團伊玖磨は戦後、江間章子の「花の街」の詩に作曲した。戦争で瓦礫に化したまちを眺めながら、いつかは美しい花の咲き乱れる街並みになる事を想像しながら作曲したのだが、実はこの曲は、NHKの「婦人の時間」のテーマ曲だった。毎日お昼前の時間帯にラジオから流れる「花の街」は、日本中に広がっていった。この時期には「第2ラジオ体操」の音楽を作曲するなど、NHKの仕事を引き受けていて、福田蘭童と顔を合わせることも多かったようだ。

 「福田蘭童とは親しかった、・・・今は私はお酒は飲みませんが、私にお酒の飲み方を教えたのは福田蘭童です。・・・魚釣りにも一緒に出かけました。彼は面白い人で、魚釣りをする時はネクタイを締めて、普段はネクタイなど締めない人ですが、魚を釣るときは、魚と真剣勝負をするわけだから正装して向き合わないと魚に失礼です、と言って・・・・・・」
(NHK衛星放送、平成11年1月2日16:45〜17:55放送「筑後川コンサート・團伊玖磨が回想する巨匠たち」でのインタビュー。〜左の写真はそのテレビ゙画面。撮影場所は石橋迎賓館)
と話されたように、二人は親しい関係であった。


 團伊玖磨の作品に混声合唱組曲『筑後風土記』(1989年作曲・栗原一登作詩)がある。久留米音協合唱団によって初演されたものであるが、福岡県筑後地方を流れる矢部川、八女茶の香り、有明海のムツゴロウなど人と風物を描いた曲である。この作品の冒頭と最終に、青木繁の『母います国』の歌詞が取り入れられている。そのいきさつは次のようである。

 東京に有明海の魚を供する「有薫酒蔵」がある。西銀座、八重洲、新橋、赤坂、などと発展した。毎日空輸されたムツゴロウやクッゾコなどの有明海の珍魚や、筑後の銘酒、郷土の味を求める人たちで賑わっていた。赤坂の店主は、高山亀雄(96)から引き継いだ二代目である。亀雄は、奥さんが青木繁の姪ということで、「けしけし祭」には当初から親族代表として出席していた。
「有薫」に集まった團伊玖磨(中央)
その左が栗原一登。團の右は斉藤茂太
右端は店主高山亀雄

その店には、「わが国は 筑紫の国や白日別 母います国 櫨多き国」と染め抜いた暖簾(のれん)が飾ってあった。
 團は『筑後風土記』の解説(團伊玖磨合唱曲全集 W)に次のように書いている。

 「この歌は不世出の画家、青木繁の残した望郷の歌である。栗原一登も僕も前々からこの歌を好きでいつも口ずさんでおり、ちょうど作詞について東京で打合せのために集まった場所、筑後料理の「有薫」の暖簾にこの歌が染め抜いてあったので、どうかあの歌を詩の中に入れてください、作曲したいのです、との僕の願いを詩人が叶えてくれたのだった。」
 
 『筑後風土記』は1989(平成元)年、石橋文化ホールで作曲者自身の指揮、久留米音協合唱団で初演されている。

 毎年、年に一度だけ歌われる、知る人ぞ知る曲だった『母います国』が、合唱曲として全国に紹介されたのは、前出のNHK衛星放送 「筑後川コンサート・團伊玖磨が回想する巨匠たち」 (『筑後川』初演30周年記念演奏会−1998年12月13日・石橋文化ホール)のなかで、久留米音協合唱団指揮者・本間四郎の編曲で歌われた時である。