建物名称 五稜郭タワー(旧)
所在地 北海道函館市
高さ 全高60m(避雷針高?) 展望台床面高45m
竣工 1964(昭和39)年
概要 江戸末期、いわゆる鎖国の状態にあった日本に対し、ペリー提督率いるアメリカ艦隊が神奈川県浦賀沖に来航して開国を迫った。アメリカの圧倒的な武力の前に徳川幕府はその要求を受け入れざるを得ず、日米和親条約を結んで伊豆下田と函館(当時「箱館」)の二ヶ所を開港することになる。その函館の地を治め蝦夷地防備の強化を図るべく、幕府は1854(嘉永7)年、港に近い現在の元町公園に箱館奉行所を置いたが、外国船からの砲撃に備えて内陸へ移転させることとなり、1864(元治元)年、西洋式城郭に倣って星形に配置された堀と土塁に囲まれた要塞の中に奉行所を移す。この要塞が五稜郭である。
五稜郭は後に「蝦夷共和国」樹立を画した榎本武揚、土方歳三ら率いる旧幕府軍を明治新政府軍が鎮圧した箱館戦争の舞台となり、1871(明治4)年には奉行所や付属の建物が解体されて陸軍省の管理下に置かれる。公園として市民に開放されたのは1914(大正3)年のことで、1922(同11年)には国指定の史跡に、さらに1952(昭和27)年には特別史跡に指定されて、現在も年間を通じて多くの観光客が訪れる。
五稜郭タワーは五稜郭築城100年を記念し、五稜郭の最大の特徴である星形の城郭を観覧するための展望台として建てられた。オープン当初は利用客数が伸び悩んだというが、観光ブームが巻き起こった1970年代からは順調に集客を重ね、函館を代表する観光スポットのひとつとなった。その一方では次第に施設が手狭になり建物も古びてきたこと、五稜郭の全貌をもっと高い位置から眺めたいという観光客のニーズが増えてきたことを受け、隣接地に新タワーの建設を決定。2006(平成18)年3月31日をもって旧タワーを閉鎖し、解体することになった。旧タワーの総来場者数は約2200万人であった。
TF式分類 第1種 I類
登頂日 2006年3月31日
 2006年3月31日(営業最終日)の登頂記録
営業最終日の初代五稜郭タワーの姿を、まだ冬枯れの五稜郭公園から。飾り気のないシンプルな形態の建物は北海道大学工学部の設計によるものです。
五稜郭公園といえば道内でも指折りの桜の名所であり、旧タワーの解体が始まる頃には満開となって、文字通り有終に“花”を添えることでしょう。
エントランスは2ヶ所にありますが、五稜郭に近い表玄関に対し、写真のこちら側はどっちかというと裏口みたいなポジション。しかし駐車場や市電の停留所から近いので、観光客の出入りはこちらの方が多いようです。
チケット売場は自動券売機ではなく、いまだに窓口での対面販売が行われています。

観光バスがひっきりなしにやってくる場所だけに団体専用カウンターがあり、このタワーの集客力を物語っています。

最終日とはいえ平日の午前中とあってかエレベーター乗り場に行列はありませんが、休日ともなるとここにズラッと観光客が並ぶことになります。私が8年前に初めてこのタワーを訪れたときはまさにそういう状態で、エレベーターを何回か見送ってから展望台へ登ったものでした。
チケットにはミシン目が入っているものの、もぎられる代わりに星形のパンチ穴が開けられます。星形はもちろん五稜郭の形状に因んだもので、パンチはおそらく特注品なんでしょうね。

この星形パンチは新タワーでも引き続き使用されています。

最後の賑わいを見せる展望台。でも、もともと観光客が間断なく訪れるタワーなので、これくらいの人の入りは「いつものこと」なのでしょう。私はむしろお名残登頂でもっと混雑することを予想していたので拍子抜けしたくらいでした。
特別史跡「五稜郭跡」の眺め。低い土塁とお堀が残っているだけなので、地平レベルで眺めてもあまり面白くはなく、やはり上から星形の城郭の姿を見てこそですね。とはいえご覧のとおり奥の方はお堀が死角に入ってしまい、全貌が完全に見えるわけではありません。

ともあれこの星形を実感しようと思ったら五稜郭タワーに登るほかないわけで、これほど「なぜここにタワーが立っているのか」という存在理由の明確なタワーはないと言えましょう。それが新タワーを建てるだけの集客力を持ち得たカギだと思います。

五稜郭とは反対側の方角(南)には、夜景で名高い函館山が見えます。
タワーの営業時間は18時ないしは19時までと早いので夜景を見るには向かないのですが、こうして見ても手前のマンションが目立ってしまうような視点の高さでは山頂からの景色にかなうわけがありませんね。
東の方に視線を移すと手前には道立美術館(右)と北洋資料館(左)。中央の大きな白い建物は五稜郭病院です。
奥には津軽海峡を挟んで下北半島が意外と間近に見えます。
オープンを明日に控えた新タワーを見上げます。窓にへばりついてどんなに頑張ってみてもてっぺんが見えないほどの高さ。登るのが楽しみです。
展望台の片隅にはブロンズ製の土方歳三の座像があって、来場者の格好の記念撮影スポットになっています。函館市出身の彫刻家・小寺眞知子氏の作で、観光バス用の駐車場には立像も設置されているほか、収蔵庫には一般公開をしていない胸像もあるそうです。
とにかく土方歳三の人気は高く、売店に並ぶお土産品もそのほとんどは土方ひいては新撰組にちなんだグッズです。
平成の時代になってからは皇太子殿下をはじめとする皇族の方々が相次いで来塔しており、その際の記念写真が飾られていました。
売店脇にはひっそりと非常階段が存在していますが、もちろん平時は立入禁止です。
下りのエレベーターは2階で停止し、登り客と動線を分けています。その2階にはセルフサービスの軽食コーナーのほか、各種会合などに使える多目的ルームが設けられていました。
1階のエレベーター乗り場脇には入場無料の展示ホールがあり、五稜郭にまつわる歴史や人物がパネル等で紹介されています。
1階フロアの大部分を占めるお土産売場。食品から玩具に至るまで豊富な品揃えです。
タワーそのものをあしらったグッズはやはり多くなく、案の定キーホルダーくらいしかありません。左の灰皿は旧タワーが描かれているだけに過ぎませんが、在庫処分で半額で売られていたので思わず手が伸びてしまいました。
午前中に観覧を終え、午後は市内観光へ出かけたのですが、旧タワーの最後の瞬間を見届けようと、閉館の18時に再びやってきました。
タワー自体がなくなるわけではないので、お別れセレモニーの類は特に行わないとのことでしたが、最後のお客さんが展望台から降りてきたのち、社長以下案内係の女性スタッフがエレベーター前に整列して「ありがとうございました」と一礼を捧げ、41年余にわたる旧タワーの営業を終えたのでした。

もうしばらく粘ってシャッターを閉めるところまで撮影しようと思っていたのですが、資材の運び出しやらなんやらでドタバタと作業員が出入りしていてそれどころではなく、感傷にひたるような空気ではありません。
このラストシーンを見送ったのは数人の報道陣のほかには私と同行の友人くらいのもので、野次馬すらいないほどあっさりした最後でした。

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