建物名称 日本テレビ塔
所在地 東京都千代田区
高さ 全高154m 第二展望台高74m 第一展望台高55m
竣工 1953(昭和28)年
営業中止 1966(昭和41)年
現状 1980(昭和55)年解体撤去
TF式分類 第1種 II類
概要

日本におけるテレビ放送は1953(昭和28)年に東京圏でスタートした。NHKが2月から本放送を開始したのに対し日本テレビ放送網(以下「日テレ」)は機材納入の遅れから8月開始となってしまったが、開局への第一段階である予備免許の申請と交付はNHKよりも先だったことをもって「日本で最初のテレビ局は日テレである」と解釈してもあながち間違いではないだろう。したがって同社が当時の本社所在地である千代田区麹町に立てた送信用の鉄塔こそ“日本初のテレビ塔”であると言っていい。塔に固有の名称はなく、古い新聞記事や文献では「日本テレビ塔」か「日本テレビタワー」と記されていることが多いので当サイトでは便宜上「日本テレビ塔」と呼ぶことにする。
日本テレビ塔の本体はオーソドックスな鉄骨組みである。展望台はオープンエアのデッキを柵で囲っただけの簡易な構造のものが2箇所にあってエレベーターで昇降した。入場料は無料で、オープンするやスタジオ見学と合わせて一躍人気の観光スポットになったという。この画期的な展望台を発案したのは日テレの開局に尽力した正力松太郎である。国内屈指の高層建造物となるテレビ塔に展望台を設置すれば必ず観光名所として人気を呼び、それが日テレの人気につながってテレビ放送の普及と発展にも結びつく……。この戦略は思惑どおりに大成功を収め、スポンサー獲得にも効果を上げた。
都内に高層建築が増え、次第にテレビの難視聴地域が発生するようになってきた1968(昭和43)年5月、正力率いる日テレは新宿に高さ550mの新テレビ塔を建設する計画を発表したのだが、1969(昭和44)年7月には対抗するようにNHKも渋谷に高さ600mの新テレビ塔建設計画を発表した。しかしすでに集約電波塔である東京タワーが存在しているのにそんな巨大なタワーを都心にいくつも建てては不経済な上に都市景観を損ねると批判する意見が出たのも当然のことで、郵政大臣が調整に乗り出す事態になった。読売グループの日テレとしては産経グループ主導で建てられた後発の東京タワーへ送信所を移すことはプライドが許さなかったし、NHKも電波送信という重要な機能を民間施設の東京タワーに依存したくないという意地があった。1969年10月に正力松太郎が逝去し新タワー計画の絶大な推進力を失った日テレは、翌70年1月に郵政大臣の斡旋を受け入れNHKと共にタワー計画を保留することに合意。また、高層建築の増加による難視聴問題が経営にも悪影響を及ぼすレベルとなってきたためついに同年11月から送信所を東京タワーへ移すという“現実的な判断”を下すに至った。
日本テレビ塔は1966(昭和41)年に展望台の公開を中止、送信所を東京タワーへ移転してからも中継機能を維持していたが1980(昭和55)年2月限りでそれも廃止され同年8月までに解体を終えた。麹町の社屋は本社が2003(平成15)年に港区汐留へ移転した後も分室として使用されており、南館の前には日本テレビ塔から取り外されたスーパーターンスタイルアンテナがモニュメントとして屹立している。

全高および展望台高については資料によって数値が異なる。当サイトでは同社が1984(昭和59)年に刊行した「テレビ塔物語−創業の精神を、いま−」を典拠としたが、1969(昭和44)年7月12日の朝日新聞「世界一かけテレビ塔合戦」の図版では全高155m、1980(昭和55)年5月11日の読売新聞「消える塔 解体作戦」では全高153m・第二展望台高79mと記述されている。

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