第二章
絵門ゆう子さんに学ぶ心拠

「禅」「老子」「Abduction to the 9th planet」といったものに初めて触れたときは、真っ暗闇の周囲が一本のろうそくの灯で照らし出されたようだった。しかし、どれも遠い昔の話だったり、遠い世界のことだったりして、現実のこの世界でそれらをどう生かしていけばよいのかわからなかった。そこに、明治から大正、昭和にかけて日本で生きた宮沢賢治の登場によって、具体的な考え方や行動の仕方、あるいは「イーハトーブ」というヴィジョンが示され、周囲が『有機交流電燈のひとつの青い照明』によって照らし出された。そこでまとめたものが「草原の心拠・第一章」であり、まとめ終わったのはちょうど一年前のこの時期だった。

そして、まさにその直後に 100ワットの蛍光灯のようなとても明るい光で周囲を照らし出してくれる人物が目の前に現れた。それが絵門ゆう子さんである。釈迦や老子、宮沢賢治といった人物と、絵門さんがどうしたら同じ線上に並ぶのか理解できない方もいるだろう。しかし私にとっては、絵門さんはそういった人物に匹敵する偉大な人物なのである。賢治の作品がやはりそうであったように、絵門さんのメッセージが正しく評価されるのはこれからなのだろう。第二章では、絵門さんのメッセージを私なりのフィルターを通してまとめ、草原の心拠に組み入れさせていただこうと思う。

 

●スピリチュアルブームの危険性
著書や Webサイトなど、絵門さんのメッセージでは宗教臭さや精神世界を感じさせるような表現は避けられている。しかし、絵門さんは明らかにスピリチュアルなことをよく知っていた。それは、著書やコラムの随所に表れているし、「静かなひととき」のページでも具体的に指摘してきたとおりだ。

昨今のスピリチュアルブーム。これからの私たちにとって、スピリチュアルなことを理解するのはとても大事なことだと思うので、基本的には良いことだと思う。しかし、大きな危険性もある。超能力とかチャネリングとか、霊能とかフリーエネルギーとか、そういったスピリチュアルな発達に伴って与えられるべき新しい知識や能力やエネルギーを先取りして、金儲けや自己顕示欲のために使おうとする危険な人たちはすでに現れている。そしてもう一つは、まさに私がそうであったように、スピリチュアルな事柄を重視するあまり、現実を軽視し過ぎて危機的な状況に陥る人が激増する可能性があるということだ。スピリチュアルもほどほどが大切。

私は第一章において、「人生とは修行だと思う」と書いた。しかし絵門さんは、自身のがんについて「この世」という修行の場の指導者とはっきり書いている。これほどまでにスピリチュアルなことを深く理解していた絵門さんが、あれほどまでに現実と誠実に向き合って精力的に活動した姿勢こそ、私たちが学ぶべき姿なのだ。

 

●絵門さんのメッセージは言葉だけではない
つまり、私たちが精神的に成長する上で、超能力とかチャネリングとか過去生などというものは(極端な言い方をすれば)どうでもいいのだ。絵門さんの本当にすごいところは、あれほどスピリチュアルなことを深く理解していたにもかかわらず、宗教とか哲学とか精神世界といったものに深く入り込まず、常に庶民的な立場で、日常に根づいた活動を続けたことだ。

それともう一つ。私は絵門さんから実にたくさんのことを学ばせていただいた。絵門さんと実際にお会いしたこともない私が、こんなにたくさんのことを学べるのは、ひとえに絵門さんが一切のプライドを捨てて『見世物』になってくれたからである。細かい心の動きや病気のこと、日常のことまで、著書やコラムなどに詳しく書き、マスコミにも積極的に登場してくれたからである。言葉だけでなく、絵門さんの普段の行動や生き方も重要なメッセージなのだ。

 

●一つのプラスにスポットライトを
絵門さんのたくさんの素晴らしいメッセージの中でも、私が今まで「静かなひととき」のページでもとり上げていない、ものすごいスーパーメッセージがある。それは、2003年 7月に「金スマ」という番組に出演されたときのメッセージである。

百のうち九十九が失敗になりそうでも、一つでも成功への可能性があるのなら、私はやってみることを選びたい。それがたとえ失敗と言われても、そこに一つのプラスがあれば、やってよかったと私は思おう。一つの希望にかけることは、奇跡をもとめることではなく、人が人として生きていく上で、当然のことだと思うから。
『プライド、こだわり、恐れ、怒り、何かや誰かを敵にした闘いなんてみんな虚しいよ』と、がんは私の胸元でつぶやく。そんな声を聞いているうちに、私はいつもただ一つのプラスにスポットライトを当てるようになっていた。すると、光を浴びた一つのプラスは、すべてのマイナスを消してしまうように輝くもの。生きることが楽しくなっていく。命をもったこの世のすべてがいとおしくなっていく。
私はこの世で最後の一呼吸をする一瞬まで、一つのプラスに優しい光を注ぎながら、生きていくことに向かっていこう。がんと一緒にゆっくりと。
(「がんでも私は不思議に元気」より)


「本当に人間が書いたのか!?」と言いたくなるようなすごいメッセージだ。私たちが普段生きている中で、悲しいこと、苦しいこと、頭にくること、落ち込むことなどが実に多い。しかし絵門さんは、そういったマイナスを見るのではなく、自分の心の中にある希望、プラスにスポットライトを当てようと言うのだ。そうすることによって、次々と降りかかってくるマイナスが消えてしまうと言うのだ。つまり、「いつも自分の心の中にある希望を見つめて、それに向かってゆっくりと力強く歩いて行こう」ということではないだろうか。これは、私たちがわかっているようで、実は実行できていないことだと思う。

 

●一般的な良い人生 ≠ 本当の良い人生
こんな素晴らしい人が同時代に非常に近い場所にいた、という事実を知るだけでも、生きる気力が10倍にも20倍にも増幅される。世間一般的な価値観からすれば、絵門さんが NHKを辞めたこと、女優に転身したこと、がんになっても病院へ行かなかったこと、二つめの抗がん剤を断ったことなど、どれも「失敗だった」と言われるかもしれない。しかし、その時その時に絵門さんがそういう選択をしてきたからこそ、今のこのたくさんの素晴らしいメッセージがあるわけだ。世間の言う「良い人生」「立派な人」と、本当の「良い人生」「立派な人」との間には大きなギャップがある。絵門さんはそれに気づいていたのだと思う。

あまりこのように書いていると、「絵門ゆう子を美化し過ぎている」と思う方もいるかもしれないが、私は至って冷静に書いている。絵門さんにも欠点はあるだろう。例えば「一つのプラスにスポットライトを」と言いつつも、いろいろなことに心を乱されてしょっちゅう怒っていたようだし、周りには「ゆっくりと」と言いまくっていても、絵門さん自身はまったくゆっくりしていなかったようだ。しかしここで絵門さんの欠点を指摘しても、何の意味もないし、むしろそういった欠点も含めて素晴らしいのだ。

1985年、日航ジャンボ機の墜落事故があったとき、私はその頃、毎朝学校へ行く前に NHKのニュースを見ていた。その中で、必死に言葉を探しながら気象情報を伝えていた一人の女性アナウンサー。まさかこの人が20年後に大尊敬することになる人だとは夢にも思わなかった。私も、心の中の一つの希望にいつもスポットライトを当てて、ゆっくりと歩いて行こうと気持ちを新たにした。絵門ゆう子さん一周忌のこの日に。
2007年4月3日

順路