建物名称 しらはまタワー
所在地 和歌山県西牟婁郡白浜町
高さ 全高50m
竣工 1967(昭和42)年
営業中止 調査中
現状 解体撤去
TF式分類 第2種 II類
概要

関西エリア屈指のビーチリゾートで温泉地としても知られる南紀白浜に存在した回転昇降式展望塔である。当地で複数の旅館や温泉施設を経営する天山閣グループが1967(昭和42)年8月に総工費50億円を投じてオープンさせた大型ホテル「ハイ・プレーランド」の付属施設で、このタイプのタワーとしては開業日ベースで平泉タワー、びわ湖タワーに次ぐ国内3番目の設置例である。
ハイ・プレーランドは完成当時白浜で最も大規模で多数の娯楽施設を有する高級路線のリゾートホテルであり、ボウリング場、ウォーターシュート付きのプール、建物屋上のゴーカートコース、延長150mの乗用遊具「ロケット・ランデブー」、18人の専属ダンサーがいる歌劇場、1000人収容のキャバレーなどを併設した。さらには海上ジェットコースターと日本初の海中展望塔も計画され、開業を報じた紀伊民報が「東洋一」と表現したほどの規模を誇った。海中展望塔は1970(昭和45)年に実現している。
タワーは三精輸送機製で、初期の回転昇降式展望塔が2層建て60人乗りのキャビンを標準的な仕様としたのに対し、1層建て40人乗りの小型キャビンを採用した。乗り場はホテルの2階に直結。搭乗料金は100円であった。キャビンは毎分30mのスピードで上下したが、ストローク長は約40mしかないので全行程の所要時間は4〜5分程度だったと推測される。
綜合ユニコムが発行する業界誌「レジャー産業資料」第1号(1968年2月)の記事によると開業後約4ヶ月の1日平均搭乗者数はわずか130人と不振をきわめたようだ。このタワーの設置場所は海に面したホテル棟の内陸側であり、砂浜の美しさに定評のある白良浜の方向はよく見えるものの、視界の半分はホテル棟で遮られたのが致命的だったと判断していいだろう。せっかくの大海原もキャビンが最上部に達したときに6階建てのホテル棟の肩越しにようやく見えるだけで、そもそも海の眺めならホテル棟から存分に楽しめるわけだからタワーの存在意義はほとんどなかった。
タワーが営業を中止した時期はまだ調査中であるが、おそらく長くは続かなかったと思われる。塔体が解体撤去された後は台座だけが残り、近年までは海中展望塔の巨大な案内看板が立てられていたが現在はそれも撤去されている。なお、ハイ・プレーランドは1989(平成元)年に「南紀白浜梅樽温泉 ホテルシーモア」と名称を改め、現在も天山閣グループによって盛業中である。

【その1】このタワーに固有の名称があったかどうかは定かではないが、近畿建築士会協議会の月刊機関誌「ひろば」43号(1967年11月)掲載の記事に添えられた写真では、塔体に「しらはまタワー」とペイントされているのが明確に見てとれるため当サイトではこの名称を採用する。【その2】1975(昭和50)年度に国土地理院が撮影した航空写真に塔体が写っており、営業していたかどうかは別として、この時点での存在は確認できる。

 2012年8月4日撮影
ホテルシーモア北端の道路沿いに、しらはまタワーの支柱の台座とキャビン乗り場の一部が残っています。台座は頑丈すぎて、乗り場は建物と一体化しているため解体撤去が難しいという、ただそれだけの理由で今日まで残されたのでしょう。
乗り場の部分は今となっては何の機能も持たない謎のオブジェと化しているわけですが、知ってて見る者にはキャビンに合わせた円弧状の切り欠きがたまりません。これこそが回転昇降式タワーの遺構たらしめている部分です。
館内側がどうなっているのかも気になりますが、このホテルは1人客を受け付けていないし、宿泊費もそれなりにお高いのがネック。当時を知っているスタッフもほとんどいないんじゃないかなぁ。
海水浴客で賑わう白良浜側からホテルシーモアにアプローチするとまず目に入る位置にあるため、近年までは台座の上に白浜海中展望塔の大きな案内看板が立てられていました。海中展望塔は営業継続中なのになぜ看板を撤去したのかは判然としませんが、照明装置は残されているのでいずれまた何らかの再利用がなされるかもしれません。

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