どう生きるか

自分を観る
現代は唯物論的な考え方が蔓延しているような気がする。西洋哲学には、「心や意識などというものは脳活動によって成り立っているのだから、個人の肉体が死んでしまえば心とか意識といったものもなくなる」といった考え方があるが、これは完全な間違いだ。たとえば、あなたが「山田陽一(女性なら陽子)」という人物であると仮定しよう。あなたの意識は間違いなく山田陽一(陽子)に宿っているのであり、隣に住む荒井さんや会社の同僚の本田さんには宿っていないのである。ましてや、野球選手の松井さんやイギリスのデイビッドさんにも宿っていないのである。もし唯物論が正しいなら、肉体が死ねば心や意識がなくなるというなら、あなたの意識の本体が、この世のどこにも存在しないほうが自然ではないだろうか。なぜ、あなたの意識の本体が、荒井さんや本田さんや世界中のどの人に宿っていなくても、日本のある一地域に住む山田陽一(陽子)さんにだけは宿っているのか、宿る必要があるのか、唯物論で説明できるだろうか。

 

苦しいときは
この世が唯物ではないということがわかれば、前ページの「この世は生きる価値がある」という言葉の意味もより理解できるのではないだろうか。しかし現実には、どんなに自分が正しく生きていても、苦しいことや悲しい出来事が非常に多い。苦しいことが多くても、常に解決して納得できるなら問題ないが、なかなかそうとばかりは限らない。腹を立てたり、やけを起こしたり、落ち込んだりしてしまう。しかし、そういったマイナスの精神的エネルギーを放出してしまうと、さらに次の新しい苦しみを呼び込み、悪循環に陥ってしまう。苦しいことや悲しいことが続いて、自分の内側からどうしてもマイナスのエネルギーしか出てこないときがあるが、そういう時は自暴自棄になるのではなく、こういうときこそ「仏教」の出番なのだ。マイナスのエネルギーを放出すれば、自分にも周囲にも悪影響を与えることがわかっているのだから、そんなことはせず、静かに呼吸を整えて思考を停止し、それまでにしがみついていたものを全部捨ててしまうことだ。

 

敵は誰か? 味方は誰か?
落ち込みがひどいときには、「自分には生きている価値がないんじゃないか」と思うこともあるだろう。そういうときは、今まで自分に味方してきた人たちを認識することが大事だ。世の中、あなたの敵ばかりではないはずだ。家族や友人はもちろん、そのほかにも落ち着いて考えてみれば、あなたに良い影響を与えている人は意外と多い。近くのスーパーにいるかもしれないし、毎朝乗っている電車の中にいるかもしれない。「お金払ってんだから、それくらいやってくれるのは当たり前だ」という考え方は、結局自分を苦しめているようなものだ。自分に良い影響を与えている人には素直に感謝しよう。たとえば、美容室で自分の気に入った髪形にしてもらえたなら、帰り際に「ありがとうございました」と言うことはとても大事だ。プラスのエネルギーを放出するので、自分にとっても相手にとっても良い影響を与えることになる。

 

あなどってはいけない、霊の影響
「オーラの泉」というテレビ番組はとても勉強になる。このページの最初に書いたように、肉体は死んでも、その人の意識(魂)は存在し続ける。私たちが気がつかなければならないのは、自分が意識していなくても、「この人とは気が合う」と思った霊はいつの間にか自分の周りに集まってきて、さまざまな影響を与えているということだ。たとえば、何か悪い出来事があって、誰かを恨んだり世の中を恨んだりすると、同じような考えを持つ霊が寄ってきて、相手を傷つけるように仕向けたり、犯罪を起こすように仕向けたりすることは実は少なくない。このような時は、自分の気を強く持って、そういった霊の影響を振り払うことが大事だ。逆に、いつも精神性の高さや優しい気持ちを大切にしていれば、同じような考えを持つ霊が寄ってきて、より良い影響を与えてくれるでしょう。

 

最後に
誰が何と言おうと、どんなにつらい目に遭おうと、日々魂の成長を目指して、きれいな心と優しさを大切にして生きていくしかない。たとえ周りの皆が、株で一夜にして二十億円儲けようとも、それが何の幸せも精神的な成長ももたらさないことを照見して、自分は正道を行くしかない。

長い年月にわたった私の心拠つくりの作業も、これでひとまず完成となる。草原の心拠の実践はこれから始まるが、それがどんな結果をもたらすのかはわからない。ただひとつ、これから先も心拠なしで暗中模索で生きて行くより、草原の心拠という灯で周囲が照らされているほうが、幸せになれる確率は高いと信じている。

では、良い人生を。

順路