絵門さんのメッセージ その1

●絵門さんが偉大である理由
絵門ゆう子という人の偉大さに、ほとんどの人が気づいていない。それはおそらく、多くの人の記憶に残っている「池田裕子」のイメージがそうさせているのではないだろうか。例えば、誰かが絵門さんの本を読んで感動し、そのことを知人に伝えたとしても、「絵門ゆう子? あぁ、あの人か…」となってしまう。その「あぁ、あの人か…」と言ったときに頭に思い浮かべるのは、たいてい絵門さんの20代のころの姿だ。

しかし、絵門さんの朗読コンサートの模様を観てまず驚くのは、「あれっ、池田裕子ってこんな人だったっけ?」ということだ。はっきり言って、まったくの別人なのだ。キャラクターもまったく違うが、顔もかなり違うように見える。それもそのはず… 2001年の暮れ、絵門さんはがんを悪化させて瀕死の状態で聖路加国際病院に入院し、そこで適切な治療が施され、回復した。このとき、「がんと一緒にゆっくりと」に記されている日記を読んでもわかるように、絵門さんの心は超純粋化し、魂と同一になった。心と魂が同一になることによって、人はなぜ生きるのか、何が最も大切なのか、本当の幸せとは何なのか、自分は何を為すべきなのか、といったことをはっきりと知ったのだと思う。つまり、「悟りの境地に至った」と言っても過言ではない。

私が前のページで絵門さんのことを「釈迦や老子、宮沢賢治といった人物に匹敵する偉大な人物なのだ」と書いた訳がおわかりいただけるだろうか。だから、絵門さんに触れるとき、昔の記憶を持ち出して「あぁ、あの人か…」でフタをしてしまうことは、本当にもったいないことなのだ。絵門さんに対する先入観は捨てた方がいい。

 

●とても短い活動期間
それともう一つ。絵門ゆう子としての活動期間が、あまりにも短いということが、絵門さんの偉大さが理解されないもう一つの要因だろう。あれだけの本を書き、数え切れないほどの講演をこなし、朗読コンサート、テレビ出演、コラム執筆、カウンセリング、おひるねうさぎ… しかもそれらは、ご自身のがんの治療や研究と並行して行なわれていたのだから、少なくとも活動期間は5〜6年に感じる。しかし実際には、たったの2年10ヶ月程にすぎない。逆に言えば、2年10ヶ月の間にがんが全身に転移した状態であれほどの活動を行なった人は過去に例を見ないであろうし、常識を超えていると言っていい。絵門さんのあのような活動があと10年も20年も続けば、必ずやその素晴らしさは世界中に伝わったと思う。

 

●容姿の大きな変化
絵門さんの容姿にも注目してほしいと思う。池田裕子、桐生ゆう子時代の写真と、絵門ゆう子時代の写真を見比べてほしい。同じ人物だとわかる人が、どれほどいるだろうか。年をとり、しかもがんの状態があれほどまでに悪化したのだから、急に老けたり、やつれて見えても何の不思議もないが、絵門さんの場合は逆だ。明らかに若返っている。それは「ウイッグのせい」だけでは説明がつかない。顔の表情にも、たくさんの優しさと可愛さが加わって、神々しいくらいになっている。がんが全身に転移して抗がん剤の治療を受けているのに、逆に若返って美しくなった人はそうはいないであろうし、やはり常識を超えていると言っていい。絵門さんの映像を観てほしい。観るだけで癒されたり、心がきれいになったりするはずだ。

 

●宗教や精神世界との関わり
ある意味で、絵門さんの偉大さが最もよくわかるのが、宗教や精神世界と絵門さんの関わりである。もちろん、深く関わってはいない。それは、無関心だったわけではなく、むしろすでによく知っていたのではないかと思う。宗教や精神世界でよく目にする、「奇跡が起きる」「20xx年、地球人類はより高い次元へ…」「アセンション」「チャクラが覚醒する」といったような表現。こういったものは実に危険だ。惑わされないでほしいと思う。私たちがはっきりと理解しておかなければならないのは、「努力なしで(あるいはほんの少しの努力だけで)物事が劇的に進化することは、絶対にあり得ない」ということである。

 

●現実の中で努力するしかない
実は絵門さんは、宗教や精神世界と深く関わった時期がある。お母さんの病気を治そうと奔走していた時期だ。超能力者や霊能者と関わったり、新興宗教の集まりに参加したり、果ては自分で超能力を身につけようとした時もある。あるいは、「がんと一緒にゆっくりと」に書かれているように、「宇宙エネルギー」や「ピラミッドパワー」に頼ったこともある。どれも良い結果が得られなかったわけだが、しかし、そういった世界を通過した上で、あの絵門ゆう子としての活動に至るのである。だからこそ、あれほどスピリチュアルなことを深く理解していた絵門さんが「神秘」の方に向かわず、「現実」の中で精力的に活動したのはそのためだと思うし、これからの私たちにとってその方向性は非常に重要である。私たちが正しい道を見定めるときにはスピリチュアルな知識が必要になるが、しかし基本的には、私たちは自分自身の努力によって、現実の世界を一歩一歩前へ進むことによってのみ成長するのである。そして、そのために生きているのである。

絵門さんが偉大な人物であることがお分かりいただけただろうか。ここからは、絵門さんのメッセージの中でも、(私から見て)特に重要なものを一つ一つ具体的に見ていきたいと思う。

 

●バリアをはずす
絵門さんがよく言っていた「バリアをはずす」とは一体どういうことだろうか。普通「バリアフリー」と言えば、車椅子などでの通行の妨げになる段差やその他の障害物がないことを言うわけだが、絵門さんの言うバリアとはそれだけでなく、むしろ精神的な障壁を指しているようだ。最近は車椅子に配慮した施設や交通機関が増えた。しかし、実際に車椅子を使っている人たちからすれば、「混雑していたら迷惑になってしまう」とか「途中で何かあったら…」と気後れしてしまう場合がまだまだ多いと思われる。考えてみると、私たちはあまりにも人目を気にするし、その一方で、あまりにも“異質なもの”を気にする。つまり、「外見が普通でない」というだけで、街なかに出ることさえ気後れしてしまう。首のプロテクターをいつも着けていた絵門さんは特にそういったことを感じていたようだ。

都会はあまりにも人が多く、また、せかせかしている人が多くて、“普通でない人”がどんどん歩きづらくなっている。それは車椅子だけでなく、ベビーカーを押している人や小さなお子さんを連れている人、足の具合が悪い人、歩くのが遅いお年寄り、大きな荷物を持っている人など…。設備面でのバリアフリーは進んだかもしれないが、絵門さんが言うように、精神面でのバリアフリーが進まないと本当のバリアフリーとは言えないだろう。
参考…「不思議に元気」P216、「がんとゆっくり日記」P106

 

●「言わないこと」を選ぶ
絵門さんはかなりのおしゃべりだったらしい。著書を読んでみれば、普段の絵門さんはかなりの勢いで喋りまくっていたであろうことは想像に難くない。しかし、そんな絵門さんが、「言わないことの大切さ」を繰り返し訴えていたのは意外だ。絵門さんが最初に書いた童話「ふぅちゃんの秘密の引き出し」は、「言わないことの大切さ」をテーマにした物語だ。なぜ、「言わないこと」が大切なのか。それは、言葉がしばしば相手を傷つけたり、相手の気力を奪ってしまうことがあるからだ。つまりこれは、「不思議に元気」にもあるように、自分の発する言葉が相手にとってプラスになるかマイナスになるかのフィルターに通すことが大事だということだと思う。フィルターに通した結果、相手を傷つけるとか気力を奪ってしまうと判断された言葉は言わない。

今まで日本人は「アメリカ=世界のスタンダード」だと思い込んできたところがある。そんな影響で、「はっきりものを言うことは良いことだ」という風潮が戦後ずっと続いて強まっている。しかし、「不思議に元気」の中に、絵門さんが対談した日野原重明先生の次のような言葉が記されている。「はっきり言うことがカッコのいい、知的な医者だ、というふうなサイエンスがのさばっている。そのような教育は、どうしても間違っています」。これは医師にだけでなく、すべての日本人に当てはまるものではないだろうか。「はっきりものを言う文化」より、「相手を思いやって言葉を選ぶ文化」の方がはるかにレベルが高いはずだ。
参考…「がんとゆっくり日記」P199、「不思議に元気」P97、P107、「生きているからこそ」P31

2007年10月1日

順路