建物名称 太田市尾島庁舎
所在地 群馬県太田市(旧・新田郡尾島町)
高さ 高さ30m(展望室床面高?)
竣工 1992(平成4)年
概要 現在の群馬県太田市は、2005(平成17)年に旧・太田市、尾島町、新田町、薮塚本町の1市3町による新設合併で誕生した。かつて尾島町だったエリアは市の南西部にあたり、合併直前には約1万4000の人口を擁していた。太田市尾島庁舎はその尾島町役場だった建物で、高齢・福祉・情報化に対応するため1992(平成4)年12月に竣工、翌93年4月に開庁した。
尾島庁舎の新築はバブル景気に沸いた時期に計画された総事業費28億円の一大プロジェクトであったが、市街地から遠く、住民にとっては不便な立地であることは否めなかった。現・太田市の発足に際しては住民票の発行や婚姻・出生の届など市民生活に直接関わる窓口業務が当庁舎以前に町役場だった尾島行政センターへ戻るかたちとなり、全フロアを市教育委員会が占めることになった尾島庁舎には一般市民が訪れる理由がほぼなくなってしまった。せっかくの立派な展望塔も現在は完全に宝の持ち腐れといった状態である。
TF式分類 第1種 II類
登頂日 2014年5月2日
 2014年5月2日の登頂記録

太田市尾島庁舎へ公共交通で行こうとすると、平日限定運行の市営バスが1日に5便あるだけという不便さ。マイカー普及率全国一の群馬県ではどこへ行くにも車での移動が前提であり、役所が市街地から遠いことなんてさほど問題にはならないのでしょうか。私は今回、東武伊勢崎線世良田駅から2km強の道のりを歩いて到達しました。

群馬県といえば「上毛かるた」という独自の文化がよく知られています。群馬県の地理、産業、歴史といった題材を詠み込んでおり、県民ならすべての札を暗誦できて当たり前というくらい普及度が高い。そうした背景から市町村単位の郷土かるたも多く、旧尾島町でも2000(平成12)年に「尾島かるた」を制作し、かるたに詠まれた地物を案内する看板が旧町内の随所に設置されています。町役場が詠まれているのは「わ」の札。

当庁舎の完成を記念して、尾島町では若草色を町のシンボルカラーに制定しましたが、合併後の太田市には引き継がれなかったようです。

エントランス付近では職員と思われる人影がちらほらあったものの、一般市民とおぼしき姿は全くありませんし、ましてやカメラ片手に展望塔目的で県外から来た人なんて場違いもいいところです。
そもそも展望塔が公開されているのかどうかもわからないので、建物に入ることすら躊躇われます。この展望塔の存在はだいぶ以前から知っていましたが、観覧の可否については尾島町役場の公式WEBサイトがあった当時も全く案内されておらず、謎めいたタワーのひとつでした。
ともあれエレベーターに乗ってみましょう。案内板にも最上階に「展望室」の表示があるし、R階のボタンも問題なく押せたので大丈夫でしょう。
そうしてたどり着いた展望室は予想どおり誰もいないし、役所の側も誰かが来るとは思っていないようで空調が全く作動していません。今日は晴天で気温も高いので、締め切った室内は温室状態。たちまち汗が噴き出してきます。
中央の壁面には尾島町名誉町民・中島知久平の肖像写真が掲出されています。太田市は富士重工業の企業城下町として栄えてきましたが、彼はその富士重工のルーツである中島飛行機の創立者であり、国政にも進出して鉄道大臣や商工大臣などを歴任した人物です。写真に添えられた説明文には「この塔は、知久平翁にちなんで、大空と未来への発展をイメージして建設されました。」と記されています。
展望室からは全方位を眺めることができますが、目を引くのは北に見える赤城山くらい。先ほど登った邑楽町の未来MiRAiより7〜8km近いぶん、少し大きく見える気がします。
とにかく室内が暑いのと、建物の内外を問わず見どころに乏しいので、わずか数分の滞在で退去。帰りも世良田駅まで歩きましたが、電車の本数が少ないので左奥に見える「道の駅おおた」でコーラ飲みつつ時間をつぶすことにしたのでした。

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