8日目:あーもう最終日

5月30日(日)曇り時々雨 気温 摂氏18〜21くらい

Part1:豪華な朝食

寝起きの悪い朝だった。長旅ほど旅の最後の日は憂鬱なものだ。そそくさと荷物をまとめて車に詰め込んであとは出て行くだけにして朝食をいただきにレストランへ向かった。イングリッシュブレックファーストではあったが、バイキング形式で、たくさんの種類の中からすきなだけ食べることが出来た。あの皿立てみたいなものにパンが立ててあったし薫り高い紅茶が味わえたし、私にとっては結構豪華な朝食だった。今日も昼食抜きにできるようにとガツガツ食べた結果、これがイギリスでの最後の食事となってしまった。

Part2:円と三日月  


ロイヤルクレッセント

Bath(バース)にはさまざまな歴史的建造物があるが、中でも私がどうしても見たかったのがThe Circus と Royal Crescentだ。関東ではTBSで日曜日の夜放送している「世界遺産」という番組でBathの街を見たときから、ここに来るのが夢であったが、結構あっさりとその夢は実現してしまった。テレビで見たのは空撮で、実際訪れてみると地上からではスケールが大きすぎて、全体がどんな形になっているのか良く分からない。ほんとうはヘリコプターか気球に乗って上空から眺めるとBathの街並みの美しさとスケールの大きさが味わえるのだろう。The Circusは3つの三日月型の4階建てくらいのアパートを大きな木がある円形の緑地のまわりに3つ並べて建ててある。緑地から見回すとまるで「だまし絵」の中に入ったような、とても不思議な感じの建造物である。

その隣には巨大な三日月型(輪を半分にした形)のRoyal Crescentがある。同じような形の建物がいくつもくっ付いていて全長が軽く100mを超えるくらいの大きな建物となっている。前庭の広大な芝生とRoyal Crescentのカーブの美しさは呆れるほどすばらしい。まるで夢の中の世界だ。  

Part3:古代のお風呂場

Roman Baths MuseumはBathで最も人気がある所なのだろうか。イギリスで初めて行列に並んでしまった。となりのThe Pump Roomというガイドに必ず書いてあるティールームはとても待ちきれないくらい混雑していた。日曜日の観光地の事情はどこの国でも同じようだ。ここはBathの中心で、古代ローマ人が築いた温泉場だ。中に入るとすぐにチケットカウンタがあり、1人6.3ポンドを払い日本語のガイドが聞けるコードレス電話のお化けのような黒くて長いプレィヤーを借りた。プレィヤーは各国語用があり展示ごとに番号があってその番号を押すとプレィヤーからガイドが聞こえてくるので、全員が耳にそれを当てて聞いてた。  


バス・ミュージアムとパンプルーム入り口


 プレィヤーで案内を聞く


古代のお風呂

最初はいきなりお目当ての有名なRoman Bathsだった。建物上部は100年位前に復元されたもので、古代そのままの浴場はお湯が浸っている部分より下だけだ。実際今でも温泉が出ていて、日本では地獄風呂か貯水池のような青緑色のお湯からはかすかに湯気が立っていた。実際触ってみると30度くらいだろうか生ぬるい感じだ。浴場跡のほかにも発掘当時そのままの形で遺跡が展示してあり、古代遺跡好きにはたまらない所だろう。私は紀元前の話はあまり興味が無いのでさっさと見て周ろうとしたのだが、外国人(ここじゃあ地元の人か近くの外国人たちがあまりにも熱心に見学していたのでなかなか前に進めず、30分以上かけてじっくり見学することができてしまった。

Part4:ヒースローへ

いよいよ旅の終わりに近づいてきた。

Bathからは東の方向へ目指すはずだったのだが、どうも道を間違えて西のBristolを目指して走ってしまったようだった。このエリアの地図がなかったのでよく分からない。とにかくモーターウエィのM4に乗っかれるようにひたすら走っていた。Bristolの手前あたりでM4の看板を発見。30分程度のロスタイムとなってしまった。飛行機に乗り遅れまいとM4を160Km/hでぶっ飛ばしてヒースロー空港に向かった。

霧雨の憂鬱な天気だった。道中はスピードを出しすぎていてあまり景色は覚えていないが、空港に近づくまではただの牧草地ばかりが続く。道中はずっと妻とこの7日間の思い出話大会で楽しんだ。  

Bathから2時間程で右手にウインザー城がちらりと見え、M25(ロンドンの外郭環状線)との大きなジャンクションを過ぎると空港への標識が現れる。巨大なラウンドアバウトを看板の指示どおり慎重に車線変更しながらとりあえず空港ターミナルに向かった。長いトンネルをくぐって出ると空港ターミナルが現れ、大きなアンテナがグルグル回っている建物の向かいにBPのペトロール・ステーションがあったのでそこでペトロール(ガソリン)を満タンに補給した。そのペトロール・ステーションまではターミナルの周回道路を2周もしてやっとこたどり着いた。道が複雑で慎重に車線を選んで運転しなければならない。道中で一番難しくて緊張する道だった。看板の指示どおりHertzのオフィス目指して走った。またトンネルをくぐって空港の外に出た後滑走路沿いの巨大な駐車場の一角にHertzをはじめほとんどのレンタカー屋のオフィス兼車庫が並んでいた。  


レンタカーの返却前に空港で給油

  Part5:レンタカーとお別れ

ほとんどが観光客だっただろうか、続々と車を返しに来ていた。私達も返却用のレーンに車を置いて荷物を降ろした。7日間続けて同じ車に乗り続けたことは自分の車でさえ今までなかった。この車はクセが分かるくらい自分の車のような愛着が湧いてしまい、旅の思い出を1つ置いていくような。走行距離は1000Kmを超えていた。

オフィスで精算してからターミナルまでのHertzカラーのかっちょいい送迎バスに乗った。もちろんタダなのだ。久しぶりにゆっくり車窓をながめていた。さすがヒースロー空港、よく整備されているし、なんといっても規模がデカい。成田空港はいったい何なんだろう?  


ハーツのオフィスと返却場

Part6:ターミナル3

バスから降りてすぐターミナルビルに入れる。ターミナル3はこの空港ではアジア系航空会社の発着用のため、お客さんのほとんどがアジアの人。世界にはこんなに民族とか人種がたくさんあるのかと思うほど見たことの無い衣装を着た人、ターバンを巻いた人、床に額をこすりつけてお祈りしている人などなど・・・驚いてしまう。

帰りの飛行機は18:00発の全日空NH202便。ちょうど出発3時間前にチェックインができて、窓側の席を確保した。早々とセキュリティーチェックを受け(出国手続きは無い)、広い免税店をうろうろしていた。ここでは本意ではないのだがいくらかの義理土産と、親不孝の息子から感謝を込めて両親へのお土産を買った。一気に袋が増えて年末のアメ横買出し状態になってしまった。

Part7:日本へ

免税店は熱気のせいか空調が効いていないのかひどく暑苦しかった。搭乗案内が入るとすぐに搭乗ゲートに向かった。ながーい廊下を大荷物で歩いていく様はさしずめ旅なれていない新婚旅行カップルのようでちょっとダサかった。

飛行機の席は30番目のJ,K列で翼のちょっと前のあたり。エコノミー席の前から2番目だった。18:30に離陸。すぐに雲の中に入ってしまいあっけなくイギリスとお別れしてしまった。

夕食後外は薄暗くなり大きな満月が輝いてきた。薄紫色の雲の上に白い月が浮かび、想像で描いた絵のような幻想的な光景だった。薄暗い日没状態が続いて真っ暗になって星が出ることは無かった。極地に近い所を飛んでいるので白夜なのだろうか?隣の席が空席だったので、私だけ2席占領して寝てしまった。

起きたらもう朝。日本時間では11:00だった。故郷の新潟や会津の上空を通過、霞ヶ浦で右へ左と旋回をして日本のすばらしい田園風景を上空から眺め13:30に成田に到着。空港の外に出ると蒸し暑い日だった。USAパーキングに預けてあった愛車CITYの車内は灼熱地獄と化していた。ウインカーとワイパーのスイッチがまた反対になってしまったし、また外国に来たような錯覚で、ちょっと運転に慣れるのに時間がかかった。イギリスで7日も続けて運転していたためか、自分の車でなれているはずの道を走るのに慣れる前に自宅に着いてしまった。ウインカーのスイッチを間違えるクセは結局治るまでに2日かかってしまった。

Part8:イギリスは心の故郷

私が生まれ育ったところは建物はすっかりなくなって街並みも跡形も無く変わってしまい、その位置だけが故郷となってしまった。昔遊びに行った海や川原も護岸工事や砂防ダムのような公共事業によってすっかり姿を変えてしまったところが多い。日本の土地はそんなことだから昔から変わらない風景を追い求めるのはほとんどあきらめている。外国ではあるがイギリスはそんな昔ながらの自然や風景を大切に保存していて、何十年経ってもきっと今と変わらない風景や街並みが迎えてくれるだろう。妻と巡ったイングランドの様々な土地や村を、私の新しい変わることのない心の故郷にしようと思う。

あと一生の内で何回英国に行けるのだろうか。もしまた海外へ行ける暇と金があったならばぜひまた訪れたい。できれば老いて人生を振り返る年になったらまた同じところを訪れたい。あーできればスコットランドも。

おしまい  

 

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