2018年

1月3日(月)

「庚戌元旦」




本年も「飛ぶtuzi」をどうぞ宜しくお願い致します
平成30年庚戌





2月28日(水)

「礼儀知らず」

太極拳の教室を始めて10年。
入門者はほとんどおらず、10名前後でこじんまりと練習を続けている。
私の住む小さな田舎町に、太極拳の団体が3つもある。
その3団体が、町の文化協会に加盟しているため、秋の文化祭の舞台発表に3団体がそれぞれ披露することになるのだが、
ひとつは気功を主とした団体だから、かち合わないとしても、もうひとつが大所帯で50名ほどが舞台に上がる。
私のところはせいぜい10名ほど。
少人数ながら演目は、太極拳、剣、扇、とバランスをとるように心がけている。
昨日、その大所帯の世話役という人が「扇を習いたい」ということで見学にいらした。
ということは、二股ですよね。
本来ならば、そちらの指導者から習うのがスジというもの。
「時間がない、というもので」
そんなのはそちらの都合。
私の教室は他団体所属の人には指導しない。こんなことは常識だ。私の教室に限ったことではないはず。
もし、私の教室の生徒さんが他の教室に習いに行くなら、こちらは辞めてもらう。
黙って隠れて行ってるようなら破門だ。
期間限定の一見さんもお断り。
「扇が習いたいから」というが、扇に限らず太極拳を習うことに変わりはない。すべてに通ずるのだ。
第一、そちらの指導者にも失礼、こちらには尚更失礼じゃないか。どの面さげて習いたいなんて言って来られるんだ?!
舞台発表はどうするのか、と問えば、「指導者に許してもらえたら出ます」などとイケシャアシャアと答えた。
せっかくだから見学がてら体験してもらったが、帰りがけには「来月から来ます!」と言ってのけた。
来月、って来週なんですけど?!
私、入門許可した覚えないんですけど。
なんで??
うちの生徒も歓迎ムードなのだが、私は入門を認めてませんからー、残念ー!。
もし本気で習いたいなら、向こうの団体をお辞めになって、顔を洗って出直して来い、ということです。
まったく・・・久々に呆れた礼儀知らずに会いました。
災難は忘れた頃にやってくる。



3月1日(木)

「狩人、チッチと親分」

昨年7月にやってきた凶暴なチョロは、その後‘チョロっち’と呼ばれるようになり
やがて‘チョロちっち’最終的に‘ちっち’ということで落ち着きました。
ただ、父は一貫して‘トラ’と呼んでいます。
凶暴性はそのまま大人並みの体格に成長しました。
私の書道の紙かぶりつき、または爪でボロボロにしてしまったり、神棚の上に登って供えてある塩をぶちまけたり
榊の瓶を落としてみたり、テレビの上にのぼって悪さしてみたり・・・。
悪行は留まるところを知りません。

一方、11月にやってきた黒トラの‘親分’はそのまま居座り、すっかり馴染んでいます。
でも、チッチに遠慮は相変わらずで。
親分も今は‘ぶんぶん’と呼ばれています。
親分は、かなりお爺ちゃんみたいで、最近は固いカリカリを食べるのが難儀のようす。
時々缶詰を出してあげるのですが、親分がゆっくりのんびり食べてるうちに、
缶詰を開けるプシュ!という音に反応したチッチが素早く走ってきてキレイさっぱり横取りして食べてしまいます。
親分は成す術も無く、眺めてるだけ・・・。
そんな親分なので、とっても静かです。チッチと真逆で、居るんだか居ないんだか分からないほど気配がありません。
そんな大人しい親分が、雪の中からモグラを捕らえて来ました。
びっくりです。
モグラて・・・。

モグラをくわえて家の中に入ろうという親分
「いやいや、分かったから」

褒められようとして獲物を見せに来る気持ちは分かるし、のんびり屋の親分が飼い猫からなぜか野良猫になって
これまで生き延びてきたのだから、こんなのは朝飯前なのかもしれない。
それから程なくして、今度はチッチがスズメを捕らえてきた。
スズメて・・・。
チッチに捕らえられるスズメてどんなに鈍くさいのよ。
なんか台所に羽が散らかってるな、と思ったらスズメが丸まってるではないの。
猫は狩人。
野良になっても食べていけそうな二匹なのに、やっぱエサが与えられる楽チンに生きてるチッチと親分なのでした。



4月13日(金)

「遺産騒動」

春になって暖かくなると、私の顔をみるたび「片付けろ」しか言わなくなる父。
「片付ける」のは母が残した大量の衣服と台所用品。
庭に物置が庭に3ヶ所もあって、それでも足りなくて家の中にあふれている。
奥の開かずの間は畳敷きだが、畳が見えたためしがない。
山登りと称して物の上を歩かねばならない、そんな部屋もある。
その隣の漬物置場は、瀬戸物であふれている。食器戸棚は用をなさないほどの大量の鍋やフライパン・・・。
箱に入ったままの瀬戸物は数知れず。
見て見ぬふりしていた。
奥の開かずの間は少しずつ片付けていはいたが(2016年5月参照)あまりの量で中途で投げ出していた。
だけど、畳は見えてくるまでに片付けたのですよ。すでにベトベトで使い物になりませんが・・・。
もう少しで片付きそう、と思っていた矢先!
父が隣の部屋に残りの品々を運びこんでしまった!
「二度手間じゃんよう・・・(泣)」
畳を取っ払ってフローリングにする、と言うのだ。
それは大賛成だが、このタンス、この食器戸棚はどうするというのだ?
@まずは、隣のクローゼットの部屋を片付けて
Aタンスを壁側に運び並べる
B次に漬物の部屋を片付けて
C食器戸棚を運んで整理する
・・・ということは、3部屋同時に片付けねばない。気が遠くなるんですけど・・・。
でも、父は待ってはくれないので、私も重い腰をあげた。
@クローゼットの部屋はクローゼットが閉まったためしがないほどの部屋で、衣装ケースも10個くらいあって
大きなテーブルや、大量のカーテンで溢れかえっている。他に何があるか分からないほどの物・・・。
とりあえずはタンスが運び込めるスペースを空ける作業から始めた。
Aそこへ、3部屋に散らばってた4棹のタンスを並べた。もちろん老齢の父にその力はなく、私の仕事だ。
B次に漬物の部屋を片付けて、食器戸棚を置くスペースを確保。
C食器戸棚の中の食器をダンボールに小分けにし、運ぶ。空にしても父と二人掛かりじゃないと重くて動かせない。
やっとの思いで設置。
これで、大きなものは運び出したので、あとは父が床を張ってる間に、2部屋(クローゼットの部屋と漬物部屋)を
同時進行で片付けていく。
まずはクローゼットの部屋から取り掛かった。
大量のタオル!
大量の靴下!
大量のパジャマ!
大量の衣服は当たり前、どんぶくとチャンチャンコだけでも何十着とある!
母の洋服だけでもすでに何千着とあるんですけど!
どうしてくれる!
一生かかっても使い切れません。
ようやくクローゼットが閉まりました!閉まったのを初めて見たよ・・・。


次は漬物の部屋。
いやあ、瀬戸物の多さに呆れる。これほどまで大量とは・・・。
蓋付お椀が50セットはあるし、蓋の無いお椀も50セットはある。
ご飯茶碗も揃いで50はあるし、あと皿が大量にある。
家は田舎なので、葬儀などで人が集まるときは、料理を手作りで振舞うので、買い揃えていたんだと思うんだけど、
それにしても多すぎるよ!
小皿だけでも、20枚揃いが5セットは軽くあるし、中皿も同じくらいあるし、
大皿まで同じくらいあるんだよー。特大皿まであるんだから・・・。
お盆も半端じゃないし。20枚以上あるでしょ。
小鉢もすごいことになってる。100はあるでしょ。
あとはお酒のとっくりがやっぱり100はあるでしょ。
何でも最低50〜100セットはある、ってこと!
鍋が箱に入ったままで20はあるし、天ぷらなべだけで5でしょ。.
とにかく置場に困るよね。少しでも収納しようと思って、片付けたんだけど大量すぎて収まりきれない・・・。
まあ、何とか床が見えるように片付けたはいいが、甕(かめ)や樽(たる)桶(おけ)がまだ出し切れてない。
梅干の甕だけでも5はある。桶は中身が不明で5はあるし。
問題は直径1mはある巨大な樽で、今日開けてみたら味噌樽でした。
昭和47年の味噌は樽の半分くらいまでになっており、少しずつ処分していかねばならないでしょう。

まだまだ問題は山積みです。
庭の3ヶ所の物置も整理していかねばなりませんし。
こんなことしながら私の一生が終わってしまうかと思うと投げ出したくなります。
いったい誰のための片付けなんでしょうか。



5月1日(火)

「続・遺産騒動」

クローゼットの部屋に散らばっていた母の衣服、奥の開かずの間になっていた部屋に散らばっていた母の衣服。
それらを黙々とクローゼットに掛けた。
そしてようやく片付けて、数年ぶりにクローゼットの扉が閉まった。
さて、このクローゼットの中を整理せねば・・・。
そして、ここもまた開かずの間だったタンスを運び出した部屋の出窓。
わずか半畳ほどの出窓なのに、埃をかぶった物であふれかえって開いたためしがない。
そこに着手したら、そこはバックの山だった・・・。
というわけで、出てきた衣服を無造作に詰め込んだクローゼットの中と、
バックの山と、以前出てきたエプロンの箱なんと3箱。
「もらってもらおう・・・」
譲れるのは叔母たち3人と、近くの親戚4人の計7名。

そこへタイミングよくあらわれた近くに住むひとりの親戚。
「グットタイミング!」
とばかりにクローゼットの中から好きな服を選んでもらってもらった。
バックやエプロンも出して選んでもらった、
私の浅はかな行動はのちに大きな後悔を招くことになる。
あれもこれも、と大盤振る舞いしてしまい、しかもよく見もせずに私が着たい物まで出してしまった。
エプロンにいたっては、中でもいいものだけしかも4着もあげてしまった。
覆水盆にかえらず。
叔母ちゃんたちにあげるのがなくなっちゃった・・・。
あちゃー。
バックもいい物をふたつも。
馬鹿でした。
いい物だけ持って行きやがった。
しかも、母は何着も重ね掛けしており、下に私が着たいのが掛かっていたりして、
でも出した手前、それはダメとは言えず・・・。
あとで父にも怒られたが、何も慌てて出すこともなかったものを。
後悔先に立たず。
その晩はあまりの後悔と母に申し訳なくて一睡もできなかった。
「常々、何も処分しなくていい」
「物だろうがゴミだろうが母の買ったものに埋もれてても気にならない」
と言ってるくせに、慣れない大盤振る舞いなんかするからイタイ目にあう。
それに、いい物はあげてしまって、自分は毛玉だらけの着古した昔の服ばっかりもらってる。
どうかしてんじゃねえの?!
私完全に間違ってるよね?!

連休明けたら、昔のオーダーメイドのコートだけでも返してもらおう。
逆に譲ってもらおう。
これだから私は馬鹿なのだ。
どう考えても3人の叔母ちゃんたちに先にあげるべきなのよ。
そこんとこ浅はかだから、タイミングよく来た彼女にあげすぎた。
タイミングのよさが彼女の運の強さと考えて諦めるしかないのか・・・。



5月20日(日)

「続続・遺産騒動」

4月から始めた大掃除というか大移動は2ヶ月に及んだ。
フローリングの部屋を作るために、タンス2竿を運び同時に3部屋を片付けて・・・。
和室にあった洋タンスも2竿運び込み、うち両開きのタンスの重さには閉口した・・・。
その和室の床を直すために、和タンス2竿を移動し、
パイプに掛かっていた大量の服を離れ1号のクローゼットに運び込む。
そして離れ1号の片付けに着手。
これがまた一筋縄ではいかなかった。一番の難関は着物だった。
押入れを開けたら、ねずみのウンチが大量にあって、そのターゲットは着物ケースだった。
桐のケースにもかかわらず、一面カビで覆われている。
このケースの処理だけで一日がかりだった・・・。
中には母と私の紋付。ブルーが母、ピンクが私、と思われ、おそらく30年も前に仕立てたものと思われ。
掃除しながら「これって、いつ着るつもりで仕立てたんだろう??」
母が生きていたら聞いてみたかった・・・。
それに床に置かれていた紙袋は底が抜けてしまうし、大変な作業だった。
そりゃそうよね、何十年もほっぽらかしだったんだから。部屋自体かび臭さが抜けないんだもの・・・。
廊下の窓辺に置かれた私の書道用具も移動して、窓が空けられるようにして。
ねずみが出現した、押入れも整理して掃除してすっきりさせた。
二間続きの離れ1号のもう一間は、かつて父のお弟子さんが寝泊りしていた部屋だった。
日当たりの良いその部屋の押入れには大量の座布団が眠っていた。
新品なのにねずみにかじられてしまった冬座布団が50枚ほど、イグサの夏座布団も50枚ほど。
脚立に上がったり下りたりしながらの作業。数日かかって、なんとかまとまった。

そうこうしてるうちに、父が床を張替え終えて、いよいよ畳を入れる段になり・・・。
結局、老齢の父は運べず私が一人で運び込んだ。
重いのなんのって・・・。指にマメができちまった。
畳が敷かれ、和タンスを並べて部屋ができたところで、母屋押入れ1号の整頓にとりかかった。
出るわ出るわ毛布の山・・・布団の山・・・まくらの山・・・。

次は離れ2号を片付けて、母屋の押入れ2号の中を移動させようという計画。
離れ2号は布団部屋なのだが、棚が3段になっている。
上段にあった大量の箱を下ろしてみたら、そこは私の幼い頃からの洋服だった。
母の物は捨てられないが、自分の物なら思い切ることもできる。
ただ、母に買ってもらった洋服はなかなか難しいのだ。
私の洋服の歴史は20箱ほどだったが、なんとか8箱ほどに減らすことに・・・。
幼い頃着ていた服は、思い出とセットになっていて、
「海水浴に着ていったムームー・・・ヒラヒラさせていたはずなのに、こんなにちっちゃかったのか・・・」
「小学校の修学旅行に持っていたかばん・・・大きいと思っていたらこんなにちっちゃかったのか・・・」
昔の生地はしっかりしていて、捨てるには忍びなく、半分にはなったが全て無くすことなどできない。
それに20歳くらいに着ていた服が着れちゃうんだもの、なおさら捨てられない。着れるんだもん・・・。
中段の布団を並び替えて、上段の空いたところに移動したりして、下段を空けた。
その空いた下段に、母屋の押入れ2号から移動させた。
そして最後の仕上げ、母屋の押入れ2号を片付けて、ようやく2ヶ月に渡る片付けが一段落ついた。
これで家中隅から隅まで、開けてみて整理したことになる。
どこに何があるかなんて、とても覚え切れないが、母もまとめようとしていた形跡はしっかり感じられたが、
物の多さだけは十分にわかった。覚えきれるものではない・・・。

とりあえずは部屋は片付いた。
隠しただけだが、物が置かれていない部屋はとても気持ちがいい。
しばらくは片づけから解放されるとしよう。
あとは気長に少しずつ整理整頓・・・譲れるものは母の七回忌までにまとめることにしよう。
「・・・あと2年もない・・・果たしてまとまるだろうか?」
いや、その前に台所を片付けねば!
流しの下とか・・・。ガスレンジの下とか・・・。

片付けはエンドレス、こうして私の一生が終わってしまうんだろうな。
キレイに片付けて整理整頓が終わったところで、
いったい誰のためなんだろう?
独りもんの空しさを感じます・・・。



5月25日(金)

「一周廻って新しい」

離れ2号の片付けをしていたら、引越しでダンボールに詰めたままにしてあった衣服が大量に見つかった。
こちらに越して20年を超えているがサイズ的に着れないことはない。
バブリーな頃に着ていた時代遅れの服が、今見ると一周廻って斬新だったりした。
「着るかも」とダンボールに書いて再度保留。着れなさそうなのは荼毘にふした。
あんなにあった衣服も荼毘にふせば一瞬のうちに灰となる。
その灰のなんとわずかなことか・・・。
今日は草を燃した。あの大量の草も燃してしまえば灰となり、その灰のわずかなことに驚かされる。
何もかもが、灰となり土にかえる。
その灰のなんとわずかなことか・・・。



6月25日(月)

「録画の罠(わな)

4年に一度の祭典。ワールドカップで全世界が燃えている。
私もスコアをつけながら全試合テレビ観戦を目指している。
とはいうものの、9時代の試合しか生放送で見ることが出来なかったり、ハイライト番組さえ見られない曜日もある。
9時代の次の試合開始が24時。もう起きていられない・・・。
なので、見逃した試合は翌日午後の衛星放送で見ることにしている。
試合結果の情報は入れないようにして、というか入ってこないので、生放送と変わらない状況で観戦することが出来る。
衛星放送の録画放送が終了すると、ハイライト放送が始まるので、安心して観戦できる。

ところが!
日本の試合となるとそうはいかない。
対コロンビア戦は生放送で見られたから問題なかったものの、問題は昨晩の対セネガル戦。
翌朝の8時から民放で録画放送があったので、それを見ることにして寝た。この安易な考えが間違いだった・・・。
今朝。
7時半過ぎテレビをつけたら一斉に試合結果を取り上げていた。
「ぎょっ・・・」
極力テロップも見ないようにして、聞かないようにして放送の局に変えて消した。
これでスタンバイOK。
まさか、これから放送する局で直前に試合結果を言ったりはしないだろう。
そんなことしたら、視聴率を下げるだけじゃないか。
安全圏の8時過ぎ。
テレビをつけたら、なんと!わざわざテロップで「激闘の末引き分け」と出てるではないか!?
「バカな・・・見ちゃったよ・・・(泣)」
せっかく、結果が分からないようにと8時までがんばってたのに・・・完全に私のディフェンスが甘かった(泣)
ていうか、これからノーカットで放送する局がテロップ出すか!?
「なんだよ、もう・・・」
日本戦は生放送で見ないとダメだな。
次の対ポーランド戦はがんばって24時?23時?からでも観戦せねば!
それよか、なんで放送する局で直前に結果教えるかな!?
しかもわざわざテロップ出しっぱなしにして・・・



7月14日(土)

「クロアチア」

ワールドカップも残り2試合。
イングランドを延長戦で2対1で破り、決勝に駒を進めたのはクロアチアだった。
私の予想ではイングランド対フランスでフランスが優勝のはずだったのだが、
見事にハズレ、クロアチア対フランスの決勝戦となった。
私はフランスが優勝すると予想しているけれども、それでも応援はクロアチアにしたいと思う。
イングランド対クロアチアの準決勝戦は、見ごたえ十分のいい試合だった。
もちろん目覚ましをかけて3時起きで生放送で観戦した。眠気も覚めるいい試合だった。
開始5分でイングランドがゴール。
「やはりイングランドの勝ちか・・・」と思った。
しかし、クロアチア怒涛の攻め。イングランドのスピードに対し、クロアチアの攻めは粘っこかった。
粘りに粘って諦めることなくゴールを攻め続けた。
イングランドチームはほとんどが20代の若さに対し、クロアチアの年齢層30代を中心に高め。
だが、クロアチアの運動量は実にタフだった。
さすがにモドリッチは延長戦バテバテで交代になったが、交代のカードを最後まで残しておいた
ダリッチ監督の采配もみごとだったと思う。
同点ゴールを決めたマンジュキッチは膝を打って負傷、ピッチに倒れこんだ彼をフランスの選手が
中断を避けようと無理矢理起こそうとする場面にはヒヤヒヤした。
そして解説を聞きながら私は気づいた。
「クロアチア選手は名前の最後がみんな・・・ッチだ」
モドリッチ、マンジュキッチ、ラキティッチ、コバチッチ、べリシッチ、カリニッチ、監督はダリッチ・・・。
(うちの猫がチッチ・・・って、それはブラジルの監督でしょうに)
「あれ・・・クロアチアってどこだっけ?世界遺産の風光明媚な街だったような・・・」
決勝戦は今大会初めてとのことだが、何大会か前にも強かったはずのクロアチア。
世界地図を広げてみる。
「旧ユーゴスラビアだよね」
アドリア海に面した旧ユーゴスラビアは5カ国に分裂した。
もともとクロアチア地方と呼ばれていた地域がザグレブを首都としてクロアチアとして独立した。
たぶん、日本の四国くらいの国土じゃないかな。
その地方には・・・ッチの苗字が多い、ってことなのかな?面白いね。
決勝戦、フランスのスピードはイングランドの比じゃないから、クロアチアがどれだけ粘れるか分からないけど、
サッカーの勝敗は最後のアディショナルタイム終了まで分からないもの。
クロアチアの健闘を祈る!
今晩の3位決定戦のベルギー対イングランドも楽しみだ。
私としてはベルギーの勝ちと思うのですが・・・。



7月16日(月)

「続・クロアチア」

ワールドカップはフランスの優勝に終わった。
予想通りだったけど、クロアチアを応援していた私としては、なんだか複雑な思いだ。
マンジュキッチのオウンゴールになってしまったが、蹴ったのがグリーズマンだから仕方ないさ。
彼はいつだって虎視眈々とゴール狙いで蹴ってくるし、それがまた巧いんだもの・・・。
それにしてもハンドのpkは、あれはないだろっ!
ビデオ判定だか知らんが、邪魔くさいし、ズルすぎる。
しかもあんな至近距離でグリーズマンはないよ・・・。
あとの2点はどうだったっけ?
エムバペに渡ったら最後、あのスピードには追いつけないよ。・・・ダメ押しでしょ。

それにしても、クロアチアも随分攻めてたんだけどね。
技巧的なパス廻しでゴールに迫るんだけど、決定打がないんだもん。
てか、パス出しても、肝心のシュートがない。私もイラついた。
フランスのキーパーミスをマンジュキッチがすかさず入れたのは、老練の技ありで天晴れ!
でも、そこまでだったね・・・。

今大会のMVPがモドリッチだったが、笑顔なし、瞬きなし
敗れて悔しいマンジュキッチも、もちろん笑顔なし、瞬きなし
強面(こわもて)のラキティッチも、善戦したべりシッチも瞬きなし
とにかく、かなり悔しかったのだろう。それが表情にもろ表れてるし、瞬きしないし!

私としては、大相撲になぞらえて、この試合「物言い」をつけて「取り直し」させたい気分です。
だって、クロアチアボールでべリシッチが持ってたとき、侵入者騒ぎがあって中断したじゃん!?
そもそも「侵入」って、ちょくちょくあるけど、いったい何が目的なんだろ??
あーあ、残念だったなぁ。
あのpkと侵入者がなければ・・・。
だけど、これがワールドカップなんだね・・・。



8月1日(水)

「天国と地獄」

かつてないほどの豪雨災害に台風12号の迷走・・・。
そしてこの連日の猛暑。熱中症で搬送される患者数の新記録更新・・・。

我が家ではクーラーのある部屋が茶の間だけで、室内温度29℃設定でも、この暑さで新ツナいそこはそりゃもう天国でして。
茶の間から一歩廊下に出たとたん!むせ返るような熱風に襲われ、そこはもう息もつまるほどの灼熱地獄
室内温度は35℃を悠に超えている。
でも、不思議なもので、灼熱地獄も居続ければ体が慣れてきて、29℃の茶の間が寒く感じさえする。

暑さのせいかどうか定かでないが、今年は我が家の果実類が豊作だ。
梅にイチジク、柿の実も昨年よりかなり多そうだ。
梅は、青梅だけで5kgほどあって、梅酒とシロップ漬けにした。木で完熟した実は2kgほどを梅干にした。
イチジクは巨大化してるのが多く、鳥と競って収穫に追われている。もちろん普通サイズも豊作のようだ。
柿の実は、100個は収穫できていたのだが、2年ほど前に10個に激減。
昨年は20個に回復したものの、例年には程遠かった。木の寿命かとも思ったりもしたが、今年はかなり実をつけている。
・・・と、気象も異常なら、我が家の果実もなにやら異例尽くめの豊作だ。

それにしてもこんな時期にオリンピック開催て・・・。
甲子園の高校野球はナイター案に賛成します。
灼熱地獄でスポーツで競う合うなんてシャレになりませんて!



9月1日(土)

「行方不明」

我が家のチッチが行方不明です。
7月半ばから姿を消してもう、ひと月以上になります。
その間、大雨だったり、台風だったりあったのに、それでも帰って来ません。
野良猫の親分とうまくやっていたのに、チッチが1歳になろうという頃になって、急に親分が牙を剥くようになりました。
子猫と思っていたのが、大人になって我が身が危険になると思い始めたのでしょう。
チッチはたまったもんじゃありません。
海千山千の老練親分に、1歳のチッチが太刀打ちできるはずもなく、防戦一方のチッチ。
親分は外にいますが、入り込んではチッチを敵対視するようになって、
私としては、あくまでチッチが我が家の猫なので、擁護していたのですが、いつの間にかチッチは姿を消し、
ご飯時にも姿を現さなくなりました。
一日二日ならまだしも、半月過ぎたらさすがに心配です。
親分は相変わらず外をうろちょろし、家から離れようとしません。
「親分!チッチを探してきなさい!」
と命じても話しが通じるわけもなく、悪い想像だけが頭を駆け巡ります。
交通事故にあった?
そして亡骸は川に?
慣れっこいから保健所に連れて行かれちゃった?
うわ〜ん。
父も私もお盆の頃にチッチが帰ってきた夢を見た。
え〜!?
ホントにお盆に帰ってきたの?
チッチがあの世から帰ってきたの?
うっそ〜。
チッチ、冗談が過ぎるよ〜、いい加減帰ってきてよ〜。
飼い主の私の責任は重い。家出で済めばよいのですが、もしものことがあっては取り返しがつかない。
ねえ、親分をやっつけに帰って来てよ〜。


チッチぷ〜、帰っておいで・・・姉ちゃんがチューしてあげるから



9月6日(木)

「物忘れ」

最近、物忘れ、記憶違い、言い間違いが多い。
先日も、覚えていたはずの会合に、当日になって完全に忘れてしまい出席しなかったことがあった。
その会合は、秋の文化祭で太極拳教室が舞台出演できるかどうかの大事な会合だった。
もし出席しなければ、舞台出演しないものとみなされる。
教室の生徒さんたちにも、出演する旨の話しもして、そのつもりでおったはず。
なのに、当日の私の頭からすっぽり抜け落ちていたのだ。
「・・・今日なんかあったはず」
ということもなく、なんの疑いもなしに、私は風呂にも入ってパジャマ姿でおりました。
・・・と、そこへ第一報の電話が。
「先生!今日行かなかったの?」
へ?
「今晩、秋の文化祭の会合でしょ?来てないよって連絡あったんだけど」
ぎえー!
すっかり忘れてたー!
「うわ、うわ・・・もう終わったよね・・・」
6時30分から始まってるはずだから、すでに2時間近く過ぎている。
「いや、まだいるみたいです。今からでも行きます?」
行かねば・・・行かねば・・・。
私はパジャマを脱いで着替えを始めた。
・・・と、そこへ第2報が。会長婦人からだった。
「先生、今日行かなかったの?」
「そうなんです。すっかり記憶から消えてしまってて・・・今から向かおうと思うんだけど」
「もう遅いでしょ、終わってるんじゃない?」
だよねー。
いつも1時間くらいで終了してるはずだから、私も終わってるはずと思うんだけどね。
早めに書類提するということで、なんとかなるかも。

その晩はショックで眠れませんでした。
言い訳になりますが、大事な会合は月曜日。
その前日の日曜日に、書道の一日講習会があったんです。そこでヘロヘロになりまして。
その時点で私の記憶から消えてたもよう。
翌月曜日、会計係りの私は、忘れないうちにと慣れない会計処理をしておりました。
お金の出し入れをしたり、帳簿をつけたり、領収書を整理したり・・・そのあと父をかかりつけ病院に乗せて行ったり・・・。
ふ〜、本日の仕事終了!
てなわけで、私の中では会合はないものとされてました。
普通だったら「あれ?今日なんか、もうひとつ用事があったはず・・・」
すっきりしない思いでメモのカレンダーを確認するはずなのに、
その日は、まったく疑いもせず本日の仕事終了!って風呂にもはいってくつろいでました・・・。

いやあまいったまいった・・・。
なんとか皆さんに協力いただいたおかげで出演できそうです。
そんなことがあってから教室に行ったらば、会合の出席者から
「お宅の先生、来てなかったけどどうした?」と聞かれた生徒さんもおられた。
いやあ、ご心配かけました。
で、その日の練習でもさっそくやらかしちゃって。
渡してたと思い込んでいたプリントが配ってなかったことが判明したり、
文化祭の日程、言い間違えたみたいで、生徒さんを焦らせたり・・・。

どうした私?
夏の疲れ?
みょうがの食べすぎ?
老化?



9月10日(月)

「鮎(あゆ)」

先日、鮎をいただきました。
共釣りで釣ったのだといいます。
天然の鮎です。

私が幼い頃、近所に鮎つりをするお兄さんがいて、我が家は父と母、私の3人家族なので、
毎年決まって3匹をおすそ分けに持ってきてくれてました。
天然の獲れたて鮎は黄金色に輝いて、スーパーでパックされた養殖鮎とはまったく違っていました。
その天然色の黄金に輝く鮎は今でも忘れられません。
でも、そのお兄さんは若くして病気でお亡くなりになっていまい、以来天然鮎にお目にかかったことがありません。
ですから、先日の鮎は、かれこれ50年ぶりの再会でした。

パックの鮎しか調理したことのない私。
「(生きた鮎を焼くわけにはいかないな・・・(困)」
ボウルに泳がせて、ざるをかぶせていたのですが、ほどなく息絶えてしまってました。
塩焼きにして美味しく食しました。
鮎は塩焼きが一番。
てか、それしか食べ方を知らない。
いやあ、50年ぶりに天然鮎をいただいた。
もう生きた鮎にお目にかかれることもないのかな、と思ってましたけど来ましたね。
ありがたいです。
嬉しいです。
感激です。