建物名称 ポニータワー
所在地 東京都台東区
高さ 全高110m 展望キャビン最大高80m?
竣工 1967(昭和42)年
営業中止 1973(昭和48)年?
現状 1973年解体撤去
TF式分類 第2種 I類
概要

浅草寺本堂裏の北西隅に建っていた回転昇降式展望塔。開業当初は「東京スペースタワー」という名称で、同名の株式会社が運営を行っていた。
浅草はかつて都内でも有数の盛り場として賑わっていたが、新宿などに人が流れるようになって衰退の兆しが見え始めていたことから、観光客を惹きつける目玉として1966(昭和41)年に浅草寺とはとバスが1000万円ずつ出資してタワー会社を設立したのが発端である。その後、フジテレビ系列各社、地元商店の有志などが加わって7000万円に増資、スイスのウイリー・ビューラー社が開発した回転昇降式展望塔を導入して1967(昭和42)年に華々しくオープンした。支柱の直径は2.5m、キャビンは直径6.38m・高さ4.86mの2階建てで、60人を収容した。毎分90mの速度で昇降し、1回の運転時間はおおむね5分であった。タワー乗り場を兼ねたビルは2階建てで、土産店やレストランが入居した。
しかしこのタワーはオープン前から波乱に満ちていた。タワーが立っていたのは浅草寺と賃貸借契約を交わして借りていた境内の土地であるが、建設中に浅草寺の執事長が交代した途端、焼失したままになっていた五重塔の再建が決定され、浅草寺側はまだ完成してもいないタワーに対し4〜5年後には移転させるよう要望してきた。タワー会社は当然それに難色を示したが、浅草寺は「タワーの敷地が賃貸借契約にある約500平米から大幅にはみ出している」との理由で1967年8月には東京地裁に工事中止の仮処分を申請するという強硬策に出る。それ以外にも景観上の理由で建設反対を唱える人は少なくなかった。
オープン1年後の新聞報道によると、1日3000人を見込んでいた入場者数は2000人前後に留まるなど苦戦を強いられていたようである。要因としては近くに観光バスの駐車場がなく団体客に敬遠されたこと、東京タワーや霞ヶ関ビル36階の展望台「パノラマ36」に客を取られたことが挙げられている。このためタワー会社はテレビCMを打ったり地下鉄駅にビラを貼るなどのPR作戦を展開した。
しかし努力の甲斐もなく、1970(昭和45)年に「ポニータワー」と改称したのち、累積赤字2億円を抱えて1973年には営業を廃止。撤去解体されるに至った。

古書店で東京スペースタワーのパンフレットを入手した。やけに「スイス製」という点をアピールする文章が微笑ましい。また、回転昇降式展望塔自体を指して「スペースタワー」と呼ぶ用語法が見られる点も興味深い。女優の倍賞美津子氏、当時のフジテレビ・ニッポン放送社長の鹿内信隆氏、俳優の榎本健一氏といったメンバーが一文を寄せているところからは、タワー会社がこの事業にかけた意気込みのようなものが感じられる。

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