建物名称 潮岬観光タワー
所在地 和歌山県東牟婁郡串本町
高さ 全高37m
竣工 1960(昭和35)年
概要 紀伊半島南部は自然や歴史に彩られた観光資源に恵まれたエリアであるが、交通の発達が遅れ気味なのは否めない。東西両方向から段階的に延伸してきた紀勢本線が全通して半島を一周する鉄道が完成したのはようやく1959(昭和34)年のことであった。この全通によって特に東廻りルートの利便性が格段に向上し、東京・名古屋方面からの直通急行列車が運転開始されたことも手伝って南紀観光ブームが巻き起こった。
そうしたブームのさなかに完成した観光施設のひとつが潮岬観光タワーで、同名の株式会社によって1960年10月に開業した。本州最南端の地の碑が立つ景勝地「望楼の芝」に隣接し、当時主流であった団体旅行客の受け入れ設備を整えた7階建ての円筒形のビルである。1986(昭和61)年には合併というかたちで地元バス会社・熊野交通グループの熊交商事に経営が移管されている。
近年の旅行スタイルの変化に伴って団体需要が衰退したため現在は中間階を使用しておらず、展望台と別館の食堂・売店だけが営業を継続している。そのため事実上の営業形態は純粋な展望タワーと言っていい状況なのだが、建物としては小規模ビルディングであることから当サイトでは亜種に分類する。
TF式分類 亜種
登頂日 2012年8月3日
 2012年8月3日の登頂記録
串本駅から潮岬へ行く路線バスの終点は、まさしくここ潮岬観光タワー。おおむね1時間おきの運転でその点でも便利なのですが、いかんせんJRの列車との接続が悪くて往路も復路も串本駅で無駄な長時間待ちを強いられ、それでいて岬での滞在可能時間が短いのがプランニング上の難点です。
ところが、時間つぶしに特に目的もなく駅構内の観光案内所に寄ってみると、なんと電動アシスト付きのレンタサイクルがある。タワーまではわずか6kmだし利用料も往復のバス運賃よりちょっと高い程度。それならと借りることにしました。標高70mをピークとする山なりのルートも電動アシストのおかげで難なくクリアして、およそ25分でタワーに到着しました。

過去にこのタワーを訪れたことのある人なら「この写真、色がおかしくないか?」と思われたかも知れません。実はこの年の7月に外壁が塗り替えられたばかりで、以前は野暮ったいクリーム色だったのが海沿いの建物にふさわしい爽やかなライトブルーに一新されたのです。
建物外観はご覧のとおり円筒形で直径は18m。竣工当時としてはかなりモダンなデザインだったと思われます。6階部分だけわずかに出っ張っているのがいいアクセント。

一方、エントランスに掲げられたタワー名の表示は前時代的な色彩感覚。このダサさはむしろ築50年以上を経た建物にはふさわしい味わいである、と好意的(?)に評価しておきましょう。

左側の石碑は1962(昭和37)年5月の昭和天皇「行幸啓記念之碑」。背面には御製「若葉さす潮の岬に来てみれば 岩にうちよする波しづかなり」が刻まれています。

タワーは有料施設ですが入場券は常備しておらず、そのかわりに串本町観光協会が発行する本州最南端訪問証明書がもらえます。裏面にシリアルナンバーが入ったハガキ大のカードで、近隣の売店でも販売しています。
「潮岬」というのは特定の地点に与えられた地名というよりも、紀伊半島の突端にぶら下がった陸繋島全体の呼称と捉えるのが適当でしょう。島の海岸線は波に侵食されて複雑な形状を描き、断崖や岩礁に囲まれた荒々しい景観を呈しています。したがって島には多数の岬が存在しているわけで、その中で最南端はタワーの目の前にあるクレ崎と呼ばれる部分です。証明書の記載によると北緯33度26分、東経135度46分に位置しています。
館内に掲示されている案内板によると中間階は団体予約食堂が3フロアもあるほか、6階には売店の記載もありますが、現在はいずれも営業していません。
開業を報じる紀伊民報の記事によると、当時のフロア構成は1階=売店、2階=応接室、3階=教育資料展示室、4階=串本節踊り公演舞台、5階=郷土資料室(弥生式土器など近隣の出土品を展示。3階との違いはよくわからない)、6階=子供遊技場、7階=展望室というものでした。
エレベーターは建物の中心に1台。面白いのは右に見える押しボタンで、上に赤字で「ボタン」、右にも矢印付きで「ボタン」、左も同様に矢印付きで「ボタン」と3つも書いてある。そんなに来場者から「ボタンはどこにあるんだ!?」と尋ねられることが多かったんでしょうか? いや、まさか(笑)
先ほどの案内板によれば7階は雨天展望台、すなわち屋内展望台で、エレベーターはこの階までです。風景案内板が置かれているものの、特に何かが設備されているわけではありません。
屋上展望台へはやや狭い螺旋階段を登ります。
開放感抜群の屋上展望台。
西側には間近に潮岬灯台が見えます。全国に15ヶ所ある参観灯台(内部の見学が可能な灯台)のひとつで、もちろんこのあと登りに行きました。もし路線バスでここへ来ていたら灯台を見ている時間なんてとても確保できなかったので、レンタサイクルの利用は大正解でした。
南側は眼下に「望楼の芝」と呼ばれる芝生広場。かつて海軍の望楼がこの場所にあったことにちなむネーミングだそうです。串本町観光協会のWEBサイトでは「望楼の芝生」と表記していますが、厳密にどちらが正しい呼び方だということもないのでしょう。WEB上でみる限りは「望楼の芝」のほうがやや優勢のように思います。
中央奥の岩場が潮岬の最南端・クレ崎です。
東は小さな漁港がある浪ノ浦の眺め。左奥には紀伊大島の稜線が見えます。
屋上展望台を辞してふたたび7階へ。景色よりも建物をよく見たい私としては、6階以下のようすをぜひとも観察したいわけなんですが、下り階段の前には椅子が置かれて「非常時以外、この階段を使用しないで下さい」との貼り紙。こうして行動記録を公開している以上、当然のことですがルールは守ります。しかし、
エレベーターにはしっかり6階のボタンがある。試しに押してみると、はたしてエレベーターは6階に停まり、ちゃんと扉が開くではありませんか。
そしてエレベーターを降りると目の前には下り階段が続いている。しかも通行禁止とはどこにも書いてないし、ロープや衝立など通行禁止を示唆するものもありません。あまつさえ「順路」の看板が矢印をともなって下の階へと誘っている。ということは、ここから階段を下りることに特に制約はない、と解釈しても全く無理はないわけです。
……ぶっちゃけ、エレベーターを6階に停めない設定にしておかなかったタワー側の盲点を衝いた行動ですけどね。
ちなみに6階は食堂用と思われる備品が無造作に積んでありました。
まあ“理論武装”はしてみたものの、少々後ろめたさを感じないでもないですが、ともあれ各階を見ていきます。
まずは5階。剥がれた床タイル、色あせた広告看板、ベニヤ板で塞がれた厨房入口(?)などの様子から察するに、中間階の使用を停止してからはそれなりに長い年月が経っているようです。現役の建物なのに廃墟を探検している気分。
4階にマジックミラーが設置してあるという旨の案内は6階と5階に貼り紙がしてあって、こんなものでも一応アトラクションという位置付けだったようです。
3階も団体用の食堂。テーブルやイスはきちんと並べられていて、その気になればすぐ使用できそうな雰囲気です。団体需要も減ったとはいえ皆無ではないでしょうし、飲食の提供はしないまでも休憩所として使うことはあるのかもしれません。
本来、展望台からの帰りは2階でエレベーターを降りる動線になっています。館内案内板でも空白になっていたとおり、フロアには何もありません。
奥の暗がりは階段室、6階からここまで正三角形状に螺旋を描く階段をぐるぐる下りてきたわけですが、ご覧のとおり左手にも階段が設けられています。火災時などの避難経路確保のため2ヶ所以上に階段を設けることは珍しくありませんが、それにしては必要以上に近接していますし、上階に近い部分で直角に曲がるのも少々強引な造形に思います。なんだか不自然なレイアウトだなぁとの印象を免れません。
タワー2階からは食堂と売店のある別館へ渡り廊下がつながっています。
出口は別館1階の売店を通過した先という、観光地によくある動線設定。
売店の商品点数は豊富に揃っているものの、タワーグッズと呼べそうなアイテムは全くありませんでした。
【その1】2013(平成25)年6月にエレベーターの更新工事が行われ、搬器が丸ごと交換されたもよう。現在も6階に停止可能かどうかはわからない。
【その2】運営会社は2015年までに南海エフディサービス株式会社に移管されている。熊野交通と同様に南海電鉄グループの企業であり、グループ内での事業分担を整理したものと思われる。
潮岬観光タワー(熊野交通公式サイト)

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