再び小国で

祖先を九州にもち、筑後川をこよなく愛しておられた團さんは、1968年に『筑後川』を作曲される時、また10年後に『大阿蘇』を作曲される時、筑後川、阿蘇山 を幾度となく訪れ、流域を歩かれ、時には川に舟を浮かべ、時には空から阿蘇山を眺め曲想を練られました。『筑後川』作曲にあたり、筑後川の上流から河口まで何度も歩き、 筑後川への思い入れが深かった團さんは、流域の合唱団と全国の仲間達による『筑後川』の合唱を構想しておられましたが、2001年5月17日、旅行先の中国・蘇州市 において夢半ばにして急逝されました。

團さんの生前の思いを引き継いで、2002年に筑後川の最上流「みなかみ」である熊本県・小国町に325名の『筑後川』ファンが集い、團伊玖磨記念『筑後川』演奏会 が開催されました。翌2003年には「ダムにて」のまち・吉井町に460名が、2004年には第3章「銀の魚」のまち・城島町に600名が、そして4年目「川の祭」は 佐賀市文化会館に510名が昨年5年目「河口」のまち・大川市には650名の参加のもと開催されました。5ヵ年で参加者は延べ2500名を数えました。 「河口」のまち大川では250名の人たちが昇開橋に集い、有明海に沈む夕陽を背に『筑後川』を歌おうとおっしゃっていた團さんの夢を実現させました。 さらに「有明の海を経た筑後川の水はやがて東シナ海で揚子江の水と合体する」と語り、中国の地で『筑後川』の演奏を夢見ておられた團さんの思いを、2007年1月20日、 終焉の地・蘇州に200名が集い実現させました。『筑後川』の中国初演(指揮・現田茂夫)でもありました。

大川の夕陽コンサート、蘇州での中国公演は参加者に強い印象を与え、『筑後川』を歌い続けたい、小国に戻って歌いたいとの声も多く、小国町から預かり、2500名の筑後川 ファンと共に川を下った"バトン"をお返しする感謝コンサートの意味も含め、再び小国町での開催となりました。

演奏会に先立って

2002年小国町「みなかみ」の演奏会で、團伊玖磨記念『筑後川』IN小国実行委員長・当時の小国町長宮崎暢俊さんから「河口」のまち大川まで持って 筑後川を下るようにとお預かりしていた小国杉で作ったバトンの盾が、2007年9月23日(日)13時より演奏会に先立って、2006年の大川実行委員会委員・教育長 石橋良知さんから小国の実行委員長河津登志恵さんに返還されました。そして大川の家具材で作ったレプリカが、お集まりいただいていた小国,吉井、城島、佐賀、大川 それぞれの演奏会の実行委員長さんに贈呈されました。

       
 


そして本番

團伊玖磨記念『筑後川』IN小国2007
今回は「わがまちのうた わたしたちのうた」に新しく参加された二つの合唱団があります。大分県中津市の 「中津混声合唱団」と熊本県菊池市から参加の「菊池市民合唱団と合唱組曲『菊池』を歌う会」の皆さんです。プログラムにもありますがどちらも「わがまち」 を流れる山国川と菊池川を歌った郷土賛歌です。力の入った熱演を聞かせてくださいました。また山口県下関から参加の「コール・セシリア」の皆さんは、昨年までは数名の方が個人で『筑後川』のみの参加でしたが、今回は単独合唱団として参加し、郷土の詩人・金子みすヾの曲を披露してくださいました。     


第1部「わがまちのうた・わたしたちのうた」

小国のコールはなみずきの皆さんの「わがまちのうた」おなじみ
  の「小国セレナーデ」。 町長さんを囲んでの演奏です。5年前の
  演奏会は初雪に驚きましたが、今年は残暑にびっくりでした。

中津混声合唱団は今回初参加。「わがまちのうた」合唱組曲
  『山国川』の作曲は「おもちゃのチャチャチャ」「鉄人 28 号」
  などの曲で知られた越部信義先生です。

あまぎあさくら歌う会の皆さん。「わたしたちのうた」では定番と
  なった鞭幸枝先生作曲の万葉集を。2部の「團作品を歌う」では
  合唱組曲『唐津』から第3章「七ツ釜」を初演して下さいました。

菊池市民合唱団と組曲『菊池』を歌う会の皆さんも今回初参加。
  「わがまちのうた」合唱組曲『菊池』を歌うために市内の仲間に
  呼びかけての参加です。

昨年までは個人として数人の参加でしたが、今回は単独合唱団
  としての参加。「わたしたちのうた」は、郷土の詩人(下関)金子
  みすずの曲を歌ってくださいました。

「みのう音楽祭」筑後川を歌う会の皆さん。この会も「わがまち
  うた・吉井讃歌」を歌うために市内の3つの合唱団が集まった
  会です。 今年で6回目の参加。


第2部 團伊玖磨作品を歌う

この演奏会で定番となった團先生の童謡三部作を歌ってくれる
  地元の子供たち。お揃いの赤いベストがかわいい小国町立宮原
  保育園の年長さんです。  

「子守り唄」をお母さん役のおば様(?)たちと歌うのも恒例に
  なりました。最後はスヤスヤとおねむのはずが・・・
  あっ!忘れちゃった

この1月に蘇州を訪れた訪中合唱団が思い出の「花の街」を
  歌いました。演奏の後、団長の矢野幸次郎さんと現田先生に
  演奏会や旅行の様子を司会の川野アナウンサーがインタビュー

蘇州の思い出の詩を書き、作曲し、定期演奏会で発表したのが
  「みのう音楽祭」筑後川を歌う会の中の女声合唱団「ハーモニー
  花梨」の皆さん。」作詞・平川絹子さん。作曲は指揮の田中玲子
  先生。作詞・作曲のいきさつをインタビュー。

第3部 『筑後川』大合唱

ご覧下さい、この壮観なステージの様子。
合唱団の後ろはガラス張りで、外の自然のそのままの景色が素敵でしたが、9月23日の日中はまだ真夏の暑さでした。
團伊玖磨記念『筑後川』IN小国2008は、筑後川流域の合唱団と全国からの『筑後川』の愛唱者が集まっての『筑後川』大合唱でフィナーレです。
 小国ドームは小国杉の角財で組み立てられた大きな体育館ですが、響きはよく、この演奏会のために特別にステージを組んでいただきました。今回は 高嶋みどり編曲の二台のピアノの伴奏でした。全国から応募された個人参加者の中には福島県、東京、神奈川、大阪,滋賀、山口などから、また合唱団単位での参加は 地元はもとより、鹿児島、大分、熊本と九州各地から、そして18名の広島大学合唱団の若い皆さんの参加がありました。

そして、今回一番嬉しかったことは、團先生とゆかりの深い八丈島から八丈混声合唱団の4名の方が参加してくださったことです。9月23日(日)の演奏会に参加 するために、八丈島を9月21日(金)に出発し、24日(月)に帰着するという3泊4日の旅程となったそうです。遠いところ本当にご苦労様でした。

團先生のお住まいは横須賀市でしたが、作曲をなさる時は八丈島のアトリエで過ごされました。島の人たちと暖かい交友を続けて来られ、團先生がなぜ八丈島にアトリエを作られたか、八丈島で過ごされた楽しい時間や、地元の方たちとのかかわりなどパイプのけむりで読んでいましたので、八丈島は憧れの地でした。
 毎年夏に行われている 「サマーコンサート」は、生の演奏会など聞く機会の少ない島の人たちに本物の音楽を聞かせてあげようと、團先生自ら有名な演奏家の方を島に招いて、1970年から コンサートを開いておられました。團先生ががお亡くなりになっても続けられ、この夏第38回目のコンサートが行われているそうです。
 
 その八丈島から『筑後川』IN小国2007に4名参加するとの連絡を受け、嬉しいやらびっくりするやら・・・。3名の団員の方と指揮の菊池加代子先生が参加して下さいました。菊池先生には2楽章のソプラノソロをお願いしました。皆さんは、昨年12月の定期演奏会で『筑後川』を演奏しておられます。今後も團先生の合唱作品に取り組みたいとおっしゃっていました。またお会いできるのを楽しみにしたいと思います。(好)

演奏会以外のシーンへ