ティーハウス 2006年8月28日 〜 2007年2月16日掲載分

 


不都合な真実

「不都合な真実」という映画、皆さんご存知でしょうか? アメリカの元副大統領アル・ゴアさんが地球温暖化の実態を訴える活動を映し出したドキュメンタリー映画です。私は最初、ゴアさんの活動を密着取材したような内容かと思ったのですが、実際には、ゴアさんが長年行なっているスライドを使った講演をそのまま映画化したものだと言って差し支えないでしょう。いや、映画の公開の少し前に出版されたゴアさんの著書「不都合な真実」(ランダムハウス講談社)を映画化したものと言ったほうが良いかもしれません。地球温暖化について今まで特段の関心を持たなかった人にとっては、「そこまで恐ろしいことになっていたのか!?」と驚くことでしょう。いや、関心を持っていた人も「ここまで恐ろしいことになっていたのか!?」と驚くかもしれません。私もその一人です。ゴアさんの説明には驚くほどの説得力があります。それは、提示されるデータが極めて精確だからです。

地球温暖化の仕組み
ゴアさんの説明をお借りして、地球温暖化の仕組みについて簡単におさらいしてみましょう。太陽から放出されるエネルギーが地球に入ってきます。そのうちの一部は地球を暖め、そのあと反射されて、赤外線として宇宙に戻っていきます。しかし、二酸化炭素に代表されるような「温室効果ガス」が大気中に増えると、その宇宙に戻っていくはずの赤外線を吸収してしまうのです。このため、適度な放熱が行なえなくなり、地球の温度は上昇し続けることになるのです。とても不思議なことに、地球の両隣には「温室効果ガスが増え過ぎるとどうなるのか」ということと「温室効果ガスが少な過ぎるとどうなるのか」ということを如実に、実例として示している惑星が存在しています。多過ぎる例が金星であり、少な過ぎる例が火星です。どちらも生物が住めません。

この映画は涙を誘うような映画ではありませんが、私は終始、目が潤んで仕方ありませんでした。それは、京都議定書に批准もせず(ゴアさんは京都議定書作成の立役者です)、大量の二酸化炭素を排出しまくっているアメリカに、このような素晴らしい活動を行なっている人がいる、しかも要人の中にいたということが嬉しくて仕方なかったからです。「テロ、テロ、戦争、戦争…」とテロと戦争に染まったアメリカの中で、温暖化の実態を訴え続けることはとても困難であったと思います。

二酸化炭素濃度の恐ろしい実態
この映画の中で最も恐怖を感じる場面が、ゴアさんが講演の中でクレーンを使ってグラフの説明をする場面ではないかと思います。南極の氷には、その時代その時代の空気が閉じ込められているそうで、それを調べることによって65万年前の二酸化炭素濃度までわかるそうです。65万年前から現在に至るまでの二酸化炭素濃度をグラフにしたスライドを見せながら、ゴアさんは「65万年の間、二酸化炭素濃度が300ppmを超えたことは一度もない」と繰り返し強調します。そのグラフの線は、ゴアさんが手を伸ばせば届く範囲に納まっています。しかし、「現在はどうでしょうか」と言いながら表示される数値は300ppmを超えて異常な高さになっています。そこでクレーンが登場するわけです。そしてさらに、「この先はどうなるでしょうか」と言って示されるグラフの線はぐんぐんと垂直に伸び、45年後の数値はほとんど天井につきそうな600ppmを超えた値を指しています。二酸化炭素濃度を示す線の下には、65万年間の気温を示す線も示されていて、ほとんど同じように上下しています。つまり、今、どれほど危機的な状況かおわかりいただけるでしょうか。

現象として表れるのは、気温が上昇するということだけではありません。海水温が上がると、暴風雨の勢力が強まります。日本に住んでいれば誰しも実感としてもうおわかりだと思うのですが、2004年、並外れて強烈なハリケーンがアメリカを次々と襲った年、日本では観測史上最多の台風が上陸しました。ハリケーンがブラジルを襲うことは今まであり得なかったのですが、この年初めてブラジルを襲ったそうです。同じ2004年、アメリカで史上最多の竜巻が発生しました。そして2005年は、皆さんよくご存知の「ハリケーン・カトリーナ」です。さらに2006年、オセアニアでは超強力な「カテゴリー5」のサイクロンが次々と発生し、そのうちの「サイクロン・モニカ」はカトリーナよりも強力だったそうです。今現在、すでにこういった現象が表れています。45年後には、二酸化炭素濃度が現在の倍になると予想されています。45年後にどうなるか、想像できますか?

では、どうすればよいのか?
しかし、この映画の素晴らしいところは、そういった温暖化の恐怖を訴えるだけで終わらないところです。これから私たちはどうすればよいのか… ゴアさんは言います。「私たちにはできる」と。正直言って私は、ハイブリッド車に乗り換えるくらいでは焼け石に水なのではないか、と思っていたのですが、こういったことや冷暖房の節約でもかなりの効果があるらしいです。まず私たちにできることは、電気、ガス、水、石油(ガソリン)の消費を節約するということです。家庭や職場での省エネが非常に大事だということです。そして、それと同じくらい大事なのが「移動手段」です。交通機関から排出される二酸化炭素は莫大な量です。目的地まで何で行こうか迷ったとき、次の優先順位で決めましょう。

  1. 徒歩、自転車
  2. 鉄道
  3. バス
  4. 船(小型は含まない)
  5. 飛行機(旅客機)
  6. バイク
  7. 自動車(タクシー含む)
  8. ヘリコプター
  9. 自家用ジェット機

環境問題の正体
日本でのこの映画の公開のタイミングは絶妙だったのではないでしょうか。冬だというのにこの異様な暖かさ、雪の少なさ…。この映画を観た人は、そういう実感を伴っているので、“他人事ではない”という深刻さを感じると思います。そしてとても大事なのは、“この問題の正体”は一体何なのか、ということです。突きつめれば、「私たちは人間としていったい何者なのか?」ということなのだ。私たちが自分自身の限界を乗り越える力、この新しい機会に立ち上がる力そのものが問われているのだ。私たちは、頭だけではなく心で、今求められている行動を考えることができるのか。これは、道徳的、倫理的、そして精神的な課題なのである。(「不都合な真実」) ゴアさんは「地球温暖化」という言葉は適切ではなく「気候の危機」と呼ぶべきだと言います。この「気候の危機」の正体は、実は私たちの道徳的、倫理的、精神的な問題だったのです。人はよく言います。「45年後?そこまで生きてねーよ」、「45年後のことなんて知るか!」 このように考える人がこれからも多数なのであれば、残念ながら人類はそう遠くない時期に間違いなく滅亡するでしょう。およそどの国の人たちも、温暖化の問題より、経済の問題のほうが先決だと考えているようです。しかし日々甚大になる暴風雨や洪水などによってもたらされる損害は莫大な額で、私たちの経済を圧迫しているのは明々白々です。これからはますますひどくなるでしょう。温暖化対策をないがしろにして、経済のことを考えるのはまったく馬鹿げています。まさに、この映画に出てくる「地球を取るか、金の延べ棒を取るか」の選択で、金の延べ棒を取るようなものです。

未来世代が私たちにこう尋ねているところを想像してみてほしい。「あなたたちは何を考えていたの? 私たちの将来のことを心配してくれなかったの? 自分のことしか考えていなかったから、地球環境の破壊を止められなかったの?−−−止めようとしなかったの?」 私たちの答えは、どのようなものになるのだろう。(「不都合な真実」) 私はこのサイトの案内ページに、「私たちはとても重要な時代に生きている」と書きました。現在は本当に、人類が滅亡するか存続できるかの分岐点、歴史上かつてないほどの重要な時代です。その時代に生まれて、あなたは一体何をしますか? まだ、映画は上映されています。ぜひ、ご覧になってみてください。あるいは、本を読んでみてください。

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「浪漫朗読コンサート」復活!!
ところで話は変わりますが、 2月14日に絵門ゆう子さんから素敵なバレンタインデーの贈り物が届きました。なんと、4月8日に千葉県八千代市で「浪漫朗読コンサート」を開催すると言うのです! 主役の絵門さんが生出演しないのは残念ですけど、青木裕子さんの朗読にいつものアンサンブルアレーズ+渡辺ゆみさんの演奏で「うさぎのユック」が見られるなんて、考えただけでもわくわくします!

2007年2月16日

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毎日が「いのちの記念日」“絵門式”を実践しよう

最近、バラバラ殺人が立て続けに起こっている。中でも、自分の妹や夫を殺すという衝撃的な二件は、いずれも渋谷区内で起こった。しかも驚くのは、一方は歯科医師一家、もう一方は外資系金融会社に勤めるビジネスマンという、いわゆる“勝ち組”であったことだ。私は一昨年、このコーナーでも書いたように、渋谷区を含む東京西南部は、全国のガツガツした人間が集まってくる「勝ち組エリア」だと思っている。たまにこのエリアに足を踏み入れると、人生を美しいこと、かっこいいことだけで生きてゆけると勘違いした人々が集まる「虚構の街」という気がしてならない。偉そうな言い方だが、いよいよそうした心の歪みが露呈してきたのではないかという気がする。ただ、私たちがくれぐれも注意しなければならないのは、今、日本を動かしているのはこのエリアの人たちであるということである。

さて、話題を変えまして、まずは今年もよろしくお願いいたします。皆さんはどんな年明けを過ごしましたでしょうか。私はここ数年、年末年始に忙しくなる仕事をしているため、多少慌ただしく過ごしました。そんな忙しい中でも、元日には都内の教会でミサに参列し、4日には仕事を終えてから新居昭乃さんのライブに足を運び、とても充実した年明けとなりました。昨年までの私だったら、「仕事が忙しいから、また今度にしよう」などと考えるところですが、昨年、連続してこのページでも書いてきたように、絵門ゆう子さんからたくさんのことを学んだために、明らかにバイタリティーが増しているようです。

私はキリスト教徒ではなく洗礼も受けていませんが、家系が先祖代々カトリック教徒のためか、キリスト教の教えが身に染みついているような気がします。ミサに参列するのは初めてだったのですが、賛美歌を聴いたときは何かその遺伝子の記憶が甦るようで鳥肌が立ちました。また、新居昭乃さんのライブでは、当日券の窓口に並んでいるときに、「一緒に来る予定だった人が来れなくなっちゃったんで、よかったらこれ買ってもらえませんか」と突然声をかけられ、前売よりも安い値段でとてもいい席で観ることができて、年明けからとてもついていました(やっぱり新居昭乃さんのファンはみんないい人だ)。新居昭乃さんは相変わらず最高に素敵な人! いつかこのページでも詳しく触れたいと思っています。お薦めのアルバムは最新作「エデン」。本当にいい曲ばかりで、中でも「虹色の惑星」「神様の午後」は超感動もの。

さて、2007年の年明けにあたって、落ち着いて自分の状況を見渡してみると、すべてのコンディションが整えられて、自分のやりたいことをやるのに最高の状況になっていることに気づかされます。そこで、自分が今何をすべきなのか落ち着いて考えてみると、私の正直な気持ち、過去の経験、そして周囲の状況から判断して、それは音楽活動ではないかという気がしています。もちろん、私の作ったものが世間に受け入れられないであろうことは重々承知の上です。もう、そんなことはどうでもいいのです。考えてみれば、音楽を作るための一応の能力、作るための道具、作るための時間、プロ級の演奏技術を持つ友人、そしてモチベーション… 今、これだけ揃っているのは、極めて幸運なことなのでしょう。というわけで、今年はやります! 「草原につづく道」、そして、それ以外の活動もあるかもしれません。

グリーンハートパークは去年同様、ほとんどこの「静かなひととき」の更新のみになると思います。「絵門ゆう子さんに学ぶシリーズ」はあと2回続く予定です。「草原の心拠」も更新する予定です。 …それにしても、みんな絵門さんの偉大さに気づかないみたいで、もったいないですね。極めて重要なメッセージを遺したのに…

考えてみると、この宇宙が誕生する前は何もなかった(無の世界)はずで、その無の状態から原子1個でも生まれることは、とても不思議で奇跡的なことではないでしょうか。例え創造主がいるとしても、その創造主が誕生する前は何も存在しなかったはずで、その何もない状態から何かが生まれることは、まったく不思議で奇跡的なことです(そもそも創造主の場合は、誕生したりするものではなく、最初から常にいるということなのでしょうが、しかしそれ自体が不思議です)。しかも、そこに存在する私たちは、決して無機質な毎日を過ごしているわけではなく、絶えず笑ったり泣いたり、楽しかったり苦しかったりして、ドラマチックです。そう考えると、私たちが今ここに存在していること自体がまったく奇跡的なことに思えてきます。 ユックは、毎日生きていられることそのものが奇跡なのだと思いました。(「うさぎのユック」) そう思うと、ワクワクしてきます。しかも、江原啓之さんの話によれば、この世に誕生するということは、あの世から見れば「うわぁ〜、大変だねえ。がんばって」ということであり、この世で死ぬということはあの世から見れば、「よくやったねー! おかえり!」だそうで、そう考えると、何も思い悩むことはないような気がしてきます。

苦しみの原因は、悪魔の誘惑(煩悩)であることは、はっきりしています。だから、苦しみから離れて本当に幸せになるのは、ある意味、簡単なことです。悪魔につくのではなく、天使につけばいいのです。ただ、人間は生来、悪魔の誘惑に駆られる性質を持っているため、そう簡単には悪魔から離れられません。しかし、正しい方向を向いて、いくつかの試練を乗り越えれば、徐々にできるようになるようです。さぁ、今年から絵門さんに学んだこと“絵門式”を実践しましょう! ゆっくり、にっこり、おっとり、のんびり、そしてがんばる!

2007年1月16日

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絵門ゆう子さんに学ぶF「花どろぼう」

毎年この時期に京都の清水寺で行なわれる、その年一年の世相を漢字一文字で表す行事。今年は「命」でした。命というテーマでずっと語り続けてきた絵門さんが亡くなった年であるだけに、なにか感慨深いものを感じました。今回もまた、絵門ゆう子さんからいろいろ学んでいこうと思いますが、今回はまず、20年前に書かれた「花どろぼう」を読みながら、若かりし頃の絵門さんを思い出してみたいと思います。

●「花どろぼう」(祥伝社)
もともと知名度の高い絵門さんが、がんになってからあれほどの素晴らしい活動を行なったにもかかわらず、今ひとつ世間の注目度は低いように思います。もっともっと注目されて、高い評価を受けてもいいのではないでしょうか。そうならない背景には、絵門さんの若い頃のイメージ、池田裕子さんのイメージが多くの人の記憶の中に残っているから、という気がします。池田裕子さんと言えば、20代半ばにして NHKの朝のニュース番組「ニュースワイド」(現「おはよう日本」)のアナウンサーに起用され、その人柄とルックスの良さから、かなりの人気と注目を集める女性アナウンサーであったと思います。そしてその後、いくら天気に関して詳しくなったところで、気象協会の専門家の方たちと肩を並べられるわけではない。ニュースにしても、入局当時から察回り(警察などに詰めて記事をとる)で鍛えられている現場の記者と、同じ土俵で私が勝負できるものでもない。その方向の仕事を続けていて、数年後の私はいったいどうなっているのだろうか。といった疑問を感じた絵門さんは、NHK を辞めてフリーに。

しかし、今でもそうですが、フリーになると「あの人はよっぽど自分に自信があるんだな」といった目で見られるようになり、徐々に世間の見る目は厳しくなっていったように思います。その頃から絵門さんは、プライベートのことで週刊誌やワイドショーに追い回されるようになり、いつしか表舞台から遠ざかるように。そしてまた、常識や既成概念に囚われない絵門さんは“女優”というそれまでとはまったく違う分野にも飛び込みましたが、しかしそういった大胆な行動も、世間からは幾分冷ややかな目で見られていたように思います。こうしたイメージが、その後「桐生ゆう子」という名前に変えた後も、ずっとつきまとっていたような気がします。

でも、絵門さんの本をほとんど読んでみて、今、「ずいぶん世間から誤解されていたな」と感じます。絵門さんはやっぱり「魂の人」なんですね。とても純粋で、魂の声を聴き取れる人。絵門さんは「母への詫び状」の中で、自身のことを「私のようにエキセントリックで…」と自嘲気味に書いていますが、魂の声を聴き取れて、なお且つバイタリティー旺盛な人は、どうしても「エキセントリックな人」という目で見られてしまうようです。このタイプの人はよく宗教に走ったり、海外に活躍の場を求めたりしがちなんですが、そうならない所が絵門さんのすごい所です。絵門さんは実は、ちょこちょこと宗教に関わるようなことをやっています(キリスト教の洗礼も受けている)。しかし、それに深く入り込まない所がさすがです。入り込まないどころか、絵門さんは大学時代に宗教社会学のゼミを取り、「宗教を深い所で本当に理解していれば、○○教とか○○宗という属性はなくなり、どんな宗教も全て相通ずるはず」という持論に至った(「がんでも私は不思議に元気」)というのですから、やはりタダ者ではありません。

「花どろぼう」は1987年に文藝春秋から出版されました。「花どろぼう」とは花を盗む人のことではなく、自分の好きな花の種を他人の庭に勝手に蒔くことを言うそうで、つまり「ちゃっかり者」といったような意味なのでしょう。この頃の絵門さんは、仕事での成功、社会的地位、恋愛と結婚、経済的豊かさなど、普通の人が憧れてやまないものをすべて手に入れていた「超幸せ者」という状態だったので、この「花どろぼう」には当然そういった恵まれた半生が描かれているわけですが、しかしラストでは当時キャスターを務めていた TBS「モーニングアイ」を降板することが書かれていて、これから再び荒海にくり出す私には… と締めくくられているのには、なんとなくその後の絵門さんの人生を予感させるものがあります。

この本の中で私が印象深く感じたのは次の部分です。味のある朗読のできるアナウンサーになりたい、子供番組のような夢のある番組に関わりたい、そんな希望を抱えてNHKに入った。 不思議なもので、「うさぎのユック」などを朗読した「浪漫朗読コンサート」… 絵門さんは若い頃からの夢をがんになってから実現できたわけで、まさに絵門さんはそういった活動をするために生まれてきたのではないかと思わせます。そして、絵門さんを朗読の活動に導いたのは NHK時代の先輩、青木裕子アナウンサーとの運命的な再会でした。

私もそうだったのですが、「絵門ゆう子」という人を「池田裕子」のイメージで見てしまう人、結構多いのではないでしょうか。しかしそれは、とても損なことです。

●「絵門ゆう子」になってからの具体的な活動
「花どろぼう」についてはこれくらいにして、次に、「絵門ゆう子」になってからの絵門さんの活動を見ながら、具体的な仕事や活動の仕方について学んでみたいと思います。絵門さんの活動の拠点は有限会社「オフィス梵」です。具体的な活動は、著書などの執筆のほか、朗読コンサートの開催、講演、カウンセリング、そして「おひるねうさぎ」という活動があります。絵門さんの活動には社名も含めてそれぞれ、「浪漫朗読ウィンク梵」「おひるねうさぎウィンク」「カウンセリング・ウィンク梵」という独特の名前がつけられていて、この由来については著書などになかなか記述が見当たらないので、私にとっては今まで謎だったのですが、絵門さんのサイトを見ていたらようやくその記述を見つけることができ、ウィンクとは幸せの光を放つ「天使のウインク」、梵は「心穏やかな神聖な境地」を意味するものだということがわかりました。絵門さんは明らかにこうしたスピリチュアルなものを心の源泉に持っていたにもかかわらず、具体的な活動の中ではそういったことをあまり表に出さなかったあたり、絵門さんの「タダ者ではない」という一面がここでも垣間見えます。

●「浪漫朗読コンサート」の開催
私は絵門さんについては、生き方などの哲学的な面だけでなく、活動の仕方やビジネスなどの面でも大変参考になると思っています。例えば「浪漫朗読コンサート」。通常、こういったコンサートは出版社や新聞社、あるいはその他の企業や団体が主催して行なわれるものです。しかし絵門さんの場合は、ホームページにこんな記述があります。出演することは長年してきた私ですが、主催することに対しては素人、この両方をすることになったこの二つのホールでの浪漫朗読コンサートは、完全に私の能力を超えたものでした。… ホールでの浪漫朗読コンサート、『ふぅちゃん』と『うさぎのユック』、この二つをなんとしても提案したい。その思いだけで、ぽっこりとホールが夜の枠だけ使える 1月22日の夜と 3月20日に、誰に相談もせずに私が入れてしまったというのが全ての始まりです。 これを見ると、なんと、実質絵門さんが主催者であったことがわかります。いや、それだけではありません。このコンサートで絵門さんは朗読をするだけでなく、司会も務め、そして「私がWordで作った簡素なプログラムではございますが…」と言っていますから、印刷物も作っていた… もう「ほとんど全部絵門さんがやってるんじゃないの!?」と思える状況の中で行なわれていたようです。

私は長年音楽活動を細々と続けています。「自分たちの作った楽曲を多くの人に聴いてもらうにはどうしたらよいのか」ということで、いつも頭を悩ませてきました。最初はもちろん、レコード会社などにデモテープを送ってみたり、オーディションやコンテストに応募したりということをやっていたわけですが、向こう側の求めている音楽(嫌味っぽく言えば「金になる音楽」)と、自分たちの作っている音楽とは合わないと感じてからは、そういったものには応募しなくなりました。そして最近では、「そもそもいわゆる“音楽業界”という所に頼ることが間違っている」ということがわかり始めて、制作はもちろん、宣伝から販売まで全て自分たちで行うというやり方を模索していました。そんな折、絵門さんの朗読コンサートの開催の仕方、そしてこのコンサートの模様を収めたCDや DVDの制作・販売の仕方を知り、大変参考になり、また大変勇気づけられています。

●「おひるねうさぎウィンク」
絵門さんがとても力を入れていた活動の一つに、「おひるねうさぎ」というものがあります。「おひるねうさぎ」という名前は「うさぎとかめ」の物語に由来していて、うさぎのようなスピードでがんを進行させてしまった人でも、途中でお昼寝していれば、亀(健康な人)と同じ分の寿命がまっとうできるという意味だそうです。亀は長寿の象徴であることを考えると、絶妙なネーミングですよね。この「おひるねうさぎ」というプランの全貌は、おそらく絵門さんしか知らないのではないかと思うのですが、絵門さんのホームページによれば、カウンセリング、ミーティングなどを主軸に、がん患者とその家族のための、情報整理のケア、心のケア、経済のケアを行なうことと、スタッフの3分の2以上ががん患者であることを目指し、この場が、がんであることを前面に出して働ける職場を目指した、「がん患者とその家族をサポートする総合情報センター」のような場であるということです。

このプランも非常に興味深いものです。スタッフの2/3以上ががん患者、そして患者の経済的負担を最小限にするため、運営資金は「基金」でまかなうという、常識を超えた絵門さんらしい発想が私は大好きです。「実現できっこない」という意見はもちろん無視です。何しろ、その根底にあるのが「利益は極力得ない」、そして「患者とその家族の負担を少しでも減らし、少しでも幸せに」という暖かい目的ですから、やっぱり絵門さんはすごい! ぜひ、今後もこの活動を継続して、実現されることを祈っています。

●悪循環型社会を変える絵門流ビジネス
現在の社会は、正しくない人たちや考え方に支配されてしまっています。「取れる人は取れるだけ取っていい」という「つかみ取りセール」のような、あるいは「バイキング形式のレストラン」のような社会です。必要最小限のものしか取らないことが最も正しいということに気づいている人たちは結局損してしまうため、正しい人が増えてきません。増えてこないどころか、ますます減っていく悪循環型社会です。こういう社会だからこそ、力強い行動力で正しいことを実行し、正しい考えを広めていく絵門さんのような人が必要不可欠です。「オフィス梵」という会社を拠点に行なわれていた絵門さんの活動は、その「梵」という名前が示すとおり、まさに“神聖な”精神に基づいた素晴らしい活動だったのです。そしてこれからの時代は、そういう姿勢が全ての企業、全てのビジネスの場に必要になってくるはずです。必要になってこなければなりません。

「草げんハウス」というビジネスをこれからも続けていく私にとって、絵門ゆう子さんの「オフィス梵」はまさに最良のビジネスモデルなのです。

2006年12月16日

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イジメと自殺について

「絵門ゆう子さんに学ぶ」シリーズが終わったわけではありません。が、今回は一回お休みして、最近問題になっているイジメと自殺について考えてみたいと思います。つい先日読み終わった絵門さんの本「花どろぼう」は、もう20年も前(絵門さんがアナウンサー、キャスターとして大活躍していた時代)に出版されたものですが、これに次のような記述があります。いじめの問題が深刻化し、マスコミでとりあげられるたびに、子ども同士ならよくあることと笑い飛ばせなくなった今の時代に憤りを感じる。 すでに20年前に、イジメが深刻な問題になっていたことがわかります。その間、学校は一体何をしてきたのか… 絵門さんも小学生の頃、いじめられていた時期があるそうで、しかし絵門さんは気の強い人なので、すぐにその逆境をはね飛ばし、一年後には女ガキ大将になっていたそうです。

●イジメについて
私は「イジメ」という言葉に大きな問題があると思っています。イジメというと「子供同士ならよくあること。放っておけばいい」といった雰囲気があるからです。たしかに、いたずらで友達の靴を隠したりするのはイジメかもしれません。しかし、数十万円の金を要求したり、自宅に消火剤をまいたり、至近距離から野球のボールを思い切りぶつけたりすることを「イジメ」と言って良いのでしょうか? これらは暴行とか恐喝、虐待と呼ぶべきものでしょう。もし、ある会社員が街を歩いているときに、いきなり数人の男に粘着テープで手足を縛られ、殴る蹴るの暴行を受け、石やボールを投げつけられたら、誰だって警察を呼ぶでしょう。立派な暴行事件です。なのになぜ、子供の場合は「イジメ」で済まされてしまうのでしょうか? まったくおかしな話です。そして、こうした暴行、恐喝、虐待と呼ぶべきことが行なわれていない学校というのは果たして存在するのでしょうか? 私も子供の頃には幾度となくそういう現場を見てきました。そのことを思う度に、それを見て見ぬふりをする教師に腹が立ちます。法の整備とか、学校側の対策が急がれるのはもちろんですが、まず最初に、社会が(特に学校は)こうしたことを「暴行」「恐喝」「脅迫」「虐待」事件なのだと、認識する必要があると思います。

スピリチュアルな面で見ても、通常、「苦痛」は精神的な成長をもたらすものですが、しかし、その人の許容量を超えた過度の苦痛は、逆に魂を悪化させてしまいます。最近報道されているようなイジメのケースはほとんどこの「許容量を超えた苦痛」にあたると思われます。みんなから殴る蹴るの暴行を受けたり、頭からバケツで水をかけられたり、万引きするよう強要されたり、そういったことに耐え抜いたからといって、精神的に成長するはずなどないのです。この場合、イジメ(暴行・脅迫)を受けている子供にとっては、「学校に行かない」ということが最善の選択になり得ますが、しかしここで、両親が「学校に行きなさい!」と厳しい態度で臨んでしまったらどうなるでしょうか。さまざまな選択肢をまだ知ることができない子供にとっては、「自殺」という選択しか残されなくなってしまいます。これは本当に不幸なことです。

もし、今現在、耐え難いほどのイジメ(暴行・脅迫など)を受けている人がこのページを読んでいるのなら、まず「不登校」というものがイジメを解決するための、あるいは自殺を未然に防ぐための有効な選択肢の一つであるということを知ってください。学校に行かなくなったからといって、あなたの人生がダメになってしまうわけではありません。そして次に、「学校に行く」「不登校」「死ぬ」以外にもさまざまな選択肢があることを知ってください。イジメなどの問題で普通の学校へ通えなくなった子供のための学校や施設もあるのです。ただし、「こういった選択肢もある」ということを知った上で、できるだけ今の学校に通い続けることも考えてください。イジメを避ける方法もいろいろあるのです。イジメる連中の天敵は先生であり、先生は校内にたくさんいるわけですから、それを利用しない手はありません。担任の先生でなくてもかまいません。
  イジメを受けない極意 ‥‥「常に先生の見える所に居る」
あとは、電話、インターネット、新聞、テレビやラジオの番組などでも相談を受け付けているところがたくさんあるので、そういうものを利用するのも良いと思います。
  チャイルドライン ‥‥‥‥‥‥ 子供の悩みを聞いてくれる
  NHKラジオ「きらり10代!」‥‥ 10代の悩みを聞いてくれる

イジメの本当の理想的な解決策は、担任の教師が自分のクラスのイジメの状況を(イジメがまったくないクラスなどまずないでしょう)正確に把握し、それが暴行、恐喝、脅迫、虐待などにあたるもので、なおかつ執拗に行なわれているようであれば、絶対にやめさせるということです。自分のクラスのイジメの状況を、正確に把握する努力が最も大事だと思います。

あともう一つ。これは大人にも言えることですが、「イジメる」という行為は人間が犯すさまざまな悪い行為の中でも、殺人などと並んで最も低い行為だということ。どんな事情があれ、イジメられる人よりイジメる人のほうが精神的に低いと言えます。

●自殺について
私はちょっと自殺について詳しいほうかもしれません。というのも、10代の頃、真剣に自殺することを考えていたからです。ショウペンハウエルの「自殺について」も読みましたし、「完全自殺マニュアル」も読みました。理由は、自分が持つ価値観や感覚があまりにも他の人たちと違っていたことです。このころの私は「とんでもない所に生まれてきてしまった」と常に感じていました。「あまりにも冷たい世界だ」と。そういう状況は結局私が周囲から疎外され、私も他の人たちと関わりたくないという状態を生み出し、当時の私にとってはこの上なく辛い状況でした。加えて、そんな状況から将来の明るい希望などというものを見出せるはずもなく、私はどんどん“決行”に向かっていったのでした。

しかし、もう決行の日や方法などもきちんと決めようなどと思っていたある夜、実に不思議な夢を見ます。それは、普段見る夢とは明らかに異なった超リアルな夢で、私はこれをきっかけにそれまでの考えを 180度転換することになります。それは私が自殺するという内容の夢だったのです。私は学校の休み時間に友達としゃべっているとき、廊下で「自殺するための薬」を見つけます。それは苦痛なく死ねる薬であったため、私は飛び上がるほど喜んですぐに飲んでしまいます。次の授業が始まり、最初は嬉々としていましたが、15分ほど経過したあたりから胃に違和感を覚え始めます。その瞬間血の気が引き、冷や汗が出てきたのです。胃の痛みのせいではありません。強烈な後悔が始まったのです。「どうせ死ぬんだったら音楽をやるという道をもっと本気で目指しても良かったんじゃないのか!?」、「ジャーナリストになるということを本気で挑戦してからでも良かったんじゃないのか!?」、「俺のような異質な者だからこそやれることがたくさんあったんじゃないのか!?」などなど、そういったことが次から次へと頭に浮かんできて、顔は完全に青ざめていきました。そうこうしながらも、胃の違和感は私がもうまもなく死ぬことをはっきりと知らせていて、私はたまらない気持ちになって思わず「ワァーーーッ!!」っと叫んでしまったのです。その瞬間目が覚めたのです。びっしょり汗をかいていましたが、このときほど心の底から「夢でよかった」と思ったことはありません。私にとっては、まさに人生が大きく変わった瞬間でした。いや、「生き返った」と言ったほうが正しいかもしれません。

以来、私は自殺を考えることはなくなりました。私は神ではありませんから、「自殺は間違っている」などとは言えませんし、言いたくもありません。ただ「イジメを苦に」とか「将来を悲観して」の自殺はまったく無意味だ、と言えます。イジメから逃れられる場所は日本国中いくらでもありますし、将来を悲観することはそれ自体がまったく無意味だからです。

スピリチュアルな側面を見てみれば、もっとよくわかります。人間は精神的な(魂の)成長のために生きています。その魂の成長にとって最大の栄養素が「苦しみ」なのです。もちろん食べ物と同じように、栄養があるからと言って摂り過ぎは禁物です。しかし、許容量を超えなければ、苦しみを摂れば摂るほど精神的に成長していきます。避けるほどのものではないのです(凄惨なイジメの場合は許容量を超えている可能性があるので、イジメを避ける方策を考える必要がある)。自殺を本気で考えるほどの苦しみを味わった人は、考えたことがない人よりも明らかに高く成長します。成長を重ねていけば、だんだんとこの世界の真実がわかってきます。この世界の真実がわかってくれば、生きていることが楽しくなってきます。この世界の真実を知ってしまった人は、もう何不自由ない恵まれた環境などに身を置くことなどは、とても怖くてできません。そんな環境に身を置いたら、魂の成長がストップ、もしくは悪化してしまうのですから。

ちなみに、その後の私は、自分の中の「他の人とあまりに異なる価値観」が、私の家の家系(カトリック教徒)から来ているものとわかり、異常なものでも何でもないことがわかりました。
そこで、聖書から一言
 ・義のために迫害される人々は幸いである。天の国はその人たちのものである。
  (イエス)

ついでに、仏教からも一言
 ・恥を知り、常に清きを求め、よく仕事に専念していて、つつしみ深く、
  真理を見て、清く暮らす人は、生活し難い。(感興のことば)

さらに、聖書からもう一言
 ・神は、善をも悪をも一切の業を、隠れたこともすべて裁きの座に引き
  出されるであろう。(ソロモン)


この世界では、「正しき者は苦しむ」という傾向があります。それでも、苦しくても、「正しさ」「清らかさ」をぜひ優先させてください。あなたの行いはすべて魂に記録されています。最後に審判のときが来るでしょう。

2006年11月16日

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絵門ゆう子さんに学ぶE「母への詫び状」

●マンガ版「がんと一緒にゆっくりと」
つい先日、生まれて初めてレディースコミックを買いました。絵門さんのベストセラー「がんと一緒にゆっくりと」がマンガ化され、「シルキースペシャル11月号」に掲載されたからです。書店で購入するには少し勇気が要りましたが…。これが、原作に忠実で要所要所が上手くまとめられていて、本当に素晴らしいのです。やはりマンガになると、よりリアルに心に迫ってきて感動的です。とてもドラマチックな展開なのですが、これがすべて実話であるということに、改めて驚かされます。

それと、原作を読んでいて改めて気づいたことがあります。原作は実は絵門さんが乳がんだと診断されて間もない 2000年11月6日(なんとこれは「がんとゆっくり日記」がスタートした月日と同じ)からつけ始めた日記が基になっています。この日記の2001年12月26日から翌年の1月9日までの分は、著書にほぼそのままの形で抜粋されていて、これがとても重みのある内容になっています。一月二日。朝からとても息苦しい。精神的に呼吸のことがおかしいみたい。首は痛み止め飲んでも痛い。「泣いてるんだもんなあ。それじゃあ治らないよ」って健ちゃんに言われた。いざとなればホスピスに行くんだって意気込んできたはずなのに、全然死にたくない自分がいた。生きたい。生きて、みんなと、楽しいこと、いっぱいしたい。 絵門さんの魂から発せられる言葉。この日記に書かれている絵門さんの気持ちは、すべての人間の原点=魂の意志だと思うのです。

やはりこの本には、大切なメッセージが詰まっているのです。現在は文庫になって全国の書店に並んでいますし、「シルキースペシャル11月号」も書店に並んでいますので、じっくりちゃんと読んでみたいという方には文庫のほうを、気楽に読んでみたいという方にはマンガのほうをぜひお勧めしたいと思います。

●「母への詫び状」(祥伝社)
さて、前回とり上げた「がんとゆっくり日記」で、絵門さんの主な著書はほぼ読み終えたことになります。この半年間、絵門さんの本に癒され勇気づけられ多大なエネルギーをもらってきただけに、「今日から読むものがないのかぁ」と思うと、何だか寂しい気がしてきました。しかし、絵門さんが書いた本はまだあります。共著という形で書かれたものと、「絵門ゆう子」になる前に書かれたものです。絵門さんはまさしく天使のような人。ならば、その人が過去に書いた本も読まない手はない、と思い、「桐生ゆう子」時代に書かれた「母への詫び状」という本と、「池田裕子」時代に書かれた「花どろぼう」という本を読んでみたいと思いました。 …ただ、この2冊は、探してみると非常に入手困難であることがわかりました。「母への詫び状」のほうは、絵門さんの事務所「オフィス梵」で販売しているようなので何とかなりそうですが、「花どろぼう」のほうは… 「無理かなぁ」とあきらめかけた頃、「報知新聞」のサイトが検索に引っかかり、「ん?」と思って開いてみると、なんと2冊とも電子書籍化されて販売されていたのでした。しかもなぜかこの2冊だけ。しかも、そのデータ形式は私が持っている PDAに以前たまたまインストールしていたソフトで読めるものでした。「また不思議なことが!」と思いつつ、早速2冊とも購入したのでした。

というわけで、今回は「母への詫び状」をとり上げたいと思います。この本は、絵門さんのお母さんのがん闘病のことを書いた本で、1996年に祥伝社から出版されたものですが、1994年から約2年にわたって「自然薬健康法」という月刊誌に「新月からのメッセージ」というタイトルで連載された記事がベースになっています。この本を読んでまず思うことは、「がんと一緒にゆっくりと」の副題は「あらゆる療法をさまよって」ですが、「絵門さんはもうこのときすでにあらゆる療法をさまよっていた!」ということです。本当に何ということだろう、と思います。健康食品や健康器具、果ては新興宗教や超能力者まで。絵門さんががんになったとき、なぜあれほどまでに西洋医学を拒絶し、なぜあれほどまでに民間療法に傾倒したのかは、この本を読んで初めてわかるのです。そして、次に思うことは、絵門さんがお母さんを思う気持ちの凄まじさです。「絶対に死なせない!」という執念が溢れています。

雑誌に連載を綴り始めた頃は、ガン闘病にまつわる諸々の出来事や現代の医療への憤懣で、私の心はいっぱいだった。「こんな思いをする人がなくなるように私は書かなくてはならない!」というような義侠心を振り翳して、何かに憑かれたような顔をしてワープロに向かったものだった。あれから二年半……。怒りも悲しみもすべてが流れ過ぎて、書き綴っていたものが、いつの間にか『母への詫び状』になっていた。 こう書いているように、この本には医療に対する不満と不信感が多分に含まれていますが、しかしその背後にあるのは、絵門さんとお母さんの凄まじいまでの強い絆であり、全体としてはがん闘病を通しての母と娘の人間ドラマなのです。実際この本は、「ヒューマン・ドキュメント」となっています。絵門さんのいつもの「明るく前向きに」といった姿勢がこの本にはないため、それがかえって母と娘のやり取りを生々しく伝え、涙を誘うのです。

絵門さんはもともと人一倍強い正義感を持った人。身内や仲間が被害を受けたとなると、ものすごく怒ります。ましてやそれが、生涯で最も愛していたと思われるお母さんとなれば、その怒りは半端ではなくなります。お母さんの体に2度目の転移が見つかったときの「抗ガン剤はやめてください!」「私が必ず母を治してみせます!」と医師に訴える姿はかなりの迫力。さらには、それまで良い状態が続いていたのに「元気になる」と言われて打った注射をきっかけにお母さんの容態が悪化したときは、「日本刀持って、それ担いで、あのエレベーターに乗って…いますぐC大学病院に行って、U先生のこと、突き刺してくる!」と言ったのは迫力あり過ぎです。でも、これはもちろん本気で言ったのではなく、幼い子供が怒って泣きわめくのに近い状態です。これを聞いたお母さんは、「わかった。わかったから… もうちょっと、待ってちょうだい。ママも、許せないって思ってる。ママ、絶対によくなるから、ちゃんと治るから、そしたら、ゆう子といっしょに、ママが日本刀担いで、エレベーターに乗ってあげるから」と言う姿は、まさに幼い子供を諭すお母さんの姿です。

絵門さんとお母さんは共に女性特有のがんになってしまったわけですが、しかしその治療過程はむしろ対照的です。お母さんのがんは早期発見で、その後も従順に病院の言うとおりに手術と治療を受けました。しかし、再発転移を繰り返し、5年後に亡くなってしまいます。その5年間も、抗がん剤の副作用で苦しむ日が多かったといいます。母がいったい何の悪いことをしたというのだろう。… もうこれ以上、母が苦しい思いをするのはイヤだ。絶対にイヤだ!とにかくイヤだ! 抗がん剤のタキソールに耐性ができたとき、なぜ絵門さんが次の抗がん剤を拒否したのか、この本を読むことによってわかってきました。やっぱり絵門さんはわかっていたんですね…

絵門さんはこの時期を振り返って、自分ががんになってからよりも辛かったと言います。このあと絵門さんは、不妊と流産に苦しめられ、そして今度は自身の乳がん…。たしかに“苦しみ”は人間を成長させるものです。しかしこの地球では、与えられる苦しみの量が度を越してるように思います。絵門さんが新たな抗がん剤を拒否したのは、天から「これでもかこれでもか」と与えられる度を越した苦しみに対しての、絵門さんとしての回答であるような気がします。「草原の心拠」のコーナーに書いたように、やはり何か“根本的に”おかしいような気がします。私たちはもう一度、釈迦やキリスト、老子といった人たちの声、あるいは最近ブームになっているスピリチュアルなメッセージに真摯に耳を傾けなければならないのではないでしょうか。絵門さんは、本来あるべき「快適と苦痛が与えられるしくみ」を知っていたからこそ、がんになってもあそこまで輝いていたのだと思います。

釈迦やキリストの言葉が難しくても、絵門さんはとても簡潔に「どうすればいいのか」ということを教えてくれました。ユックたち5匹のうさぎの名前について、「ゆっくり、おっとり、にっこり、のんびり、そしてがんばるっていうことがあれば、すべてきっと上手くいくんじゃないかなって私思ってこの名前をつけました。」 「うさぎのユック」の朗読コンサートで語っていた言葉です。

2006年10月17日

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絵門ゆう子さんに学ぶD「がんとゆっくり日記」

日経新聞に連載されている坂東眞砂子氏のコラムが今、物議をかもし出している。自分が飼っている猫が産んだ子猫を殺しているという内容だ。こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。で始まるから、氏もいろいろ考えた上でのことなのだろう。しかし、どんなに冷静に読んでみても、自分の都合の良い理屈を並べているとしか思えない。はっきり言って屁理屈だ。獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。 この人は「セックス=幸せ」などとでも思っているのではないか。だとすれば哀れだ。子供を産んでも、その子がすぐに殺されてしまうのでは何にもならないだろう。私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。 まったく自己中心的で独善的。特に恐ろしいのは、ただ、この問題(避妊手術を施すかどうか)に関しては、生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。 …コメントする気にもならない。命の尊さをここまで知らない人間が直木賞作家だとはただただ愕然とするばかりだ。直木賞だの芥川賞だのというものはこの程度のものだろう。直木賞と芥川賞の選考結果がいちいち公共放送のニュースで伝えられることは、私は以前から不快に思っていた。

私の実家でも猫を飼っている。私も避妊手術を施すかどうかは考えた。しかし、結局しなかった。確かに、飼い主の都合で子供を産む機会を奪い取っていいものなのかどうか、考えさせられる。だが、それにしても、産んだ子猫を殺すという選択はあり得ないだろう。きちんと結婚させて、一度子供を産んだ後、避妊を施すというのが本筋だろう。 …絵門さんなら何と言うだろう。絵門さんも猫を長年飼っている。二匹とも雌猫だから、避妊についてはいろいろ考えたに違いない。「うさぎのユック」には5匹のうさぎの誕生シーンがある。絵門さんがこのコラムを肯定的に受け取るとは思えない。きっと“ヤンキーのように”「子供が誕生するということがどれほど大変で尊くて神秘的なことか、そんなこともわからねえのかよ!」と怒ったと思う。絵門さんも私も、ゴキブリすら殺さない。そもそも理屈はどうあれ、子猫を殺すという行為を実行できること自体が恐ろしい。

●「絵門ゆう子のがんとゆっくり日記」
さて、気分を変えて、坂東氏のコラムとは対極にある絵門さんのコラムを読んでみましょう。これほどまでに魂の込められた本を今までに読んだことがありません。私は、本を読んでいて重要だと思う部分に出くわすと、傍線を引っぱるようにしています。しかし、この本については、いつものような感覚で傍線を引っぱっていると、ほとんど傍線だらけになってしまうので、“特に重要な部分”に限定して引っぱるようにしました。しかしそれでも、かなり多いです。絵門さんのサイトや著書を読んでいても、このコラムの執筆に相当な時間と労力を費やしていたことが伝わってきます。長年、言葉とジャーナリズムに深く関わってきた絵門さんのプロ魂も遺憾なく発揮されています。「がんと一緒にゆっくりと」の出版後、絵門さんの活動のメインになっていたと言っても過言ではないのが、今回ご紹介するこの「絵門ゆう子のがんとゆっくり日記」(朝日新聞社)です。

このコラムは、朝日新聞の東京版に毎週木曜日に連載されていたもので、 2003年11月6日にスタートしました。そして、この連載が終了する予定はありませんでした。このコラムの最終回は、経過報告は、次回も続きます。で終わっているのです。なんて絵門さんらしい! 絵門さんが亡くなったのは4月3日でしたが、公表されたのは4月6日(木曜日)でした。これは、絵門さんが逝去されたという事実も「がんとゆっくり日記」の中で伝えたい、というご自身の希望だったのだそうです。

●絵門さんの価値観と私の価値観、やはり近い
私が絵門さんに強く共感するのは、その価値観や表現したいことが近いからだと思いますが、それは、「がんとゆっくり日記」に書かれていることと、私がこのホームページで書いてきたことと(比べるのもおこがましいですが)、とても近かったり、中にはほぼ同じことについて書いているものがあることがそれを証明していると思います。たとえば、今年 1月26日の「食材・献血…命支える恩恵実感」では、絵門さんが幼い頃、田舎の家で飼っていた鶏が目の前で殺されて水炊きの食材になるのを見たときのことを振り返って、植物、動物…私たちはいただいた命で自分たちの命を維持している。他の命の犠牲の上でなりたっていて、それがどれほど厳粛なことなのか、生活の節目節目で感じていなくてはならないと思う。と綴っていますが、私も以前、ほぼ同じことをこのコーナーで書きました。また、 2005年4月28日の「昨日より今日、幸せは『相対』的」では、花粉症も楽になり、洗濯物と布団を思い切り外に干した。やっと深呼吸して春が味わえる。花粉でつらかった分しみじみ幸せだ。人の幸せ感というものは、すべて「相対」だとあらためて思う。とありますが、私も「草原の心拠」のコーナーで「私の長年の観察によれば、(いわゆる)幸せというものは不幸が取り除かれたときにのみやって来る」と書きました。

まだまだあります。私は以前このコーナーで、人件費削減のための機械導入は、人間に何の恩恵ももたらさないということを書きましたが、絵門さんも「病院の機械・検査、ほどほどに」で、機械の有用性について疑問を投げかけています。あるいは、「命軽んじる事件、震えて涙出る」乳がんは、強欲に新しい命を望んだ私への天罰だと思った。過去を振り返り、材料を集めては自分を責める作業を始めた。でもやめた。がんになる素晴らしい人はたくさんいるし、がんにならない素晴らしくない人もたくさんいるのだから。と言っているように、ただ弱気になるのではなく、ときに強気になることも必要であることを書いています。私もこのコーナーの「日常の何気ない、きれいな心の風景」などで、同じことを書いてきました。

●本当の幸せ、本当の思い出
そんな中で、「幸せ感」については特に大事だと思うので、詳しく触れてみたいと思います。先ほど触れた「昨日より今日、幸せは『相対』的」には、このようなことも書かれています。(聖路加国際病院に)入院中、謙虚な心で得た幸せ感の方が勝るのだ。あの究極の中で小さな光を見いだしていた時の私は、生きてきた中で最も心の奥がイキイキしていたようにも感じる。 “入院中”というのは、死の一歩手前まで行った2002年初頭のことです。そのときが「最もイキイキしていたように感じる」というのです。とても深い言葉。また、2005年12月22日の「厳しくても良くなる道信じる」にはこう書いています。自宅近くのスーパーを、普段着で、なんのあてもなく歩く。退院して生かされて以降、私にはそんな時間が至福の時になった。目をつぶる。子どもたちの声、アナウンス…店内の平和な音の波。 私はこの部分に特に強く共感します。私も以前、まったく同じ気持ちになったことがあり、今でもスーパーは大好き。私には、このとき絵門さんの魂が絵門さんのかなり表面にまで表れていたことがよくわかります。

これはまさに「うさぎのユック」に通じることですが、本当の幸せとはこういうものだと思います。魂のレベルでは、「生きていることそのものが幸せ」なのだと思います。人はよく、思い出を作るために旅行に行ったり、お祝い事をしたり、記念品を贈ったりと、何か特別なことをしたりしますが、おそらく魂にとってはそういった特別な出来事よりも、むしろ普段の何でもない日常のこと、家でテレビを見ていたり家族と話していたり、近所のスーパーで買い物をしていたりといったことの方がよっぽど素敵な思い出なんだろうなあと、絵門さんの本を読みながら、ふと思いました。 …そう言えば、「うさぎのユック」に書かれていた「一日一日がいのちの記念日」とは、こういうことだったんですね。

●それでも絵門さんは、がんを愛した
それにしても絵門さん、最終回が経過報告は、次回も続きます。なんていう終わり方だと、どうしてもこの続きが気になるというものです。ご主人・健一郎さんのコメントによると、絵門さんの頭の中にはあと2回分の構想はできていたそうですが、残念ながらその原稿は残されていなかったそうです。最終回の内容はそれまでのコラムと明らかに雰囲気が異なっているので、なおさら気になります。 …勝手にちょっと推理してみましょう。

そもそも、この「経過報告」とはどのようなものなのでしょうか。絵門さんは、このコラムや他の著書などでも、ご自身の体調や治療経過などについて折々書いていました。それらと何が違うのでしょうか。絵門さんはこう言っています。(今まで書いてきたことは)それなりにオブラートに包んできた。だが、今回からは報告として、今の状態に至るまでをストレートに書いてみようと思う。 つまり、今までは読者の方々に明るい気持ちになってもらうため楽観的に治療経過を書いてきたが、今回からそれはやめて、それらの暗い部分も包み隠さず書いてみよう、ということなのだと思います。その内容は、聖路加病院を退院してから、その3年後に抗がん剤のタキソールが効かなくなり新たな抗がん剤を提案された時までのことが綴られています。この時点では、著書の執筆や講演、朗読コンサートなどで精力的に活動してきた日々を、振り返ると、あの日々は、「竜宮城に行っていた浦島太郎だったなあ」と思う。と、さすがに少し弱気な顔を覗かせています。

単純に考えれば、この続きは2005年夏ごろ、新たな抗がん剤は使わないことを決断したときからのことが書かれるのでしょう。この辺のことは、前々回ご紹介した「がんでも私は不思議に元気」に、結構ストレートに綴られています。その第六章を改めて読んでみると、こんな一文が目につきます。自分が作ったがん細胞のほうが、理解できない難しい名前がついた、専門家たちが開発した化学物質である薬よりも、共存しやすいのではないかと感じる。 これは「死期が近いのなら」という前提で書かれた文。絵門さんは本当に、自分のがん細胞を信じていたんだなあと改めて思います。がん細胞に愛を注いでいたと言ってもいいくらいです。結局そのがん細胞が更正することはありませんでしたが、しかしそれでも、これこそがんに対する最も正しい治療法だという気がしてなりません。

「不思議に元気」には、2005年の11月ぐらいのことまでが書かれています。その後の続きはどうでしょうか。「がんとゆっくり日記」を読んでいると、「不思議に元気」が出版されたあたりから、絵門さんの体調が悪くなることが読み取れます。年末にひいた風邪は、さらに一気に体調を悪化させたようで、年が明けてからのゆっくり日記では体調の良さを感じとることはできません。12月22日のコラムに、主治医の中村先生から「年明けに、ご主人も一緒に話そう」という話があったことが書かれているので、もしかしたら年明けに、コラムに書かれていないことで何か重要な話などがあったのかもしれませんが、今となってはそれももうわからないことです。ただ、がんという病気をテロリズムにたとえ、攻撃するのではなく、真摯にテロリストの話を聞くことはできないのかと考え、主治医に新たな薬を提示されても、病状が悪化しても、その考えを変えずに貫いた絵門さん。結局、自分のがんを信じ、愛したんだなと思います。本当にすごい人だと改めて思います。

●気分は快晴、「北斗星」の旅
絵門さんが書いた92回のコラムの中でも、私が特に好きなのは 2004年6月10日の「気分は快晴、『北斗星』の旅」です。私が旅行好きであるということもありますが、この時の絵門さんは非常に上機嫌で、本当に幸せ気分で寝台列車「北斗星」の旅を楽しんでいて、読んでいるこちらまで幸せ気分になるのです。というのもこの日、絵門さんはがんの状態を示す腫瘍マーカー(CA15-3)が94という驚異的な低い数値を叩き出し、中村先生も「すごいね、2ケタ台になったよ」と驚くほどだったからです。食堂車で赤ワインをたしなみながらディナーに舌鼓を打つ絵門さんは本当に幸せそう。大地を感じながらのゆっくり旅もがんになったからこそできたこと。だから、やっぱりがんにもありがとう! という言葉で締めくくられています。

「このような素晴らしい本、ぜひ皆さんにも」とお勧めしたいところですが、実はこの本を買わなくても、ゆっくり日記の全92回の内容が絵門さんのサイトで公開されていますので、インターネットのできるパソコンをお持ちの方なら、誰でも見ることができます。ただ、絵門さんの治療仲間である坂本歩さんの素晴らしいイラストは、本でしか見られません。それと、主治医であった中村清吾先生のメッセージが巻末に付されています。絵門さんの治療の日々を振り返って、「永久の命」はありえませんが、何事であれ「一日一生」の思いで取り組めば、「永遠に残るもの」がえられるのだということを教えてくれた気がします。の言葉が印象的です。

2006年8月28日

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