夏の風景
前回更新したときは「これから暑くなるのかな?」と思っていたんですが、結局は冷夏になってしまいましたね。それに対してヨーロッパなどでは異常な猛暑。ちょっと嫌な予感がします。ただ、涼しかった分、電力消費量もかなり少なかったようで、また、都市部の「ヒートアイランド現象」も抑えられたようですから、そういう点では良かったんでしょうか。
今年の夏は高校野球を少し見てました。というのも、小学生のころ高校野球が大好きで、しかも当時は茨城県に住んでたものですから、今でも茨城県を応援してしまうんですね。当時は茨城勢はなかなか上位へ行けなくて、いつも悔しい思いをしていたんですが、そんなときに現れたのが木内監督率いる取手二高だったんです。なんと桑田、清原両選手がいるPL学園を破って優勝したときには、跳び上がって喜んでました。今年はその木内監督が最後ということで見ていたんですが、本当に優勝してしまうとは! もう「すごい!」の一言です。
高校野球を見ていて一番印象的だったのは、大差をつけられて負けているチームが9回最後の攻撃に向かうとき、なんとも言えない清々しい表情をしているんですね。「もうこれで甲子園を去るんだな」っていう感じで… 人間って「まだどうにかなる」と思っているときはむしろ清々しいのとは逆の状態にあるんですけど、「もう完全にどうにもならない」と悟ったときはすごく清々しいんですよね。イタリアの古い映画に「道」とか「カビリアの夜」という名作があるんですけど、その主人公が最後に浮かべるなんとも言えない微笑ととても通じるものがあって、思い出しました。
木内監督が地元に凱旋したとき、「これからはいちジイサンに戻りたい。パンツ一枚で扇風機にスイカっていう夏がいいんだけど、なかなかそうもいかないかなぁ」なんて言っていたのが印象的です。先日テレビのドラマを見ていたら、それは東京の下町が舞台だったんですけど、昔ながらの家で縁側があって、風鈴があって戸が全部開いていて、扇風機が回っていて… というシーンが出てきて、とても心が和みました。以前「みどりの森」のコーナーでも書いたんですが、“気持ちの良い風景”っていうのは北海道だったりヨーロッパの風景だったりするかもしれませんが、心が和む、ホッとするような風景っていうのは、普段見慣れている風景に勝るものはないですね。おそらく誰にとってもそうなんじゃないかと思います。
2003年9月10日
イーハトーボと無為自然
こんにちは。いかがお過ごしですか。前回は「これから暑い日が続くと思いますが…」なんて書いてしまったんですが、実際には全然暑くならなかったですね。考えてみるとこんな感じが本来の夏でしょうか? ここ数年、6月に猛暑になるというパターンが続いていたので身構えていたのですが、今年は梅雨らしい天気が続いてかなり涼しかったですね。
さて、今年の4月に「草原につづく道」のコーナーで新しい曲「世界一素晴らしい草原は僕の心の中にある」という曲を公開しましたが、聴いてくれましたか? 興味ないですか? フルコーラス聴いてくれた人はわかると思うのですが、曲の最後にドアが「バタン!」と閉まる音が入っていますが、これには「もうこんな時代には自分の心の扉を閉ざしてしまえ!」という意味があるような気がしています。「自分の殻に閉じこもる」というのは普通悪い意味で使われますし、「心を開いて…」なんていうのは歌の文句にもさんざん使われているくらい良い意味で使われますが、果たしてどうでしょう… 今この雑然とした時代に…
「心を開く」というのはゴミや汚物がたくさん入り混じった汚水を自分の中に取り込むことを意味しているような気がします。それは悪いことではないかもしれませんが、僕自身はそれに価値があるとは思えません。「もうこうなったら、自分の好きなことだけに焦点を当てよう」というのが、今の僕の基本的な姿勢です。もう堂々と明るい気持ちで自分の殻に閉じこもろうというわけです。 …ちょっと極端な言い方になりましたね。もちろん、自分の殻に閉じこもって好きなことをやっているだけではダメだということもわかっているつもりです。ですので正確に言うと、仕事(または義務的なこと)をやるときには心を開いて、それ以外の私的な時間は心を閉ざして、ということになるでしょうか。
これが案外良い効果をもたらしているようです。最近は仕事も落ち着いた状態になり、時間に余裕が出てきたので読書などしていますが、主に宮沢賢治に関する本と、あと読みかけになっていた「老子」を再び読んでいます。どちらも本当に良い内容で心が穏やかになります。あと前回お話した「旅の手帖」の最新号も買いましたよ。
逆に言うと、自分の殻に閉じこもらない、心を常に開くことによって惨々傷めつけられてることに気がつかないっていうのはとても危険だと思うのですよ。それが悪循環を引き起こして…。自分の殻に閉じこもるには、自分の心の拠り所が必要です。だからこそこれからは一人一人が心の拠り所、自分なりの哲学を持つことが絶対に必要になると思います。「衣食住哲」です。
僕自身にとっては、それは老荘思想や禅の思想、そして宮沢賢治の思想などが心の拠り所として確固たるものになってきました。そして、そういった幾つかの拠り所から「イーハトーボ」と「無為自然」というふたつのキーワードが浮かび上がってきました。C.W.ニコル氏曰く、「僕は賢治が、あと100年・200年経つと、日本の作家の中で最も愛される存在になると思うんですよ」(林由紀夫著「宮澤賢治フィールドノート」集英社)。僕もそうなることを祈っています。
2003年 7月27日
日常の何気ない、きれいな心の風景
これから暑い日が続くと思いますが、皆さんいかがお過ごしですか? 実は今、この更新をもって最終回とするつもりで文章を書き始めたんです。「僕の日記を書いたところで、意味ないだろうし…」なんてことで、最近は時事ネタ中心の重たい話題が多くなっていたのですが、そんな日記を書き続けて「果たしてどうなの?」という疑問が常にあったんです。そこでいっそのこと、もう最終回にしようと思って書き始めたのですが、「そもそも最初はどんなことを書こうと思ってこのコーナーを始めたんだっけ?」と初めのころを思い出してみると…、実は「日常の何気ない、きれいな心の風景」を書こうと思って始めたのを思い出しました。つまり、すっかり忘れて、違う方向に来てしまっていたわけです。
というわけで、改めて初心を想い起こして、これからも続けていきたいと思っています(誰も期待していないと思いますが…)。隔月更新というのもやめて、これからは随時更新したいと思っています。よろしくお願いします。
先日「旅の手帖」という雑誌を買ったんです。最近はひとり旅に興味があって、今回ちょうどひとり旅の特集だったのです。うーん、なんと言うか…、こういう雑誌はいいですね。聞く所によると、この手の雑誌は年輩の人向けだそうですが、非常に内容が落ち着いていて、広告も少なく…。旅行雑誌というと大抵、旅行客の出かけそうな所、今なら沖縄とか東北3大祭りとかが特集として組まれてたりっていうのが多いのですが、旅の手帖はそうではなく、まったく独自のスタイルで「沖縄もいいですけど、信州の飯山あたりもいいですよ」っていう感じで、かなりマイナーな場所もたくさん紹介されています。
普段よく目にする雑誌でいつも気になるのが、ラフな言葉遣いやイラスト。「うにょにょ〜!これが編集部ガッツ山田の裏技なのだー!」みたいに書いてあって、その横に変なイラストが描かれていると、正直言ってとても興ざめするときがあるんですが、旅の手帖ではもちろんそんな表現も一切なく、至って落ち着いています。最近はこういった落ち着いた雰囲気で独自のスタイルを保ったものが少なくなってきましたからね、旅の手帖のような雑誌には末永く続いてほしいです。
初心を忘れず、あるいは良い時の状態、きれいな心を保ったままそれを維持し続けるというのは、本当に難しいことだなと今回改めて感じました。きれいな心を維持するには“弱さ”、つまり自信過剰になったり傲慢にならず、謙虚さを持つことが非常に大事だと思うんですが、どうもその“弱さ”だけではダメなようで、最近は“強さ”、つまり自分に降りかかってくる不当な力、邪な力は断じて撥ね退けるということも必要だと感じています。そういった意味では、このグリーンハートパークも謙虚さを持ちながら、同時に独自のスタイルをこれからも貫いて行きたいと思っています。
余談になりますが、近々このHPを一部改編しようと思っています。まずこのコーナーを随時更新にすることは先ほども触れましたが、その他に、このコーナーで重たい話題を扱わない代わりに、“精神的・哲学的な拠り所”をテーマにした新コーナー「森林の泉」(仮)を開設したいと思っています。利用者の少ない「コミュニティ・ガーデン」は新コーナーの開設と同時に廃止する予定です。ご利用ありがとうございました。
2003年 6月28日
戦争・洗脳
前回の更新から今日までの間に、戦争が始まり、そして終わろうとしています。この戦争が良かったのか悪かったのか、僕にはわかりません。が、ひとつだけここに記しておきたいことがあります。これは僕が以前から知っていたのではなく、最近の報道の中で知ったことですが。
フセイン政権は1979年に発足したそうです。翌年にはイランとの戦争が始まりました。当時のイランは非常に反米色が強かったため、アメリカはイラクに軍事的な支援を行ないました。1983年にはレーガン大統領の特使としてラムズフェルド氏がバグダッドを訪問し、フセイン大統領と会談しています。アメリカはこのときイラクに対し、化学兵器や生物兵器の製造技術と必要な材料を提供しました。 …現在、アメリカ政府がこういったことには触れず、テロ撲滅、大量破壊兵器の破棄、イラク市民の解放などといったことばかり強調しているのは、本当に不誠実だと言うほかありません。
不誠実であると同時に、私たちの心理をコントロールしようという意図がうかがえます。マインドコントロールとか洗脳というのは、何もイラクや北朝鮮だけでなく、アメリカや日本でもその他の国でも日常的に行なわれているものです。洗脳というのは、洗脳されている人が「私は洗脳されている」と気づいているなら、それは洗脳とは言いません。それと、洗脳する側も「洗脳している」という意識は往々にしてないものです。
僕の好きなある本に、こんな一文があります。「あなた方は少しずつ条件付けられつつある。」と… 例えば、銀行へ行けばATM、駅へ行けば自動券売機に自動改札機、スーパーやコンビニに行けばPOSシステムのレジ…、これらは確かに便利なものですが、ひとたび故障や停電に見舞われれば大混乱になります。この大混乱というのは、30年前には存在しなかった大混乱です。「そんな大規模な停電なんかあるわけがない」なんて思ったとしたら、そんな人こそ洗脳に気をつけてください。日本のすべての原子力発電所は運転を停止し、今夏には本格的な電力不足がやってきます。携帯電話はそんなに必要なものですか? 私たちは携帯電話を手に入れたために、携帯電話を持ったか、電話やメールがなかったか、マナーモードに切り替えたか、バッテリーの残量は大丈夫か、一日に何回気にしているでしょうか。しかも月々結構なお金を支払いながら。
前出の本には、次のようなことも書かれています。「一億の国民がいる国でわずか千人程度の人数に過ぎない資本家グループが、残りの人々の運命を決定するということは道理に反したことです。」 …僕もこれにはまったく同感ですが、残念ながら多くの人々はこのことに気づいていません。私たちの「洗脳されやすさ」には驚くものがあります。僕は何年か前に、一緒にいた周りの200人もの人が三日間のうちに次々と洗脳されてゆく“壮絶な”光景を目の当たりにしたことがあるので、このことについては機会があったらまたお話したいと思います。
先日、統一地方選挙が行なわれました。よく「一票の重み」などと言いますが、本当に一票の重みを感じたことがある人、いらっしゃいますか? 僕の住む選挙区では、結局大きな宗教団体が推す立候補者と、地元経済団体が推す立候補者が三位以下に大きな差をつけて当選しました。投票率は低かったので、たしかに棄権したすべての人が投票所に足を運んでいれば結果は変わったかもしれません。が、それは「6万票の重み」と言って欲しいものです。
さて、このHPはおかげさまで開設から2周年を迎えました。今までアクセスしてくださった方、そしてこれからアクセスしてくださる方、本当にありがとうございます。今までは、思ったこと・思っていることをただ書いてきましたが、これからは少しずつ実践に移していきたいと思っています。みなさんも知らず知らずのうちにかけられているマインドコントロールには充分ご注意ください。マインドコントロールにかからないためには、自分の内面を磨く(成長させる)必要があると思います。企業などにコントロールされて、仕事(勉強)と消費と恋愛ばかりに耽っていると、いつまでも本当の意味での“成長”はありませんよ。 …僕も初心を忘れないよう心がけたいと思います。
あと、タマちゃんがうちの近くへやって来ました。まだ会っていませんが、上の写真はタマちゃんが現れたという所から程近い中川の写真です。タマちゃんが現れる20日ほど前に撮りました。写っている橋は現在建設中の「つくばエクスプレス」の橋梁です。そのうちタマちゃんにお目にかかれるといいのですが…
2003年 5月1日
タイプB社会
最近本屋さんへ行くと、A4より少し大きいサイズで全体35ページ程度と薄っぺらく、値段もだいたい\560くらいの雑誌が流行っていますね。内容は、最初は確かパソコンの学習とか他にもいろいろあったと思うんですけど、最近は「日本遺産」とか「古寺をゆく」「ふるさとの民話」「鉄道の旅」など日本的で癒し系のものが売れているらしく、かなりの数が並んでいます。僕も好きで、結構読んでいます。今、この手の雑誌が受けているのはなぜなんだろうと考えてみると、値段が手頃であるとかコレクション性があるとか理由はいろいろあると思うんですが、もう一つは写真がメインになっていて文章が少ないということ、つまり絵本に近いというのも大きな理由だと思いました。そろそろ情報化社会にうんざりしている人も多いのではないでしょうか。
そんなわけで、個人的には新聞というものも特別必要なものとは思っていないのですが、そんな新聞も肩の力を抜いてパラパラと見ていると、ときどきおもしろいことが書かれていたりして、そんなときはとりあえず手元に取っておくのですが、それがここ2,3ヶ月の間にいくつか溜まってきたので、今回はそんな新聞の中の印象深い言葉を、取り留めなくご紹介してみたいと思います。
米国の十代の男女間で結婚まで性行為を控える傾向が強まり、新たな性革命が進行中−と二日発売の米誌ニューズウィークが報じた。結婚まで「純潔」を守ろうとする若者の風潮について同誌は「気楽に性行為に走る親の世代の風潮を拒否し、視聴率を稼ぎ、製品を押し売りするため日常的にセックスを利用する主流メディアと明白に対立する新たなカウンターカルチャー」と位置付けた。 <12月2日夕刊>
うーん、いいですね、この動き。そのうち日本でも、こういう時代が来ると思います。
「七つの社会的罪」 Seven Social Sins
1.理念なき政治 Politics without Principles
2.労働なき富 Wealth without Work
3.良心なき快楽 Pleasure without Conscience
4.人格なき学識 Knowledge without Character
5.道徳なき商業 Commerce without Morality
6.人間性なき科学 Science without Humanity
7.献身なき信仰 Worship without Sacrifice
<1月25日 山田養蜂場の広告>
「七つの社会的罪」はインドのガンジーの言葉だそうです。しかし今の社会では残念ながらその多くが守られていないと思います。この広告にはもう一つガンジーの言葉として印象深いものが書かれていました。 「善きことはカタツムリの速さで動く」
本当の愛には苦しみはない。苦しみある愛は利己心なり。
<1月25日運勢欄>
「なるほど!」と思いました。
今は一億総評論家ではないか。テレビを見ていると本物の評論家と街の人の意見がそっくりなことがよくある。街の人がカメラを意識するためなのかもしれないが、テレビを繰り返し見るうちに評論家になってしまうのかもしれない。<2月1日筆洗>
社会全体的に理屈っぽくなってきているのと、一人一人の自我(エゴ)が肥大化して、何に対しても自分の意見というものを持つようになってしまった… これはこのHPでも気をつけなければいけないことですね。不必要な評価はできるだけしないようにしたいと思います。不必要な評価はさまざまな害を生み出します。
一般に病気と性格の関係では、たとえば狭心症や心筋梗塞などを起こしやすい性格傾向とか行動様式があるといい、これをタイプA行動パターンと呼んでいる。具体的に言うと、性格面では攻撃的、野心的、競争的。行動面では機敏で、せっかちで常に時間に追われ、多くの仕事を抱え込む猛烈社員型。タイプAと反対のおっとり、のんびり型のタイプBの人に比べ、心筋梗塞などの虚血性心疾患に二倍かかりやすい。<2月2日サンデー版>
しかし今の世の中、タイプA向きの世の中ですよねぇ。というか、社会全体が「タイプA社会」ですよね。タイプBの人、タイプAに惑わされることなく、マイペースで生きて行きましょう。そして、ゆくゆくは「タイプB社会」を作りましょう。 (…「タイプB社会」ってちょっとおもしろい言葉ですね。これから頻繁に使っていこうかな…)
<引用はいずれも東京新聞から>
そういえば、人類が地球温暖化によって滅ばないためには水素エンジンで走る自動車の普及が絶対に必要だと思うのですが、先日アメリカのブッシュ大統領は、この水素エンジンの開発に積極的に取り組むことを発表しました。イラク問題が絡んでいるとは言え、最も水素エンジンの開発に消極的だと思われたブッシュ大統領がこのような発言をしたのは本当に驚きで、歴史的なことだと思いました。
2003年 3月3日
除夜の鐘
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。年末年始はいかがお過ごしですか? 僕の場合は、様々な人間模様を見たような気がしています。クリスマス・・ 一年のうちで最も“聖なる日”と言われながら、実際は最も俗なる日になってしまったようですが・・ 「クリスマス」といったら何を連想するでしょう? サンタクロース、トナカイ、雪、ケーキ、七面鳥・・・ 本来主役であるはずのイエス・キリストを思い出す人は少ないのでしょうね(日本では)。僕も初めて聞いたのですが、クリスマスとは「キリストのミサ」という意味だそうです。
忘年会などの場に居て、ひしひしと感じ取れるのは、みんなの一生懸命盛り上がろうとする空気です。特に最近の若い人たちは、テンションの高い状態を良しとする向きがありますね。私たちは、グーンとテンションを上げることによって一体何をしようとしているのでしょうか。僕には、何かを変えよう、何かを打ち破ろう、としているように見えます。何かを打ち破りたいんだけど、打ち破れないので、そのストレスを発散している、と言った方が正確かもしれません。ですが、いずれにしても、どんなに酒を飲んでテンションを上げても、残念ながら何も打ち破ることはできません。
もっともっと自分自身についていろいろと知るべきだと思います。「一人一人がダイヤモンドの原石を持っている」、「自分の中に内なる神がいる」という言葉を聞いたことがある人もいると思います。僕もそのとおりだと思うのですが、最近思うのは、そのダイヤモンドのまわりについている汚れは一体何なのでしょうか? 内なる神を覆い隠しているのは一体何なのでしょうか? ということです。そちらにスポットを当ててみましょう。
除夜の鐘は聴きましたか? 除夜の鐘は身に染み着いてしまった煩悩を取り除くために 108回つきます。人間にはなぜか、欲望に強く誘惑されるという性質があります。これが煩悩です。欲望とは決して汚いものだけではなく、「〜したい」「〜が欲しい」というものはすべて欲望です。なぜこんな性質があるのかは本当に謎ですが、アダムが禁断の果実を食べてしまうという聖書の一節に、その鍵が隠されているような気がします。まぁ、それはさておき、もし私たちに何か打ち破らなければならないものがあるとしたら、それは自分の中に潜む「欲望に駆りたてられる性質」です。
今の若い世代の人たちは、真剣に自分自身を見つめ直している人も多いと思います。そして、そういった人たちが深い孤独感の中で毎日を過ごしていることも知っています。でもどうか、焦ったりやけを起こしたりしないでください。例えまわりのすべての人が逆だと言おうとも、川は常に水源から海に向かって流れるのですから、そのまま自分を磨く生き方を続けてください。
2003年 元旦