建物名称 松見公園展望塔
所在地 茨城県つくば市
高さ 全高44.4m
竣工 1976(昭和51)年
概要 筑波研究学園都市は、東京の人口過密を緩和し、科学技術振興と高等教育の拠点づくりを目的として、国や企業の研究機関・大学等を当時の茨城県谷田部町・桜村など4町村にまたがる広大な敷地へ集中移転させる国家プロジェクトである。
1963(昭和38)年の閣議決定を受け1969(同44)年に起工、1980(同55)年に当初の移転計画を完了させ、平凡な農村だった付近一帯は国内最先端のハイテク都市へと変貌を遂げた。1985年の国際科学技術博覧会の開催で「つくば」の名は国内外に一気に知れ渡り、1987年にはつくば市が成立。現在もなお発展を続けている。
松見公園はその筑波研究学園都市の中心地に位置する約3.8haの都市公園で1976(昭和51)年に開設された。タワーを含む全体の設計は菊竹清訓氏が手がけたもので、芝生と林に囲まれた園地に大きな人工池を配し、その周囲に遊歩道をめぐらせたレイアウトとなっている。タワーの特徴的な外観は栓抜きに喩えられることが多いが、菊竹氏自身は「展望台を両腕で支えて立つ人形(ひとがた)のようにみえる」(「菊竹清訓作品集2『型』の概念」1990年・求龍堂)と語っている。
市が発行したパンフレットにも記載があるせいかしばしば「松見タワー」とも呼ばれるが、特に固有の名称は存在せず、関係する条例では単に「展望塔」とだけ記載されている。
TF式分類 第1種 I類
登頂日 2006年11月18日
 2006年11月18日の登頂記録

ここから大洗マリンタワーまでの3塔は、月刊誌「散歩の達人」からのお招きで、同誌のタワー特集の取材にあたり案内役として同行したものです。編集担当、ライター、カメラマン、そして私の4人という賑やかな道中で、茨城県内の7つの展望タワーを1日で制覇しようという企みです。(結局は日没コールドに終わりましたが)

そうして最初にたどり着いたのが松見公園展望塔。水上に張り出した平屋のレストハウス棟とはブリッジでつながっています。この写真で見る限りではタワーが水鏡に姿を映すさまが美しいのですが、実は水面にはゴミが多量に浮かんでいてちっとも美しくない。

レストハウス棟に公園の管理事務所があり、タワーに登るにはここでチケットを買います。
タワーへつながるブリッジです。中央の円柱には「入場券を求めてからお入り下さい」との注意書き。入口の左手にも「展望塔は有料です。入場券を窓口にてお求めください」のプレート。頭上からも「この先は有料です」の表示が下げられてる。どんだけタダで入ろうとする人が多いんだ。
入口左手に埋め込まれた定礎石の文字を揮毫したのは完成当時の国土庁長官・金丸信氏。これも筑波研究学園都市が国家プロジェクトであることの証しですね。
それにしてもこの物置然としたエレベーターホールは観光施設としていかがなものか。内装がコンクリート打ちっ放しのせいでよけい薄汚く見えてしまいます。

さて、今いちどタワーの外観写真を見てもらうと、上部の口の字状の底辺にあたる部分に柵が設けられているのがわかりますが、このフロアが11階に相当し「展望台」とされている部分です。

展望台の内壁には「天門」と題された大きなモザイク画があります。作者は西田明未氏。東西2面で1対の作品となっており、西側のこちらは青門。

そして東側が朱門です。天門とは「天女たちが、天界から天楽を奏でながら舞い降りて来る門」と説明されています。
エレベーターは11階までなので、そこからさらに上へは階段で到達します。この写真は最上部から踊り場(12階に相当)を見下ろしたところ。
で、ここがタワーの最上部、13階に相当する「屋上」です。でもほとんどの人はこっちを「展望台」と認識するのではないでしょうか。現に私も「展望台」と「屋上」が呼び分けられていることを事後の文献調査で知ったわけで、このときは11階を展望台とは認識していませんでした。11階の写真がモザイク画の2枚しかないのはそのせい。(苦笑)
ほぼ真北に望むは筑波山。中央の道路の右側は住宅街、左側は筑波大学の敷地で学生寮が立ち並んでいます。
園地の南側は道路を挟んで筑波学院大学、その向こうにはつくばエキスポセンターのシンボルであるプラネタリウムのドームとH-IIロケットの実物大模型が見えます。
学園都市を一望するにはちょっと高さが足りないかな。
11階から上の階段は両サイドと蹴込みに大理石があしらわれていてちょっとだけ高級感が漂っているのですが、
下部は本来一般客の通行を前提としない非常階段なので殺風景そのものです。
上の写真にも写っているように、各階の踊り場にはガラスの入っていない長方形の窓が空いていているのですが、3階だけはこのように「栓抜き型」になっています。
こちらは2階のエレベーターホール。上り客と下り客の動線分離を図ることができる構造ですが、分離させる必要性に迫られたことは多分一度もないはず。通常はこの階での乗り降りは行われていません。
レストハウス棟の一角に閉鎖された店舗スペースがあります。ガラス戸には「ファンシーショップ」の文字が残されていました。つくばエクスプレス開通を反映した最新版の市街地図が入荷したという張り紙があったので、同線が開通した2005年までは営業していたようです。
レストハウス棟は無料の休憩スペースとして使われていますが無駄に広い。それもそのはず、もともとは食堂の営業が計画されていたのです。はたして過去に営業した実績があるのかどうかはわかりません。

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