@4年某日

 城塞都市ゼレス。
 広大な岩砂漠の只中、二つの山脈の谷間を塞いで建つ堅固な砦の街。
 照りつける日差しと砂塵避けの布を被せた荷車と人々が行き交う市門前に、クララクルルは佇んでいた。
 特徴ある羽兜を脱ぎ白銀の鎧を厚手の外套の下に隠して、誰も彼女の職種が聖騎士だとは気付かない。近頃噂の『魔物を討伐する騎士団』を辞してきたばかりだということも。
(ここへ戻るのは何年振りだろう)
 白金の髪を乾いた風になぶらせながら市壁を見上げる。雲一つない空とは反対に、けして晴れやかではない表情で。
 帰郷の理由は、凱旋ではない。

 クララクルル・アンセルムは怖いもの知らずな子供だった。
 男児顔負けの腕白で負けず嫌い、夜も暗闇も恐れることなくどこへでも首を突っ込み、持ち前の正義感で大人にすら喧嘩を売り、両親らを嘆かせたものだ。
 そんな彼女に聖騎士の鎧は授けられた。
 正確には、人に授けられた訳ではない。聖騎士の鎧は主を選ぶ。選ばれた主の心が高みにある限り、人並みならぬ聖なる力を貸し与える。そういった代物だ。
 まるで呼ばれるように訪れた埃舞う薄暗い屋根裏の物置で、そこだけ年月を感じさせず輝く鎧を見つけたとき、少女の胸は高鳴った。
 大陸に数ある職種の中で、鎧に選ばれなければ成ることができないものが『聖騎士』である。故に人数も少なく、実際に会うことも稀だ。大まかな鎧の形くらいは絵本などで見て皆知っているが、本物を見る機会などまず無い。
 だが彼女には解った。それが聖騎士の鎧で、自分が主に選ばれたのだと。
 言葉にできるような理由は無く悟ったとしか言いようもないのだが、確かにそう感じた。
 それから少女は白銀の鎧を身に纏い『世のため人のため』戦うことを決めた。大陸で成人とされる十五歳を迎える前に家を飛び出し、傭兵となって、拠点とする城塞都市で不逞の輩を相手取っては悪漢を打ち倒す……誰が見ても無謀そのものと言える生活に身を投じたのだ。
 若い彼女がそんな無茶を成せたのは無論、鎧の力のお陰である。でなければ碌に訓練も受けていない子供が大人を相手に戦い勝てる筈もない。
 当時の彼女はそれを理解していなかった。
 まともな戦い方も、聖騎士としてあるべき姿も、採るべき道も。
 『世のため人のため』と言えば聞こえは良いが、幼い正義感と鎧の意味する使命に振り回され、闇雲にいざこざに首を突っ込んで暴れるだけの、ただの向こう見ずな小娘。大の大人相手に正面から打ち倒し勝利を収める、その力に酔いかけていた。
 このまま戦い続けていたなら、鎧の主の資格を失い、聖騎士でいられなくなるのは時間の問題だったろう。
 そんな彼女を諌め武術のいろはや戦いの心得を教えてくれたのが、後にクララクルルが師と仰ぐ人物……騎士のアルファス・トランタンだった。

 彼は凄腕だが謎めいた男として知られていた。
 十数年前ゼレスの自警団を辞し、最近になって再び戻ってきた壮年の騎士。街を離れていた間どうしていたのかは誰も知らない。けれどその実力は確かで、街に戻って傭兵稼業を始めると瞬く間にその名は上がり、自警団から武術指南を頼まれるほどだった。
 クララクルルも出会う前から彼の噂を聞いていた。そして一つの街の中のこと、同じ仕事を請け負う機会もある。
 共に戦ったアルファスは確かに強かった。
 がっしりとして背はあまり高くなく、ずんぐりとして見える身体から繰り出される剣は力強く、それでいて速さは光の様で、恐ろしく鋭い。
 だが、それだけでは無かった。
 当時はよく分からなかったが、簡単に言うなら、彼の隣はとても戦い易かったのだ。
 後になって思えば、騎士が備えていたのは周りを的確に見る力だったのだろう。相手の武器や隙を見抜き、味方を把握し、的確な指示と補助を行い、不測の事態にも臨機応変の対応をするという、傭兵として、特に集団で戦う際に必要な目と力。
 同時にそれらは彼女に欠けていたものでもある。
 そんな彼が向こう見ずな若い聖騎士を見逃す筈も無い。
「貴公はいつもそんな風に戦うのか」
 最初の仕事をした後で、呆れたように叱るように声を掛けられた。
 そうだと答えると、壮年の騎士は暫し思案してから言った。
「今から剣を習うつもりは無いか?」
 何を今更、と少女は反発する。格上相手に負け知らずの経歴が、既に彼女に慢心を抱かせていた。
『今までやってこれたのだから、これからだって上手くいく』
 生意気な甘い見通しは、直後、では手合わせをと申し出た騎士によって打ち砕かれた。
 幾度目か、路上にひっくり返って固まったクララクルルに、アルファスは淡々と彼女の戦い方について述べる。剣筋の荒さ、視界の狭さ、立ち回りの癖、その他数々の指摘の山。このままではいつか手痛い失敗をするだろうと。
「私の様な奴が、貴公を殺すつもりでいたら困るだろう? 私より上の者は大陸に幾らでもいるのだから」
 後半はそうとは思えなかったが反論の余地は無い。体格や経験の差は確かにあれど、敗因は他に幾らでも見つけられる。
 これが少女が初めて味わった敗北で、謙虚さというものを芽生えさせる出来事だった。

 そうしてクララクルル・アンセルムはアルファス・トランタンに師事することとなる。
 指摘を受け技術を学ぶのに一番手っ取り早い方法だったからだ。
 教わったのは戦いの心得。武具の手入れ。周りをよく見て敵と味方の両方を知り動くこと。
 乾いた土が水を吸い、若芽が雨を得て萌ゆるが如く、教え子は教師の教えを受け取る。師事してから自身の動き、視点の変化に気付くのに、時間は掛からなかった。
 それはまるで霞が晴れるように。
 背に翼を得たように。
 師に出逢う前の『戦い』は何だったのだろうと呟かせるほどに。
 それを聞いた騎士は言った。
「何であったとしても、無駄なことでは無かった筈だよ」
「そうでしょうか?」
 疑念を向ける弟子へ、師匠は穏やかに頷く。
「戦っていたお陰で体力がついて、ある程度の立ち回りも学んだだろう。それに勝利を重ねて自信を培った」
「……大方鎧のお陰で、自信というより慢心でした」
「そうかも知れない。だが自信は大切だ。成功した経験、とも言えるな。慢心にならないよう気を付けて育めば、いずれ役に立つ」
「それは一体、どういうときに?」
「そうだな……」
 騎士はそこで、小さく笑みを浮かべて。
「追い詰められて絶体絶命というときに、戦うことができる」
「戦うと、どうなるんですか?」
「戦いが続く」
「ええ、それはまあ、そうでしょうが」
「戦っている間に味方が応援に来るかも知れない。相手が根負けして退くかも知れない。戦いながら移動するうち、上手く逃げ道が見つかるかも知れない」
「かも知れない」
「そうだ。無論、そのまま体力が尽きて負けるかも知れない」
「そんな」
 不満を露わにするクララクルルに再び笑みを見せ、アルファスは続けた。
「だが勝つ確率は上がる。状況にもよるが試す価値はある。そして自分に自信があれば勝利を信じて暴れられるだろう?」
「はい、でも状況……だから、敵や周りを知る目が要ると……?」
「私はそう考えているよ」
 静かに締め括った師の言葉に、少女は身を震わせた。
 経験は無駄にならない。出逢ってから教わったことも、出逢う前のものも同じく。

 師が弟子であり傭兵仲間の少女にとある話を持ちかけてきたのは、彼女が齢十六のときだった。
 夜も明けやらぬ早朝。朝の鳥すらまだ囀らない冷たい空気の中、鍛錬に訪れた騎士の家の裏庭でのこと。
「王都に行ってみたくはないか」
 突然の話に、鍛錬用の剣を手にしたままクララクルルは困惑した。
「王都とは、王都ヴァレイのことですか?」
「この大陸に他に王都は無いだろう」
「それは、そうですね」
 ゼレスは大陸の端、辺境と言える場所にある街である。
 元は滅びた古い王国の都だったらしいが、当然、大陸中央で栄える王都ヴァレイからは遠く、行ったことのある者は少ない。クララクルルもそうだ。
 遥かなる華やかなりし現王国の都。人も多く、新しいものが様々にあるという。
 行ってみたくないと言えば嘘になる。
 けれど。
「でもどうして、私を?」
「少し伝手がある。貴公の腕と、志を見込んでのことだ」
「志……?」
 腕を認められているようなのは単純に嬉しい。だが君の腕を見込んで、とはよく聞く台詞だが、志とはどういうことか。
 騎士は訝しげな顔の少女と目を合わせた。
「君は人々を守ることを望んでいる。そのために今の道を選んだと言っていたね」
「はい」
「王都に、そういう仕事がある。地味で目立たず、厳しいばかりで褒められることも少ない。だがその役割は確かに果たすことが出来るだろう」
「……そこで傭われよと?」
「入るなら傭兵としてでは無いな。『騎士団』だから、入団することになる」
 『騎士団』という名称には耳馴染みが無い。入団と言うからには自警団のようなところだろうか。
 首を傾げて思案したのを少し違って受け取ったのか、彼は付け足した。
「無理強いはしない。だが王都へ行って見聞を広めるだけでも貴公のためになる筈だ」
 確かに言う通りだ。行ったことのない場所に行き、見たことのないものを見ることは、戦い方を教わったときのように自分の視野を広げ、翼を与えることだろう。
 そもそも尊敬する師の紹介だ。話が始まったときから心は決まっていた。
「辛くとも、人々のために戦うところなのですね」
 その上、聖騎士の使命を果たせるというのならば、拒む理由は無い。難しい場所だと聞いて、元々の負けず嫌いで怖いもの知らずな気性も頭を擡げる。
 真っ直ぐに騎士を見ると、彼は微笑んだ。
「かつてそこにいた男は言っていた。どれだけ疎まれようとそれが誇らしいと」
 懐かしむような声音で語る。
 青灰色の目が、明けかけた空の彼方を見ていた。
 まるで誰かを悼むように。
 クララクルルは思った。この謎めいた凄腕の騎士が行方知れずの時期を過ごしていたのは、他ならぬそこだったのではないかと。 誰も知らない、街の誰にも語られたことのない話を、今、自分は聞かされているのだと。
「答えは急がなくて良い。貴公が望むのなら紹介状を書く。詳しいことが聞きたければ答えよう」
 騎士は言って鍛錬用の剣を取る。
 同時に地平線から顔を出した太陽が街の色を塗り替え、二人の足下に長い影を引いた。
「だが今朝はもう時間だ。長話をして済まないな」
 眩しさに目を細めながら少女は頷き剣を構える。
 鍛錬もまた、欠かしてはならないものだ。

 数日後、聖騎士は王都へと発ち、アルファスの語った『騎士団』に……正確には後に騎士団となる一団に入ることとなった。
 師の言う通り、騎士団は『人々のために戦う』ところだった。
 但し相手はそこらにいる悪漢などでなく、多くの人々が実在を疑う存在、遥か昔にいたというお伽話の『魔物』。
 それ故にやはり師の言った通り、称賛も報われることも少ない職であった。
 けれども、そこでの日々が実り多きものだったのも間違いは無い。
 魔物を討伐するための町から町への旅暮らしも、肩を並べ背中を任せて戦う仲間たちとの他愛ない語らいも、魔物から解放された集落の人々からの心からの感謝も、若き聖騎士の心を満たして余りある。
 そして共に旅し戦う仲間たちの、中の一人に彼女は惹かれた。
 聖騎士と対になる黒い鎧を纏う魔騎士。まだごく若い団長の師でもある、光を吸う鎧と同じ色の髪と目をした青年。齢はクララクルルの一つ上だったと思う。
 寡黙で陰気で酒も飲まず宴で浮かれもしない。感情も表情も読めないところが厭わしかった。その強さを当然のように使い熟し、孤高を気取っていると思い腹立たしかった。
 同時に、今まで出会った誰より凄まじい力を持つ彼に惹かれた。
 強者は強者に惹かれるもの、という大陸のことわざ通りに。
 巨大な竜を、獣を、息一つ乱さず薙ぎ倒す姿は一分の無駄も隙もない。それは師とは違った種類の強さだったが確かに強さだった。凄絶な、美しさすら覚えるほどの。
『私より上の者は大陸に幾らでもいる』
 師がかつて言った言葉を体現する存在。
 そして彼の不器用な人となり、愛弟子に向ける眼差しの穏やかな優しさを知るに至り、苛立ちは反転した。
 抱いた気持ちは恋か憧れか、はたまた両方だったのか。そんな初々しい感情が自分にあったことに驚いた。
 憧れだけなら騎士団の誰もが抱いていただろう。戦う者ならば強さに惹かれて当然だ。
 けれどそれ以外の、恋慕と呼ばれる情を抱いていたのは自分だけだったと思う。
 だが焦がれは口には出さず秘めていた。夜番や酒場、二人だけで過ごした時間は幾度もあったが、伝えることは無かった。
 彼の方が気付いていたかは分からない。
 何かが起こるその前に、黒髪の魔騎士は呆気なく、永久に去ってしまった。
 忘れもしない、霧のような雨の日のこと。
 クララクルルが団を辞したのは、それが理由だった。

 そして今、かつて旅立った城塞都市の前に、聖騎士はいる。
 あれからまだ十年は経っていない筈だ。
 一度も戻らなかった訳ではない。数年前に訪れたのは騎士団の団員としてだった。よく覚えている。無事に入団し、他に幾人もの若人を迎え、師が去ったときの倍の人数になった騎士団を見て彼がどれほど喜んだか。
 あの魔騎士とも、壮年の騎士は親しげに話していた。
 それなのに伝えなくてはならない。
 自分が団を退いたことと、魔騎士の死を。
 いや、訃報なら既に受け取っているだろう。彼の戦死は既に一昨年のことだ。そして王都を発つ前に出した退団を報せる手紙も届いていることだろう。
 けれどやはりこれは自分の口から伝えるべきことだ。慢心していた己を諌め、然るべき場所へ送り出してくれた師には。
『彼のいない騎士団に留まることが辛かった』
 その気持ちも正直に。
 知らず踏み出していた足は慣れたように道を辿り、師の家へと向いていた。
 いつかの頃から変わりない街並。変わらない空気。
 黄味の強い石垣、砂の溜まった石畳、そこかしこに並ぶ水瓶、陽光を遮るために植えられた樹木や建物の間に張られた色とりどりの天幕。子供たちは熱さを物ともせず駆け回り、対して大人たちは頭巾やフードを目深に被って日除けをしている。
 アルファスの家は幾重もの市壁を抜けた先、古城や屋敷の立ち並ぶ内郭区の外れにある。自警団の指南役である凄腕の傭兵の家にしては質素でこじんまりとした石造りの建物。
 よく手入れの行き届いた門前で、クララクルルは大きく一つ息を吐いた。
 後戻りはできない。もう子供ではないのだから。
 ノックの音に、屋内で人の気配が動く。
 師は受け入れるだろう。彼女の理由も行動も、頭ごなしに侮り否定するような懐の浅い人物ではない。
 だがそれに甘えてはいけない。
 万が一、拒まれ叱責されたとて、歩みを止めるつもりはない。
 騎士団は辞したが『聖騎士』は辞めていない。ゼレスに到るまでの道中で心を決めた。もう戻れないとしても、騎士団での日々も、魔騎士への想いも傷心も、捨てずに経験として抱いて行く。己の心が曇り鎧に見捨てられるまでは聖騎士としてあろうと。
 人々のために戦うと。
 やはり自分はそのように生きたい。
 「クララクルル・アンセルム、只今戻りました」
 軋む音を立てて扉が開く。
 道はまだ続いているのだ。



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