この世を観る・その2
かなりひどい世界
この世が魂の成長の場所であるということはなんとなくわかってきた。しかし、ここでちょっと考えてみてください。なぜ、魂の成長が必要なのか。なぜこんな苦痛に耐え忍んでまで、魂を成長させなければならないのか。
さんざん悪いことをやってきた人が、晩年は惨めな生活を強いられ最期も惨めな死を迎える。これは自業自得であり、こういう話なら納得できるかもしれない。しかし、戦争で攻撃を受け、何の罪もない5歳の子供が頭蓋骨を割られ大量の血を流して死んでゆく。これはどう納得すればよいのか。妻に先立たれ、長距離トラックの運転手をしながら3人の子供を育ててきた父親が、過労で48歳で亡くなってしまう。これをどう納得すればよいというのか。このような例は一つや二つではない。全世界に数限りなくある。いくら魂の成長には苦しみが必要であると言っても、ちょっとこれはひど過ぎるのではないだろうか。
この世の特殊な事情
そもそも、この世を肯定して良いのだろうか? 実は、仏教はこの世に対して非常に否定的だ(仏教以前のバラモン教なども)。この世のものを浄らかだと思いなして暮らし、感官を抑制せず、食事の節度を知らず、怠けて勤めない者は、悪魔にうちひしがれる。(真理のことば) 仏教の根本的なテーマは「この無常の世界、苦の世界からどうしたら脱け出せるか」ということにある。
これに関してもう一つ見逃せないことがある。それが「悪魔」という存在だ。悪魔と呼ばれるような、我々を超越した悪い神的な存在がいて、それが我々にさまざまな悪影響を及ぼしているという話は世界各国の宗教や、あるいは精神世界、人智学・神智学などにみられる。ルツィフェル(悪魔)の影響によって人間は次のような性質をもつようになりました。@善でないものに誘惑される。A激情と情熱と欲望とから判断し、行動するようになった。B欲望の世界に埋没するようになった。C身体性と自分とを同一視するようになった。(シュタイナーのカルマ論) この地球上で不条理なことを行なうのは人間だけではない。動物が生きていくためには他の生き物を食べていかなければならないという宿命がある。つまり、生涯に数え切れないほどの生き物を殺さなければ生きていけないのである。これはどうだろう… 全知全能の神がデザインしたとすれば、なんともお粗末だと言わざるを得ない。
人間が戦争や犯罪やその他の愚行を犯すとき、その背後には悪魔の存在がある。誰かが凶行を犯したとき、その被害者が報復するとすれば、それはまさに悪魔の思うつぼではないだろうか。実にこの世においては、およそ怨みに報いるに怨みを以ってせば、ついに怨みのやむことがない。堪え忍ぶことによって、怨みはやむ。これは永遠の真理である。(真理のことば) 悪魔などと言われても多くの人はピンと来ないだろうが、しかし実は、世の人々が悪魔の存在にしっかりと気づいてくれれば、世の中は相当良くなると思う。
極めて困難な問題
さぁ、ではどうするか。この世を肯定するか、否定するか。仏教流に言えば、「此岸にとどまるか、彼岸に渡るか」ということになる(生きるか死ぬかということとは全く別の話で、魂の居場所の問題である)。これは仏の世界でも二分している。観音様に代表される「菩薩」と呼ばれる仏は、此岸にとどまっていると言われる。それに対して大日如来や阿弥陀如来に代表される「如来」と呼ばれる仏は彼岸にいると言われている。
この難しい問いに対しては、宮沢賢治が一つのヒントを提示してくれるのである。賢治は幼い時からその心象中にイーハトーボという理想世界が、かなりはっきりと見えていたようだ。そして、それを少しでも実現するために身を粉にして精力的に活動した。賢治のやってきたことは、実は生前中に実を結ぶことはほとんどなかった。作家活動も、羅須地人協会も…。周囲からは奇異の目で見られていたことは想像に難くない。しかし、それでも最期までがんばったのである。哲学者の梅原猛氏はこんな賢治について次のように述べている。私は、賢治はやはり菩薩であったと思います。むしろすべての人が欲望に仕えるこの近代資本主義社会に、彼は、日本人の心にひそかに存在する菩薩道の理想を人々に示すためにあらわれた一人の菩薩だと私には思われます。(森の思想が人類を救う)
宮沢賢治から学ぶ
この世を肯定するか否定するかと言っても、それを判断する基本的な情報さえ私たちには与えられていないのである(これを仏教では無明という)。そんな状況の中で、この苦しみの世界に、この悲しみの惑星に引き続きとどまるのかと訊かれれば、躊躇してしまうのが正直なところだ。とにかく、キツ過ぎるのである。とある閉鎖的な国家の中で、独り自国の体制が間違っていることに気づいている人物を思い浮かべて欲しい。体制を変えようと独りで闘うのも、あるいはそれをあきらめて体制に従って生きてゆくのも、どちらも極めて苦しいのである。
結局の所、この問題にはまだまだ答えが出そうにない。ただ、こんな苦しい状況の中でも宮沢賢治は独り自分の道を歩きつづけ、たくさんの貴重な種を蒔いた。そこに一つの希望を見出し、“ひとまずは”肩の力を抜いて、微力ながら私もがんばってみたいと思うのである。