ティーハウス 2001年4月10日〜9月7日掲載分

 

火垂るの墓 (9月7日)
「火垂るの墓」という映画を(テレビで)観ました。以前にも観たことがあるんですけど。戦時中を生きる幼い兄妹の話です。悲しい結末を知っているせいか、最初から最後まで涙が止まりませんでした。当時はやっぱりひどい時代ですね。何らかの形で戦争に協力しなければ非国民扱いですし、隣組に参加しなければ配給ももらえない。

あれから50年以上経って状況は変わった・・・ んでしょうか? 武力の戦争は終わったけど、それが経済の戦争に変わっただけという気もする。今も何らかの形で経済競争に参加しなければダメ人間扱いですし、もちろん配給(給料)ももらえない。怖いと思うのは、今置かれている状況に対してほとんどの人が疑問を抱かないところです。戦時中は戦争していることに対して、やはりほとんどの人が疑問を持っていませんでした。

そういえば「パールハーバー」という映画がアメリカ本国ではヒットしていないのに、日本ではヒットしているようです。本来逆のような・・・。アメリカでお金をかけて作られた映画は、この国では必ずヒットするようです。これも軍国教育ならぬ「財国教育」の成果でしょうか。

高度経済成長期がアジア南方への進攻、バブルの絶頂期がちょうどシンガポール陥落の頃だとすると、現在は連合軍が沖縄に上陸してきた頃でしょうか。こんな時代だからこそ、最近は自分自身を見つめ直す人たちが増えてきていると思います。意外と近いうちに終戦を迎えるかもしれない。そう祈ります。戦争も競争も、人を幸せには出来ないので・・

【9月15日追記】
9月11日、また悲しい「争いごと」が起きてしまいましたね。犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。

第三次世界大戦については何も語れないが
第四次世界大戦についてはひとつのことが言える
それは起こりえない
アインシュタイン

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バランスの良い人 (8月22日)
ここ最近は、感情的に大きく揺れ動くような出来事が続きました。かなり自信を失う出来事もあって、自分が今までにやってきたことをもう一度見直さざるを得ませんでした。そして、いろいろ反省すべき点も見つかりました。いつの間にか自分をいろいろと規定していたり、自分の中に余計な旗を立ててはそれにしがみついたりしてたんですね。

自分自身を規定せず、もっと自由にさせておかなきゃいけないなと思いました。何かに偏ったり、何かを決めつけたりしない「バランスの良い人」になりたい。 ・・・自信を失ったときは、自分が今までにやってきたことをすべてやめてしまいたい気持ちにもなりましたが、たまたまテレビを見ていて、自分が「こういう人たちは幸せなはずだ」と決めつけていた中にも、たくさんの不幸な出来事が起こっていることを知ったとき、そんな気持ちが愚かしく思えました。

かといって、また「バランスの良い人」に強くこだわっているとそれ自体が自分を規定することになるので、ほどほどにしないとね。

失敗を重ねるごとに視野が広がって、身も心も軽くなっていくのが何となくわかります。これからもゆっくりコンスタントに歩いていこうと思います。再び青空が広がることを祈りながら・・・

「人生はすべて美しく幸せだ」というように思って暮らしていると
日々の生活で起こるささいな出来事にもイライラしたり
ちょっとした変化にも気がつかないことが多くなったりして
生活全体が品のない薄っぺらなものになるものだ。
「ほんとの自分に戻る115のヒント」より

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江戸川のカッコウ (8月6日)
カッコウの鳴き声ってとてものどかな感じがしませんか? 小さい頃から一度でいいから本物の鳴き声を聴いてみたいと思っていました。しかしなかなかいないんですよねぇ。うちの近くはもちろん、旅行で山とかに行ってもほとんど聴くことができません。尾瀬に行っても駒ヶ根に行っても、志賀高原でも聞けませんでした。信州の上高地に行ったとき、遠くの方でかすかに聞こえたくらいです。

うちの近くには江戸川という大きな川が流れています。「矢切の渡し」や「寅さん」でお馴染みの川です。東京、千葉、埼玉の県境を流れています。ある日、この川沿いを自転車でぶらぶらと散歩していたとき、どこからともなくカッコウの鳴き声が聞こえてきたんです。最初は耳を疑いました。でも明らかにカッコウの声でした。僕は次に、スピーカーを探しました(笑)。市役所のほうで何か洒落た演出でもしているのかと思ったんですが、スピーカーはどこにもありませんでした。どうやら河川敷の雑木林で本当に鳴いているようです。しかも一羽ではなく、複数で鳴いていました。思わず近くまで行ってみたのですが、逃げることもなくそのまま鳴いていてくれました。

高原とか山の奥深い所まで行かなければ聴けないと思ってたんですが、こんな所にもいるんですねー。長年、どこへ行っても聴けなかったカッコウの声を、自分のうちの近くで初めて聴くことになるとは・・・ 本当に意外でした。住宅地でも、探してみると結構いい場所があったりするんですよね。

多くの人々が幸福を求めている姿は
帽子をかぶっている人が帽子をさがしているようなものだ
ニコラウス・レーナウ(ドイツの詩人)
「ほんとの自分に戻る115のヒント」より

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甦ってきた感情 (7月20日)
最近は10代の頃に聴いていた音楽をまた聴くようになりました。Depeche Mode, Pet Shop Boys, Scritti Politti, New Order, Ultra Voxなどなど。80年代、Pop, Rock, Punkといった音楽にエレクトロニクスを取り入れたアーティストたちは一部の若者から絶大な支持を受けていました。その前の70年代はギターだけでなくオルガン、ピアノ、ドラム、あらゆる音を歪ませた音楽で、その極端なまでに汚い音は逆にどこかにひと筋の希望を探し求めているようでしたけど、80年代はそのひと筋の光さえも遮断された絶望の音楽、絶望の暗闇から聞こえてくる悲しくて美しいメロディ・・・ そうです、その音楽はとても悲しくて、とても美しかった。その音楽を聴いてると、絶望の中に美しく光り輝く世界を垣間見ることができたのです。いや、絶望という言葉はあまり良い響きではありませんね。もっと正確に言えば、「この社会の外側に目を向ける」ということです。

あれから10年余り、そういった音楽からは遠ざかっていました。それは何らかの希望を見出したからではなく、その間、あの美しい世界をさらに深く見ていたのだと思います。今ではその美しい世界が、かなりはっきりと見えてきました。それはとても内的な作業だったわけですが、10年経った今、再びあの音楽を聴いていたときの感情、外側に向かう感情が甦ってきたような気がします。あの美しい世界をこの社会にも映し出したいという気持ちです。当時はだいぶ粋がっていたけれど、今度はありのままゆっくりと・・・

New Order "Bizarre Love Triangle"...
この曲のビデオクリップには美しい青空を背景に、正装した4人が何度も何度も地面に向かって落ちていくシーンがあります。精いっぱい着飾った男女が必死にもがきながら落ちていく・・・ おそらく地面に叩きつけられたとき、初めてその美しい青空の存在に気づくのでしょう。

僕はいつも君が落ちていくのを見ては膝まづいて祈るんだ
僕はその最後の瞬間を待っている
僕が言えないことを君が言うその瞬間を
New Order "Bizarre Love Triangle" より

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本当の自分とは? (7月5日)
このHPでは「本当の自分」という言葉を何度も使っています。でも一口に本当の自分といっても、一体何が本当の自分なのか難しいですよね。このHPを続けていく上でもとても大事なことだと思うので、今回はこれについて少し考えてみようと思います。

いろいろな本や他のwebサイトなどでも「本当の自分」という言葉を結構目にしますし、その解釈も様ざまのようです。中には「あなたの心の奥底にある隠れた願望をさらけ出し本当の自分を・・」といった怪しげなものもあります。また、「なぜ心のきれいな部分が本当の自分で、汚れた部分は本当の自分でないのか」といった意見も見られました。もちろんいろいろな解釈があって当然だと思いますが、このHPで使う「本当の自分」の意味をある程度はっきりさせておこうと思います。

私は「生まれ変わり」を信じていますから「魂」も信じています。率直に言うと、このHPで言う「本当の自分」とはこの「魂」のことだと思います。昔はどこの国でも宗教が人々の暮らしに密接に関わっていたので、ほとんどの人は魂を意識して生活していました。ところが宗教の影響力が小さくなった現代では、逆にほとんどの人が魂を意識することなく毎日を過ごすようになりました。現代人が、これだけ物や情報が豊かになり科学や医学が発達した中で、かえって空しさや虚無感を感じる原因がそこだと思います。なぜなら頭脳は「なぜ自分が生まれてきたか」、「自分はどこに向かっているのか」を知りませんが、魂はそれを知っているからです。

「再び宗教を信じよう」などと言うつもりはありません。ただ、これからの私たちは「自分の魂=本当の自分」を見つめる必要があるのだと思います。そうしないと、わけのわからないまま空しく人生を終了してしまうでしょう?

時代の大勢は、宗教の束縛から人間を解放すると共に、道徳の束縛からも
人間を解放しようとする方向にすすみました。しかし、宗教からも道徳からも
解放された人間はいったいいかなる人間になるのか。それは無限の欲望の
満足をひたすら希求する人間です。
梅原猛「森の思想が人類を救う」 より

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オルゴール博物館 (6月20日)
先日、長野県にあるオルゴール博物館に行く機会がありました。オルゴールにはいくらか興味はあったものの、「まぁ、時間も余ってるしちょっと寄っていこうか」くらいの気持ちで入ったんです。館内に入ってみると、まず最初にショッピングコーナーがあり、さまざまなオルゴールが置かれていました。受付で入場券を購入すると、「12時半からオルゴールの説明と生演奏がありますので是非いらしてください」と言われました。私はちょっと面白そうだなと思い、しばらくショッピングコーナーを見たあと、12時半になったので会場へ行ってみました。

オルゴールというと小さな箱に入ったものを思い浮かべるかもしれませんが、ここで生演奏するのはタンスほどの大きさもある、大型のディスクオルゴールです。すでに説明が始まっていたのですが、聞いてる人はわずか二人だけでした。私は説明と演奏が間近で聞けるので、とても幸運だと思いました。実際そこにはヨーロッパやアメリカの貴重なディスクオルゴールが数多く並べられ、説明してくれる方は一台一台演奏も聴かせてくれました。演奏が始まると言葉では言い表しようのない美しい音色が部屋全体を包み込んで、それはあたかも古き時代のヨーロッパにいるかのような錯覚を起こさせるほどの力がありました。それに説明してくれる方は、人数が少ないにも関わらず本当に私たちの心に訴えかけてくるような話し方で、とても感動しました。

私は、説明が終わる頃には完全にオルゴールの魅力にとりつかれ、早速その博物館オリジナルのCDを買ってしまいました。今でも毎日のように聴いています。オルゴールの音は金属が出す音ですし、しかも機械が演奏しているのに何でこんなに温かく心に訴えかけてくるのか、とても不思議です。皆さんも機会があったら、ぜひ一度ディスクオルゴールの音を生で聴いてみてください。

ディスクがゆっくりとまわり、やさしい音色が流れています
「この懐かしさは何だろう?」
見覚えのあるわけでも、聞き覚えのあるわけでもありません
でも確かに懐かしく、生まれる前から知っていた
長い長い時を超えてきたようなかすかな記憶です
諏訪湖オルゴール博物館「奏鳴館」パンフレットより

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幸福論 (6月5日)
あるニュース番組で「幸福論」というテーマを取り上げていることはご存知の方もいらっしゃると思います。幸せって一体何なのでしょうか・・・ 幸せって実体がよくわからないのに、私たちを魅了してやまないものですよね。そして、下手に追い求めると、どんどん遠ざかってしまいます。

「裕福になれば幸せになれる」とか「欲しい物が手に入れば幸せになれる」と思っている人もいらっしゃるようですが、少なくともそれは違うのではないかと思います。古い書物に「たとえヒマラヤ山脈ほどの黄金の山があったとしても、その富も一人の人を満足させるのに足らない」という言葉があるのですが、まさにそのとおりだと思います。同じように栄光や名誉も幸せには結びつかないでしょう。私たちはテレビや雑誌で、世の中で成功した人、活躍してる人、輝いている人を見ては、自分の現実と比較して落胆するときがありますが、それはとてもばかばかしいことだと思います。

私は、日々の生活の中でいろいろな経験をして、いろいろな努力をして、精神的に成長していくことが本当の幸せではないかなぁと思うのですが・・・
みなさんはどう思いますか?

・・・ 一時的な幸せは本当の幸せではないと思います。
本当の幸せは・・・ 悟りを得ることだと思います。 by フェイ・ウォン(香港の女性歌手)
(ニュース番組のインタビューの中で幸福論を聞かれたとき)

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静かな時間、本当の自分 (5月20日)
すっかりリラックスして静かにしているとき、心は本当の自分の姿を映し出す。
− インディラ・ガンディ −


先日、近所の書店で「ほんとの自分に戻る115のヒント〜静かな時間が生活に変化を起こす〜」という本を見つけ、思わず買ってしまいました。アメリカの心理学者/作家であるデイヴィッド・クンツという人が書いた本で、115個の印象的な短い言葉を挙げながら、それぞれについて著者の考えが書き加えられているといった内容です。全体的には「静かな時間」、「ひとりの時間」、「何もしない時間」を大切にしようといったことが書かれています。

小さい書店でも目立つところに積まれて置いてありましたから、結構売れている本という感じでした。それに最近はこういった本をだいぶ見かけるようになった気がします。こういう本が売れているということは、それだけ「静かな時間」とか「本当の自分」といったことに関心を持つ人が増えてきたのだと思います。

上のガンジーの言葉もその本に書かれているものです。まさにこのサイトにピッタリの言葉ですね。でも私たちはリラックスしているときでも、あれこれいろんなことを考えていたりするものです。心が本当の自分の姿を映し出すくらいにリラックスするには、ちょっとした意識改革が必要かもしれませんね。

結局、何もしないほうがいい結果が生まれる。
ただし、「目的をもって、何もしない」ことである。
ほんとの自分に戻る115のヒント by デイヴィッド・クンツ
(主婦の友社)

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きれいな心 (5月5日)
先日仕事の関係で、ある病院内を見て回る機会がありました。普段、病院とはほとんど縁のない私にとっては、入院患者さんのいる病棟内をウロウロ歩くのは初めてでした。ベッドに臥している人。車椅子に乗っている人。その車椅子を押している別の患者さん。軽い運動をしている人。点滴の装置を付けたまま電話している人。休憩室で話している人。それはまるで、社会から隔離されたコミュニティーのようでした。

私は急に、自分がつまらない人間に思えてきたのです。というより、今思えばあの人たちの魂は私にハッキリこう言っていました。「何くだらないことでくよくよ悩んでんの。自分の状況をよく見てみなさいよ。甘えるのもいい加減にしなさい!」 ・・・本当に叱られたような気分でした。

人間は本当に苦しいとき、心はきれいになるようですね。でも苦しみが過ぎ去ると、すぐに心はまた汚れてくる。あのとき叱られたような気分だったのは、病院内のたくさんのきれいな心が、私のことを叱咤激励してくれてたんですね。

っと・・・ 今、近所のあるお店でこの文章を書いているのですが、レジの所で店員を呼ぶためのベルをけたたましく鳴らしている人が私の目に映っています。なぜ少しくらい待てないのでしょう・・・

でも今日はこんなこともありました。ベランダに出ているとき、下の道路を歩いていたおばあさんが突然転んだのが見えたのです。すると、とっさに近くを歩いていた小学生の男の子たちが「大丈夫ですか!」と声をかけ走り寄って行きました。おばあさんは「大丈夫、大丈夫」と言いながらすぐに立ち上がりました。私はそれを見ていただけだったのですが、心が少しきれいになった気がしました。

That's not the biginning of the end
That's the return to yourself
The return to innocence
"Return To Innocence" by ENIGMA

純粋になること、恐れないで

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桜の季節 (4月10日)
たとえその人が汚(けが)れのない立派な人であっても、人々は「彼は大したこともできない」といって彼を見下す。 ところで、この世で多くの財を所有している人は、たとえ悪いことを行なっていても、彼は人々から尊敬される。 (「感興の言葉」より)

私は桜の季節になると、必ず思い出す光景があるのです。それは私がまだ10代の頃、深夜のアルバイトの帰りに見た夜桜・・・

そこは桜の名所などではなく、どこにでもありそうな桜並木で、普段立ち止まって見る人もいないところで、見事な花を咲かせていました。さらに、深夜だったので人影もなく、街灯でライトアップされたその光景に圧倒されました。

私は美しさに圧倒されたというよりも、誰も気に留めないような所で、桜の名所と呼ばれるような場所と同じように見事な花を咲かせていることに圧倒されたのだと思います。

先に紹介した一文は、インドの古い書物「感興の言葉」から引用したものです。もちろんこれは、「財を築いて人々から尊敬される人になりなさい」という意味ではなく、「たとえ人々から評価されなくても、精神的に立派な人になりなさい」という意味の言葉です。

たとえ、何十億もの人々が逆のことを信じようが、川は常に水源から海に向かって流れる。
by ミシェル・デマルケ
「超巨大宇宙文明の真相」徳間書店 より

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