名称 世界平和大観音
所在地 兵庫県津名郡東浦町(現・淡路市)
高さ 全高100m
竣工 竣工1982(昭和57)年
概要 大阪市西区を中心にビジネスホテルやオフィスビル、賃貸マンションなどを経営しているオクウチグループの創業者である故・奥内豊吉氏が出身地の淡路島に建立した巨大な観音像である。建立記念碑には「全世界の平和と繁栄と万民の幸福を祈願する」と記され、台座部分のビル1階は豊清山平和観音寺となっているが、館内はもっぱら奥内氏のコレクションを展示するスペースで、宗教施設というよりは私設ミュージアムの趣の方が強い。
おそらくは観光客を呼び込むことで地域への貢献も目論んだはずなのだが、展示品の内容や管理がお粗末で観光業界からはほとんど顧みられることもなく、一部好事家たちの間で“B級観光地”として話題になる程度にとどまっている。
TF式分類 亜種
登頂日 2004年9月26日
注意事項 世界平和大観音は2006(平成18)年2月に閉鎖されました。現在、沿道から外観を見ることは可能です。
 2004年9月26日の登頂記録
明石からフェリーで淡路島北端の岩屋に上陸し、そこから洲本行きの路線バスに揺られること約30分。ここが全国のB級観光地マニア垂涎(?)の世界平和大観音です。
上の写真だと顔がよくわからないので拡大してみます。
各地に立っているこの手の大観音像と比べると造形が稚拙なのは否めません。特に首から下がよくない。マフラーのようにぶら下がってるのは天衣(てんね)のつもりなのか、斜めにかかっているのは条帛(じょうはく)なのか、だとすると左肩ははだけた状態なのか。瓔珞(ようらく=首飾り)なんて蝶ネクタイにしか見えない。などツッコミどころが満載です。「そういえば観音さまってどんな格好してるんだっけ?」という点があやふやなまま作っちゃったようないい加減さは、このあと巡る館内展示の中途半端なありようを具現化しているとも言えるでしょう。
入場券売り場にもなっている赤門。豊清山平和観音寺と名乗っていますが宗教法人ではないようです。左の小さな標柱には「信者入口」って書いてありますが、信心を持ってここへ来る人はいないだろー?
台座部分のビル入口脇に観音像の建立記念碑があります。推古天皇3年に淡路島に流れ着いた沈水香木で観音像が彫られた話が扶桑略記に記載されているとか、それを彫刻家・澤田政廣氏が復元したとか長々と書いてありますが、それがこの大観音像と何の関係があるのかどうにもわかりません。
まずは1階の平和観音寺から見ていきましょう。
ここは四国八十八ヶ所霊場めぐり。足許のガラス板の下に各霊場の境内から持ってきた砂が敷いてあって、それを踏むことで現地へ参ったのと同じ功徳があるとされる「お砂踏み」というやつです。
チベット仏教のマニ車(経文が書かれた筒を1回転させると1回唱えたことになる)なんかもそうですが、仏教には「それは端折りすぎだろ」と言いたくなるような、妙に合理的な部分があったりするのが面白い。
奥に鎮座しているのが平和観音寺のご本尊。ここだけ見ればまっとうな宗教施設っぽいのですが……。
ではエレベーターで展望台を目指すとしましょう。
ホールの床に描かれているのは観音像の実物大の手形で、この写真では指先の部分だけ写っているというわけです。
上から下まで鉄製のフェンスに囲まれている展望台。観音像の首の部分にあり、ご覧のとおり広くはありませんが望遠鏡が3台も設置されています。
像が建っているのは淡路島の東海岸で、真っ正面が海という好ロケーション。左肩からは間近に仮屋の町並みが見渡せます。
真下にカメラを向けるとこんな感じ。山門からつづく階段の踊り場に白くペイントされているのも観音像の実物大手形です。
右手の中指に取り付けられているのは避雷針でしょうか。
エレベーター脇には非常階段の入口。貼り紙には「階段が300段あります。見て頂く物は何もありません」と書いてありますが、書かれるまでもなく照明の全くない暗黒空間に踏み込む度胸なんてありゃしませんがな。佇まいが不気味だし、安全面が信用ならん。
台座ビル5階は民俗博物館と銘打ってありますが、ひたすら鎧兜や馬具が並べてあるだけで、これを「民俗」とひとくくりに呼ぶのはあまりにも大雑把すぎる。
一応、時代とか名称とかを記した札が立っていますが、それ以上の説明がなんにもないので関心を引く部分もなく、さっさと次へ進むことにします。
4階はかつてレストランやおみやげ売り場があったのですが、すでに営業をやめてから数年が経過しているようです。イスやテーブルもほとんど撤去されて、がらんとした空間があるだけで、蛍光灯もはずされちゃってます。
どうも当初の計画では宿泊施設も併設しようとしていたらしい。このドアには「ラドン温泉」と書いてあったのを塗りつぶした形跡が認められますが、営業した実績はあるのでしょうか。
ノブをひねってみましたが鍵がかかっていて開きませんでした。
3階は近代陶芸美術館。また大げさな名前がついていますが実態はこんなふうに何の説明もなく茶碗だの小皿だのが並べてあるだけ。棚が白っぽいのはホコリが積もってるからで、展示品をどけた部分だけ元の赤色が顔を出しているという有り様。

大阪府豊中市には奥内陶芸美術館というのがあって、ここはその分館という位置付けらしいのですが、豊中の本館もネットで調べた限りでは実態がよくわからなくて謎めいています。

同じフロアには時計博物館もありますが、ここも古い柱時計や置き時計がただ並べてあるだけ。年代とかメーカーとか形態などで分類するというような工夫すらなく、これではガラクタ置き場と言われても仕方がない。
2階は近代絵画美術館。ここはそれなりに美術館ぽい体裁をしているように見えますが、展示品がちょっと怪しいんですよねぇ。ピカソ、ミロ、ビュッフェ、フジタ(藤田嗣治)など世界に名だたる画家の作品が展示されているということなんですが、どうもコピーにしか見えないものがある。コピーといっても複製品という意味じゃなくて、ガラス板の上に原稿のっけてボタンを押すとベロリと出てくるあのコピー。
もっとも、正真正銘の本物がこんな粗悪な展示状態にあるとなったら世界中の美術関係者が卒倒しかねないので、むしろこの方がいいのかも。
地下1階は交通博物館。ここも名前と展示内容がいまいちそぐわないような気がしますが、昭和30〜40年代の国産車がずらりと並べられています。昭和レトロ好きの私としては、このフロアだけは楽しかった。

このほかに交通博物館の屋外展示として、野晒しにされた蒸気機関車D51が朽ちかけています。

観音像の背面はのっぺりし過ぎていて、四角柱の外側にハリボテをくっつけただけという造形のチープさがより際立っているように感じます。
台座ビルの裏手にあるこのスペースは、一般から寄進を募った五百羅漢像を建てるためにあるのですが、見事に一体も立っていません。左の碑には建立を呼びかける住職の言が彫られているのですが、その日付は昭和59年。そりゃ雑草も生えるわ。
観音像裏側の駐車場の片隅には自由の女神のミニチュアが立っています。館内でさんざん「よくわからないもの」を見せられてきたので、もはや敷地内に何が置いてあろうと驚きはしませんが、なぜこれがここにあるのかという説明が一切ないので心情的には消化不良状態に陥るのです。
山門を入ってすぐ右手にある十重の塔の高さはおよそ40mだそうです。塔であるなら登っておきたいところですが、実はこれ完全にハリボテで一番上まで吹き抜けらしい。
数日前に通過した台風の影響で屋根の一部が剥がれるなどの損傷が生じたため、残念ながら立入禁止になっていました。
道路に面した駐車場の脇に掲げられた看板。すっかり色褪せていますがそれも道理で、よく読むと観音像のオープンを予告する内容なんです。オープンしたら撤去されるべきものがいまだに残っているというのがまた管理の無頓着さを現しています。
3階と地下1階が現状と異なるのは、計画変更があったのか、オープン後にフロア替えを行ったのか。かつては台座ビルの屋上に出ることもできたようですね。
エレベーターホールにささやかなおみやげ売り場があるものの、お菓子や民芸小物ばっかりでオリジナルグッズはほとんどなく、せいぜいこの観音ストラップくらいのもの。これとて「世界平和観音寺」と書かれた小判形のパーツがついてなかったらオリジナルグッズとは認定しなかったでしょう。
建立者の奥内氏が1988(昭和63)年に死去した後は妻が施設を相続し“営業”を継続していたが、その妻も2006(平成18)年に死去し、かねてからの経営不振もあって営業は中止された。以後は相続する者がおらず、一時は米国リーマン・ブラザーズ系の金融機関が債権を保有していたこともあるが、神戸地裁による数度の競売にも応札者はなく、現在は所有者が不在という状況である。施設は荒廃の度合いが甚だしく、剥離した部材が近隣の住宅や店舗に落下するなど危険度は年々高まっているが、元が民間施設であるため淡路市としても解体撤去などの直接的な対策を講じることができないのが実状で、問題は深刻化かつ長期化の様相を呈している。

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