建物名称 別府タワー
所在地 大分県別府市
高さ 全高90m 展望台床面高55m
竣工 1957(昭和32)年
概要 全国でも屈指の有名温泉地・大分県別府市では1957(昭和32)年3月から5月にかけて別府温泉観光産業大博覧会が開催された。別府タワーは博覧会ひいては別府市への観光客誘致の目玉として市および地元観光業者などの出資で設立された別府観光開発株式会社によって建設されたものである。もっとも、資金調達が難航したため工事が大幅に遅れ、完成したのは博覧会閉幕10日前というありさまだったなど、その歴史は波乱の連続であった。
開業当初の名称は「観光センターテレビ塔」といい、1959(昭和34)年に大分県でテレビ放送が開始されるにあたっては電波塔の役割を担う計画だった。しかし結局は同市北方の十文字原に送信所が設置されたため一度も電波を発することがないまま1961年に「別府タワー」へ名称を改めている。運営会社は設立当初から提携している富士車輌(現在の本社・滋賀県守山市)の影響下にあったが、ネオンサインの大口スポンサー撤退のあおりなどで経営が危うくなった1988(昭和63)年に県内で遊技施設を展開する大鵬レジャーグループに買収されて今日に至る。
TF式分類 第1種 I類
登頂日 2006年4月25日
 2006年4月25日の登頂記録

別府タワーは内藤多仲博士が設計した、いわゆる「タワー六兄弟」のひとつなのですが、その中では最も小規模でありながら最も武骨な印象の外観をしています。4階建てのビルの上に立つという珍しい構造は京都タワーに先駆けて採用されたものです。

このタワーの全高は公式発表では90mなのですが、100mと記述している資料もかなり多く見受けられます。どうやら完成当時は100mだったのが後年避雷針を撤去したため90mになったらしい。確かに古い写真を見ると避雷針が存在しているので信じていい説のように思います。

タワーの下部は実質的に雑居ビルで、エレベーター脇に展望台のチケット販売機が置いてあるだけという、およそ観光施設らしくない入口です。

エレベーター内に掲出された簡単な紹介文。高さが100mと記載されているのが気になるけどそれ以上に“別府っ子”っていう妙にかわいい語感のフレーズが気になる。でも声に出すと発音しにくい。べっぷっこ。

エレベータのドアが開くと目の前にカウンターがあります。お菓子や小物なんかを販売してますがお土産品は扱っていません。オバちゃん係員が1人で常駐していてチケットはここで回収されるのだけれど、なんだかやる気の感じられない応対をされてテンションが下がる。
2層構造になっている展望台のうち上階は17階に相当し、喫茶スペースを兼ねています。フロア全体にテーブルとイスが配置されており、望遠鏡の存在がかろうじて展望台らしさを留めています。
ちなみに下の16階は夕方から深夜にかけてだけ営業する「展望ラウンジ セリーネ」(パンフレットには「セリーヌ」と書いてあった。わりとテキトー)です。
展望台ではアグネス・チャンや天地真理など70年代歌謡が大音量で流れていました。おそらく有線のそういうチャンネルなんでしょうけど、昭和レトロを意識した選局なんでしょうか。
タワーが立地しているのは北浜と呼ばれる別府の中心地です。右手の大規模な建物は地場百貨店のトキハ(と書いて「ときわ」と読む)ですが、全国的にデパート業界が苦戦している昨今にあっては同店も例外ではなく、一部のフロアが賃貸オフィスになっていたりします。
中央の国道10号には1972(昭和47)年まで路面電車が走っていました。
眺めはやはり東側に広がる別府湾が素晴らしい。今日は快晴で海はよりいっそう碧く、陽射しはまともに目を開けていられないくらいの眩しさでした。
タワーのすぐ北側は的ヶ浜公園。人工砂浜にはSPAビーチという名がついています。
西側の風景が曇って見えるのは強い逆光のせいです。
左手の黄色い建物は別府駅前のヤマダ電機。やや右手奥にはグローバルタワーが見えます。
1階入口脇に掲出された下部ビルの案内板。カラオケ店や飲食店が入居しており、テナントはわりあい頻繁に入れ替わりがあるようです。1階のタワーストアーというのはディスカウントの雑貨店で、タワーみやげを売っているわけではありません。そもそも別府タワーにはオリジナルグッズが存在しないし。
その後、タワー完成50周年を迎えた2007(平成19)年に国の登録有形文化財となり、それを機にオリジナルグッズの販売が行われるようになった。2010年にはイメージキャラクター「別府三太郎」がデビューするなど、登頂当時には公式サイトすらなかったのに運営会社が急にやる気を出し始めたのは喜ばしい。
別府タワー

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