今は亡きタワーたち

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日本の展望タワーの歴史を紐解くと、その嚆矢は1888(明治21)年にオープンした大阪の眺望閣だといわれています。5階建ての六角柱状の建物で、今宮にあった有宝地という遊園地の付帯施設でした。翌年には同じ大阪の茶屋町に9階建ての凌雲閣がオープンし「キタの九階、ミナミの五階」として人気を二分しました。有名な東京・浅草の「十二階」こと凌雲閣は1890(明治23)年のオープンで、日本で初めてエレベーターを設置した建物としても知られています。

このように日本のタワー文化は明治時代に花開いたわけですが、当然ながら現存しているものはなく、今日では東京タワー名古屋テレビ塔2代目通天閣神戸ポートタワー別府タワーなど昭和30年前後に建てられたタワーが「老舗」といえます。高度経済成長期以降バブル経済時代までは観光の目玉にと全国各地にタワーが建てられたわけですが、その一方で収益の悪化や施設の老朽化を理由に閉鎖されたタワーも少なくありません。ここでは、戦後に建てられた主な消滅タワーをご紹介します。

閉鎖されたタワーの中でも回転昇降式展望塔がやけに多いのは、直立不動のタワーに比べると動力装置がある分だけ維持管理やランニングコストなどに難があるためと推測されます。遊園地のアトラクションとして設置されたものは原則として調査対象から除外しているので、もっと詳細に調べたら他にも何ヶ所かの存在が明らかになると思います。

また、平成になってから建てられたタワーの閉鎖も目立ち、まさにバブル経済の徒花という気がします。現在では100m以上の高層ビルが珍しくもなんともなく、地上50階を超えるマンションまで出現してしまうご時世になったので、単に「高所からの眺め」だけをセールスポイントにしていたのでは客を呼べなくなったというのも展望タワーが流行らなくなった理由のひとつでしょう。

展望タワーを実際にあちこち巡ってみて感じるのは、一部を除いてはやはりどこも客が少なすぎるということです。実際問題としてこれからも閉鎖を余儀なくされるところは出てくるでしょう。ファンとしては早いうちにできるだけ多くのタワーに登っておくしかありません。

なお、このコーナーはまだまだ調査途上にあり、これからも新事実が判明し次第、随時書き加えていきます。また、皆さまからの情報もお待ちしております。