旅の記憶 その12

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九州だ



0,出発前夜  

 2001年の金属学会秋季大会が福岡(九州産業大学)で開催されるらしい。しかも,発表するなら派遣してもらえるらしい。こうなると怠け者の私も俄然気合いを入れて実験に取り組むわけです。当時はOHPとPCの過渡期といった感じで,パワーポイントで作成したプレゼン資料をOHPシートに印刷して持ち込んだのが懐かしい(OHP専用ファイルなんてのもあったな)。

 発表の準備はどうにかすることにして,私にとって重要なのは旅行行程の準備である。当然空路は想定外,新幹線もつまらないと言うことで,往復ともに寝台特急を選択。当時,東京発九州方面の寝台特急としては,大分行きの「富士」号と熊本・長崎行きの「はやぶさ・さくら」号が残っていたが,往路は先に九州に着く「富士」を小倉まで利用することとした。 というのも,発表当日に九州入りするという超強気(恐怖)のスケジュールを組んだためである。大会のプログラムを見返すと,私の発表は9/22の午前中11:50スタート。「富士」が時間通り到着すれば,10:00には会場入りできるという計算だった・・・のだが。今だったら確実に前泊するところであるが,当時としては何かあっても新幹線で追いつけるだろうという(根拠のない)自信と,できるだけ現地で発表を待つ時間を短くすることで緊張を緩和しようという心理が働いたのだと思うのだが・・・恐ろしや恐ろしや。

 帰りは長崎観光の後「さくら」で戻ることとした。部屋はB個室ソロを予約。昔の資料によるとソロは「さくら」編成に連結とのことで(「はやぶさ」の個室はA個室シングルデラックス),「さくら」を選択したのもこれが理由だったような。
 きっぷはおなじみの周遊きっぷ,福岡ゾーンを利用。ゆき・帰り券は学割で。結果的に熊本・長崎まで足を伸ばすこととなったが,こちらは別に手配することとした(こちらも学割を利用)。

 私にとって初の九州,発表そっちのけでわくわくの旅に出発なのです。


※10年以上前の記憶をたどって書きます。どうなることやら。



1,九州までの長い道のり 仙台駅→(やまびこ)→東京駅|16:56→(富士)→7:33|小倉→(きらめき)→博多


 出発は9/21。仙台から東京まで,どう移動したか全く覚えていない。「やまびこ」の自由席利用といったところか。
 東京駅で弁当やら飲料やらを買い込み,お楽しみの寝台特急「富士」に乗り込む。今夜の部屋はB個室ソロ,下り列車で椅子が前向きとなる階下室だ。さすがに天井が広く,スーツへの着替えも快適にできそうだ。

 東京駅の発車は夕刻17時と早い。ロビーカーで時間をつぶそうとするも,どこぞの大学の体育会系?とおぼしき人々が大勢乗っており,ちょっと入れる雰囲気ではなかった。帰り道に期待。
 さて,車内でどう過ごしたか,イマイチ覚えていない。発表を明日に控え,緊張していたのだろうな。何回か発表練習したぐらいにして,あとはひたすら寝ていたかもしれない。

 9/22朝,当時超夜型の私としてはあり得ないぐらいの早起きをし身支度をする。下関では関門トンネルをくぐるための機関車交換があったのだが,特に外に出ることもなく準備をしていたのでは?(数年後の新婚旅行の際に,機関車交換を見学できたのでまあ良いか。)小倉で眠い目をこすりながら下車し,「富士」を見送る。

 小倉からは,博多行きの特急「きらめき」に乗車。783系ハイパーサルーンで快適に過ごす。初めて乗るJR九州の車両,デザインが凝っていて良いなあ。博多から九産大前まで引き返し,予定通り会場に到着。発表も大過なく終了。



2,発表後の自由時間 その1 太宰府・熊本方面へ

 さて,発表が終わって解放された私。他の講演を聴くといった真面目さは持ち合わせておらず,せいぜい研究室のメンバーの発表を見るぐらいで,あとは自由時間とする。

 発表当日,早速香椎神宮へ向かった(はず)。ところで,九州産業大学への最寄り駅は鹿児島本線の文字通り九産大前駅であり,香椎神宮は香椎線の香椎神宮駅である。双方の路線は,途中香椎駅で乗り換えとなるが,実は九産大駅のすぐそばを香椎線が併走しており,ここに香椎線の駅があれば・・・という位置関係になっているのだ。九産大前駅から大学に向かうためには香椎線の横断する必要があり,大会の期間中踏切を渡るたびにもったいないもったいないと思ったのであった。

 9/23は,確か太宰府に行ったような・・・。

 9/24は,確か熊本に行ったような・・・。

 ということで,日程すら定かでない熊本の思い出をちらほらと。
 今回使用した周遊きっぷ「福岡ゾーン」は,その名の通り福岡県内がフリーゾーン(鳥栖駅など,一部県外も使用できるが)で,特急にも自由に乗り降りできる。鹿児島本線では,大牟田駅がゾーンの南端である。ということで,特急「つばめ」で大牟田へ向かい,大牟田で普通列車に乗り換えるというケチケチで熊本に向かった。当時の「つばめ」はJR九州のフラッグシップ的な列車であり,ビュフェも営業されていた。今にして思えば,思い出に何か食べておくのだったと思うのだが,学生時分の私にはムリか・・・。
 上熊本駅で市電に乗り換え,熊本城へ向かう。下の写真にもあるように非常によい天気で,汗ばむぐらいの陽気。脱いだスーツの上着を落としてしまい,砂だらけになったのを思い出す・・・。ちょうど昼時で,熊本名物でもなんでもないガストでランチを食べたなあ・・・。
 帰りは熊本駅まで戻り,福岡へと向かう。行きと同様に大牟田まで普通列車で行ったか,はたまた奮発して特急に乗ったか,全く覚えていない。



B個室ソロ,階下室の様子

太宰府天満宮

特急「つばめ」

熊本城



3,発表後の自由時間 その2 長崎方面へ


 9/25,いよいよ九州最終日である。発表道具やら着替えやらの入ったボストンバッグを宅急便で送り,身軽になった私。一番のお楽しみである長崎へと向かう。
 長崎への足は当然の選択として振り子式の885系,特急「白いかもめ」に乗る。 前年(2000年)に登場したばかりの新型車両,普通車を含め「本革張り」の豪勢な車両である。鳥栖から長崎本線に入ると曲線も増え,車体を傾けながらカーブにつっこんでいく感じ。この日は天気が良く,有明海もよく見える・・・が,あまりの暖かさに肝心なところでうとうとしてしまった・・・。気がつけば長崎に到着。

 長崎観光には,またまた当然のことながら路面電車を利用する。当時は100円均一運賃で,1日乗車券が500円であった。
 グラバー園,大浦天主堂,シーボルト記念館,平和公園など,主だったところは見物と記憶しているが,いかんせん写真がほとんど残っていない・・・。フィルムがもったいなくてケチケチ撮っていたが,今となっては多少「記録」もしておくんだったなあ,逆にもったいない。



4,帰りもまた長い道のり 長崎|16:50→(さくら)→11:27|東京→(やまびこ)→仙台


 そしてついに帰り道。寝台特急「さくら」で,長崎から東京まで完全走破だ。部屋は往路と同様にB個室ソロであるが,進行方向前向きとなる階上室を予約した。

 まだまだ明るい17時前に長崎を出発し,のんびりと進んでいく。眺めの良さを期待した階上室だが,湾曲した窓ガラス越しの風景にちょっと違和感があり,何となく落ち着かない。「はやぶさ」と連結する鳥栖まではロビーカーもないため,部屋で惰眠をむさぼった。
 鳥栖に到着,ここで先に到着していた「はやぶさ」とドッキング。その手順はこのように複雑で時間を要するが,車両がホームを移動している間に買い出しなどの気分転換もできるので,あながち悪いものではない。

 さて,鳥栖からは長い15両編成で一路東京へ。今回はロビーカーも空いており,福岡過ぎまでのんびり過ごす。ただ,北斗星のような華やかさが無いのが残念だったなあ・・・。

 その後は,長旅の疲れからずっと寝ていたと記憶している。東京着が昼となってしまうダイヤでは,仕事にも観光にもあまり効率がよいとはいえないが,先述の通り超夜型だった私にとってはちょうど良い起床時間だったりして。

 仙台までのラストランナー,記憶のかけらもないのであった。



特急「かもめ」

寝台特急「さくら」

東京までの長い道のり・・・

無事東京に到着






傾向と対策

 あれから約10年後,学会で再び長崎を訪れることになるのだが,当然ながら九州往復は飛行機であった。速い,でも遠出するありがたみが感じられない。往路,福岡空港から長崎まで鉄道を利用したのがせめてもの抵抗か?

 また,ゆっくり行きたいなあ。「富士」も「さくら」も「はやぶさ」も無いけど・・・。




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