もうひとつの姉妹の形 -another story-

another 中編

〜8〜

「516、516とここか」
 516号室。私たちが泊まる部屋は二人部屋。
 一人ずつばらばらに二部屋をとるよりも安いし、何よりお姉さまと二人で旅行に来ているのだからずっと一緒でいたい……そういうつもりだったのだけれど、そちらについてはどうやらそうはいきそうにない。
 ドアを開けて部屋にはいるときに、なぜかふと、もしこれがツインルームじゃなくてダブルだったらどうしようと思ってしまった。
 お姉さまがわざと間違えてダブルベッドが入っている部屋にしていたら……もし、そんなことになっていたら同じベッドで寝ることになるのだろうか?
 あ〜、間違えちゃったけど、まっ一緒に寝ればいいよねとかなんとか……そんなことになったら、とてもじゃないけれど安眠できるわけないじゃないか!
 お姉さまと同じベッドでいっしょにだなんて……
「お〜い、ゆみ〜」
「あ。は、っはい!」
 妄想の世界に旅立ってしまった私をお姉さまが現実に呼び戻してくれた。それであわてて部屋に入ったのだけれど、クリーム色の室内にはベッドが二つ並んでいた。
 なんか、安心したような残念なような……
「どうしたの?」
 心配そうに私の顔をのぞき込んで聞いてきたお姉さま。百面相から何を考えていたのか読み取ろうとしてもわからない様子。さすがのお姉さまも私があんなことを考えていたとは思いつかないようだ。まあ、あまりにばかばかしいことで悩んでいたわけだし、わからなくて良かった。
「いえ、別に何でもないですよ」
 荷物を部屋の隅に置いて改めて部屋を見てみる。
 二つのベッドと小さなテーブルを挟んで二つの椅子。大きめの鏡とテレビ……まあ普通のツインルームで過不足無いだろう。
 けれど、大きな窓の向こうには青い空と海が広がっているのが見える。
 窓の外の景色をもっとよく見てみたくて、窓の前まで歩いていく……窓の外の景色は、さっきまでの妙な気持ちを全部吹き飛ばしてくれた。
 今まで海を眺めていた道よりもずっと高いから、湾が一望できる。青い海、ゆったりとした弧を描く白い砂浜と波打ち際の波の白……
「うわぁ、すごいですね」
「なかなか良いね」
「それに、結構人少なそうですね」
「うん」
 砂浜や海に点々と小さく人の姿が見えるけれど、それほど多くなくて結構空いているようだ。
 テレビに出ていた東京近郊の海水浴場は……人人人、人の海で、海に行っているのか人混みに行っているのかよくわからないくらい窮屈そうだったけれど、ここなら思いっきり泳いだりできそうだ。
「行こうか」
「はい……」
 ほんとうだったらあの海に行くとなれば、楽しいはずなのに声が沈んでしまったのは、黄薔薇さまたちのことがまた頭の中に蘇ってきてしまったから。
「と、水着着ていった方が良いかな」
「あ、そうですね」
 そう同意した私にお姉さまは不意打ちの一言を投げかけてきた。
「祐巳のおにゅーの水着楽しみだなぁ〜」
「え!?」
 新しい水着を買ったってことは一言も言ってないはずなのに、まさかいつの間にか鞄の中を見ていたのだろうか?
「あ、やっぱおにゅーだったんだ。みせてみせて」
「う……」
 カマかけられた……そんなに簡単に引っかけられるな自分、と心の中で言ってから荷物の中から水着を引っ張り出した。
 私が持ってきたおにゅーの水着はちょっと大胆にピンクと白の縞模様のビキニタイプ。
 白薔薇さまになってから白色をイメージカラーにってすこし意識していることもあって、真っ白のものにするかどうか結構悩んだのだけれど、真っ白の水着ってちょっと味気ないんじゃなかろうかと思って、ピンク色が混じっているこれにしたのだ。
「へ〜可愛いじゃない」
「お姉さまは?」
「これ」
 と、こちらは真っ白なビキニを指でつかんで見せてくれた。うむぅ、真っ白だったか……だったら私も白にしていればおそろいになって良かったかな?
 ただ……下のパーツは似たような感じのサイズなのに上のパーツのサイズが全然違うのはどういう不条理からだろうか。私の両方合わせてもお姉さまの片方にも届かないかもしれない。
「ま、良いじゃない。まさかみんながみんな色に合わせて来るだなんてことないだろうし」
「……そうですね」
 それだけではないのだけれど……そのことは考えてどうにかなるものでもないのだからあきらめるしかない。 ほかのメンバーか……令さまと由乃さんはおそろいのような気がする。あの二人ならきっと一緒に買いに行っただろうし。私もお姉さまと一緒に買い物に行けたら……一人で準備万端にしてしまうのではなく、一緒にいろいろと買い物に行くような感じにすればよかったかもしれない。
 以後の反省としよう。
 さて、これから着替えるわけだけれど……
「……あの」
「なに?」
「着替えますから、あっち向いててくれませんか?」
「え? 何で?」
 何でってそんな真顔で言われても困るんですけど……
「そ、その、恥ずかしいじゃないですか」
「何を今更」
「で、でも、でもですね」
「あ〜、わかったわかった」
「わ、わかってくれましたか?」
「もう祐巳ったらもっとわかりやすく言ってくれればいいのに。お楽しみは温泉で、ということね?」
 ちが〜う!! と叫ぼうとしたけど今叫んでも事態は好転しそうにないのでこの場は潔く従うことにする。
「じゃ、今度は私ね」
 そう言って服を脱ぎ始める、別に恥ずかしがっていたりとかしていないから、仕返しにならないかもしれないけれど、このままじゃ悔しいので仕返ししてやることにした。
「私が着替えさせてあげます!」
「へ?」
 さっきのお返しとばかりに服を脱がせるために飛びかかる。
「ちょ、ちょっと、祐巳! やめてってばさ!」
 そんな感じでどたばたどたばたと、結局お姉さまが着替え終わるにはずいぶん時間がかかってしまった。
 いくらクーラーが効いている室内だからといっても、こういう妙な運動をしてしまうと暑い。二人とも汗をかきながらベッドに腰を下ろすことになってしまった。
「まったく、私は別に良いって言っているのに無理矢理するから汗かいちゃったじゃない」
「お姉さまだって無理矢理着替えさせたんだから同じです」
「あとのお楽しみにとっておいてあげたじゃない」
「そもそもそういうこと言わなければいいんです!」
「じゃ、いこうか」
 な、無かったことにしようとしているしぃ〜!


 ロビーにやってくると、他のみんなはすでに勢揃いしていた。
 そして江利子さまがこっちにやってきて、びしっと人差し指を私たち向けて「遅い!」って文句を言ってきた。
「遅いって別に私たちは江利子たちといっしょに来たわけじゃないし、いっしょにどこかへ行くとか約束なんてしてないよ」
「あら、そうだったかしら?」
「あのねぇ、江利子」
「まあまあ、二人とも」
 ホテルのロビーで繰り広げられるお姉さまと江利子さまの言い合いを見かねたのか蓉子さまが止めに入ってきてくれた。
「蓉子も蓉子だよ。蓉子まで加わるだなんてさ」
「私は……いなかった方が良かったかしら?」
「う……」
 抗議したけれど返り討ち、言葉に詰まってしまった。……蓉子さまがいなかったら、江利子さまを止められる人がいなくなってしまう。そうなってしまったら……ひょっとしたら無事にここにたどり着けていたかどうかすらわからない。
「いや、他にも手くらいあるでしょ?」
「まあ無くはないわね……けれど、根本的な解決にはならないのではないかしら?」
「むぅ……」
 江利子さまが企んでいることを知らせてもらったとしても、それから予約を取り消すのもだし、たとえ取り消して他のところに行くことにしても江利子さまのことだから調べ上げてくるかもしれない。
 場合によっては探偵か刑事ばりに私たちの家から尾行してくるかもしれない。今まで新聞部やら、静さまの取り巻きやらに追いかけられて逃げ回ったことがあったけれど、きっと江利子さまはこれまでの追跡者の中で最も手強い相手になるであろう事は想像に難くない。
「そういうことよ」
「ちなみに、蓉子自身は?」
「私? みんなで一度旅行なんてのも良いと思っていたからちょうど良かったわ。……それとも、聖は私と一緒じゃいや?」
 また言葉に詰まってしまったお姉さま。蓉子さまにそんなこと言われてしまったらお姉さまに万に一つも勝ち目はない。
「はいはい、わかりましたよ。ご一緒すれば良いんでしょご一緒すれば」
 こうして降伏するほかなくなったお姉さまは少し投げやりな感じで文字通り両手でお手上げをして降参の意思を表した。
「うむ、よろしい。それでは行きましょうか」
「江利子が言うな!」
「じゃあ、私が。みんな行きましょうか?」
 がくっとうなだれてしまうお姉さま。うむぅ、二人ともがそろって敵に回るって恐ろしい。あのお姉さまが完全に手玉に取られてしまう。……気をつけよう。
 それからぞろぞろと海に向かってみんなで歩き始めることになった。


「由乃さんたちは富士山じゃなかったの?」
 海に向かう六人は、前を行くお姉さまたち三人と、その後をついて行く私たち三人の二つの集団に分かれていた。
 で、海に着くまでの間横を歩いている由乃さんに話を振ってみたのだ。
 由乃さんはずっと行きたいと思っていた富士山登山をそう簡単にあきらめられるとは思えない。江利子さまがよっぽど無理を言ったのだろうか?
「ああ、それなら大丈夫。行くのは来週だから」
「へ?」
「今週は宿題とかを先に片付けて、それから遊びに行く予定だったのよ」
 令さまが説明してくれた。
「ああ、帰ったら宿題しなきゃ……なんて思いながら遊びに行くよりも気分的にずっといいでしょ?」
 その通りかもしれない。旅行が決まったら待ちきれなくて夏休みに入ったら直ぐに青信号になってしまっていた。
 たしか青信号は由乃さんの専売特許だったように思っていたけれど、どうやらそういうわけではなかったようだ。
「ちなみに紅薔薇ファミリーは?」
 三人ともそろって来ていないし瞳子ちゃんもそうだ。あのとき祥子さまの別荘に行くっていっていたし、ひょっとしたら……
「ああ、残念。元々祥子さまの予定が埋まっていたからこれなくて、二人は祥子さまが参加できないのに自分たちだけいくわけにはいかないって感じだったそうよ」
 三人がそろってこないのに瞳子ちゃんだけ参加するなんてこともないだろう。どうやら、青信号は私たちだけだったようだ。しかも、見破られてしまっているし……


〜9〜
 
 堤防を越えると白い砂浜が目に飛び込んできた。
 色とりどりのパラソルが並んでいる。
 ここに来て発覚したのだけれど……江利子さまだけは下に水着を着てきていなかったので、海の家の更衣室で着替えてくることになった。きっと、先に行かれてはいけないと部屋に荷物を置いてすぐに出てきたのだろう。
 で、私たちは江利子さま戻ってくるまでにパラソルとか借りられるものを借りることにした。
「ああ、このパラソルいいかも」
 と言ってお姉さまが手に取ったのは、ピンクと白が放射状にしましまになったパラソル。
 ん? ……ひょっとして、それって。
「正解。蓉子もどう?」
「ええ、いいわよ」
「じゃ、こっちは決定と」
「じゃあ、私たちはこれにしますね」
 令さまが手にしているのは黄色いパラソル。うん見事に黄薔薇だ。あ、そういえばこっちの色も紅と白を足してピンク、それともう一つ白で白とピンクって考えがあったのだろうか?
「祐巳、これ持ってて」
「あ。はっはい!」
 お姉さまからそのパラソルを渡された。
 で、お姉さまたちは何を何個って感じで借りるものをてきぱきと決めていく。
「こんなところかな?」
「そうね。足りなければまた借りに来ればいいし」
「じゃ、すみませ〜ん! これだけレンタルお願いします」
 今度はみんなで借りたものを海のそばまで運んでいく……私の担当はサマーベッドだけれど、そこそこ重い。
 江利子さまが水着を下に着てこなかったのは、実はこのことを考えてのことなんじゃないだろうか?
「この辺りで良いかな?」
「ええ、良いわね」
 満潮の時はここまで波が来るという目安になる砂の質が変わる境目よりも少し上側にお姉さまがパラソルのベースをおいてパラソルの足を突き刺した。その横に令さまもパラソルの花を咲かせる。
 で、私たちがその陰にサマーベッドを置いたり、シートを広げたりする。
 セッティング完了と、同時に「おまたせ〜」なんて言って江利子さまがやってきた。
「黄色いパラソルだったからわかりやすかったわ」
 ねらってた気がする。すごくねらっていた気がする。
「遅かったわね。まあいいけど」
「撤収の時はがんばってね」
 とお姉さまと蓉子さまはそんなことを言うだけだった。
 上に着ているシャツとかを脱いで水着になる。
 みんなの水着を見てみると……由乃さんと令さまはおそろいの黄色いモノキニだった。思った通り、きっと一緒に買いに行ったのだろう。
 蓉子さまは水色、江利子さまはピンクの下地に黄色い花柄のビキニ。
 一色というわけではないけれど、黄薔薇ファミリーは黄色系統でそろえてきていたか……
「蓉子は紅じゃなかったんだね」
「紅の方がよかったかしら?」
「いいんじゃない? それも似合ってるし」
「ありがと」
 なにげに蓉子さまが紅じゃなくてよかったと思っている。江利子さまだけ柄付きだけれど黄色を前に出してきているし、私だけ浮いてしまうことにならなくてほんとうによかった。
「あと、喜んでくれる人も他にいるみたいだしね」
 ま、またしても顔に出てしまった。
「あ〜令、オイル塗って」
 私のことでお姉さまと蓉子さまが笑い声をたてているなか、サマーベッドを日向に引っ張り出していた人がいた。そして早速寝っ転がってなんか言っている。
「……わかりました」
 海に来てほんとうにいきなり焼き始めるとは思っていなかったのだろう。ちょっととまどっていたところもあったけれど、令さまは江利子さまのお願い通りサンオイルを受け取って塗り始めた。
「むぅ」
 で、一方いきなり令さまをとられて不満顔の由乃さん。令さまは後で苦労しそうだ……わかっていてわざとやっているところがあると思う。こういうときの由乃さんはそっとしておくのが一番。
「それじゃ、私たちは泳ぎにいってみましょ〜か」
「お〜!」
 気を取り直してって意味もあって勢いよく言ったお姉さまにあわせて拳をあげたたのだけれど、他の人があわせてくれなかったからすごく浮いてしまった。
 元々あの二人に由乃さんの状況を考えると、蓉子さましか他の人はいなかったわけで……恥ずかしい。入る穴が欲しくなってしまうくらい恥ずかしい。
「ふふ、いきましょうか」
 ともあれ、黄薔薇の三人よりも先に私たちが海に入ることになった。


 海で泳いで楽しんだ後浜に戻ってくると、蓉子さまとお姉さまが海の家に行ってくるって言い残していってしまった。何をしにいったのだろう?
「何しにいったんだろうね?」
「さぁ、令ちゃんはどう思う?」
「そうね、たとえばビーチボールを借りてくるとか」
「ああ、それいいわね」
 アタックするふりをする由乃さん。すでにやる気満々のようすだ。
 しばらくして戻ってきた二人が手に持っていたのはまるまると大きなスイカとだった。それに片手の長さほどの木でできた丸棒、そして目隠し用の手ぬぐい……完璧なスイカ割りセットだ。
「スイカ割りですね」
「ええ、そう」
「いいわねぇ」
 さっきまでサマーベットに寝転がって肌を焼いていたお方はスイカ割りに興味を見いだしたのか私たちの方にやってきた。
「早速やりましょう」
「そうね、まず最初は……令にお手本を見せてもらいましょうか?」
「えっ? 私ですか?」
「棒を振り回すのは慣れてるでしょ?」
「棒っていっても……竹刀とか木刀でこれとはずいぶん違うんですけれど、それに……わかりました」
 江利子さまの背中だけしか見れないからどんな顔をしているのかはわからないけれど想像はできる。令さまはその顔を見て反論を引っ込めたようだし、江利子さまのことだから反論されたとしてもどう屈服させるのかを楽しんでしまうのだろう。
「じゃあ、早速始めましょう」
 蓉子さまが十メートルくらい離れたところにスイカを置く。
「ここに置くわね」
「はい、令は目隠しね」
 江利子さまが令さまに目隠しをする。
「由乃ちゃん令を回すから手伝って」
「りょ〜かい」
 由乃さんは乗り気なようでうれしそうに返事をして、二人で「い〜ち、に〜、さ〜ん」と数えながら目隠しをされた令さまをぐるぐると回し始めた。
「はい、にじゅう!」
「令、このまままっすぐ先にあるからね」
「は、はい」
 棒を正眼に構えて、まっすぐに歩きだそうとしてよろけてしまう。ああ、完全にやられてしまってる。
 ふらついてしまっているのは自分でもわかっているからなんとか立て直そうとするけれど、今度は反対側へとよろめいてしまう。
「何やってるのよ! もっと左よ! 左!」
「違うわよ右よ右!」
 スイカは右側にあるのに江利子さまが左へと誘導しようとするから慌てて由乃さんが正しい方向に誘導しようとする。
「まっすぐに行けばいいわよ!」
 お姉さまが嘘を教える。
「むぐっ、むぐっ」
 江利子さまがたぶんまた正しい方向を教えようとした由乃さんの口を押さえてしまった。
 どっちに行けばいいのか……由乃さんがほんとうのことを言っているのかどうかはわからないけれど、ほんとうのことを言っているのに違う方向に行ってしまったらあとで由乃さんがへそを曲げてしまうのは確実。逆なら失敗するけれど、由乃さんは機嫌を良くするだろうから、それで良い。由乃さんがさっき言ったとおりに右に行こうとするけれど、まだ全然立ち直れていないからふらついてしまう。
 江利子さまに押さえられてしまったせいで由乃さんの声が聞こえなくなってしまったから、嘘を言う人とほんとうのことをいう人の間で翻弄されてしまって令さまはあっちへ行ったりこっちへ行ったりとしている。それでもだいたい性格が出てくるし、さっきと言っていることが違う人とかいるしと、だんだん絞り込めてきたようで、ふらふらと回り道をしながらでもスイカに確実に近づいていった。
「あと三歩でスイカがあるわよ!」
「だまされちゃいけないわ! まだ先よ!」
 そして、慎重に狙いを定めて振りかぶって勢いよく振り下ろした棒は砂浜の砂をえぐるだけに終わってしまった。
「ざんね〜ん!」
 惜しい、あと少し左だった。棒はスイカの右数センチのところに先を埋めているのだ。
「惜しかったなぁ」
 目隠しをとった自分で確認した令さま。
 やっと解放された由乃さんは江利子さまにくってかかっている。
「さて、次は……祐巳ちゃんやってみる?」
「ええ!?」
 蓉子さまがにっこりと笑いながら私を指名してきた。そういえばいつぞやも突然私を指名してきたようなことがあったような。確かシンデレラの代役の時とか、あのときは私がやることにはならなかったけれど……
「はい」
 とお姉さまが棒と目隠しを渡してきた。
 これは……もう私がやるしかないのだろうか。
 目隠しをさせられて、ぐるぐる回される。
 ああ、まずい、これはまずい。
「にじゅ〜。はい、GO!」
 お姉さまにトンと押されただけで思いっきりよろめいてしまった。
「何やってるのよまっすぐいきなさい!」
 お姉さまがげきを飛ばしてくるけどそんなこと言ったって、こんなにふらふらで目隠しまでされたらまっすぐ歩けるわけないじゃないですか!
「ああっ! どっちいってるのよ! もっと右、もっと右!」
「違うわよ祐巳ちゃん左よ左!」
 お姉さまと江利子さま、どっちを信じたらいいのか……二人とも楽しんでいるモードだから怪しいけれど、まだお姉さまを信じておいた方が……
「祐巳さん、右よ右!」
「そのまままっすぐでいいわよ」
 うっ……今度は由乃さんに蓉子さま。由乃さんはお姉さまとおなじ右を言ってきたけれど、蓉子さまはまっすぐと言っている。
 今のところ右が一番有力だけれど、本当にそれでいいのだろうか?
「ゆみ〜! 何立ち止まってるのよ!」
「あ、はっはい!」
 ええいままよ! どうせふらついてしまって思い通りには歩けないんだ。行くしかない。
 でも、嘘を言う人が多すぎてしかもみんな怪しくて……私は翻弄されてしまっていったいどう行けばいいのかわからなくなってしまった。
「そこよそこ!」
「あと三歩先よ!」
 もういいや、ええい! と振り下ろしたけれど、砂をえぐる感触しか伝わってこなかった。まあそこまでは想定の範囲内だったのだけれど、目隠しをとってみてもスイカの姿が見えなかった。
「はい?」
 で、辺りを見回してみると、後ろにスイカが鎮座していた。どうやら通り過ぎてしまっていたようだ。だれだ三歩先なんて言ったのは。
「はい、残念。じゃあ、次は蓉子」
「わかったわ」
 私が使っていた目隠しと棒を蓉子さまに渡す。そして目隠しをされた蓉子さまをお姉さまと江利子さまが勢いよく、そして念入りに回していく。
「ちょ、ちょっと何回回すつもりよ」
「ハンデだってハンデ」
「蓉子ならそのくらいでちょうど良いでしょう?」
 なんと五十回も回されて見るからにふらふらになってしまった蓉子さまがスタート……って、え?
 蓉子さまはスイカと反対側を向いているというか、二人は反対側で止めたのだ。
 にやにやとしている二人。
 私たちに人差し指を唇に当てて、黙っていろと……でも、その方向にはパラソルやサマーベッドとか荷物が……
「右よ右!」
「違うよ、左だって! 蓉子私を信じて!」
「何を言っているのよ! 右に決まってるじゃない!」
 そういう問題じゃない。
 そうとうにふらふらとしながらパラソルに向かって歩いていき、途中で歩みを止める。
 二人の声しか聞こえないのと、妙に楽しそうなのを疑問に思ったのだろう。
「あら? なに、ひょっとしてリタイヤ?」
「なんだ、蓉子って」
「ちがうわよ!」
 勢いよく言い切ってまた歩きだす蓉子さま……あのままだとサマーベッドにぶつかってしまう。
 私たちが何か言わないようにってお姉さまたちは揃ってまた私たちに黙っているように人差し指を唇に当ててきた。
 そして蓉子さまは、サマーベッドへと……
「きゃっ!」
 サマーベッドにぶつかって思いっきりこけてしまった。しかも、ずてっとサマーベッドに倒れるだけではすまずに、勢い余ってサマーベッドの向こうの砂浜に倒れ込んでしまった。サマーベッドの影で見えなかったけれど、頭から倒れ込んだと思う。
「よしっ!」
「狙い通りだわ!」
 ガッツポーズを決めたあとハイタッチを交わすお姉さまと江利子さま。こういう時のお二人の団結力ってずば抜けていると思う。
 ただ……
 むくっと起きあがって目隠しをとって……どういうことなのか理解した蓉子さま。スイカはお姉さまと江利子さまを挟んで反対側に、右とか左とかそういう問題ではなくて、はじめから反対に向けて歩き始めさせられていたのだ。
「…………」
 何も言わずゆらりと近づいてくる蓉子さま。その沈黙が何より恐ろしい。
 足下はまだふらふらとしているけれど、その手には手頃な長さの獲物がある。
「ねぇ、佐藤さん」
「なぁに、鳥居さん」
 二人とも冷静なようでそうとう動揺しているみたい。名字で呼び合うなんて初めて見た。
「水野さんが手に持っているもののこと考えてた?」
「えっと……忘れてた」
「佐藤さん、鳥居さん」
 あ、蓉子さままで。
「な、なにかしら水野さん」
「マリア様の御許への片道切符はいかが?」
 は、張り付いた笑みのままそのセリフは怖すぎます、蓉子さま! そして棒を振り上げ……
「こ、ここは、逃げるが勝ちよ!」
「そそ、まさにその通り」
 脱兎のごとく逃げだすお姉さまと江利子さま。
「ま、待ちなさい!!」
 ふらふらとしながら棒を振り回して追いかける蓉子さまと本気で逃げる二人、……もんのすんごい光景だ。正直、お姉さまと江利子さまはともかく、あの蓉子さまが本気であんな風に追いかけるようなことがあるだなんて夢にも思わなかった。
 ああ、もしこれ三奈子さまが見ていたりとかしたら、恐ろしいことになってしまっていたんだろうなぁ。


〜10〜

 はずしたメガネをごしごしとこすってからかけ直したけれど、目の前のおいかけっこに変化はない。
 頭は機能を停止してしまっていてもカメラマンとしての本能がシャッターを切らせている。
「……これは、現実の光景なのでしょうか?」
「……蔦子さんは昨日はぐっすりと眠れました?」
 真美さんからも確認の言葉が返ってきた。ということは彼女にもこの光景が見えているらしいが……
「今日からが本命ですからね。睡眠不足でシャッターチャンスを逃すわけには」
「私も今日のために十分寝たつもりなのですが……」
「二人そろって夢、ということはないのでしょうねぇ」
「この手のメモがなくなったら夢といわれても信じてしまいそうですが」
「私もこの写真がなかったら……」
 でもたぶん……現実の光景なのだろう。
「どうします?」
「これは私たちの手には負えない気がしますね」
「その写真をもとに協力していただくというが妥当でしょうか?」
「そんなところでしょう」
「あとはいつどうやって接触するかですね」
「難しいところですが、この写真があるのですから早いほうが良いかもしれませんよ」
「そうですね。良いチャンスが来ればいいのですけれど」


〜11〜

 海でたっぷりと遊んだあと部屋に戻ってきた。
「いや〜楽しかったねぇ」
「そうですね。それにしてもお姉さまたち今日はまたずいぶん、何というか……」
「うん、ずいぶん久しぶりだったなぁ。でも、今日の蓉子ってちょっと大人げなくなかった?」
「ま、まあ……」
 確かにそう思うところもあるけれど、お姉さま方のほうが悪いんだから当人が言ってはいけないだろう。
「まあ、たまには蓉子もはっちゃけないと」
 蓉子だって完全無欠の超人ってわけじゃないしね、とお姉さま。
「ん? そのためにですか?」
「さてね、じゃ、温泉行こうか」
「あ、はい」
 一応海の家でシャワーを借りて海水の塩分は洗い流したけれど、もっとさっぱりするにはお風呂にはいるのが一番。そして、もともと温泉宿でもあるのだからもうひとつの目的でもある。


 このホテル自慢の温泉。
 特に室内の温泉はプールみたいに大きいものがあったり、温泉に入りながら大型のモニターでテレビが見れたりするのもあるし、ずいぶん豪勢だったけれど、せっかくこういったところに来たのならやっぱり屋外の露天風呂だろう。
 内風呂を抜けて外に出る。
 目隠しに囲まれた通路を通って石でできた階段を上ると、お風呂が見えてきた。少し水温が高いのか岩を組んで作られたお風呂が盛んに湯気をたてていて、西日の光に紅く照らされていた。
「おお、なかなか良いじゃない」
 あのガイドブックや、ホテルのパンフレットにもあったけれど、海が見える露天風呂。
 内風呂はすごかったけれど、やっぱり温泉なら露天風呂だとおもう。
「そうですね」
 一段高いところに作られているから、湾を見渡すことができる。もちろんホテルの上の方の階から見た方がより広い範囲を一望できるけれど、それは窓の向こうの景色でしかないのにたいしてこちらはその景色の一部だ。
 湯気の向こうに人の影が見える。よく見えないけれど二人ほど先客がいるようだ。
 しつれいしま〜すと一応声をかけてから入る。
「ん〜〜〜、良いお湯」
「本当ですね」
「ん……」
 二人の先客がどこかこそこそと温泉から出ていく。湯気のせいではっきりとは見えないのだけれど、どこかで見たことがあるような……
 面識があるならこそこそと出て行く必要はないし、いや面識がない人相手にこそこそと出て行ってしまうほど、人見知りをするようでは問題あるだろう。だから……やっぱり面識はあるのだろうか?
 でも、何か都合が悪いとか何とか……
 いや、それとも、私たちがうるさかったか? で静かなのがよかったから出て行ったとか?
 あり得るかもしれない……
「どしたの?」
「あ、さっきの二人なんですけど、どうしてこそこそと出て行ったのかなぁと思って」
「そうだなぁ……うるさかった?」
「それほどではなかったと思うんですけど……」
「そのあたりは人によるしなぁ」
「注意しないといけないかもしれませんね」
「そうだね。ま、その二人もいなくなってしまったし、今はいいかな」
「誰かが来たりしたら注意しないといけませんけれどね」
「うん」
 お姉さまをチラリと見る。ご機嫌で鼻歌を歌っているので私の視線には気づいていない。
 水着に着替えるときもそうだったけれどお姉さまはこういうところで恥ずかしがったりする人ではないので目の前にはお姉さまの肢体がある。同姓の私から見ても出るところは出て締まるところは締まる抜群のプロポーションだ。
 あぁ、世の中はなんと理不尽なのだろう。お姉さまには登山もできそうなお山が二つ。かたや私は……なだらかな丘だろうか?
 大きくたっていいことなんて何にもない。肩がこるし、男の視線も集まるし、なんてお姉さまはいうがそれは持っている者の不満だろう。
 私だって一度でよいから肩が凝るとか言ってみたいものだ。
 はぁ……ぁあ!?
「な、何するんですか!?」
 いつの間にかお姉さまが後ろに回り込んで私のむ、胸を……
「お嬢さん、胸のことでお悩みですか?」
 昼の健康おじさんのような口調であんた何してくれるんですか!
「ん。そんなに気にしなくたっていいのに。私は祐巳の胸好きだよ」
 そう言いながら揉んでくるし!
「ちょ、ちょっと待ってくださぃ!」
「う〜ん、決して小さすぎず私の手に綺麗にフィット。柔らかさといいこれはなかなかの逸品!」
 揉むのは止めないまま親父くさい評論していて人の話聞いてないし!
「や、止めてくださいってば!」
 ま、まずい。本当にヤバイ。このままじゃ。だ、ダメ……
「……ぁん」
 ……もう死にたい。
「え!? あ…… その…… ご、ごごごごごごめん! いや、その悪気はなかったんだ! そ、そう。ほ、ほんの冗談っていうか、その……」
 支離滅裂な言い訳をしつつ、ゆでタコのように真っ赤になるお姉さま。すっかりゆでタコとゆで子狸のできあがりだ。
 こんな所を人に見られていたら……
「あらあらご覧になりまして? 水野の奥様」
「ええ、しかとこの目に焼き付けましたわ。鳥居の奥様」
 さて、穴を捜しはじめることにしようか。二人分は骨かもしれないなぁ。ハハ、ハ……
「佐藤さまの揉みっぷり、なかなかさまになっていらしたわね」
「ええ、歴戦の勇者のよう。きっと多くのご婦人を泣かしてきたに違いありませんわ」
「福沢さまの天使のようなさえずりも殿方を魅了して止まないでしょうね」
「なんてお似合いな二人なのでしょう」
 二人の奥様言葉はまだ続いている。
 一緒にいた由乃さんを問いつめると、岩場の陰からずっと覗かれていたらしい。
 ええ、それは確かにこんな事もあるかもしれないと少しは考えていましたとも。
 でも、でも! こんな形でかなえるなんてあんまりじゃないですか、マリアさまぁ!


 さんざんからかわれたあと全員でやって来たのは温泉旅館恒例の遊技場。そしてこれまた恒例の卓球台も置いてある。
 何か思いついたのだろう。卓球台を見ていたお姉さまの目が光った。
「ねぇ、卓球なんてどうかしら、江利子?」
「いいわねぇ。相手になってあげるわよ」
 さっきのリベンジと重々承知の上で余裕の笑みを浮かべて受けて立つ江利子さま。蓉子さまに審判をお願いして浴衣の袖をまくる。
「さぁいつでもかかって……」
 江利子さまの額にお姉さまの鋭いサーブがヒット。
「……」
「おやおや、勝負に油断は禁物じゃないかしら。先代黄薔薇さま」
「1対0」
 蓉子さまも卓球ならさほど危険なことにはならないとみたか止める気はないようだ。平然とスコアを読み上げているし。
 あんなことをされたのに黙ったままラケットを構える江利子さま。
 あの真剣な目つきは、怒っているのだろうか?
 そんな江利子さまに向かってサーブを放つお姉さま。玉は台の端ぎりぎりに落ちた! けれど、江利子さまはいとも簡単に、しかもすごい勢いで打ち返してきた。
 その玉をさらに打ち返す。鋭い球がネット際に落ちて玉の向きが変化!? すごい!
 でも、向きが変化した球を十分に射程にとらえられる位置にすでに江利子さまが移動していた!
 にやりって笑みを浮かべて待ちかまえる江利子さまの元に球が飛んでいき、小気味いい音とともに放たれた鋭いスマッシュが……お姉さまの胸にヒット?
「あらあら、その開けっぴろげの胸でもって祐巳ちゃんを誘惑したの、先代白薔薇さま?」
「1対1。サーブ交代」
 淡々と審判をつとめている蓉子さまを挟んで二人とも笑みを浮かべているのだけど背中から黒いものが見えるような見えないような……
「だいたい! あんたは! 幼稚舎のころから!」
「なによ! あなただって! 中等部の時は!」
 二人の間でピンポン球がものすごい勢いで行き来しはじめた。点数うんぬんというよりも今この球を落とした側が負けという雰囲気になってきた。
「あんたが! つぼみの時! こっそりさぼったこと知っているんだからぁ!」
「あらあら! つぼみの時! ちっとも来なかったのはどなたかしらぁ!」
 ……過去の秘密が次々に暴露されていく。
 もしもこの場に三奈子さまがいたら……やばいなんてものじゃない。山百合会の権威とか格式とかみんなが抱いているあこがれのような想いはみんなまとめてどこかへ吹っ飛んでしまったことだろう。
「祐巳さん、祐巳さん、ちょっと」
 由乃さんが二人の勝負の邪魔にならないよう声を掛けてきた。
「なに?」
「ちょっといいかしら?」
 こっち、こっちとゲーム機のある方に連れて行かれた。対戦用レーシングマシンがあるのでそこに腰掛ける。
「どうかしたの、由乃さん?」
「あのね、温泉の時の話詳しく聞きたいなぁ〜って」
 おぉ、由乃! あなたもか!
「武士の情け。後生だから聞かないで由乃さま!」
「まぁまぁ。恥ずかしいのは分かるけど。ちょっとはそうなることを夢見てたんじゃない?」
「ど、どどどどどど」
 あぁ、久しぶりの福沢建設。
「別に姉妹だったらそれくらい夢見たっておかしくないでしょ」
 そ、そうかもしれないけれどそう正面切って言われると恥ずかしいことこの上ない。
「あーあ、私は令ちゃんとそんな初々しい雰囲気になることないもんなぁ。うらやましいわぁ」
 由乃さんらしい贅沢な悩みだ。私たちもいつか由乃さん達のようになるのだろうか?
 うらやましがる由乃さんを見てふとそんなふうに思った。


〜12〜

 遊技場の入り口の陰に隠れて中の様子を見ている二人。
 今日は何だろう? すごいものをずいぶん見ているような……元々ここに来たのは二人の姉妹のプライベートな姿を見ようというのがあったのだけれど……より希少なものをしかも複数目にしている気がする。
「ねぇ、真美さん。どうしましょうか?」
「……ものすごいネタだらけですけれど、これを口外するわけにはいきませんね」
 二人がボールとともにぶつけ合っている話は先代薔薇さまたちの過去と題してかわら版でシリーズものが展開できるだけの量と質がある。
 けれど、今回のこれだけのメンバーのプライベートを見ることができるようになったのは一方の江利子さまのおかげでもあるのだし、口外しないのが我々の義理だろうか?
 というか、口外したら生きて翌日の日の出を拝める自信はない。
「写真に言葉は写らないからいいんですけれどね」
 フラッシュを使わずに延々と続く二人のラリーの応酬をカメラにおさめる。こちらは許可が取れれば、真剣に卓球で勝負するお二人ということで掲載することだってできるだろう。実態とは結構違うような気もしないでもないけれど。
 ファインダーから目を離して真美さんの方を見ると、真美さんは手帳に今目の前で交わされている暴露話を速記していた。
「よろしいので?」
「この話自体は表に出せなくても背景を想像する上で役に立つことがあるかもしれませんし」
「なるほど」
 びっしりと書き込まれていく秘話の数々……リリアン版黒革の手帳だと思った。
「その手帳の管理はしっかりしなければいけませんね」
「ええ、もちろん」
 真美さんに限って手帳を落としてしまうとかそういうことはないだろうけれど、彼女のお姉さまに見られでもしてしまったら……
「ご心配なく、好敵手でもありますから」
 私の心配していたことを読んで答えてくれた。
「蔦子さんのフィルムと同じですね」
「ええ」
 二人の話を聞きながら、一人どうしたらいいのかと困ってしまっている令さまとあんまりな裏話にこめかみのあたりを少しひくひくさせている蓉子さまの写真も撮っておくことにした。

 後編へつづく