持駒趣向の部

 持駒4香シリーズの6作は学生時代の創作の集大成とも言えるものであり、30年あまりたった今でもそれなりの思い入れのある作品群であります。(この辺の詳細は後半で・・・)
 普通の中編作とは別枠でまとめてみました。
 まともに考えると繁雑すぎるのもありますので、単に手順を見るだけでも結構です。

 1
近将
1980年9月
「詰研:趣向詰」

解答・解説
 2
詰パラ
1980年5月
「個展」

解答・解説
 3
詰パラ
1980年5月
「個展」

解答・解説
 4
詰パラ
1980年5月
「大学」

解答・解説

マイベスト3
 5
詰パラ
1980年5月
「個展」
修正図

解答・解説
 6
詰パラ
1980年5月
「個展」

解答・解説




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 創棋会で持駒香4の課題が出た際、盤面龍1枚で何かできないかと思い立った。
 盤面に適当に龍と玉を置いて持駒4香を持たせてみると、到底詰まない図と詰み過ぎる図ができるが、龍玉の間隔と盤端の関係を調節していけば、丁度詰む図が一つくらいできるのではないかという発想です。

 実際に左辺に龍を置いて、中央から右盤端に追い詰める順を調べてみると、51玉の位置が一番詰むかどうかの一番微妙な位置であることがわかった。で、ふと1段目に玉方飛を置いてみたら、31歩成の好手が入って奇麗にまとまっているではないですか・・・・。これには飛び上がるほど驚いた。後は龍の位置をどこに置くか考えた結果、93で問題ないことがわかり、しかも93に置くなら生飛でかまわないことが確認できて、の完成となったわけです。

 それなら、左辺に龍を置いて、右辺から玉を龍側に追い込む順ならどうなるかというのが次の発想。龍と玉が3筋離れた状態が詰むかどうかの微妙な線であることはすぐにわかった。試しに63龍と21玉を適当に手順を進めてみたら、歩の中合から歩香の打ち替え、香の押し売りという、あつらえたような手順が出てきたではないですか。これには前作以上に驚きました。検討の結果、34に何か玉方の利きがないと余詰になることがわかったので、35とを置いての完成となりました。

 たったこれだけの作品がそれまでなかったというのが信じられなかったので、数人の棋友に確認してみましたが、そんな作品は記憶にないということで、どうやら新作らしいということを確信できました。

 この2作を課題作として創棋会に持っていったのですが、柴田さんから「見ただけでお客が恐れをなして逃げるような作品は困る」と言われて、あっさり断られてしまいました。王手の種類は限られているし、合駒と言っても実質歩か桂かを考えるだけなので、そんなに繁雑な作品でもないと思っていたのですが、そう言われたら引っ込めるしかありませんでした。

 ともかく、前作2作で味をしめてしまったので、次の段階として、横型でできたものなら縦型でもできないか、挑戦してみる気になりました。しかし、横型の際はすぐに香が成れるので簡単に片付いていた変化が、成れないことで数倍難しくなっていることで、途方に暮れそうな感じになりましたが、そこを何とか頑張ってみました。試行錯誤の結果、36龍と12玉というのが1番微妙な関係であることが判明。そのままでは複数の詰め方が存在するので、玉方駒をどこかに置いてみればそれを一つにしぼれないか・・・・。やってみてたどり着いたのが、17銀と47角の配置でした。
 17銀の方は、見たこともないような不思議な手順が展開されて、何とそのままできているではないですか・・・。これにはもちろん驚きましたよ。(これが
 47角の方は難産でした。膨大な変化紛れの前に何度も挫折しかけたものですが、8段目の玉方飛で奇跡的にまとまっていることを発見するまで数週間を要しました。最終的には飛角図式に整形してやっとが完成。

 ここまで来ればもう意地の世界。この際可能性のありそうな図は全部調べておこう、という気になり、その結果得られたのがでした。さすがにそうそううまい話があるわけでなく、手順の方は前4作には遠く及ばない内容でしたが、こういうのは存在するだけでも価値があると考えることにしました。

 今度はこの6作をどこに発表するか、という問題が残りました。
 は、丁度詰研で募集していた企画に応募。最大の自信作であったは大学に投稿。
 残りの4作をどうしようか困りました。特に後の2作については普通のところでは入選が微妙なレベルであることを自覚していたので、それらを世に披露するにはどうするものか考えることになりました。

 当時の詰パラは主幹鶴田氏のワンマン経営で、鶴田氏の考え一つで何でもありの世界でした。明文化されていたわけではないですが、ある程度のショバ代さえ払えば個展を開くことも可能だったようで、実際そのような個展もいくつか開催されていました。
 翌年には大学卒業してしばらく詰将棋から離れることが確定的だった私としても、ここで一つ個展というものを開いてもいいのではないかと思い立ったわけです。
 ショバ代がいくらくらいかかるのかもわからないまま、鶴田氏に電話で相談したところ、大まかな内容を聞いただけで、あっさり引き受けてもらえました。具体的な図面を見せたわけでもないのに、その程度のことで開催できるなんて、今では到底考えられない状況ですね。
 恐れていたショバ代も実質懸賞景品代だけで、学生の身でも十分対応できる程度だったと記憶しています。

 そんなわけで1980年5月に「4香品」(「よきょうひん」とも「しきょうひん」とも「しこうひん」とも読めるシャレのつもり)と名付けた個展を開催できました。
 さらに当時から親交のあった、大学担当の近藤真一氏がそれに合わせるように大学でを採用してくれたので、結果的には5作同時発表ということになりました。
 ただし、の形を見ただけで、二重投稿と即断した人も少なからずいたようで、同時発表が良かったのかどうかは微妙なところでした。

 自信作として発表した大学の作品でしたが、結果は思ったより高くありませんでした。あまりにも繁雑すぎて解いてくれた人が極端に少なかったのと、「攻方に好手がない」ということで評価は伸び悩みました。繁雑作の5作同時発表で心証を悪くした可能性もあったかもしれません。近藤氏からは、評価高ければ半期賞でもおかしくない、とまで言われていたのですが、そうはいきませんでした。
 それと、については誰か別の人に解説してもらいたかった、というのが実感でして、その点は今でも残念に思っています。

 ともかく、コンピューターソフトが発達した現代においては、このような作品の発掘は苦もなくできるようになったようですが、そんなものが全くなかった当時、これだけの物を発掘した、その根気と執念には、我ながら感心する次第です。

 後日談として、後年柿木将棋が手に入ってから、これらを解かせてみたことがあるのですが、ほとんどの作品で数分間の間に作意通りの解を出してくれたのは感動的でありました。創作時の苦労はいったい何だったんだろうという思いもありますが、その読みが正しかったことを確認できた点では安心できました。

   ただし、は12手目より連続歩合の25手、は12手目24歩合以下作意順を答えて来ます。この辺は無駄合の定義が明確でないことと、作品側の欠陥(作意の曖昧さ)によるものですからやむを得ないようです。


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