もうひとつの姉妹の形 -another story-

another 前編

〜4〜

 待ちに待った夏休みがやってきた。ついにやってきた!
 今日からお姉さまといっしょに泊まりがけで旅行に行くのだ。
 この日に備えて試験休みの間から準備してきたから、もう完璧。新しく買った水着も含め旅行鞄に全部詰め込んだし。後はお姉さまが迎えに来てくれるのを待つだけ……早く来てくれないかな。お姉さまが待ち遠しい。
「祐巳ちゃん準備はできた?」
「うん、もうばっちり」
 まあ、お母さんが前にやってしまったほどではないけれど……少しやりすぎた感があって、荷物が二泊三日でしかないのに目の前には大きな鞄が二つもあるのだけれど、お姉さまは車で迎えに来てくれるからこのくらいなら大丈夫だろう。
 こんなふうに荷物が多いときって、ほんとうに車があると便利だと思う。電車だとこんな大きな荷物を持ち込むのは厳しいし、何より周りに迷惑だ。
「はい、これ、お弁当ね」
「ありがとう」
 お母さんから二人分のお弁当が詰まった大きなお弁当箱を受け取る。
 それから間もなく車の音が近づいてきて家の前で止まった。きっとお姉さまだろう。
 そして思った通り、インターホンがお姉さまの来訪を告げ、私たちは荷物を持って玄関に出迎えに向かった。
「おはようございます」
「おはようございます、白薔薇さま」
 お母さんにとってはずっと佐藤聖=白薔薇さまなのだ。何度か祐巳に譲ったとかなんとかお姉さまが言ったけど一向に変わらないのでもう誰もつっこまなくなった。もっとも私自身、いまだに白薔薇さまと呼ばれるとお姉さまを探しちゃったりするから仕方がないかもしれない……似たもの母娘?
「おはようございます。しばらく祐巳を借りますね」
「祐巳をよろしくお願いします」
 お母さんから鞄を受け取って、靴を履いて玄関から外に出る。
「荷物は後ろでいいかな」
 お姉さまが後部座席のドアを開けてくれた。奥にお姉さまの荷物だろう大きめの鞄がシートに座っていた。でも私の半分以下……やっぱりやり過ぎだったか?
 今さらそんなことを考えてもどうにもならないから、シートの上に二つの鞄をのせて私も助手席に乗り込む。
「じゃ、行くよ」
「はい」
 見送りに出てきたお母さんと祐麒に「いってきます」って言って手を振った。
 お姉さまがアクセルを踏んで車が走り始める。
 そして、安定した動きで交差点を曲がる……
 お姉さまの運転する車に安心して乗っていられる。半年前の自分にそんなことを言ったら絶対に嘘だって言われるだろう。そのくらい最初はほんとうにひどいものだった。けれど実は途中からはわざとひどい運転をしていたってことに気づいた時は、私を怖がらせて楽しんでいたことに本当に頭にきて、口をきかないようにしたこともあったっけ……すぐに続けられなくなってしまったけれど。
 ともかくあれからは一転した。
「このサングラス、新しく買ったんだけど格好いいでしょ?」
 薄いグリーンのサングラスをかけて私に見せてくる。前だったら、こんな風に運転以外のことをされたらそれだけで怖かっただろう。
「ええ、結構にあってますよ」
「うんうん、そうかそうか」
 似合っていると言ったら気をよくしたのか鼻歌を歌い始めた。こんな風にちょっと調子に乗ったりとかはするけれど、それでもこう助手席に座っているだけで背中が汗でびっしょりになってしまうというようなことはなくなったのはいいことだと思う。こうなるまでに何度もマリア様にお祈りを捧げたかいがあるというものだ。マリア様、姉の運転に安心できる日を与えてくださってありがとうございます。
「ところでさ」
「なんですか」
「祐巳も結構たいへんだよね」
「はい?」
「ほらあの荷物、お母さんでしょ?」
「……え、えっと」
 やっぱりかなり多すぎたんだ。どうしよう? お姉さまは前のようにお母さんが半ば勝手に用意したものだと思っているけれど……
「……私です」
 一瞬そういうことにしてしまおうかとも思ったけれど、やっぱりお母さんのせいにするわけにはいかないだろう。だから正直に言うことにした。
「えらいえらい。人のせいにしないことはいいことだよ」
 む、ひょっとしてわかっていて聞いていたのですか?
「うん。でも、あれだけ楽しみにしていたんでしょ?」
「まあ……」
「なら良いってこと。私も楽しみにしてたしね」
 そんな感じで下道を走り続け、高速道路のインターチェンジに近づいてくると高速道路関係を示す緑色の標識が増えてきた。
「高速乗るね」
「はい」
 ん? 口調が堅いし、なんだか緊張してるような……
 車線を変更して高速道路に乗るための坂を上って発券機からチケットをとって高速に入る。
 そして、本線に入るために加速する。速くなって行くにつれてギアが切り替わり音が変わってきた。
 さすがに高速道路、今までにお姉さまの車に乗せてもらった中では一番速い……いくら今までに下道で無茶な走りをしていたといっても、そんなにとばせるわけじゃない。
 窓の外は……高い防音壁が延々と続いていて、高いビルは見えるけれど、防音壁のすぐ外がどうなっているのかは見えない。高速道路は高い高架の上を走っているから、もしこの横の防音壁がなかったらきっと見晴らしがいいんだろうな。
 そんなことを考えながらお姉さまの方を見てびっくりしてしまった。ハンドルをぎゅっと握って、心なしかぷるぷる震えているようにも見えるし、前しか見ていなくて周りに視線をやる余裕がなさそう。見るからにものすごく緊張していた。
 正月に免許取得したてで私と蓉子さまをを乗せたときだってそんなそぶりは見せなかったのに。いや、むしろあのときはだからこそ怖かったというのもあったのだけれど……まさか。
「お、お姉さま?」
 また私を怖がらせようとしているんですよね! 冗談なんですよね! お願いだから冗談と言って!
 そう願っていたもののお姉さまから放たれた言葉は予感していたとおりのものだった。
「……高速、自分の車では初めてなの」
 つまり教習では乗って以来、一度も乗っていないってことだ。
 さっきからお姉さまはちらりともこっちを見てこない……絶対に百面相しているはずだけど、楽しむどころか横をチラリと見る余裕すらないのだ。
 これってひょっとすると大ピンチというやつではないだろうか?
 クーラーもよく効いているはずなのに汗が止まらない。
「きょ、教習では……乗ったんですよね?」
「あの時は渋滞してたから……70以上出したことない」
 メーターの針は90後半……普段の二倍近くのスピードだけれど、それでも高速にしてはのろのろと走っているほうなのだろう。もとから右車線を走っている車は当然のように、同じ車線を走ってきた車でさえ次々と車線変更して私たちを追い越していく。
 ふっと、昨日ニュースでやっていた高速での事故の光景が脳裏をよぎった。
 高速で事故を起こしてしまったから、ぐちゃぐちゃになってしまった車。ニュースキャスターの楽しい休暇が一転して悲劇にという言葉が頭の中を駆けめぐる。
 ……ぐちゃぐちゃになってしまった私たちを思い浮かべて背筋が冷たくなるというよりも凍ってしまったような感触を覚えてしまった。
「ねぇ……遅いかな?」
「え!?」
「みんな抜かしてくし……」
 また後ろの車が右側の指示器を出して抜かしていく。
「や、やめてください! 死にたくないです!」
 本気だった。いや、必死だった。
 また一台。それも大型のトラックが横を轟音を立てながら抜かしていった。
 抜かしたい車はどんどん抜かしていってほしい。周りにあわせてもっと速く走るよりもずっと良い。
「う、うん、お祈りしてて」
 いつぞやのことを思いだしたのだろう。
 必死にマリアさまに無事を祈ったけれど、今回はお姉さまもそれを笑うみたいなことはなかった。
 そんな感じで三十分。都内を出て徐々に交通量も減ってきたし、お姉さまも少しずつなれてきてなんとか無事にいけそうかなって思っていたのだけれど……突然ドアミラーに映っていた後ろの白いワゴンがぐおおお〜! とか効果音がつきそうな勢いで思いっきり車間を詰めてきた。
「お、お姉さま後ろ! 後ろ!」
「え? ちょ、ちょっと! 冗談でしょ!」
「きゃああ!」
 お姉さまがアクセルを思い切り踏み込んで加速して衝突を避ける。
「な、なんなのよいったい!?」
 今のお姉さまが加速しなかったら絶対にぶつかっていた。まさかぶつけるつもりだったとでもいうのだろうか? まさか、そんな馬鹿なことあるはずがないと思ったのだけれど、さらにスピードを上げて突進してきた。ぶつける気だ!
「お姉さま!!」
「こなくそ!!」
 アクセルベタ踏みなのに車間が詰められてしまう。まずい、向こうの車の方が速い。
 だんだん近づいてくる。もうだめかとも思ったのだけれど、ぶつかる寸前すっといった感じでワゴンは右側の車線に移った。
 けれど、胸をなで下ろすのは早すぎた。今度は横からぐいぐい幅寄せをしてきたのだ。
「なっ! 正気!?」
 お姉さまが何とか衝突を回避しようとハンドルを切る。窓のすぐ外は高い壁。
「ひぃぃぃい!?」
 もうだめだ。お父さん、お母さん先立つ不幸をお許しください。祐麒、お姉ちゃんがいなくなってもたくましく生きておくれ。お姉さま、祐巳はあなたの妹になれて幸せでござい……?
 来ると思った衝撃が来ない。おそるおそる目を開けてみると乱れた息を整えようとしているお姉さまとはるか先に豆粒状に見えるワゴンだった。
 た、助かった?
 命拾いしたという実感がわいた瞬間、座席にぐったりと沈んでしまった。立っていたら間違いなく腰を抜かしたと思う。
「漏れそうだった……」
 お姉さまがぼそりとつぶやいた。口には出さなかったけれど私も同じだった。


 その後、どこかびくびくしつつ運転しながらも、無事にサービスエリアに到着することができた。二人ともくたくたになっちゃったからゆっくり休まないと。
 大きな駐車場にはたくさんの車がとまっている。お姉さまが出し入れしやすそうな所を探していると、いきなりうなりだした。
「むむっ……」
 前方にはあの白いワゴンがとまっている。ナンバーとか確認する余裕なんてなかったから、本当に同じ車かどうかはわからないけど。あんな車の近くに止めたくないということで、ずっと離れた場所に停車。
「「ふぅ」」
 二人の安堵の息がぴったり重なった。
「ぶじだった……」
 心の底からの言葉だった……
 途中あんな訳のわからないトラブルに巻き込まれてしまったけれど、そもそもどうして高速をまともに乗ったことがないのにこんな遠出をしようと思ったのだろうか? 高速に乗ったことがないなら、ないと一言言ってくれば良かったのに。
「言ったら祐巳はどうするつもりだったの?」
「新幹線ですね」
 もうきっぱりと。
 当たり前だ。新年早々初心者中の初心者とでもいうようなレベルにもかかわらず、本人は調子乗りまくりな運転を見せつけられたあの悲劇の再来を望む馬鹿がどこにいると思ってるんだ。
「やっぱり〜。でも、それだといつまでたっても高速に慣れないじゃない」
「お一人で慣れておいてください」
「わー、祐巳ってば薄情」
「私だって命は惜しいんです!」
「もうひどいなぁ……」
 そこまで言わなくてもいいじゃないとぶうたれているけれど、それだけのことをしたってことを自覚してください。
 そう言ったら、今は快適に乗れるようになったでしょとかなんとか……だからそういう問題じゃないって言い合いながらサービスエリアの建物に入った。
 自動ドアの向こうにずらっと並んでいた自動販売機の一つにお姉さまが硬貨を入れてボタンを押す。
「でも実際あそこまで緊張するなんて思わなかったなぁ。みんなビュンビュン飛ばしてくんだから……おまけにあんな暴走車もいるし」
 下道ではかなり飛ばしていたお姉さまも、高速では平均以下だった。
 きっとあの車も楽しそうなおもちゃを見つけたみたいな感じで仕掛けてきたのだろう。高速ではあおりを趣味にしている悪趣味な人もいるって話を思いだした。
 まあ、お姉さまのことだから、初心者感覚もあとしばらくの間だけの話だとは思う。ひょっとしたら帰りには口笛を吹いているかもしれない。
「はい、怖い思いをさせちゃったお詫びね」
 できあがったコーヒーをとりだし、そう言って私の分の代金を投入してくれた。
「ありがとうございます」
 砂糖増量。クリームも増量のボタンを押してからコーヒーを選んだ。
「どうする? 何か食べる」
「あ、そうだ。お母さんがお弁当を作ってくれたんです」
「ああ、なるほどあの包みそうだったのか。じゃあ、車に戻ろうか」
「はい」
 車に戻ってお弁当を開ける。
 お弁当は生暖かかかった。うん、今は冷房全開だからだんだん涼しくなってきているけれど、炎天下に置かれた車の中はすごく暑くなってしまう。もし、サービスエリアで休憩している間ずっとお弁当を放っておいてしまっていたら、やばかったかもしれない。すぐにダメになってしまうようなものは入ってないけれど、それでも……二人そろって食中毒で七転八倒なんてことになったらしゃれになってない。せっかく交通事故の危機を乗り越えたのに、結局Uターンなんてのはごめんだ。
「あ〜、おいしかった。まんぷくまんぷく。余は満足じゃ」
 どこからか扇子を取りだしてパタパタさせながらそんなことをのたまう。いったいいつの時代の人間だあんたはとつっこむのも面倒だから、やめておく。
 空になった弁当箱と包み直して後部座席においた。
「それじゃ、いきますか」
「そうですね」
 出発進行。車は再び目的地に向かって走り始めた。


〜5〜

「あ、み〜つけた」
 助手席の江利子がちょっと楽しそうに声を上げる。
 見つけたって何を見つけたとのかと、視線を追うと聖の車が少し先の走行車線を走っていた。
 さっきのことについてサービスエリアで小言を言っていた時間が長かったからだろう。その間に追い抜かれてしまっていたようだ。
「蓉子だって最初は楽しんでたでしょ?」
 私の考えていたことを読んでそんなことを言ってきた。
「ものには限度というものがあるってさっきなんども言ったでしょう?」
 聖には前に車でずいぶん怖い思いをさせられたし、最初はその仕返しにもなるかもと思って賛同してしまったのだけれど……。
 ある意味聖よりもひどかった。聖の運転はひどいといってもまだまだ初心者の域を出ないわけだけど(だからこそ逆に怖くもあるが)、江利子のは車の限界を知った上での無茶というかなんというか。ハワイの免許を持っていて別荘に行くたびにガンガン乗り回していたというのは伊達ではなかった。一発免停確実なスピードで鼻歌を歌いながら幅寄せまでかましたわけで。
 ただ同乗している方としてはたまらない。第一、江利子がどれだけ自信があり実際にテクニックがあったとしても、聖のほうが何か失敗してしまったりしたら周りの車も巻き込んで大惨事につながりかねないではないか。
 由乃ちゃんも最初は乗り気だったけれど、あれはあんまりだからサービスエリアで私と一緒に苦言をはいた……もっとも二人がかりでお説教しても当の江利子はどこ吹く風という感じであったけれど。
 今思えば令の予感をもっと信頼すべきだった。彼女は最初からずいぶんとおびえていた。そんなにおびえる必要はないのになんて思っていたけれど……令が正解だった。きっと何度となく、苦労という意味では私以上に江利子と付き合ってきた彼女だからこそ危険性を肌で感じていたのだろう。同じ過ちは繰り返さないように反省しないと。
「まあいいわ。で、どうする? このまま後ろをついていく?」
「やるならもちろん付いていくべきよ」
 江利子は即答だった。やる。つまり、もう少し聖をからかうなら裏に張り付くべきで、やらないならさっさと抜いていけと言っている。
「先に行った方がいいと思います」
「さっさと行く方に一票」
 すかさず追い抜きを提唱する令と由乃ちゃん。私が信用されていない、というよりこのままついて行くとまた江利子が何を言いだすか分からないって所かしら。
「では全員一致ということで抜かしていきましょう」
 ただし、ちょっとだけ軽いいたずらをしてから。
 私も江利子には及ばないけど高速にかけては聖よりは自信がある。サークルで何度も遠征して必然的に身に付いてしまったのだ。
 前の車が聖の車を抜かしていったから、聖の車の後ろにつけることにする。
 アクセルを少し踏み込んで徐々に車間を詰めていく。
 こっちに気づいたのだろうスピードを上げて距離を取ろうとする。さっきのイメージがあるからこの車に詰められると怖いだろう。だからこちらもさらにスピードを上げてじわじわと追いつめていく。
「あんなこと言っていても蓉子もやるじゃない」
 私のいたずらに楽しそうな声を出してきた。
「まあ、私がするいたずらなんてこの程度のことよ」
 さっきの江利子の危ないいたずらがなかったら、別にこの程度怖いとは思わないだろう。そんな安全だけれど、効果はあるいたずら。
 徐々にスピードが上がっていくと、聖の車がその前の車に追いついてしまった。けれど、追い越し車線に移って抜かしていくみたいなことをする勇気はなかったのか、そのまま走行車線を走ることを選択したために速度を落とさなければいけなくなった。だから一気に車間が詰まる。
 今聖はもちろん祐巳ちゃんも怖がっているだろう……聖はともかく、祐巳ちゃんをあまり怖がらせるつもりはないし、しばらくぴったり後ろから追いかけて怖がらせたあとは、追い越し車線に入って一気に抜き去ることにした。


 途中で運転を江利子に変わったけれど、聖のように見知った相手がいればともかく、そうでない全く知らない車に対していたずらを仕掛けるようなことはしなかった。その代わり退屈なのかガンガン飛ばしている。オービス周辺と前方に一台も車がいないとき以外は最高速寸前という無茶ぶりだ。このまま行くとずいぶん早く到着することになりそうだ。……心臓に悪いことこの上ないが。
 そこで、多数決によりスケジュール的に早すぎるので確かに安全かもしれないが決して安心ではない運転手は交代することにした。一人反対している人間がいたけれど民主的にその意見は却下した。
 強制的に交代させられたせいかふてくされていた江利子だけれど急に目を輝かせ始めた。後ろを興味深げに眺めているようだけど……
 バックミラーにも映っている後ろの二人はさっきから眠ってしまっている。江利子の運転時に気を張りつめすぎたのだろうか。無理もない。そして江利子がおもしろがり始めた理由もわかった。
 なんと由乃ちゃんが令に膝枕をしている。
「後ろ、珍しい形ね」
「そうね。せっかくだしカメラにおさめておこうかしら」
 江利子も似たような感想なようで、そう言ってポシェットからデジカメを取り出して二人の姿をカメラにおさめた。……膝枕をしてもらっている令は気持ちよさそうな寝顔をしているし、二人の姿は珍しいだけでなくて、絵にもなっていると思う。
 運転しながらだから、二人を鑑賞しているわけにもいかない。それが残念だ。
「江利子、写真後で見せて」
「ん、了解。A4に全面印刷してあげるわね。ご希望ならポスター印刷でも良いわよ」
「そこまではいらないわよ」
「そう?」
「それはともかく、令と由乃ちゃんのこんな姿を見られるなんて、あなたの運転に感謝しないとね」
 令たちには悪いけれども。
「あら、失礼しちゃうわね。安全かつ高速よ、私の運転は」
 さらに何枚か追加で二人の姿を撮影しながら憮然とした表情でそんなことを言う。
「自分で安心と言わないあたり少しは自覚があるようね」
 江利子が口を開いた時、一つ前のインターチェンジを通り過ぎた。
「次だったわよね?」
「そうね」
「ナビの準備よろしく」
「はいはい、了解」
 反論のタイミングを逸して幾分不満そうだけど用意してあった地図帳を取りだす。
「いま、ここね。もうすぐ長いトンネルに入るわよ」
 付箋を付けていたページを開いて確認した通りに前に信号機付きのかなり長そうなトンネルが見えてきた。信号機はみんな青。減速してトンネルに入った。
 地図帳を閉じようとしていた江利子が驚いている。
「ずいぶん明るいわね、このトンネル」
「最近作られたり改修された長いトンネルはみんなこんな感じよ」
「へぇ。オレンジのイメージしかなかったから妙な感じね」
 トンネルというとナトリウムランプのオレンジ色の光に照らされるだけのモノトーンの世界を思い浮かべがちなのだが違うのだ。最近の長いトンネルは白色かつずいぶん明るい。なんでもオレンジ色である意味がないことが実証されたとか。私もサークルで先輩にうんちくを披露されて初めて知った。
 地図帳を見ながら江利子がつぶやいた。
「聖たちは、今どのあたりかしら?」
「そうね……あっちは運転手が一人しかいないし、なれてもいなかったから、まだ結構後ろの方でしょうね」
 なれていないから遅くなるし、いっそう疲れるからサービスエリアでの休憩も長くなる。江利子が飛ばしに飛ばしたことも考えると一時間以上差がついたかもしれない。
「これでゆとりを持って待ちかまえていられるわね」
「心のゆとりも欲しかったけどね」
「なによ、まだ根に持ってるの?」
「根に持つも何もさっきから一時間たつかたたないかでしょうが……」
「蓉子、過去は忘れましょう。私たちは未来を生きるべきだわ!」
「未来志向で行くのに異存はないけどお願いだから過去も振り返ってちょうだい」
「ふふふ、この先代黄薔薇さま、鳥居江利子に過去の二文字はないわ!」
「そう、なら先代紅薔薇さま、水野蓉子が嫌というほど思いださせてあげようかしら?」
「……ごめんなさい、反省しています」
「よろしい」
 そこまで言ったところでどちらからともかくクスクスと笑い出してしまった。
「蓉子も結構ノリがいいわね」
「せっかくの旅行だしね」
 聖と祐巳ちゃんにはちょっと悪いことをしてしまったかもとは思うけど、何を隠そうこの私も江利子から企てを聞いたときから楽しみでしかたがなかったのだ。
 さすがに全員集合とは行かなかったけれどこれだけの人数で旅行なんて本当に久しぶりだ。ひょっとすると私がつぼみの時の旅行が最後じゃないだろうか?
 トンネルは延々と続いている。まだ出口が見えない。
 前も後ろもずっと同じ構造、右も左もトンネルの壁と照明が見えるだけで単調……こうも長いトンネルだと少し感覚が狂ってきてしまう。
「このトンネル本当に長いわね」
「そうねぇ……ねぇ、蓉子」
「何?」
「この前テレビでトンネルに入ったら、空間がループになってしまっていて出てこれなくなる話をやってたんだけど、本当にそうなってたらどうする?」
「ループ?」
「そうそう、一度そのトンネルに入ってしまったらもう最後。何度も同じ場所を通ることになって、おかしいって気づいてももう手遅れ。Uターンしてもやっぱり元に戻ってきてしまって、トンネルからでることができなくなるのよ」
 それでは一つの長い話にはなりそうにないし、昔放送していた不思議な物語を集めた番組のようなものだろうか? それはいいとして、今その話を出すということは……
「怖がらそうとしたってだめよ」
「う〜ん、やっぱり蓉子相手じゃつまらないわねぇ〜。令だったら楽しめたでしょうに……起こそうかしら」
 気持ちよさそうに後ろで寝ているを二人を振り返ってそんなことを言った。きっと今獲物を見つめる目になっているだろう。せっかくの気持ちいい夢の世界から、江利子にからかわれる悪夢の世界に呼び出されたらかわいそうだ。
「やめておきなさい。それに、起こしても今からじゃ遅いわよ」
 まだまだずっと先だけれど出口の明かりが小さく見えてきた。
「ああ、それは残念」
 本当に残念そうだ。もし、この車に祐巳ちゃんあたりが乗っていたら……いいおもちゃにされてしまったことだろう。まあ、そのときは聖がかばうかもしれないけれど……。いや、実際には二人だけだからどうだろう?
「どうかしたの?」
「いえ、祐巳ちゃんをからかって楽しむ人のことを思い出してね」
「ああ、ここは絶好の場所ね。同行にしていればよかったかしら?」
「はじめから同行だとたくらみのほうはどうするの?」
「ああ、そうね。どうしようかしら……良い案はない?」
「さすがにそんな案は持っていないわね」
「そう。それは残念ね」
 ようやく長いトンネルを抜けて景色が移りゆく世界に戻った。


〜6〜

「運転お疲れ様でした」
 車をとめてエンジンを切るなりそう言って車を降りた。
「ちょっとゆみぃ」
 後部座席に積んでいた自分の荷物だけ持ってさっさとホテルに向かう。
「ちょ、ちょっと待ってよ祐巳!」
 お姉さまも自分の荷物を持って追いかけこようとしたけれど、車に鍵をかけないわけにはいかない。あわてて車に戻って鍵を閉めてから追いかけてきた。けれども、私はお姉さまを待つどころか歩く速さを上げる。
 私がこんなに腹を立てているのは、さっきの長い長いトンネルでひどく腹が立つからかわれ方をしたからなのだ。
 長いトンネルで後ろに全然車がいないことをいいことに、すごくゆっくりと走って、トンネルを異常な長さに勘違いさせてきたのだ。そしていったいいつになったらトンネルを抜けられるのか、いったいどのくらいの長さがあるのかってどこか少し不安になってきていたら、この前テレビで見たとか言って、空間がループしてしまってトンネルから出られなくなってしまう話をしてきた。
 異常なくらい時間がかかっていたし、本当にそうなっていたら? って怖がっているところに、「大丈夫。何があったって私が守るから」なんて殺し文句に感激して目を潤ませてしまった……で、お姉さまは大爆笑で種明かし。
 そんな風に私の気持ちをもてあそぶなんてあんまりにもあんまりじゃないだろうか?
「だからごめん。この前とっても美味しいケーキ屋さん見つけたから帰りに寄っていこう。ね?」
 一瞬ひかれそうになってしまったけれど、ここで引くわけにはいかない。
 ひどいことをしたって気がこれぽっちもないし、ここでわかってもらわないとまた仕掛けてくることは間違いない。
「その店はスイスの有名メーカーから直接チョコレートを仕入れて使ってるんだけど、その特製のチョコレートクリームがさっぱりした甘さと深い苦みが絶妙なバランスを保っていて」
 けれど、お姉さまはそのケーキ屋さんのケーキがいかにすばらしいかという説明を始めてくださいました。
 ケーキみたいな甘いものでご機嫌取りをすればごまかせると思っていることにも腹が立ってくる。
「ケーキの種類はあんまりないけど、その分一つ一つをしっかり作っているっていうか」
「……お姉さま」
 睨んでもそのまま説明を続けていたけれど、少しドスをきかせた声で呼ぶと直ぐに説明をやめて一転神妙な面持ちに変わった。
「……お願い許して」
 ものでつるのはやめて今度は私の目の前で手を合わせて、この通りだからなんて謝ってきた。最初からそうしていれば……と思ったのだけれど、こういったことで直ぐに心から謝るお姉さまというのも何となく想像できなくて……むしろ何かあるのではないかと勘ぐってしまうかもしれない。
 不満のままなのは変わらないし、相変わらず反省の色というのがほとんど見られないのだけれど……まあ、要するに私のお姉さまはこういう人なのだし、そういう人を姉にしたのだから何を言ってもいまさらでしかないと、もうあきらめ始めている自分がいる。
 一つ心からの深いため息をついてから「仕方ないですね。もう二度とあんな悪戯はしないでくださいね」と言って許してあげることにした。
「うん。許してくれてありがとう。荷物持ってあげるから、さ、行こう」
 とたんに調子をよくして私から荷物を両方ともひったくって、嬉しそうな足取りでホテルの方に歩いていくお姉さまとその後をどこかやれやれとでもいったような感じでついて行く私。私たちって周りから見たらどう見えているのだろうか?
 そんなこと思っていたらお姉さまにドンとぶつかってしまった。
「お姉さま?」
 なぜ突然立ち止まったのだろうと渋い顔をしているお姉さまの目線の先を追うとその理由はすぐにわかった。そこにはあの白いワゴンが停まっていたのだ。私も渋い顔になる。
 今日はやけにあのワゴンがよく目に付くけれど、さすがに目的地が同じだなんてことはないだろうからただの偶然だろう。いや、そうに違いない。
 ……そう思ったけれどいまいちすっきりしなくて、もやもやとした感じを抱えたままホテルのロビーに向かうことになった。
 そして、入り口のところでなんだか妙なものを見つけてしまった。
「……水野様御一行?」
 看板にはめられた木製の板の一つに毛筆のきれいな書体で『歓迎 水野様御一行』と書かれていた。
 水野という名字は結構あるし、実際にうちの学年にもいる。けれど……
「……なんだか、いや〜な気がしますね」
「……うん。同じく」
 妙に慎重な足取りになって二人で揃ってホテルのエントランスをくぐった。
 茶色系の落ち着いた色を基調にしているけれど、ロビーは吹き抜けになっており、ガラス張りの天井から太陽の光が存分に降り注いできている。
 本当だったらこの光景を目にした瞬間に歓声を上げ、田舎もの根性丸出しであたりをうろちょろし始めたかもしれないのだけれど……そこら辺にあるものよりも圧倒的に気になる人たちがいたからそれどころではなかった。
 ロビーのソファーに座ってカップを傾けていたり、楽しそうにおしゃべりをしていたりと、そこで思い思いにくつろいでいる人たちにはみんな見覚えがあったのだ。
「あら、聖に祐巳ちゃん。奇遇ねぇ」
 楽しそうな顔をしながら私たちに近づいてきたのは、江利子さま……思わずその間に膝をついてしまいそうになるほど脱力してしまった。実際にはそうはならなかったけれど……やられた。
 改めて他のメンバーを見ると、蓉子さま、令さま、由乃さんといった感じだった。どうしてこんなことになっているのかはわからないけれど、この事態の主犯とさっきの犯人がわかってしまった。
「何が奇遇なもんか……」
「いやねぇ、聖と祐巳ちゃんにも声を掛けたじゃない。たまたま目的地がいっしょになっただけじゃないの」
 そういえば一昨日、江利子さまから旅行のお誘いの電話がかかってきたっけ。日程が完全にかぶっていたから断ったけれど、まさかこんな答えだったとは……いったいどうやって私たちがここに来ることを知ったのだろうか。
「……もう言うことはないよ」
「あら、そう」
 ホテル到着と同時にどんよりと重い気分になってしまったけれど、とりあえずチェックインをすませて自分たちの部屋に向かうことにした。

〜7〜

「驚きですわね」
 一緒に柱の陰に身を隠しながらロビーの様子をうかがっていた同士がコクコクと頷きながら同意してくれた。江利子さまが動くことになってしまったときは、祐巳さんと聖さまに申し訳なく思ったのだけれど、そのとき思っていたことよりも話が大きくなっている。
 江利子さまだけではなく黄薔薇ファミリーが勢揃いし、さらに先代紅薔薇さまである蓉子さままで来ているとは……
「紅薔薇ファミリーがいないのが残念ではありますけれど、それでも豪華なメンバーですね」
「ええ、これは千載一遇のチャンスですね」
「このメンバーなら、何か起こっても起こらなくてもネタになるでしょうね」
 江利子さまは何か起こす気でやってきただろうし、何も起こらないとはちょっと思えない。しかし、たとえ何も起こらないとしても、これだけのメンバーが一緒に遊びに来ているというだけでもすでにかわら版の一面を十分に飾れるほどのネタで間違いないだろう。
 そして私にとっても、被写体が大幅に増えてうれしい話だ。
「絵にもなりますね」
「ええ、新幹線を使ってきたかいがありましたね」
「本当に」
「すぐに海に行くようですけれど、私たちも準備をして先回りしましょうか」
「そうですね」
 同士とともにすぐに準備をして海に向かった。


 中編へつづく