし、ルートが示されている本や資料もほとんど見当たらない。
なので、バスツアーに申し込んだ。11月下旬、私は再び四国に向かった。

1日目・11月25日(土)
「海外より遠い四国」
朝家の前のバス停から高速バス乗り場までバス移動。
高速バスを2回乗り換えて新宿バスタへ。夜行バスで徳島へ。早朝6時、徳島駅着。
家から所要21時間。
どんだけ田舎に住んでんだ?てことです。
21時間あったらヨーロッパ往復できる時間じゃないか!
でも哀しいことに四国どまりなんです(涙)
そりゃ、飛行機でひとっ飛びすれば3時間くらい?
新幹線でピュ−て走れば6時間くらい?
前泊して朝の7時集合に、余裕で現われることができるんでしょうけどね。
経費削減です。

2日目・11月26日(日)
「別格20ヶ寺〜一日目」
「別格20ヶ寺」バスツアー参加者は15名ほどでした。
座席指定の大型観光バスに乗りこんでお参りが始まります。
2席1名で後方にはまだ空いてる席があります。
私は前から2列目を指定されました。ここが地獄の座席になろうとは知る由もなかったのですが・・・

@大山寺、一ヶ寺目から大型観光バスをおりて、タクシーに乗り換える。
くねくね山に向かってタクシーは走る。大型バスでは登れないのだ。
A学童寺には‘脳天不動尊’が奉られています。首から上の病気に御利益とあります。
納経所でお守りを見つけたので即行で買い。
というのも、私、出発の一週間程前、突然歩けないほどのめまいに襲われ、それから不調めまいが続いてるんです。
四国の巡礼をひかえていたので、30年ぶりに病院に行きましたよ。30年前の診察券を持って・・・。
めまいは耳鼻科という情報もありましたが、我町内には耳鼻科がないので、とりあえず内科を受診しました。
訳を話して20日分の薬を出してもらいました。これでなんとかしのぐしかありません。
横になるとめまいが起こりやすいので、夜は薬を飲んで、朝ふらふらしてるので朝も薬飲んで。
そうすれば日中は大丈夫。そんな調子なんです。だから脳天不動尊に守ってもらわねば、ということです。
2ヶ寺お参り後昼食。この昼食会場も山の中である。四方八方山に囲まれています。
昼食メニューは‘シイタケづくし’焼き巨大シイタケ、巨大シイタケの天ぷら。
外の露天でみかんの袋詰めが売っていました。
お接待(差し入れ)しようと「おいくらですか?」と尋ねると「130円」と。
私、耳がおかしくなったんじゃないかと思いました。いやホントに。130円てどういうこと?
袋に小粒だけど1kg以上は入ってますよ。それが130円て。聞き違えでしょ。
思わず「え?」て声がもれてしまいました。
一袋購入して、ツアーの皆さんにお接待して、それでも余ってたのに、さらに道の駅で同じくらいの袋180円で購入して
みかんだらけになってしまいました。結局これが最終日まで食べきることができなかったという・・・。
それにしても安すぎます。値段がイタリア並みじゃん。
昼食後B慈眼寺。ここのお寺さんは山深い上に、本堂まで山ひとつ超えるくらいのなが〜〜〜い上り坂が続きます。
いつ終わるのか知れないほどのなが〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い上り坂です。キツイなんてもんじゃなかった。


その先に本堂と‘穴禅定’という空海が修業したという鍾乳洞があります。
身体を曲げながら、泥だらけになりながら狭い岩場を入るので、太ってる人はNG。
希望者だけ入ります。
私は体調を考えてパス。めまい起こしたらアウトだし、みんなに迷惑かけるし。
第一、そんな荒修業したところで何を悟れようか・・・。体調が万全でもパスしてたかも。
パスした御夫婦とおじさん三人と私は本堂を三周祈りながらグルグル周ってました。
早々になが〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い坂を下りてバスに戻って、皆を待ってました。
1時間過ぎ・・・2時間過ぎても戻りません。
隣りの席の岐阜のおっちゃんは「詰まったな」と。心の声「(そうかも、遅すぎるもん。)」
大阪のおっちゃんは「こんなもんだろ」と涼しげ。心の声「(待ってるほうの身にもなってくれよ。)」
結局、何事もなく皆はバスに戻ってきました。

3日目・11月27日(月)
「別格20ヶ寺〜二日目」
C鯖大師本坊の大日不動明王がありがたく、超立派である。
父の御本尊・大日如来と母の御本尊・不動明王が合体してるんだもの。
昼食後、D大善寺、高知唯一のお寺。ここは本堂まで石段が100段ほど。キッツーい。
愛媛に入ってE龍光院。宇和島泊。
宇和島は私の好きな町です。ほどよく田舎町で、闘牛はあるし牛鬼もある。宇和島城もある。
四国で住むなら宇和島。


10年前は早朝に宇和島城に登城した。夜に宇和島駅にも行った。駅前に闘牛の像があったが暗くてよく見えなかった。
駅前の商店でお土産を買いたかったが、あまりにも閑散としていたので入店する勇気がでなかった。
そんなわけで今回こそは闘牛像をしかとカメラに収めたい、駅前に歩きだした。
「!」
駅が、駅が、新しくなってる。ビルになってるではないか。
ロータリーの中にあったはずの闘牛像は分離帯に設置されていた。



4日目・11月28日(火)
「別格20ヶ寺〜三日目」
愛媛大洲F出石寺、途中思いがけず車中から大洲城がみれた。10年前にも見たかったが見逃していた城である。
中州の小高い丘に立つ城は思いのほか立派だった。
出石寺へもタクシーに乗り換えて向かう。1時間近く乗っていただろうか。
山みっつ超えてようよう参る(落語・夏の医者)といったような、しかもやっと着いたと思ったら
そこにはさらなる石段が待っていた・・・。本堂まで1kmほどの道のり・・・。
帰りもまた山みっつ超えて下りて、G十夜ヶ橋へ。ここは空海が橋の下に寝たという謂れの橋です。


昼食後H文殊院。御本尊は文殊菩薩と地蔵菩薩。私のためのお寺さんのように思います。
衛門三郎の位牌、八人の子供の位牌があり、鉢の八つの窪みもあります。ということをたった今知りました。
I西山興隆寺、もみじの紅葉がとっても美しいけど・・・それよか九十九折れのなが〜〜〜い階段がツライです・・・。


J生木地蔵、本尊の地蔵菩薩を空海が彫っている時、一夜のうちに彫らねばならないところ、天邪鬼に邪魔されて
片方の耳を彫り残して立ち去ってしまった、ことから耳病に御利益があるといいます。
私のめまいを治して〜
K延命寺を参って、丸亀に宿泊。

5日目・11月29日(水)
「別格20ヶ寺〜四日目」
本日はQ海岸寺から。山門が力士像で、大師堂でお米とお札をいただく。あれ?あの米どこいったかな?
M椿堂、私はお寺さんで出しているネーム入りの線香を買っている。ここは250円とかなりリーズナブル。
聞けばお寺で出してるのではなかったのでスルー。手ぬぐい300円を購入。
よくよく考えてみれば、お線香を買いだったでしょ。手ぬぐい買ってどうしようっていうの・・・。
R香西寺、厄除け弘法大師像発見!これで厄払い完了!
N箸蔵寺、ロープウェイで行く。こんぴら奥の院。神仏一体。ロープウェイ降りてから200段ほどの階段。
神社なのでおみくじを引いた。
「旅行:見送ったほうがよい」ってあるけど。もう来ちゃってますからー残念!(byギター侍)
O萩原寺、ここの階段もハンパなく長く、般若心経の文字数の階段。
本堂の細工が素晴らしく、なぜか天狗が掲げられてます。
L仙龍寺、ここもタクシーで山の上に。本堂までの道のりは、急坂でした(泣)
急坂といっても並みの急坂とはちゃうで。(なぜか関西弁)
立ち止まったら、つま先で立ってないとズリッとしそうな、垂直に近い急坂なんやで。(なぜか関西弁)
本堂は2階。雰囲気が妖艶、不動明王も霊験あらたか。
琴平温泉泊。
将棋の藤井聡太グッズが。大局はなかったが本人が訪れた記念だそう。

6日目・11月30日(木)
「別格20ヶ寺〜最終日」
本日は最終日。P神野寺から。池に向かって大師像があり、大師堂代わりになる。
この時もお寺さんの線香に夢中になってるうちに、皆が大師像に向かっていた。
私はてっきり池に行ったのかと思っていたら、大阪のおっちゃんに呼び止められ合流した。
私はバス車内2列目の席をあてがわれたが、この大阪のおっちゃんは私の斜め前。
そして私の前の席には地獄からの使者ともいうべき男の席だった。仮に‘ねずみ男’と呼ぼう。
大阪のおっちゃんと、ねずみ男は隣り同士だったのだ。
この二人の会話が酷いものだった。
大阪のおっちゃんは声が低いのでまだ許せるが、ねずみ男はこれ見よがしに車内中に声が響く。
会話の内容がまた自慢、いや手前味噌な内容。
ほとんどがお参りしたお寺さんの内事情だったり、住職の私的な内容だったり・・・
「私はこんなに知ってるんですよ」アピールが車内に響く。
私は頭が痛くなり、しまいには吐き気さえもよおした。
私の隣の席の岐阜のおっちゃんも同感で、それはアイコンタクトで以心伝心するくらいの同感ぷり。
岐阜のおっちゃんと私は後方の空いてる席に避難することにした。
後方に移ってすぐ「大変だったね」とねぎらいの言葉が。
後方に移ったのにも関わらず、ねずみ男の声は響きわたっている。
皆、同じことを感じていたのだ。知らぬは当のふたりだけ・・・。
迷惑は車内ばかりではない。納経するときも、感に障るねずみ男の声は響きわたる。
皆が静かに無言の祈りを捧げる時も、誰も知らない言葉を声高に唱え始める。
うるさいっ!
集中できないっつーの!
納経して静かに父を供養し、懺悔したいのに。ねずみ男の声が邪魔をする。
S大瀧寺、満願。ねずみ男の影響か実感に乏しい。

これから京都、東寺にお礼参りへ。
高松から淡路島へ明石大橋。昼食は淡路島で。たまねぎが名産と知る。
蛇口をひねるとオニオンスープをいただいてみた。美味しい♪


京都、東寺
大師堂で納経し、立体曼荼羅の本堂へ。
大日如来が父の10歳頃の顔にそっくりだった。
私は京都に2泊するつもりで宿を予約していた。東寺から近いので、皆さんとはここでお別れ。
「皆さん、どうかお元気で」とあいさつして別れた。
四国遍路満願
合掌

(京都編へつづく)



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今回の「tuzi now」は2023年(令5)12月の出来事です

2月28日(水)

「念願の比叡、京都編〜2023」

6日目・11月30日(木)
「初めてのゲストハウス」
せっかく京都に出たのだから、京都に2泊、滋賀に2泊。行きたかった城を巡ってから帰ることにする。
今後そうそう関西に来ることもないだろうから、この機会に周りたい。
遍路の皆さんと別れて、東寺近くの予約していたゲストハウスへ。
分かりやすい地図のおかげで迷うことなく到着。
美人の女主人から説明を受ける。鍵が少々面倒ではあるが、大まかに自宅にいる感覚だ。
キッチンにはお茶、コーヒー、紅茶が揃ってるし、食器も使っていいし、冷蔵庫、電子レンジも。
お湯を沸かせば温かい食事が作れる。
食事ができる玄関ホールのテーブルにはお菓子も揃ってる。
寝室は2段ベッドが向かい合わせで2台。今晩は私ひとりだそう。
しっかりした木造のベッドで、カプセルホテルとは大違い。寝心地抜群だった。
ゲストハウスとはなんぞや?
私が感じたのは自宅とカプセルホテルの合体っ(by トムブラウン)
せっかくの京都なのだから、何か美味しいものでも食べに行こう、と外出。
京都駅にも近いので、駅方面に歩きだした。
寒い!
駅で美味しいのないかな・・・?
ウロウロしてたら、お遍路で一緒だった女性とばったり。
しばし、ねずみ男の話題で立ち話。
彼女は何度か遍路のツアーに参加していて、ねずみ男は迷惑男で有名なんだとか。
「そうだったんですね・・・」
「災難だったわよ」
「もっと早くに席を移ればよかった・・・」
「そうよねえ・・・」
駅にはめぼしいものはなく、近くのイオンモールも覗いてみたが、特別惹かれるものはなかった。
帰りがけにコンビニで買って、リビング(玄関の土間)で食べよう。
私が予約したゲストハウスはボロボロの町屋を買い取ってリフォームした私好みの宿。
戻ったら、美人主人から旦那さまに交代になっていた。
コンビニで買い込んだのをレンジで温めて、食べ始める。
「落ちつく〜♪」
四国で買ったみかんを宿の主人におすそ分け。
会話が始まる。
「明日は比叡山に行こうと思ってるんですが」
「坂本からですか?」
「坂本からのほうが早いですか?」
「乗り換えなしで電車一本で行けますからね」
「実は京都側から行こうと思っていたんですよ・・・でも乗換えがないほうがよさそうですね」
こんな会話が出来るのもゲストハウスならではなのかな?
四国では連日、登山並みの歩きに階段の日々だったので、明日に備えて早めに就寝。


7日目・12月1日(金)
「比叡山」
遍路で知り合った岐阜のおっちゃんに「紅葉時期の京都は混雑して時間通りに事が運ばない」と、散々脅されていた。
「比叡山も混んでるぞー、どこに行っても外国人の団体がいるんだ」とも。
計画では京都側から比叡電鉄で行くつもりだったが、昨晩の宿の主人の言うように、滋賀側から行くことに急遽変更。
JR一本で駅に到着。
でも駅から坂本ケーブルの駅に行くまでが長かった。
通りすがりの人に尋ねると「バスがあるよ。おっ、ちょうど20分があるよ」と。
納得して待っていたが、20分が過ぎてもいっこうにバスがやって来ない。
どうしたんだ?と思ってよくよく見たら、始発は9:20だった。
現在8:30なんですけどー(泣)
無駄にまってしまった。
「歩くしかないのか」
私は観念して歩きだした。遠い!しかも登り!結局40分も歩いた(泣)
ケーブルの出発時間にはちょうどいい時間に到着。すぐ乗れた。しかも空いていた。
長さ日本一坂本ケーブル頂上からの眺めは琵琶湖だった。滋賀県だものね。
ケーブルを降りてからも10分くらい歩いてようやく延暦寺到着。
ずっと来てみたかった比叡山延暦寺♪
ウキウキします♪
比叡山をくまなく堪能するつもりで今日の予定はここだけです。
御朱印帳を預けて根本中堂へ。修復中ですが、内部は拝観できます。
根本中堂から文殊堂、大黒堂をみて、鐘楼で突いて大講堂へ。


私的には根本中堂より大講堂に感動を覚えました。
なぜなら、比叡山延暦寺は最澄の天台宗総本山と覚えていたからです。
ところが、ここ比叡山で修業した歴代の高僧の肖像画を眺めていると、ここで辛かっただろう修業を積んで
全国に仏教を広めた高僧のなんと多いことか・・・。
遥かインドから中国から招いた僧、その僧から学んだ修業僧たち。
そんなことを考えると、ここ延暦寺の懐の深さを思うのです。
大講堂から阿弥陀堂、東塔へ。その後国宝殿を拝観。こちらは期待はずれでした。
ひととおり東塔エリアを見学し、2kmほど離れた西塔地域まで歩くことに。
エリア間にはバスが走っていて、フリーパスを購入すればお得に乗れるんです。
ですから歩くなんて物好きはいないのでしょう。
西塔に向かう山道は私ひとりきりで、ほんとにこの道で合っているのか不安になったほどです。
林の中の山道なんですから。
浄土院が見えてきて、どうやら西塔へ着いたよう・・・。

西塔地域
親鸞が修業した常行堂と法華堂を渡る廊下が特徴的なにない堂、をくぐり釈迦堂へ。


ここから横川地域へは4kmも離れてる。
さすがに歩くには遠すぎる。
西塔からバスに乗った。

横川地域
横川と書いて‘よかわ’、と読みます。西塔地域からさらに山奥です。
横川中堂では特別内陣拝観。私も拝観したのだけれど、記憶が・・・どんなだったか・・・
聖観世音菩薩を観たはずなんですけど・・・記憶にございません・・・
さらに奥に進む。
元三大師堂を拝観してふと、道元大師得度の地、の碑を見つけてしまった。
見つけてしまった、から行くしかないでしょ。
我家は曹洞宗なんです。
かなり階段を下り・・・下りながら、またここを上るのか・・・そんなことを考えながら下る・・・下る・・・
誰も訪れていないのか、落ち葉が厚く積もっている。


ようやく着いた。誰もいない。誰かが訪れた形跡もない。
シィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン
ひとりポツンと、ベンチでおやつを食べる。
遍路で一緒だった人にもらったお菓子、友人が持たせてくれたチョコレート、四国で買い込んだみかん。
静かだ
物音ひとつしない
しばしおやつ休憩をして、意を決して上りはじめた。
横川から東塔へバスで移動。
お土産を買いたい。柿のお菓子が美味しそうだ。伝統の味とある。3箱購入。

坂本ケーブルを往復買ってあるので、駅に歩く。
15:00
ケーブルを降りて駅まで歩きはこりごりだ。
バスに乗る。
乗り合わせた親子の会話が聞こえる。地下鉄で京都に戻るという。ならば、と私もつられて途中下車。
なのに路線図をみてもさっぱりわからん。どうして京都に戻れるのかさっぱり分からん。
結局、駅まで歩く羽目に。
今日も帰りがけコンビニで夕飯と朝食を調達。飲み物は宿にあるしね。
主人が受付におられた。
明日朝10:00チェックアウトなのだが、その前に東寺(観智院)で宮本武蔵の襖絵が観たい。
その旨を話すと、「落書きされてもおかしくない近さ」「あれで入館料500円は高すぎ」と散々な言いよう。
果たして・・・

(京都市内編につづく)




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3月3日(日)

「京都市内編〜2023」

8日目・12月2日(土)
「東寺から竹内栖鳳」
宿に荷物を預けたままで、東寺に向かう。
早朝なので観智院はまだ開門していない。
いよいよ宮本武蔵の襖絵とご対面だ。私と同じように開門を待っている若い女性がいた。
「もしかして宮本武蔵ですか?」話しかける。
「ええ」
やっぱりね。
庭園だけは撮影オッケー。
御本尊に御あいさつ。
「わあ、素敵〜♪」
鳥に乗ってるう〜。馬に乗ってる〜象に乗ってる〜、獅子に乗ってるし〜。
面長な顔立ちが個性的で素敵♪
うわ、こっちの愛染明王もカッコいい〜♪
頭に獅子が乗ってるし〜。
で、宮本武蔵は・・・。
え〜?これ・・・?
てか、何が書いてあるのかさっぱり分からん。
かろうじて竹は分かる。
鷲?
どこがじゃ。
宿の御主人が言っていたとおり、むちゃくちゃ至近距離で見れるにも関わらず、分からん。


宿に戻って荷物を駅のロッカーに預ける。
今日は京セラ美術館で開催されている竹内栖鳳展を見に行く。
駅前にはバス案内の若者が多数、さすがは御もてなしの京都。
バスで京セラ美術館に向かうが、思いのほか遠い。
途中、坂本竜馬の碑とか、義経と弁慶の五条大橋を横に見て、市役所を通り、平安神宮前へ。
竹内栖鳳展で印象に残ったのは、兎。虎の栖鳳の異名があるが、私的には虎より兎、犬、雀・・・。
丹念に見て周って昼に。
「お腹がすいた・・・」
土曜日だからか、平安神宮にはマルシェの露天が立ち並んでいた。
無添加ぶたまん、を食べる。


この後の予定はすぐ近くの京都国立近代美術館で上村松園などを観たかったですが、
展示に竹内栖鳳もかぶってるし、なにより疲れてしまって、美術館のハシゴは辛かった。
予定を変更して、これまた近くの京都市動物園にいくことにした。
入館してしばし休憩。チョコレートとめまいの薬服用。
園内は思ったよりこじんまりしていた。
癒される〜♪
動物園に来て正解でした。


今日はこれから彦根に移動する。
彦根は宿が高いので、ひとつ手前の南彦根に宿をとってある。
琵琶湖線で移動。

「近江ちゃんぽん」
南彦根駅に到着した時は暗くなっていた。
宿は駅前のはずなのに、なぜか見つからない。というか、分かりづらかった。
受付には先客のグループがいて、待ってる間会話が聞こえてきた。
「近くに食事できるところは?」
地図を示して「名物は近江ちゃんぽんです」と説明している。
ふむふむ。
部屋に荷物を置いて、私も食事に出かけることに。
さっき耳にした近江ちゃんぽんが食べたい。
とりあえず教えてもらった中華料理店を目指したが、もう閉まってました。
こちら方面には他に食べられそうな所もないので、コンビニに入った。
おお!
さすが、ご当地ちゃんぽんがあるではないか。
温めてもらって、部屋で食べよう。

部屋に戻って、まずは風呂。
ゲストハウスはシャワーだったので、数日振りに湯船に浸って生き返った。
さてさて、ちゃんぽん。
うまいっ!野菜たっぷり。絶品です♪
鶏がらが効いてます♪



(安土城へつづく)




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3月5日(火)

「滋賀の城、安土城〜2023」

9日目・12月3日(日)
「安土城」
いよいよ城三昧のスタートです。まずは安土城から。
南彦根から4駅で安土駅。出口は両端に2口。まずは資料館に行って情報収集しよう。
駅から安土城に向かう地図も持っていないし。
地図などなくても案内看板があるとか、なんとかなると思ってやって来た。
それに駅を降りたら安土城に向かう人がわんさかいて、その後を付いて行けばなんとかなる、くらいに考えていたのだ。
ところが、駅に降りた人がほとんどいない。日曜日だというのに・・・。
資料館では情報収集というより買い物をしてしまった。荷物増やしてどうするよ?
さて、安土城をめざそう。
どの山が安土山かも分からぬまま、とりあえず山方面に歩きだした。
誰も歩いていないし、普通に住宅街だ。しかも日曜なので静かだ。
前を歩いている男性を発見。
「(安土城に行くに違いない。)」勝手にそう思って付いて行ったが家に入ってしまった。ただの住人だった。
前を歩いている女の人を発見。
「(安土城に行くに違いない。)」勝手にそう思って付いていくことに。
一応、念のため聞いてみることに。「あの、安土城に行かれるんですか?」
「いいえ、安土城は反対ですよ」
「えっ・・・」
私はあらぬ方向に進んでたみたいだ。
また駅まで戻って、構内を抜けて反対出口に降りた。
「こっちじゃん〜」
こちらの出口駅前には信長像があったのだ。
「男前だね〜♪」
出口を間違えていたのだ。だったら資料館の人も反対出口だって、教えてくれてもよさそうなのに・・・
私は、やはり山方向に歩きだした。
看板とか、行き先を示す矢印とかなんもない。所々、高い位置に看板があるけど、分かりづらい。
安土城に行く途中で、セミナリオ跡が見たいと思っている。
でも、この調子じゃ見つけられそうにないんですけど。
また住宅街に迷い込んでる・・・。しかも誰もいない。静かすぎる。
車を洗っている住人発見。
「あの、安土の山を目指してるんですけど」
「反対だよ」
またぁ?
「あの、どの山ですか?」
「ここからは見えないな」
はぁ?
どんだけ歩くのよ?
教えられた方向にしばらく歩いて、歩行者発見。
「あの、安土の山を目指してるんですけど、どの山ですか?」
「あの山だよ」
やっと、目指す山が見えて一安心。もう大丈夫!
歩き出してしばらくして
「あっ」
奇跡的にセミナリオ跡に辿り着いた。てか偶然通りかかったのだ。
何もない、ゴミの集積所と小さな広場があって、碑が立ってるだけだった。


見たかった、と言ってるけど、何なのかは知らない。
誰か教えて。
広場のベンチにお年寄りが二人ほど坐ってたけど、歩きつかれて聞くのも面倒になってきた。
住宅街を抜けて、吹きっさらしの田んぼの中、山を目指して歩いていたら、遠くに階段が見えた。
偶然、散歩中の男性発見。
「あの、あそこの階段はなんですか?」
「神社があるんだよ」
「ん〜、じゃあ登れるんですね?」
「もともとは安土城の階段なんだけど、今は登れない。昔の安土城の碑があるだけ」
サラリと重要なこと言ってくれるじゃないの。
「えっ!行ってみます!」


登城口はこの反対側にある。
南山裾帯郭の虎口、西側石塁の枡形虎口、など見学しながら登城口に到着。
ここに到着するまで、1時間以上は歩き通しだ。だってまず反対出口に出て結構歩いてから戻って出直してるし。
だけど念願の安土城なだけに、これまでの疲れも吹っ飛んだ。
足取りも軽く、登城を始める。
紅葉真っ盛りで、もみじがキレイ。
二の丸付近には‘信長公本廟’がある。祖先初代から4代の墓所もある。


安土城は言わずと知れた織田信長の居城で、本能寺で暗殺されて炎上した城である。
信長の首は発見されず・・・
実は、私は安土城が炎上したことで何も遺溝がないと思っていた。
ところが数年前、安土城の番組を見て、立派な石垣が残されていることを知り、いつかは訪れたいと考えるようになった。
その後、作家、司馬遼太郎の番組を見て、遼太郎少年が遠足で訪れた安土山登山で。案内は総見寺の住職だったそうで、
「安土の山全部が信長公の墓所」と説明されたのだそうな。
なるほど、山全体が墓所となると、古墳に登城しているようなものだろうか。
平成元年から20年間発掘調査が行われたというから、現在のように整備されてから35年ほどしか経っていない。
それほど高くない山なので、ほどなく天主台に。


天主台からの眺めは田んぼの向こうに琵琶湖。
信長築城当時、安土山は琵琶湖の中に突き出ていた。天主からは琵琶湖が一望だったのだ。
ならば、現在の琵琶湖までの田んぼは何なのか?
琵琶湖を埋め立てて開墾したのだ。なぜそんなことを?
愚問だ。
生産性を上げるため、利益を求めるため。人間の欲は限りない。
そして安土の山は琵琶湖から遠のいた。

下山するとする。
帰りは総見寺跡を通ることに。総見寺は現在は登城口近くに移築されている。
当時の寺跡には、仁王門が残っている。


そのまま下りると、秀吉邸跡に出てくる。
少し登って、移築された総見寺へ。総見寺は織田家の菩提寺である。
特別拝観券(抹茶付)を購入していたので、内部へ。
誰もいない。貸切じゃないのか?
仏前に信長公像、中央に位牌発見。この法名は信長ですよね・・・。
抹茶をいただいてしばし休憩。
お腹が空いてきたな・・・。
滋賀県立安土城考古博物館に行って食べよう。安土城近辺には食事できる施設はないのだ。
考古博物館までは、また田んぼの中を延々歩かねばならない。
15分から20分くらいかな。
寒いっ。

田んぼの中に教会ドームのレンガ造りのステキな建築物。背後の山の紅葉が燃えるように紅い。
資料館内の食堂でお昼ごはん。
カレーかうどんか、の二択になりそうなくらいの食堂だ。
せっかくなので近江牛。
ステーキなんて洒落たメニューもないし、近江牛の名がついたメニューはうどんしかない。


遅めの昼食を終え、資料館へ。展示は古墳時代から始まる。
ここでもほぼ貸しきり状態で見学。
古墳時代の竪穴式石室が体験できるように実物大模型が設置されていた。
子供たちが入って楽しむためのものだろうが、誰もいないのでかがんで入って、出てくる時油断した。
かがんで完全に出たつもりで起き上がったら、出口にガーン!脳天を思いっきりぶつけた!
痛いのなんのって・・・とんでもないことして入ってしまった。まったく・・・
痛ぁーいよぅ(泣)
四国の脳天不動尊もかたなしだ。
戦国時代の展示では、教科書で見覚えがある信長、お市の肖像画、自筆の書状など。
もっと歩けば観音寺城跡や瓢箪山古墳などあるが、もう歩くのはイヤだ。
それじゃなくとも駅に戻るには、また田んぼの中を延々歩かねばならないのだ。
ぽつぽつ雨も降ってきた。
フードをかぶって寒さに耐えひたすら歩く。
寒いっ。
やっとのことで駅に戻ってきた。ホームで電車を待ってると、相撲像発見。
そうだった。私としたことがうっかりしてた。
信長の相撲好きは有名で、ここが近代相撲の発祥の地とも伝わっているのだ。


南彦根に戻って、駅前のコンビニで夕飯と朝食を調達。
昼は近江牛、晩はコンビニ近江ちゃんぽんの連ちゃんで決まり♪

(彦根編へつづく)




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今回の「tuzi now」は2023年(令5)12月の出来事です

3月9日(土)

「滋賀の城、彦根編〜2023」

10日目・12月4日(月)
「佐和山城」
私は、連日朝の7時に宿を出て、夕方4時くらいには戻れるように行動してきた。
今日も7時に宿を出て、彦根駅まで一駅。
駅のロッカーに荷物を預け、まずは佐和山城へ向かいたいと思う。
駅前に武将の像。
彦根藩初代藩主、伊井直政とある。彦根で伊井と言えば大老伊井直弼しか知らないが、
駅前に像があるくらいだから、それなりの人物なんだろう・・・。
プレートによると「徳川四天王のひとり。関が原の戦いで武功をあげ佐和山城を与えられた。
その後、現在の彦根城に着工したが、完成を見ずに41歳で病没した」とある。
彦根35万石の基礎を築いた人物。初代は苦労するもの。瞬殺でファンになっちゃった。


佐和山目指して歩き出す。
分かりやすい地図があるので迷うことはなさそうだが遠い。
今日もかなり歩かねばならなそうだ。もう10日も歩き通しで足がパンパンです。
毎日登山してるようなものだし、歩くだけでも10kmは毎日歩いてるはず。
年齢のわりに健脚なのは太極拳のおかげだと思う。
足はパンパンだけど、特に疲れはない。ただ寒いっ。
20分〜30分歩いたろうか。
佐和山城はかつて石田三成の居城で、登城は石田三成の菩提寺を通って登る。
ちなみに隣りのお寺は、伊井家の菩提寺でした。
登城口のある菩提寺に到着。現在8:15。
登山許可証は9:00からとある。山門も9:00にならないと開かないとある。
45分も待ってらんないよ。
石田三成像の先に山門がある。確かに山門は閉まっている。だけど横の木戸は開いていた。
行っちゃえ。
境内の庭園を抜けて、檀家の墓横を過ぎて、いよいよ登りに。
ハイキングコースとあるので、このまま整備された木の階段が続くのだろう。
と、お思いきやとんでもなかった。
整備された木の階段は見せかけで、すぐにただの土の登り坂に。
しかも落ち葉が敷きつめられているので、滑りやすく危険な足元に。
途中、崖になっていて、手をつかないと登れなかったり、
カーブが細くなっていて、ここで足を滑らせたら山肌を滑落してしまうう怖い箇所も。



これのどこがハイキングコースなんだよっ
私は何度も引き返そうかと思ったほどで、しかも登山許可を取ってないので、
ここで足を滑らせて遭難したらそれっきりだ。


途中何度も手をついたり、枝につかまったり・・・
それにしても佐和山城跡の頂上はまだまだ先なんだろうか?
ここまで登った以上、引き返すのも悔しい。
さらに細く急坂にさしかかる。手をついて、足がズリッとなりながら這い上がる。
ふ〜
ようやく頂上に。
もちろん誰もいない。
やはり琵琶湖が見渡せる。
・・・ん?あれはもしや。
やっぱり彦根城だ。
佐和山からは四方八方見渡すことができる。
この辺の山の中でも一番の高さ。
佐和山城がいかに要所だったかが偲ばれる。


途中挫けそうになりながらも登ってきて本当によかった・・・。
紅葉が真っ赤で、紅葉のじゅうたんに。


しばし、ベンチで休憩してたら、年配の御夫婦が登っていらした。
地元なんだそうで、私のキツかった話をしたら、毎日の散歩コースと言う御夫婦には、
文字通りハイキングコースのようでした。

そろそろ下ることにする。
反対方向に下りることもできるが、彦根城に遠くなる、と御夫婦に教えてもらったので、
登ってきたコースを下りることにする。
登りより下りのほうが慎重に足元に気をつけなければならない。
なにせ落ち葉の上に、むき出しの岩場が朝露で濡れてツルツル状態になっているのだ。
私は慎重に時間をかけて下りた。
途中、登ってくる女性とすれ違った。
メガネを曇らせ、「観光に来たんです」と話す彼女。
「キツイんですけど・・・」と私にキツさを訴える。
分かります、分かります。私もそうでした。
「頂上はもうすぐです。最後の最後に難所が待ってますよ」と知らせて別れた。

御城印は駅前の観光協会へとある。
私は駅前に戻ることにした。また20分〜30分歩かねば・・・。
駅前に戻ってさっそく観光協会へ。これから佐和山に行く人たちが訪ねていた。
私も先に寄るべきだった、と思ったところで、観光協会の存在すら知らなかったのだから寄るすべもないが。
観光協会の中には売店もあって、彦根のお土産が買える。
羽二重もちを見つけた。美味しそうなのでお土産に購入することに。
さあ、最後のミッション、彦根城を残すのみ。
・・・腹減った〜

(彦根城につづく)




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今回の「tuzi now」は2023年(令5)12月の出来事です

3月13日(水)

「滋賀の城、彦根城編〜2023」

10日目・12月4日(月)
「彦根城と彦ニャン」
佐和山城から駅前の観光協会まで歩き小腹がすいたので、駅近くでお好み焼きを食べた。
よし、この旅最後のミッション彦根城をめざす。
駅前通りをまっすぐ進む。途中、おやつに彦根ういろを購入。
現在11:00
彦根城登城の前に御城印を購入することに。ここ彦根城では肉筆は書いていない、とのことだった。
いよいよ彦根城登城だ。
彦根城は、先の井伊直政が着工したが、完成を見ずに病没。
その後、2代直孝に引き継いで18年の歳月をかけ築く。
石垣は佐和山城から、天守は大津城から、長浜城や小谷城からも材料を調達。
リサイクルによって築かれた彦根城は皮肉にも現在国宝。
私が彦根城を知ったのは、映画やテレビのロケとして登場する橋のようにみえる天秤櫓の存在がきっかけ。
あとは熊本のくまモンとマスコット界の2大巨頭、彦ニャンですよね。


登り始めて、いくつかの櫓が公開されており、のきなみ全部に入ってみる。
途中の売店で、井伊直政の御城印を発見。
「井伊の赤鬼」のフレーズに惹かれ悩んだ末に購入。赤鬼て書いてあったら、そりゃね悩むよ・・・。
あっというまに天守に到着。
あまりのあっけなさに「これが天守?そうなのか?」と疑ったほどだ。


天守を眺めながら途中買ってきたういろ(黒糖)でおやつタイム。
徳島ういろはモチモチしてるけど、近江ういろはシャバシャバしてる。名古屋ういろもシャバシャバ系ですよね。
天守内部へ。
なんてったって国宝ですからね。
階段がハシゴのように急勾配なのは覚悟の上です。60度だそうです。
下りは坐るような形で下りることになります。
格子の隙間から佐和山城を望む。山々が連なってる中でやはり一番高いかも。
あそこに登ったんだ、としみじみ思う。ついさっきのことなのに。

帰りは黒門方面に下りよう。


と思ったが、遥々ここまで来たんだから、彦ニャンに会って行かねば。
実は、天守に行けば彦ニャンがウロウロしてんのかな、くらいに考えていたのだ。
でも実際は、お散歩の時間が決まっており、決まった時間、決まった場所にしか現れないのだ。
彦ニャン登場まで、あと20分。
徐々に人垣ができてきた。
観客の花道を彦ニャン登場♪


しっかりショーでした。
お姉さんの軽快なトークと、声を発しない彦ニャンとのかけあいショー。
彦ニャンにはスタイリストがついています。
鈴を鳴らしただけで、スタイリストが見繕いして整えます。超がつくほどの過保護っぷり。
30分のショーを勤めて、また観客のが道をあけてのお見送り。
彦ニャンは天守に一礼して楽屋にはけていった・・・。
この彦ニャンのモデルは「井伊の赤鬼」井伊直政だが、赤鬼もニャンコのマスコットになっては形無しだ。

彦ニャンショーを見て、黒門ではなくて登城した元の道を下りた。
チケットについていた玄宮園に行ってみたが、興味が持てず、すぐ出てしまった。
そこへ堀を周遊する屋形遊覧船がやってきた。


それで思い立って、歩いて堀を一周してみることに。
歩き始めてしばらくすると、
ん?橋がある。
えー!?大手門?
こっちが正面じゃん。それにこっちにも登城口があるんじゃん。
知らなかったよ・・・。
こちら側は武家屋敷が並んでいたエリア。道沿いに石垣がめぐらされている。
堀沿いに一周しようと思って歩いていたが、行き止まりになってしまい、結局一周することはできなかった。
また表御門まで延々戻ることに。
さすがに疲れた。
遅くなったが食事がしたい。
ここはやっぱ近江ちゃんぽん食べ比べでしょ。
てか、コンビニとですけど。
見た目はいっしょです。味は・・・


う〜む。
ちょっと塩が効いている。お好み焼きも味が濃かったし。近江の味付けは濃いのかな?
私的にはコンビニのほうが口に合う。軍配はコンビニに。
三成めしも食べてみたかった・・・。
でも、2食は食べらんないし(涙)


11日目・12月5日(火)
「消えためまい」
お土産が詰まったリュックを背負い、カートを引いて京都に移動。
バスを乗り継いで誰も待っていない自宅に戻ったのは翌日の昼だった。
夕方6時には眠気に襲われ、早々に就寝。
滋賀最終日まで、めまいに襲われたのに、帰ってきたとたんにウソのように消えた。
以来、めまいは一度もなく、大量の薬が残された・・・。
とにかく旅先で健康保険証を使うことにならずにすんで幸いだった。

今回の遍路は父の供養で満願して、滋賀に移動して城めぐりしながら考えた。
父は歴史好きで詳しい人でした。私も城が好きで、一緒にめぐっていて欲しい。
父も一緒に歩いてくれてて城を見てて欲しい。
いや、そうじゃない。
そんなのは私の身勝手な願いでしかない。
なぜ生きてるうちに一緒に行かなかったんだ。
生きてるうちに・・・
だから私は懺悔あるのみなのだ。

(おわり)



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今回の「tuzi now」は2023年(令5)12月の出来事です

3月19日(火)

「餅を搗く〜2023」

正月は、母がしていたように料理をして重箱を作っていた。
12月28日は毎年恒例の餅搗きをして、翌日の夜は切り餅にする。
大晦日にはナメタを食べるきまりははずしたことがない。
元日から七草がゆまでは毎朝餅がつづく。おつゆ餅のための具は年内のうちに作る。
あんこ餅のこしあんこも作っておく。そして納豆餅、の三品が我家の朝です。
母が亡くなってからも父とふたりで、毎年変わらない正月支度をして新年を迎えてきた。

2022年父が亡くなってから、喪中に入った。
2023年の正月は喪中で、神社のお札も、家庭祭礼(宮司さんが家庭の神棚を拝む)も行わなかった。
長年途絶えることなく用意してきた正月支度が初めて止まった。
一周忌を迎え法要をし、私はひとり再び四国に旅立った。
帰宅して2024年の正月を迎えることに。
喪が明けたから・・・?
明けてないんですけど。
二度と明けることはないんですけど。
でも、神社からお札を受取らない名目もなくなり、嫌がおうにも受取らざるを得なくなり、
家庭祭礼も断る名目がなくなり、気分は喪中なのに、正月を迎えざるを得ない状況に追い込まれる。
ひとり正月だが、また母の正月支度を復活させる。
12月28日餅搗き。機械で搗くので最低でも一升。
12月29日ひきなを作る。料理三品を作る、こんぶ煮、レンコン炒め、ニンジンの甘煮。
12月30日なめたを煮る。
12月31日お膳を仏前に供え、かまど神、神棚に拝礼。
元旦、ひとりで餅を食べる。
父がいたなら七草がゆまで食べて、なくなっていた餅が・・・なくならない。
当然、料理もなくならない。
いつまで正月が続くんだ?
結局、餅は冷凍庫に。
この空しさはなんなんだ?
この正月になんの意味があるというのだ?



今回の「tuzi now」は1月の出来事です

3月22日(金)

「正月1月2日」

新年は、‘紅白歌合戦’が終わって、‘ゆく年くる年’中で除夜の鐘が鳴った瞬間が年明けである。
私は‘ゆく年くる年’のファンで、全国の鐘の音を聞くのを楽しみにしている。
除夜の鐘を聞き逃したくないので、‘ゆく年くる年’が始まる前に年越しそばを作り終えるようにしていた。
年越しそばを食べながら‘ゆく年くる年’で除夜の鐘を聞きながら、
「新年明けましておめでとう」のあいさつを父母と交わす、が恒例だった。
母が亡くなってからも同様に父とこのルーティンは変わらなかった。

ところが数年前から神社で御札書きを頼まれるようになり、11時半頃までに神社の本殿に行くようになった。
早めの年越しそばとなり、楽しみにしていた‘ゆく年くる年’も見られなくなってしまった。
父も早くに就寝するようになり、私は新年に間に合うよう、本殿に向かう。
本殿では、新年明けて12時ちょうどに宮司が神前に祝詞をあげる。
それに合わせて参拝に来る人が結構いらっしゃるのだ。
祝詞のあとに巫女舞が奉納される。
その後、お祓いを受ける方々の御札に氏名や会社名、合格祈願の学生さんの氏名、商売繁盛から健康祈願、
厄払いを受ける人の年齢、氏名・・・をお札に墨書きするのです。これが私の役目。
一人一人、お祓いを受けますので、御札も人数分書かねばなりません。
新年明けて2時間ほどで一区切り。朝からは交代するので、私は元旦の朝はゆっくりできる。
元旦の朝はゆっくり餅を食べて、近くのスーパーに発売りに出かける。

正月三が日の神社は本殿で祈願、お祓いをしている。
本殿には入らず、お賽銭をあげて参拝に来る人がほとんど。
本殿下では御札いろいろや、各種お守りやおみくじ、干支の置物やら・・・を売っている。
年越しそばなど温かいものも、年明けの夜中に本殿下で売っていたが、コロナ禍でなくなった。
参拝に来た人たちは、おみくじを引いたり、一年の安全を願ってお守りを買い求める人も。
毎年、神社の親戚のお兄ちゃんが店番を任されている。
そのお兄ちゃんも寝ずに元旦の朝を迎えているので、今年はピンチヒッターで2日の午前中だけ‘お守り売り’を頼まれた。
初めてのことです。
私はお金を扱う商いは不得手だし、会計係りとかも不向きだ。
元旦は近くのスーパーの初売りに行くが、2日は誰もいない家で箱根駅伝見ながらゴロゴロしてるだけ。
‘お守り売り’を引き受けた。ひとりで店番だ。
参拝に来た人が寄るといっても、全員が立ち寄るわけでもなし、と私は勝手に高をくくっていた。

お守りや、御札など品数も多い。お守りだけでもバリエーションが豊富だった。
おおまかに健康祈願、厄払い、合格祈願、学業、スポーツ上達、しかもそれぞれ数種類ある。
キーホルダー系も数種類あるし、交通安全の矢タイプもある。
鈴が付いてるタ高級タイプもあればカードタイプもある。
値段もまちまち。値札は付いてないので暗記するしかない。
朝9時からということだったが、早めに8時半に入った。
鍵が開くのを待っていたかのように、お客さんがなだれ込んでくきた。
お守りが飛ぶように売れる。
ひっきりなしにお客さんがやって来る。行列さえできる勢いだ。
狭い店内にお客さんがひしめいている。
「どんと祭に納めたいんだけど」と言われて預かったり、
「御朱印が欲しいんだけど」という人に特別に分けてあげたり、
「熊手は売り切れなの?」と言うお客さんに、私が来た時点でなかったので
「置物タイプの熊手だけになりますね」と薦めたら、あっさり売れちゃったり・・・。
3個しかないので表に出してない「干支の置物はありませんか?」とたずねられて
箱から出してみせたら金ピカの龍で、お客さんと同時にビックリしたり・・・(笑)
とにかく忙しかった。
のどがカラカラになってもお茶を飲む時間すらない。トイレもガマンしていた。
大体が3点、4点、多い人だと6点以上買う。6点にもなったら暗算は無理がある。
おつりも出さなきゃならない。
ふ〜。
休む暇なく計算しては売りつづけ、午前中だけで15万円以上売り上げた。
こんなに忙しいとは、思いもしませんでした。



今回の「tuzi now」は1月の出来事です

3月25日(月)

「初売り弓道具」

令和4年(2022年)4月から始めた弓道。
指導者としての資質に疑問を持ちつつも、他の先輩たちのアドバイスに耳を傾けたりしながら
どうにかこうにかつづいている。というか指導者がいない弓道会なのだ。
一年間、的に遠く届かなかった頃は、本気で辞めようと思った。
それでも続けていたのは、袴を買ってしまったことや、教本を数冊買っていたこと。
無駄になっちゃうじゃん。
それはなんだか悔しい。
届かないことで腐っていたけど、‘石の上にも三年’もう一年だけ続けよう。
袴を着る機会もまだないし・・・

二年目になっても、道具は会からの借り物で練習をしていた。
袴だって、指導の女性に(仮にKと呼びます)買うように言われて、ネットで購入したものだ。
考えてみれば、審査でも受けない限り着用することのない袴を買わせるってどういうこと?
二年目の秋に初めて審査を受けて、初段になった。
この時も、会からの借り物で受けた。
そろそろ‘弓がけ’を買うように言われ始めた。
‘弓がけ’は自分の手に合わせて購入しなければならない大切な道具だ。
ネットで購入するにはリスクが高い。
やはり弓道具店に行って、実際手に合わせて購入しなければならない。
指導のKが「初売りだと割引になる」というので、その時に必要な道具を揃えることにした。

我県に弓道具店は一軒しかない。
私は高速バスと地下鉄を乗り継いで、初売り初日にやってきた。
‘弓がけ’が欲しい旨を告げると、私の小さな手を見て小さいサイズを5つほど出してくれた。
同じサイズでも手縫いなので、微妙に違うのだという。
手にかけてみると本当にぜんぶ違う。ふたつまで絞って悩む。決めては親指。
お目当ての‘弓がけ’を購入して、他に小物や弦など購入。
せっかく来たんだから、矢も買っちゃえ。
でも種類が多すぎて選びきれない。しまいには上の色だけで決めてしまった。
なんだかんだで4万円の出費。これでも5千円ほど割引されてる。
道具も揃えたことだしもう辞めるわけにいかない。

新しい‘弓がけ’に慣れるまで数週間かかった。
弓以外は自分の道具で練習を始める。
今は‘弓返り’を課題にしているが、このことに囚われると、コントロールがめちゃめちゃになるし、
的中に集中すると‘弓返り’の練習にならないし・・・悩みは尽きない。
4月から3年目に入る。
上達しなくても腐らずつづけたい。
だって私には伸びしろしかないのだから。