1987年 神戸の病院に赴任することになって環境は一変した。 創棋会にも出席できる環境になり、以後は毎回出席。大いに刺激を受ける。 この頃の創作はスローペースであったが、後期にはエンジンがかかり始める。 1992年 倉敷の病院に赴任することになった。 仕事面でも余裕ができて、詰将棋の方は解答・創作両面で充実。 創棋会にはさすがに毎回出席するのは不可能になったが、課題作には毎回参加させてもらった。 この頃は素材に餓えていたので、課題が素材になり、課題作を創っているうちに副産物もできる、という具合でした。 創棋会で知り合った実力解答者:小林徹氏が作品の検討を全面的に引き受けてくれたので大いに助かった。 |
13 詰パラ 1989年4月 「短期大学」 解答・解説 マイベスト6番 | |
14 詰パラ 1989年11月 「創棋会」 浜田・田代両氏との合作 修正図 解答・解説 | |
15 詰パラ 1990年5月 「マラソン」 解答・解説 | |
16 詰パラ 1992年5月 「創棋会」 解答・解説 | |
17 詰パラ 1992年7月 「創棋会」 解答・解説 | |
18 詰パラ 1992年9月 「創棋会」 改良図 解答・解説 マイベスト5番 | |
19 近将 1992年12月 改良図 解答・解説 | |
20 詰パラ 1993年2月 「創作教室」 解答・解説 | |
21 詰パラ 1993年3月 「大学」 解答・解説 | |
22 詰パラ 1993年3月 「短期大学」 修正図 解答・解説 | |
23 詰パラ 1993年5月 「大学」 改良図 解答・解説 | |
24 詰パラ 1993年5月 「創棋会」 改良図 解答・解説 マイベスト4番 | |
25 詰パラ 1993年6月 「創作教室」 修正図 解答・解説 | |
26 詰パラ 1993年7月 「創棋会」 解答・解説 |