真夏の夜の悪夢

地獄変 第六歌

 「マリイ博士、さっきは何か眠そうだったけど、大丈夫?」
 「ええ、何とか…本当はとっくに眠ってる時間ですけど…。」
 「無理そうだったら、外で待ってる?僕が一人でホイッスル取ってこようか?」
 「お気遣いなさらないで。それに、外で一人心細い想いで待っているよりは…ケイタさんとと一緒の方が…。」
 「あ、そうか。女の子を一人にしておくのも拙かったね。失礼。」
 「いいえ、こちらこそケイタさんに気を使わせてしまって済みません。」
 ケイタとマリイのチェックポイントはプール。証拠物件はホイッスルだ。
 よってこの二人は他の5組のペアとは違って昇降口から校舎内に入らず、校舎に添って進みながら体育館を目指していた。
 体育館の上が屋内プールとなっているのだ。
 「プールが体育館の真上にあるのって珍しいね。しかも屋内プールとは、さすが元はお嬢様学校だ。」
 「それにしても、こんな夜更けに行うイベントって変わってますわね。」
 時刻は草木も眠る丑三つ時。
 「でも、アメリカにだってキモだめしの類はある筈だけど?」
 「それは、幽霊が出たり超常現象が起きると言われている場所に行ってスリルを味わうというのは確かにありますわ。でも、日付を越える程夜も深まってから始まる、というのは聞いた事がありません。」
 「ちなみに、マリイ博士は幽霊とかは信じる?」
 「まさか。例えば人魂とか言われているのはただのプラズマ発光現象に過ぎませんわ。科学的に解明できる現象に霊だの残留思念だのを意味も無く結びつけるのは愚の骨頂です。」
 「でも、科学的に解明できないというか、科学が追いついていない事象もあるよね。例えば[使徒]とか。」
 「そうですね。幽霊は信じませんけど、UFOやUMAなら興味はあります。ネッシーが悪戯だったのは残念でしたけど…。」
 「日本にはクッシーやイッシーというのがあるよ。」
 「…ネッシーの仲間ですか?」
 「いや、本当はまだ全然わかっていない。とにかく、謎の水棲巨大生物の目撃情報があるんだ。一つは北海道にある屈斜路湖、もう一つは鹿児島にある池田湖。」
 「あの、何でそのUMAの語尾は‘ッシー’なのですか?」
 「それが日本人のマヌケなところなんだ。ネッシーというのはネス湖の怪獣だからNESSの語尾にIEをつけた訳だよね。」
 「ええ。」
 「で、日本のマスコミは屈斜路湖や池田湖の怪獣騒ぎを聞きつけて、ネッシーという前例があったのでそれに倣ったと言うか話題性を狙ったと言うか、屈斜路の‘く’、池田の‘い’と‘ッシー’を其々組み合わせてお手軽な名称を作り出した訳なんだ。」
 「はあ……。」
 「他にも、ファッション・リーダーは‘ラー’付け、ちょっとユーモラスな外国人は‘ちゃん’付け、イケ面の外国人男性は‘○○様’…こんなバカなマスコミだから偽情報ばかりに振り回されて真実を掴み切れないんだ。」
 「ふふっ、ケイタさんはいろんな事を知ってらっしゃるのね。」
 「まあ、何の役にも立たないトリビアだけどね。」
 等と下らない事を話しながら歩いてるうちに二人は体育館の入り口にやって来た。
 外に階段は見当たらない。中に入るしかないようだ。
 ケイタは入り口のドアを引っ張ろうとしたが、蝶番が錆付いているのか重かった。
 「マリイ博士、ちょっとこれ持ってて。」
 ケイタはライトと地図等をマリイに預けると、両手でドアを渾身の力で引っ張って何とか開けた。
 「ふう…ネルフも蝶番に6−4−3ぐらい掛けてくれてもいいのに。」
 「ご苦労様。」
 ケイタはマリイからライトと地図を受け取って進んだ。入り口からすぐ、両脇に上に続く階段があった。
 「どっちから行く?」
 「ケイタさんにお任せしますわ。」
 「じゃあ、せっかく道が二つあるから、僕は左、マリイ博士は右を。」
 「えっ、でも…。」
 何だかマリイは不安な表情を見せた。
 「途中に証拠物件があるかもしれないし、ここは二手に分かれたほうがいいよ。」
 そう言ってケイタはすたすたと左の階段を上がり始めた。
 仕方なく、マリイも右の階段を上がり始めた。
 だが、プールがある四階までの途中で証拠物件は見つからなかった。
 先に到着したのはケイタで、マリイは少し遅れてやってきた。
 「そっちのルートもダメだったようだね。」
 「ケイタさんの方も?」
 「うん。さて、次は…。」
 真っ直ぐ進むとプールだが、左右にも何やら扉がある。
 「こっちは…倉庫か。そっちは?」
 「更衣室のようですわ。」
 「じゃあ、僕は倉庫を調べるから、マリイ博士は更衣室を。」
 「は…はい…。」
 普段はマイペースだが、ケイタの前ではまるで借りてきた仔猫のように従順になってしまうマリイ。
 本当はケイタと一緒にいたいのだが、ケイタの方は中学生の頃のトウジ以上に鈍感らしい。
 さて、倉庫のドアは割と簡単に開いた。
 ライトで照らすと、両側と真ん中に備え付けらしいコンクリート製の棚があった。
 こういう所にある物と言えばプールのコースを分ける浮きのラインとかビート板とかだろうが、全て片付けられていた。
 「何も無し、か…ん?」
 真ん中の棚の奥に何故かスクール水着が一着置いてあった。
 「忘れ物…じゃないな。更衣室ならまだしも、こっちに水着が有る訳が無い。これは誰かが故意に置いた物だ。」
 一応水着の中も調べてみたが、証拠物件は無かった。
 一方、更衣室のドアも簡単に開いた。
 ライトで照らすと、両方の壁に備え付けらしい木製の棚が並び、中央には大きめの机が幾つか並べられていた。
 「何も無いみたいですわね…あら?」
 真ん中の机の上に何故かビキニの上下が置かれていた。
 「忘れ物…じゃないですわね。割と新しいデザインだし、これは誰かが故意に置いた物ですわ。」
 一応水着の中も調べてみたが、証拠物件は無かった。
 ケイタが倉庫から出てきた直後、マリイが更衣室から出てきた。
 「無かったよ。何故かスクール水着があっただけ。」
 「こちらもですわ。あったのはビキニの水着だけ。」
 「すると、やっぱりプールの方か。」
 二人はプールの傍に行ってみた。すると、飛び込み台の上にまたしても…。
 「今度は競泳用のハイレグワンピースですわ。」
 「どうせネルフの人が置いたんだろうけど…。」
 「…ホイッスルは入っていませんわ。」
 マリイが水着を拾って確認した。
 「うーん、どういうつもりなのか…。」
 「…まさか、プールの中にあるから水着に着替えて探せ、とか…。」
 マリイがライトをプールに向けると、何故かまだ並々と残っている水面が光を反射した。
 「でも、女性用しかないからなあ…。とりあえず、プールサイドをぐるっと回ってみよう。」
 「はい。」
 マリイは水着を元に戻すと、ケイタとともにプールサイドに進んだ。
 ケイタはさりげなく水に近い方を歩く。
 「…ありませんね、ホイッスル。」
 「確かにプールで、と言うか体育の授業で使う物だけど、ビート板とかもっと大きい物にしてくれれば良かったのに。」
 「或いは、水着とか水泳帽とか…。」
 「あの水着のどれかが証拠物件だったらもう帰路に着いてた頃だったのにね。」
 プールの長さは25m。ちょっと歩いただけで奥に来てしまった。
 「こっちの方は施設的には何も無いみたいだね。」
 こちらには壁しかない。と思ったら、ライトの光に何故か井戸が浮かび上がった。
 「…何故、こんな所に井戸が有るのでしょう?」
 「まさか…。」
 一時期、日本でベストセラーとなったホラー小説で、最後に井戸の中から亡者が現われるというものがあった。
 「…あの井戸から、何か出てくるんじゃないでしょうね?」
 「あ、そうか、アメリカでも映画になったんだっけ。」
 と、マリイがケイタの片腕にしがみ付いた。
 「どうしたの?マリイ博士。まさか…。」
 「こ、こ、怖くなんかありませんわ!た、ただ、あの映画は好きじゃないのです。」
 「わかった。マリイ博士はここにいて。僕が調べてくるよ。」
 「は、はい…。」
 ケイタはマリイを置いて井戸の方へ歩き出した。
 そして、マリイのライトが写し出すケイタのシルエットはやがて立ち止まった。
 「…アホかーっ!!」
 いきなりケイタは怒鳴るや否や、井戸を蹴飛ばした。
 「ケ、ケイタさん!?」
 マリイが慌ててケイタの傍に駆け寄る。
 「これは絵だー!!」
 「はあ?」
 マリイが近寄ってライトで照らして良く観察すると、それは壁に描かれた井戸の絵だった。
 「…ったく、騙し絵というのか、陰影まで良く描き込まれていて、これじゃ遠目じゃ絵だとはわからないよ。」
 「これは…街の危ない人達が描いた絵じゃありませんわね。」
 「どうしてこんな下らない事に凝るんだろう、葛城さんは…。」
 二人は一気に脱力した。
 「…まあ、文句は後にして、目的の物を探さないといけませんね。」
 「そうだね。♪探し物は何ですか〜、見つけにくい物ですか〜。」
 「何ですの?その歌は。」
 「昔流行った歌。あ!」
 ケイタのライトの光が、飛込み台の上に置かれたホイッスルを照らした。
 「あった!」
 〔おめでとう。よくこの宝物を見つけました。誉めてあげます。byミサト〕
 「これは葛城さんのメモだ。間違いない。」
 「…こっちから来た方が早く見つかりましたね。」
 ホイッスルは二人が歩いて来たプールサイドの反対側の一番端の飛込み台の上に置いてあったのだ。
 「そうみたいだね。真ん中の飛込み台の上に置いといてくれたら良かったのに…。」
 ケイタは自分の判断で結局遠回りになった事にがっくりして、飛込み台の上に座り込んだ。
 「あ、あら、御免なさい、ケイタさんを悪く言うつもりはなかったのです。」
 マリイは慌ててケイタに謝った。
 「ありがとう。大丈夫、そんなに落ち込んでないよ。運が悪いのは前からだしね。」
 ケイタは立ち上がるとマリイの手を握った。
 「戻ろう、マリイ博士。時間内に戻らないと葛城さんの罰ゲームが待ってるし。」
 「そうですわね。」
 ケイタから手を握られて、マリイはちょっと頬を赤くしながら肯いた。
 「カヲルさん達が言ってらした事は本当なのですか?」
 「葛城さんの料理の事?うーん、どうだろう。一緒に住んでいる碇くんや惣流さんの話だと本当らしいけど、前にマナがご馳走になった時は何でもなかったって言ってたし…。」
 その時、どこからか小さな水音がした。
 「…気のせいかしら?今、何か水が撥ねるような音が聞こえたんですけど…。」
 二人は一応立ち止まって耳を澄ましてみた。だが、水音は聞こえなかった
 「気のせいみたいだね。」
 しかし、そのまま進んで角を曲がった時、今度は先程より大きい水音が聞こえた。
 「…今のは…はっきり聞こえたんですけど?」
 「うん、僕にも聞こえた。」
 二人はプールの中に何かがいると感じた。
 「…ケイタさん…そこにあった水着が…。」
 真ん中のコースの飛込み台の上にあった水着がなくなっていた。
 それをケイタも確認した時、また水音がした。
 二人は思わずライトを向けた。
 そこには、プールから這い上がろうとする何者かの手が見えた。
 「…ケ、ケ、ケイタさん…。」
 マリイは得体の知れない恐怖を感じてケイタにしがみ付いた。
 「マ、マリイ博士、しっかりして。」
 マリイのしがみ付く力が尋常でないので、ケイタは立っているのが精一杯だ。
 ライトの光の先には、長い髪の女性らしき何かの上半身がプールから上がり始めていた。
 「マリイ博士、とにかく、逃げよう。」
 「…だ、だめ…動けない…。」
 ケイタはマリイの手を離したが、恐怖で腰が抜けてしまったのかマリイはその場にしゃがみこんでしまった。
 「く…何か…何か武器があれば…。」
 だが、得体の知れない相手に何が効くのだろうか?
 既に‘それ’はプールから完全に這い上がり、立ち上がってこちらへ歩き出そうとしていた。
 「そうだ!スタンガン!あれなら…。」
 ケイタが思いついて言葉を発した時、意外にも…。
 「嘘!?それはやめてっ!!」
 ‘それ’は思わず後ずさった。そしてその声は…。
 「まさか…カエデさん!?」
 「あ、ばれた…。」
 「こんな所で何やってるんですか!?」
 「え…いや、ちょっと、水泳の練習でもしようかなぁ、なんて…。」
 「え…?」
 その声のやり取りを聞いてマリイが見上げると、そこには黒い長髪の鬘を付けたまま頭を掻く者がいた。身に纏っているのは先ほどの水着。
 「ご丁寧にそっくりなズラまで被って…。」
 ケイタはムスっとしていた。
 「…そういう…事ですか…。」
 マリイは見事に引っ掛かった事にがっくりきていた。
 「ゴメンネ、マリイ博士。怖かった?」
 「大体、マリイ博士歓迎のイベントを計画中って言ってましたけど、もしかしてこれがそうなんですか!?」
 「そんなに怒らないでよ、ケ・イ・ちゃーん。」
 カエデはニッコリ笑ってケイタの頬を突っ突いた。思わず頬を赤くするケイタ。
 「…と、とにかく、後できっちり説明して貰いますからね。」
 ケイタはカエデにそう言ってマリイの手を取った。
 「行こう、マリイ博士。」
 「…はい。」
 二人はプールを後にして階段を降り始めた。
 「あの…先ほど、私についてのイベントをどうとか…。」
 「せっかくこっちに拠点を移したんだから、正式に歓迎しようという話があったんだけど…よりによってこんなイベントなんて、葛城さんもどうかしてるよ。」
 「結構子供っぽい方なんですね。」
 「あれでよく結婚できたものだと思うよ。加持さんも苦労したくないから世界中を飛び回ってるんじゃないかな。」
 「かもしれないですわね、ふふ。」
 マリイはアメリカ支部に来た加持がよく女性をナンパしていたのを思い出して含み笑いをした。
 「でも、正直言って嬉しいです。ネルフの方達のお気持ちがわかって…。」
 「え?」
 「私、こっちに来て以来、周りから浮いてるんじゃないかと何となく思っていました。あの事件のせいでみんな私を遠ざけているような気がして…。」
 「それはきっと勘違いだよ。マリイ博士があまりにも天才だから、近寄り難いオーラみたいなものを感じてるだけだ。でも、マリイ博士はやっぱり普通の女の子だよ。ペアの相手が僕じゃなくても今日の君を見たら誰でもそう思う筈さ。」
 「私は…ケイタさんとペアになれてとても良かった。私の事を最も理解してくれているから…。」
 「そ…そう?」
 “も…もしかして…僕、マリイ博士に想われてる?”
 ここに到ってようやくケイタも気付いたようだが。
 “…でも…僕は…もう…。”
 いつの間にやら二人はスタート地点に近づこうとしていた…。

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