ティーハウス 2003年11月8日 〜 2004年9月2日 掲載分

 


競争社会は必ず崩壊する

競争社会は誰を幸せにするのか

皆さんはオリンピックで盛り上がっていたのでしょうか? 「最低でも金、最高でも金」という有名なセリフがありますが、今回のオリンピックをチラッと見ただけでも、「惜しくも銀」、「残念ながら銅メダル」などなどの言葉が乱れ飛んでいて、私は競争社会の縮図を見ていたようでした。いつの間にか金メダルだけにしか価値がなくなってしまうんですよ。金メダル以外は負け組みになってしまうんですよ(そしていずれは金メダルにも価値がなくなる…)。それから、代表選手を選考する際のゴタゴタ劇、競技の判定をめぐるゴタゴタ劇、ドーピングに関するゴタゴタ劇… 現在の社会と恐ろしいぐらいソックリですよ。「オリンピックは参加することに意義がある」という言葉があるように、もしオリンピック観戦に意味があるとすれば、選手が必死にがんばっている姿を見て、自分を奮い立たせたり、自分も勇気づけられたりすることなのではないかと思うんですが。メダルとか、隣の選手の的に弾を当てたとか、そんなこと関係ないと思います。それにしても、今回のオリンピックの報道の異常な過熱ぶりには、ほんと驚きました。オリンピックに夢中になっていない人は、異常者か非国民扱いされそうです。

三菱自動車の一連のリコール隠しというのがありましたけど、あれこそまさに競争社会の行き着くところだと思います。利益の多さを競う社会なのに、誰が安全だのモラルだのを優先させるんでしょうか。そんなの優先させてたら、負け組みになってしまいますよ。先日テレビを見ていたら、ソニーとか松下といった大企業でも現在は厳しい状況だそうですね。次々に新しいヒット商品を産み出さなければ、こうした大企業でさえも負け組みに転落する下克上の時代だそうです。つまり、そんな大企業でさえヒーヒー言ってるわけですよ今は。としたら、誰が幸せなんでしょうかね。勝ち組みもヒーヒー言ってる世の中で、誰が幸せなんでしょうか?

努力が報われない世の中になってきている

今、特に若い世代において「無気力感」が広がっている、いや、いまや若い世代だけでなく世の中全体を覆い尽くそうとしています。それには二つの要因があると思います。まずひとつは、何もかもが満ち足りていて、一人一人の人間が活躍する場がなくなったということ。たとえば、薬に関する知識と技術を充分に身につけた人がいるとします。昔だったら、その人はさまざまな町や村で活躍できたでしょう。その人を必要とする人がたくさんいるからです。しかし、今だったら単に一人の薬剤師として、どこかの薬局で安い給料で使われるだけでしょう。薬剤師も薬局も、あるいは薬剤師を育てる仕組みも充分整っているので、薬剤師が一人いたところで、特別ありがたくも何ともないわけです。そして、もうひとつの要因は、努力が報われなくなってきたということ。オリンピックで「ドーピング」が問題になりましたが、いずれは検査で検出できないドーピングや「遺伝子ドーピング」なんていうのも出てくるらしいですよ。そして、ここからが非常に大切なんですが、「ドーピングによって金メダルを勝ち取ること」と「死ぬほどの努力をして金メダルを勝ち取ること」とでは、今までなら後者のほうに価値があるとされてきたわけですが、それが最近、前者のほうに価値を認める人たちが徐々に増えてきているということです。つまり、「検査で陽性になんなきゃいいんでしょ」という感覚の人たちです。これはオリンピックだけでなく、世の中全体に広がってきています。「道義的に卑怯な手段であったとしても、法律に引っ掛かんなきゃいいじゃん」という感覚が広がっています。

そして驚くことに、現在の社会の仕組みの下では、そういった人たちのほうがより多くの恩恵を受けることができるのです。モラルや精神性なんていうものを持たなくても、法律に触れない方法を考えればいいわけです。もうここまで書けば「競争社会が必ず崩壊する」理由がおわかり頂けたのではないでしょうか。つまり、道徳性・精神性のかけらも持たない人たちがやがて(もうまもなく)この社会を支配し、そしてさまざまな秩序が崩壊し、いずれは社会全体が崩壊するわけです。

ポスト競争社会を創る

秩序の崩壊というのは何も社会の内部だけで起こるとは限りません。現に、最近の気象の変化を見てください。もちろんこれらは、自己中心的な人間が自分たちの利益のために自然を破壊してきた結果として起こっているわけですが、もうすでに精神性の欠如した人たちが支配的になっているので、「観測が始まって以来最も気温が高くなりました」「平成○年の記録を抜いて、観測史上最長となりました」などと、まるでおめでたいことのように報じていますが、その裏では着実に地球の病状が悪化しているのです。つまり、自然においても社会内部においても、すでに秩序の崩壊は始まっているわけです。東京も、もうまともな人の住む所ではなくなりつつあります。

競争社会は間違ったものではなかったのかもしれません。人類全体の経験として、一時的に必要だったのかもしれません。しかし、もうこれ以上続けるべきではないと思います。これから最も大切になるのは、「ポスト競争社会を創ること」です。今現在無気力な毎日を過ごしている人たち、あなた方はむしろ“まともな”人たちなのですから、もし暇を持て余してるのでしたら、ぜひ「ポスト競争社会を創ること」に手を貸してください。

2004年9月2日

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東京西南部時代

最近エスカレーターでの事故が増えているようです。考えてみると、いつの間にか「エスカレーター上を歩く人は右側、歩かない人は左側」というルールが出来上がってしまったようですね。もともと地下鉄の駅などのエスカレーターしかない(階段がない)場所で生まれたルールだと思うんですが、それがいつの間にかすべてのエスカレーターに適用されてしまったようです。前回書いたように、これもひとつの競争社会の産物で、エスカレーターしかない場所はともかくとして、それ以外の場所でこんなルールに従う必要はないですよ。

それと直接関係があるわけではないんですが、昨今の次々と発生してくる下らない情報や既成概念が、実はある一部の地域、ある一部の人たちから発信されているのではないか、ということをふと感じました。それが「東京西南部」(※)です。日本全体が東京西南部に振り回されてるんじゃないの?と言ったらちょっと大げさかもしれませんが(実は大げさではないんだが)、この異常に過熱した競争社会の中心地が東京西南部であることは間違いないでしょう。日本全国のガツガツした人たちが、この東京西南部に集まっているわけです。そして日本を支配している。東京西南部時代…毎年3万人以上の人たちが自殺し、1万人の人たちが交通事故で亡くなり、すべての人たちが競争に参加しなければならないという、実はとても悲惨な時代かもしれませんよ。

社会がこのまま方向転換せずに突き進めば、環境が破壊され、エネルギー資源も食料もなくなり、地球がやがて“人の住めない場所”になるのは必至なのだから、どこかで方向転換しなければならないことは誰が見ても明らかです。しかしそんな子供でもわかるようなことが、ニューヨークの人たちやロンドンの人たちや東京西南部の人たちに出来るんでしょうか?現在の社会の恩恵を最も受けている人たちに。

やはり私たちとしては、ニューヨークやロンドンや東京西南部から発せられる情報や概念を無視して、今までとは違う方向転換のきっかけとなる場所や流れを作っていかなければならないんじゃないでしょうか。もしあなたが北朝鮮に生まれたなら、やはり今ごろ「マンセー!マンセー!」と叫びますか? 今この日本において、東京西南部において、勝ち組になろうと必死になっている人たちは、平壌で「マンセー!マンセー!」と叫んでいる人たちと何ら変わりないですよ。

※東京西南部:東京都港区・新宿区・渋谷区・目黒区・品川区・大田区・世田谷区を指す。

2004年7月1日

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春うらら … NO MORE COMPETITION !

おかげさまでこのHPは3周年を迎えることができました。これからも相変わらずのマイペースで続けていきたいと思っています。

ご存知の方も多いと思うのですが、3月22日に高知競馬場で「ハルウララ」という馬に、あのナンバー1ジョッキー武豊騎手が手綱を取り大変話題になりました。馬券が全国で発売されたり、グッズが飛ぶように売れたり、映画化の話まであったり、おそらく競走馬としてはハイセイコー以来の、あるいはそれ以上の人気ではないでしょうか?

その数日前、僕は「草原につづく道」の新曲のレコーディングをやっていたのですが、そこで非常に深い話になったので、書いてしまおうと思います。それは、「明るく前向きで積極的で社交的な人が優れている」あるいは「他の人とは何か違う特徴・際立ったものを持っている人は優れいてる」という価値観で今の社会が覆われてしまっているのではないか、価値観が画一的になってますます生きづらい世の中になっているのではないか、という話です。例えば、ある会社の社長が就職のための説明会で、参加している父兄たちに「あなたのお子さんは明るいですか?」と尋ねると、大部分の人が手を挙げるそうですが、「それは大部分の人たちが明るいことは良いことで、暗いことは悪いことだと思い込んでいるからだ」とその社長は言います。実際求人広告などでは、「明るい人歓迎」、「明るい職場です」といった文句はよく見かけますが、「暗い人歓迎」というのは当然のごとくまず見かけません。しかも「不景気」というものがそれを後押しして、世の中にまかり通っている価値観をますます画一的なものにしています。今、引きこもりや不登校、就職しない人などが増えているという事ですが、その人たちは決して異常だとか劣っているわけでなく、この画一的な価値観に拒絶反応を示しているのではないでしょうか。

本来の人間社会では、明るい人は接客や営業、そうでない人は技術者や製造業・農業などと、いろいろな人たちが協力し合って成り立つものではないでしょうか。

そうではなくなってしまった背後にドーンと構えているのが「競争社会」です。競争社会では、金品や名声に貪欲な人や前向きでバイタリティー溢れる人など、とにかくガツガツした人がそのピラミッドの上の方に行きますから、やがてそういった人たちに支配されることになります。今現在の社会をよく観察してみてください。ガツガツした人たちが経営者だったりリーダーだったり○○長になっていて、そうでない欲の少ない、心の面から言えばむしろきれいな人たちがそういった人たちの言いなりになって働いている、とは思いませんか?

100戦以上走って、まだ一度も一着になったことの無いハルウララがここまで人々の共感を得るのには、実はかなり多くの人たちがこの競争社会にすでに疑問を感じ始めている、という背景があると思います。事実、武豊騎手が乗っても、多くの人たちが「勝ってほしくない」と言っています。

不況の時代に入ってから「勝ち組」だの「負け組」だのという言葉が頻繁に使われるようになりましたが、いやいや本当にバカバカしい。ガツガツした人たちに世の中を取られてしまったんですから、そうでない人たちはそれを強引に取り返しても一向に構わないと思いますし、少なくともそういった人たちの言いなりにならない、そういった人たちを無視する、という姿勢でも良いと思います。競争社会に合っている人たちは豊かな暮らしをし、競争社会に合わない人たちは苦しい生活を強いられる。それが良いか悪いかはこの際置いておくとして、僕はそんな社会が嫌いです。僕は“NO MORE COMPETITION !”を掲げたいと思います。ハルウララを競走馬だと言っているのは周りの人間たちだけで、ハルウララ自身は勝つ気なんて毛頭ないんですよ。

3月22日付のワシントンポスト紙も、日本のハルウララ現象に注目し1面で取り上げたそうです。日本の地方紙がハルウララの連敗を伝えてからブームに火が点き、“世界で最も厳しい競争社会”である日本で、負け続きの馬が国民の心をつかんでいる。(ワシントンポストの記事を引用した東京新聞の記事を引用)

2004年4月10日

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回帰 静観

先日、図書館へぶらぶらと出かけたら、貝原益軒著「養生訓」なる本に出会いました。1713年頃つまり江戸時代に書かれた本なのですが、これがとてもおもしろい。身体は日々少しずつ労働すべし。久しく安坐すべからず。毎日飯後に、必ず庭圃の内、数百歩静かに歩行すべし。といった具合に、毎日をどう過ごすと健康に良いか、事細かに書かれています。この本が現代の一般的な健康に関する本と決定的に違う点は、物質的・肉体的側面から書かれているのはもちろん、精神的・心的側面からも書かれているという点です。養生の術は、先づわが身をそこなふ物を去るべし。身をそこなふ物は、内欲と外邪となり。

かく言う私は、長年の不規則な生活、緊張感の無さ過ぎる生活がたたって、ここ数年はだいぶ自律神経失調気味だったんですが、先月から規則正しい仕事に就いたことと、この「養生訓」に出会ったことでとても落ち着いてきたように思いますし、この先はどんどん健康的な生活になって行くのではないかと思います。今までは、物質的に豊かなときは精神的な面で疑問を持っていたり、逆に精神的に満足できる状態のときは物質的な面で問題があったりと、なかなか落ち着いた生活にはなれなかったのですが、ここへ来てようやく落ち着いた生活ができるようになるのかなぁと思っています。これには前回書いたこととも関係がありまして、やはり周囲・社会をある程度“冷たく突き放す”ことによって可能になったと思います。そういう意味では、「養生訓に出会ったから落ち着いてきた」のではなく、「落ち着くときが来たから養生訓に出会った」と言った方が正確かもしれません。同時に、グリーンハートパークの価値観は正しいという自信を持つことですね。これからは、周囲に物申さず、周囲から影響を受けず、淡々と静観したいと思います。

それともう一つ、規則正しい仕事に就くことができたことも大きな要因だと思います。これは意外なことに、今までできるだけ避けてきた「東京」をもう一度見つめ直すことによって出会うことができました。今まで避けてきたのですが、今年は何となく、自分の生まれ故郷でもある東京を見つめ直そうと思いました。今年は“自分の原点に帰る”、そんな気がします。

2004年3月9日

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生き抜くための知恵

大晦日は特に用事もなく上野公園へ、元日は都内の神社へ初詣。二日とも穏やかな天気で、のどかな年末年始を過ごしました。その前の12月29日、「草原につづく道」を一緒にやっているwater_worksさんと「新曲制作の打合せ兼忘年会」が千葉県某所にて行なわれたときのこと。water_worksさんはのっけから「オレは利己的になった」「オレは前とは別人になった」と言い、さらには「自分は最高の人間で、周りがオレに合わせるべきだ」などと言い放つのです。もちろん半分は冗談ですが。そのときは僕もあっ気にとられて聞いてたわけですが、帰りの電車内で、かねてから悩んでいたことに関して一つの重要な答えが見つかりそうだという強い予感を感じました。

このHPでは開設当初からやさしさ、きれいな心、イーハトーボ、無為自然などと言ってきましたが、しかし実際にそういったことを保ちながら社会的生活をどう営んでいくか、それが僕にとってかねてからの大きな問題でした。今回のwater_worksさんの発言は、その問題に対しての答えを導き出すものでした。ただしwater_worksさんの発言は過激な発言でもありますので、年末年始、慎重に熟考しました。その結果、社会的活動を行なうときにはwater_worksさんの考え方を取り入れることが、この先この社会を生き抜く上で非常に有効な手段になるという結論に達しました。具体的にまとめてみると、次のとおりです。

社会的な活動を行なうときに必要なこと(考え方)
 ・「自分は絶対に正しい」という自信を持つ(根拠はなくてよい)
 ・周囲にどう思われようと、気にしない
 ・冷淡さを持つ
 ・利己主義
 ・非常に冷静に且つしたたかに

また、これらを実践する上で二つの見極めが大事になる
 ・「敵/味方」の見極め
 ・「私的な活動/社会的な活動」の見極め

社会はやさしくない、イーハトーボとはまったくかけ離れた世界、人為不自然な世界です。そんな中で無為自然の生活をしようとしても土台無理ですし、やさしさをもって接してもエネルギーをすり減らして疲れるばかりです。上記のような考え方を持たなければ生きてゆけないというのは何とも悲しい社会ですが、これからも無為自然とイーハトーボをいつも心の中に置いておくことが大事だと思います。water_worksさんは「Tubaとは袂を分かつ」と言っていましたが、僕から見ればこれは同じ苦しみから生まれた「生き抜くための知恵」だと思うのです。

とにもかくにも、新しい年を迎えるにあたって、今までずっと立ちはだかっていた障害物に対して突破口が開きました。今年は「物質的な面で飛躍する年」と行きたいと思います。

2004年1月3日

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しあわせセット

(今回は童話風の物語です)
第23回「小さな童話大賞」(毎日新聞社主催)に出品しました

ある日、逸郎は目が覚めると、きらきらした霧のかかった、不思議な商店街の中にいました。そこは人通りもそれほど多くなく、街並みもきれいで、逸郎はなんだか良い気分になりました。目の前には「ライフバーガー」という名前のファーストフード店があり、店の案内やメニューを見ると、どうやらそこは普通のハンバーガーを売っているのではなく、今までに見たことのない不思議なハンバーガーを売っているようなのでした。逸郎は、自分が今いる場所が変だと気づくよりも、そのハンバーガーに興味津々で、少し興奮しながら店の中へ入りました。

店内のメニューには「並セット」、「楽々セット」、「ラッキーセット」、「幸せセット」と大きく書かれていました。逸郎は、並セットのハンバーガーを食べるとしばらくの間平凡な生活になり、逆に幸せセットのハンバーガーを食べるとしばらくの間幸せな生活になる、ということがすぐにわかりました。「こっ、これはすごい!」と思わず心の中で叫びましたが、すぐにカバンも財布も持っていないことに気がついて、顔が青ざめました。「この機会を逃したら、いつまたこの店に来られるかわからない」と思うと、必死になってポケットの中に何か入っていないか探しました。すると、ズボンの前ポケットの中から500円玉が出てきました。逸郎はまたまた必死になって、今度は幸せセットの値段を見ました。メニューには「450円」と書かれていました。逸郎は心の中で「おぉーっ、買える買える!!」と言いながら胸を撫で下ろして、小走りにレジの前のお客さんの列に並びました。興奮で心臓がドキドキしていたので、「ふぅーっ」と一回深呼吸をしました。

もう一度、何気なくメニューをよく見てみると、幸せセットにはフライドポテトも付いてるようなのでした。ハンバーガーが幸せを呼ぶハンバーガーなら、ポテトは一体何なのだろう…、と気になりました。店内をキョロキョロと見渡してみると、横の壁に幸せセットのポスターが貼ってあり、ハンバーガーの写真の下には「幸せバーガー」と書かれていました。そして、フライドポテトの写真の下にはなんと「不幸のポテト」と書かれていたのです。同じように、ラッキーセットにはアンラッキーポテトが、楽々セットにはヘトヘトポテトというものが付いているのでした。逸郎は頭が混乱しました。何でこんな組み合わせでセットになっているのか、ポテトのほうは食べなくても大丈夫なのだろうか、などなどいろいろ考えましたが、「でも、ハンバーガーだけでも売ってくれんじゃないか」と少し期待しました。

いよいよ逸郎が注文する番になりました。「いらっしゃいませ」と店員が言いました。逸郎は思い切って、「幸せバーガー、ひとつください」と言ってみました。すると店員は「…幸せセットですか?」と聞き返しました。逸郎は「いや、幸せバーガーがほしいんですが…」と言いましたが、店員は不思議そうな顔をして少し考えたあと、「あいにくハンバーガーだけの販売はできませんが…」と言いました。周りにいた人たちも不思議そうな顔でチラチラとこちらを見ていました。逸郎はなんだか恥ずかしくなって、「あ、じゃ、えーと…」と言って少し考えたあと、「並セットください」と言いました。

並セットは並バーガーと並ポテトがセットになっていました。店内で食べ始めた逸郎は、「やっぱり大しておいしくないな」と思いました。そして、ようやく自分が見知らぬ場所にいることに気がついて、急に不安になってきました。食べ終わって店を出た逸郎は、早歩きで商店街を歩いていると、いつのまにか自分の住んでいるいつもの街に戻っていました。

2003年11月8日

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