@序  一人目のジレンマ

 あなたが気になる。
 あなたのことが気に障る。
 あなたを前にすると胸が熱い。
 あなたといると苛々する。
 こんなことは初めて。
 こんなのは今まで。
 感じたことない。


@3年301日 夜 ウォルター平原  周りから見る目

 空は晴れて満天の星。草原を騒がす風も凪いで静かな夜。
 草丈は、短いところは足首程度。高いところは腰まであり、疎らに群生する黒い茂みと、ぽつりぽつりと見かける低木の他は、ずっと遠くまでその青臭い波が続いている。
 燃え移らないように周りの草を刈った焚き火を丸く囲み、荷物を枕に、マントを布団に、それぞれの武器を手元において、団員たちが眠っている。
 すうすうという寝息と、ぱちぱちと爆ぜる火の音。やかましいのはガルゴスのいびきである。
「ったく、相変わらず五月蝿いわね」
 地を這うような轟きの音源を横目で睨みつつ、フェルフェッタは毒づいた。但し苛々しているのは口調だけで、その表情は笑みに近い。
 隣のヴァルガが同じくガルゴスの方を見て、そうだなあ、と云いつつ口元を押さえて笑った。いつものようにゲラゲラと笑わないのは、周りで寝ている他の団員たちのことを考えてのことだろう。
「なんかよう、イビキに効く薬なんてもんはねえのかよう?」
「あたしは知らないわよ。風邪の鼻詰まりで息苦しくてああなってるってなら、二つ三つあるけど」
「ううん、ありゃあ風邪じゃあねえなあ」
「五月蝿いのは確かだけど、こっちも全然寝られないわけじゃないしね。というか慣れたわ。新しく入った子には拷問かも知れないけど、こればっかりは慣れて貰わなきゃ」
「違えねえ」
 火掻きの棒で炎を掻くと、ちりちりと火の粉が舞い上がった。棒で掻いたその一瞬だけ、炎は大きく燃え上がる。
「あれもなあ、そろそろ前に出してやっても良い頃合かなあ」
 棒を戻してしみじみとヴァルガが云った。
 帽子を膝に乗せた魔女は笑みながら剣闘士の方を向く。
「あら、リーヴェでちゃんと出てなかった?」
「いんや、あんなの出たうちに入らねえよ。後ろの方で斧ぶん回して、おうおう云ってただけだもんよ」
 ヴァルガは云いながら大きく首を横に振る。
「立派な剣闘士たるもの、きちんと初陣だって云い張りてえなら、ちゃあんと一番前に出てだな、鉄球でこう、ガツンと一撃を入れられてねえとな」
「手厳しいわね。それとも過保護なのかしら?」
「過保護かあ?」
「もう十七、うんん、あと百日もしないうちに十八になるんだから。前に出してないのはあなたの一存なんでしょ?」
「そうだがのう。んん、なんつうか、まだ前に出すのは不安でのう」
「あら、さっきはそろそろ出しても良いかな、なんて云ってなかったかしら?」
「いや出してやった方が良いのは確かなんだがのう、どうも不安でのう」
 眉をへの字にして鼻を掻きながら、ヴァルガは溜息を吐いた。
 それを見ながらフェルフェッタは目を細める。
「信じてやんなさいな。それしかないわ」
「……お前さんはなんで平気なんだよう? お嬢ちゃん方が怪我とかせんか、心配にならんのか?」
 首を傾げて訊く剣闘士に、魔女はひょいと肩を竦めてみせた。
「心配よ。でも騎士団にいる限りはそれが日常で普通のこと。だったら経験は早いうちに積むのが吉」
「そういうもんかのう」
「あたしの考えはこうだってだけよ。別にあなたはあなたのやり方でやってけばいいわ。早けりゃ良いってもんじゃないんだから」
 さらりと云ってのける。
 ヴァルガはううんと唸ってまた鼻を掻いた。
「そう云えばリコもとうとう教える身になったみたいね。どんな教え方する気か見物だわ」
 唐突にフェルフェッタは話題を変えた。一瞬ついて行けず、ヴァルガは目をぱちくりさせた。
「そ、そうだのう。そう云えばのう」
「今のところは難儀してるみたいね。ヴァーサに突っぱねられちゃってる。取り繕ってるけど、相当あれ落ち込んでるわね」
「突っぱねられとるかのう? おいらにゃ、あの弓使いのお嬢ちゃんはそんな風には見えねえが」
 少し上向いて思い出す仕種をしながら、剣闘士は首を捻った。
 聞いた魔女は膝の上の帽子を取ってくるくると回す。
「どう見たってそうよ。あの子、リコのこと信用してないわね、丸っきり」
「……」
「どこがどう気に入らないのか分かんないけど、やっぱりあの態度かしらね。年甲斐もなくへらへらしてるし、時間にはルーズだし、そもそもいい加減なのよ」
「のう。それは、ただのお前さんの愚痴に聞こえるんだが」
「愚痴よ」
「……そうかい」
「あ、別に嫌ってるわけじゃないわよ。外面通りの内面じゃないってこともね。ただ表面上の態度見る限り、自分の先生があーだったら、あたしだって張っ倒したくなる。あの子は真面目そうだから、尚更そう思ってるんじゃないかしら」
 炎を見つめたまま澱みなく云い切るまだ若い魔女に、ヴァルガは今度はぼさぼさの頭を掻いた。
「けどなあ、やっぱり違うなあ」
「何が違うのよ」
 疑問符を浮かべた緑の目を向けられ、それを見返して、剣闘士は眉間に皺を寄せる。
「弓使いのお嬢ちゃんときちんと話したのは、入ったその日だけだったがのう。あんとき見た限りじゃあ、あのお嬢ちゃんはリコルドに惚れとるみたいだったがのう」
「はァ?」
 反射的なひと言に、何云ってるのあんた、という意味が濃厚に籠もっている。
 ヴァルガは少し引きながら、もそもそと言葉を続ける。
「いやあ、近頃のことは、よく見てないもんで、分からんけども」
「……じゃあ見てみなさいな。勘違いの程が分かろうってモノよ。ほら、あの子が入った日って、アレでしょ、あなた二日酔いで死んでたじゃない」
「そうだったかのう」
「そのせいよ。間違いないわ」
 フェルフェッタはきっぱりと断言した。
 そしてしばらく炎を睨むようにして、もう一度くるりと帽子を回して膝に戻す。
 しばし沈黙。
「もしそうなら、ちょっと張っ倒したくなるわね、本気で」
 呟くように云う。
 ちらりと向けた目線の先には、焚き火に背を向けて寝ている弓使いがいる。
 ヴァルガも同じ方を見て、すぐに目線を戻した。
「アズがあいつに惚れてるわ」
 声を落とし、フェルフェッタは云った。
 剣闘士は少し間をおいて、ゆっくり頷いた。
「ああ、やっぱそうかい」
「気付いてたの」
「嬢ちゃん方は、妹みたいなもんだからのう。なんとなくなあ」
 確かに年嵩の剣闘士は、若い魔女たちの面倒をよくみている。いや、面倒をみると云うより、群がられているというのが印象としては近い。特に活発なマルメットなどは、気性が合うのかよく一緒にいるようだ。
 妹のようだと云っているが、あながち間違いでもないだろう。
「告白なんかは、しとらんのだろうなあ」
「あっちからコクらせるって息巻いてたわよ。あの子はそういうとこでもプライド高いわ」
「そうかあ……けど失恋したときぁ、さぞかし落ち込むだろうなあ。嬢ちゃんは見かけによらず神経が細やかだでのう」
「落ち込んでたとしても、そこを慰めに行くのはあたしたちの役目じゃないわ。あの子のことを想ってくれる人がちゃんといるもの」
 浮かぶのは、思い詰めた目をした騎士。
 彼ならきっと、寂しがりやの魔女を幸せにしてやれるだろう。
 ヴァルガは少し頬を緩めて、そうかあ、と呟いた。
「それなら良いがのう」
「そもそも失恋って決まったわけじゃないわ」
 云いながら、想定する結果は別物だ。
「どのみちあのニブがどっちかの気持ちに気付かなきゃ話が進まないわ。ヴァーサがリコに惚れてるっていう話を信じるって前提あっての話だけど」
「惚れてると思うぞ。ありゃあな」
「ああもう、その話については棚上げ。推測だけで話しても平行線なだけだもの」
「本人に聞けりゃあ早いが」
「答えると思う?」
 しばし考え、答えてくれそうにないなあ、とヴァルガは苦笑した。
 意志の強そうなくっきりした眉と、その通りの気性。短い付き合いながら如実に伝わってくるキッパリとした性格には、先生役を買って出たリコルドの曖昧さは苛立ちを募らせるだけのものだろう。
 もし彼女がリコルドに惚れているとしたら、あの態度について思いつく理由は二つ。
 一つは、好きな相手にほど邪険に接してしまう、恥じらいの裏返し。
 もう一つは、自分の気持ちを理解していないゆえに生まれた感情の捌け口として。つまりは八つ当たりだ。
 どちらにせよフェルフェッタは自分が動くことはないと考えている。
 これは当人の問題だ。
 むしろ手を出せば関係をこじらせることになりかねない。
 天の星を仰ぐ。
 月はないが、一夜で空を半周する星たちの位置で、大方の時間は分かる。
「交代の時間よ」
 星で時間の経過を読んで云い、片手で帽子を、もう片手で傍らの杖を掴んで立ち上がる。
「もうそんな時間かあ」
 首を鳴らしながらヴァルガも立ち、すっかり寝こけている団員たちの方へとのしのしと歩いていく。
 おうい、起きろやあ、と大きな手で揺すって起こされる次の番――先程の会話には全く関わりのないサムライコンビの二人――の寝惚けた応答を聞きながら、フェルフェッタは焚き火の前に仁王立ちして地平線を睨む。
 全く、ややこしい人間関係を構築してくれたものだ。
 知らぬは当人ばかりなり。いや、もう何人か気付いていない鈍感もいるか。
 ああもうあいつの頬を思いっきり張ってやりたい。


@間  二人目の呟き

 あなたが好き。
 遠くを見る横顔、大きな背中、やさしい笑顔。
 全部が好き。
 でも、この気持ちは、あなたには秘密。
 あなたが気付いてくれるまで。
 ねえ、あたしを見て。
 あたしだけを見て。


@4年4日 昼 ウォルター平原  それぞれの視点 

 ちのはてまでも つづくみち とまりはすれど うしろはむくな
 たとえこのみち きえんとも われらはすすむ どこまでも

 マルメットの高い声が、やや舌足らずに行軍歌をうたう。
 調子っぱずれなガルゴスとクルガの声がそれに重なる。
 もう何週目になるか。
 聞いていて歌詞とメロディを覚えてしまったらしいエクレスが、途中からそれに加わった。
 フェルフェッタがしっかりした音程を保ちながらヴァーサを誘う。若い弓使いは始め小声で、だんだん音量を上げていく。
 クルガからの誘いを丁重に辞退したイワセが苦笑しながら一団に続く。

 まちからむらへ むらからまちへ まもののかげの あるところ
 さあ ぶきをとれ いのりをこめよ まえをみよ

 振り向けば黒の森。
 王都の北に位置する夜の都ジグーを発ってまだ二日の距離になる。
 ガルゴスとマルメットに強引に誘われて、ヴァルガとポールランとヘルンが歌の輪に入った。
 ナガイは歌の輪からは離れ、団を先導する位置にいる。その隣を歩いているのはキャナルで、時折、合唱団と化した後方を微笑ましげに振り向きながら、絶えず何事かを若い団長に話し掛けていた。
 近頃、彼の纏う空気がやわらかくなっているように思えるのは、そんな彼女の地道な努力のお陰だろう。

 すすめ すすめ あのおかをこえ ひびけ ひびけ このうたごえよ
 いざゆかん ゆきのなごりをふみしめて


「先輩も歌いません?」
 賑やかな一団を見守るリコルドの隣にすいと寄り添って、アズリットは最上の笑顔で彼を見上げた。
 ただまっすぐ見るのではなく、少し上目遣いに小首を傾げる。
 相手から見て、一番可愛く見える角度。
 いつものように、化粧は念入りに施してある。いろいろとこの点について云われることはあるが、妥協する気は全くない。
 目指す相手を落とす手段に、手抜きなどあってはならないのだ。
 そんな心意気で見つめる先の弓使いは、一団の方を見たままぼんやりと答えを返す。
「どうしようかな」
 気のない返事だ。
 彼の視線を追った先に、まだ覚束ないメロディを必死に追う若い弓使いの姿を見て、アズリットは自分の中の何かが痛いほど熱くなるのを感じた。
 噴き出しそうな感情をプライドで捻じ伏せ、穏やかな表情を取り繕う。
「ねえ、先輩ってば」
 軽い足取りで弓使いの前に回り込み、若い魔女は甘い声を出す。
 リコルドはこちらを向いて、なんだい?と首を傾げた。
「あ、やっとこっち向いた」
 今度こそ、最上級の笑顔を向ける。
 男心をとろかす彼女の武器。けれどそれは、この弓使いには効いた試しがない。
 今回もいつものようにいつもの笑顔で、リコルドはアズリットを見る。
「先輩ってば、ぼーっとしちゃってるんだから」
「あれ、そんなに僕、ぼんやりしてた?」
「してたわよ。いつか何にもないトコロでコケちゃうんだから」
「流石に何もないとこでは転ばないよ」
 へろりと笑う。
「分かりません。今だって、呼んだのニ回目だもの」
「え、そうなの?」
「そうなの」
「ごめん。気付かなくて」
 歩きながら頭は下げられず、申し訳なさそうな顔になる。
「許してあげる」
 リコルドの隣に移動しながら、アズリットはにっこり笑った。
 他愛もない会話が続く。
 ゆっくりとした広い歩幅。彼女の頭の高さが、彼のちょうど腰の位置。提げたナイフの鞘がマントと擦れる音が、すぐ横に聞こえる。彼女の手の倍はある大きな掌がとても近い。
 弓使いはいつもの笑みでこちらを見下ろしている。
 独り占めだ。
 今の彼は、彼女だけを見ていてくれている。
 これを幸せと呼ばずに何と呼ぼう。


 大荷物を背負った長身の背中と、そこそこの荷物を背負った小柄な背中が並んでいる。
 小柄な魔女が何かを云って、背の高い弓使いが言葉を返し、また小さな魔女を笑わせる。
 横顔しか見られない、花が咲くような笑顔。
 あの弓使いは何も気付かずに、それを一人で享受している。
 我知らず、握った拳に力が入る。
 気を紛らわすために張り上げる行軍歌は、意識を向けていないせいでとんでもない方へと音程がずれていく。
「ちょっとヘルン! 音程狂ってるわさ」
 歌の合間にマルメットが、笑いながらそう云った。
 そこでヘルンは我に返った。後方の二人を焼け付くように見ていた視線を引き剥がし、声の主の方を見た。
 ほんの気紛れのツッコミだったのか魔女は既に前を向き、機嫌の良い様子で指で拍子をとっている。
 声言葉を媒介とする魔法を扱うせいか、魔女たちは一様に歌が上手い。
 歌や音楽を本職とする冒険者と比較したことは無いので分からないが、女冒険者と呼んで差し支えないほど彼女たちの歌は上手いと思う。
 それを云われるのは、本人たちには不本意かも知れないが。
 歌いやめて溜息を吐くと、フェルフェッタと目が合った。
 年嵩の魔女は片眉を跳ね上げて、ひょいと肩を竦める。
(今はどうしようもないわね)
 そういう意味にとれた。
 ヘルンは視線だけで頷いて返し、けれど気分は沈んだままで俯く。
 周りは耳を聾する行軍歌の雨。
 若い騎士はぶんと頭を振って顔を上げ、先程より大きな声で歌い出した。突然の大音量に、隣のヴァーサが驚いて一瞬歌い止める。


 たかくそびえる やまのみね とおくひろがる あおうなばらの
 たとえわれらを はばんでも われらはすすむ ひるまずに
 きたへみなみへ ひがしへにしへ まもののこえを きいたなら
 さあ ぶきをとれ いのりをこめよ まえをみよ
 すすめ すすめ あのおかをこえ ひびけ ひびけ このうたごえよ
 いざゆかん いしのさばくをふみこえて


 賑やかな声が一段と大きくなった。
 リコルドはアズリットと言葉を交しながら、その中で一度止まって、また聞こえ出した声を聞き分ける。少し音程を外しながら、張り上げる声は小さくはない。ただ覚えたてのためだろう、歌い方はまだたどだどしい。
 楽しげに、そう、馴染んでいる。
 そんな分析をして、内心だけでリコルドは溜息を吐いた。
 自分が歌の輪に誘っても、彼女は首を縦には振らなかったろう。むしろ頑に拒んで先に行くなりしてしまった筈だ。
 今、ヴァーサが一団に混ざっているのは、誘ったのが自分ではないから。
 気にしない振りをしてはいるが、弓使いの少女の態度は少々心に刺さっている。
 対する言動全てに刺があるし、手の届く範囲には近寄らせず、必要なこと以外は口も利かない。勿論、目などは合わせてもくれない。
 信用されていない。少なくとも頼られてはいない。
 嫌われている。
(これって先生としてはやっぱ、問題だよねえ)
 それを除けば、相手はたかが新人ひとり。腕も弱いし体力もない。負けず嫌いな、ただの年端も行かない弓使い。
 別に嫌われたからと云って、自分が何かを失う訳でも、これまでのことが崩れ去る訳でもない。
(気にすることじゃない)
 と、そう自分に云い聞かせながら、反して心情はぐずぐずと悩んでいる。
 外に出さないようにはしているものの、ことこの件について調子は狂いっぱなしだ。物事の流れとリズムを察する魔女、勘と観察眼の鋭いフェルフェッタなどには勘付かれているかも知れない。
(いっそのこと、相談した方が良いのかな)
 師匠として先輩である彼女なら、何か良い助言をくれそうだ。
(でも「自分で何とかしなさいな」て云われるよな)
 自分でどうにかすべき話題というのは分かっている。人に頼らなければならない事態は避けたい。
 必要なのは信頼関係。
 真摯に接すれば、歩み寄れるだろうか。
(それで詰まっちゃってるのも確かなんだけどね)
 とにかくアタックあるのみ、と云い聞かせてまた後ろを見ると、ちょうど息を吸い込んだヴァーサと目が合った。
 反らされる。
 持ち上げた気持ちが一気にしぼんだ。
 吐きそうになった重い溜息は辛うじて堪えた。


 また、見ている。
 視線の先を追わずとも分かる。
 おかしいことじゃない。彼女は彼の生徒だ。生徒を気にかけるのは、当たり前のことだ。
 その二人の仲がなんとなく上手くいってないことが感じられて、それを喜ばしく思ってしまう自分がいる。
(何が不満なのかしら)
 リコルドを突っぱねるヴァーサの態度に、アズリットは苛々する。
 初日の勘は外れているとは思わない。
 ヴァーサはリコルドのことが好きだ。間違いない。この点については自分の勘を信じている。
(なのに)
 態度は最悪だ。
 折角、好きな人に教えてもらえる、なんて僥倖に巡り合えていると云うのに。
(あたしが、とっちゃうわよ?)
 二つ年下のライバルに、心の中で宣告する。


@間  三人目の言葉

 いつも斜に構えて大人っぽく笑う。
 君の笑顔はとても可愛い。
 でも本当は繊細なことも知っている。
 それは、みんな知ってることかも知れないけど。
 君のためなら、何でもできる。
 君の望む人に、僕はなりたい。
 僕は、君のことが好きだから。


@4年28日 午後 カルランの街  更に視点

 猿のような咆哮を上げて、ゴブリンが塵になる。
 吹いた風に、三分の一を削られた花壇から土と花弁が飛んでいく。魔物が消え、踏みにじられた花壇以外の中央広場が、元の静けさを取り戻す。
 とどめを刺したポールランが上気した顔で、ほっと背を伸ばす。
 振り向いたところにエクレスが駆け寄って、頭を抱えるようにして抱き締める。腕と胸に挟まれて真っ赤になった若い騎士は、そこから逃げようとかなり必死に手足をばたつかせる。ただし本気は出せずに中途半端に。
 マルメットが囃し立て、キャナルが微笑ましげに見守り、ナガイが労いの言葉を述べる。
「ちょっとあんた、そこのアホサムライ! 誰があそこで張り切れなんて云った?」
 フェルフェッタが怒鳴り、クルガの尻を引っ叩く。更に一撃を加えようとする手から逃げてクルガが、仕方ないではないか、と云い返す。
「何が仕方ないのよ! 加減を知りなさいな!」
 杖を振り回しフェルフェッタが更に怒鳴る。クルガが逃げ、高速の追っかけっこが始まる。
「まあ、次があらあな」
 前線に配置されながらクルガの渾身の一撃のせいでまたしてもとどめを逃したガルゴスに、ヴァルガが慰めの言葉を掛ける。若い剣闘士はしょんぼりとして、自分のピカピカの鉄球を見下ろしている。
「そうだぞ、悪いのは皆、あの馬鹿だからな」
 腕組みをして追っかけっこの逃げる方を睨めつけながら、イワセがきっぱりと云う。
「落ち込んでなんか、いねェよォ」
 ガルゴスはしょげた顔で、説得力のないことをぼそぼそ呟いた。


「良い一撃だったよ、ヴァーサ」
 緊張が解けて花壇の縁石に腰掛けたヴァーサの隣に座り、リコルドはにっこりして云った。
 初陣を果たしたヴァルキリーはそれに気付くなり、縁石に座ったままざりざりと彼から遠ざかる。
「あぁー、逃げないでって。ほめてるんだよ」
 苦笑を浮かべるリコルドから顔を背けて、ヴァーサはぷいと黙りこくっている。
 溜息を吐かないように呑み込んで、その手元に抱え込んだクロスボウを見た。初撃を射たままで、撃ちっぱなしの弦を見る。
「いっぺん射たら、弦はすぐ張りなおすこと」
 穏やかな口調で云う。
 ヴァーサは、あっという顔でクロスボウを見下ろし、丸い頬を赤くした。
「弦は傷みやすいから、手入れは怠らないこと。脂は塗った?」
「……まだ」
 耳まで赤くして俯いた横顔。弛んだ弦を睨むようにしている。
「それ、クロスボウって、張るのきつそうだから、毎回張るのは大変だと思うけど」
「なんてことありません」
 グローブを脱ぎ、ポケットから小瓶を出して弦に獣脂を塗りながら、ヴァーサはきぱっと云う。
「こんなの、いつもやってたことなんです。だから……ちょ、何してるんですかっ」
 リコルドは腰を屈めてクロスボウの先端を見ていた視線を上げて、ひょいと首を傾げた。
「ここの先に鐙つけたら、引きやすくなると思うんだけど」
「……いいですっ。触んないで下さい」
 クロスボウを抱えて更に遠ざかりながら背中を向ける。
「でもそのままだと、きつくない?」
「いつもやってたことです」
「でも連射はきついでしょ」
 返事はない。
「ある程度は連射できないといけないからね。いろいろ危険だから」
「……このままでも、できます」
「ホントに?」
「……」
「危ないのは自分だけじゃないからね。出来ないって思ったら、ちゃんと云って」
 ぷいと向けた背中に、できるだけ穏やかな口調で云う。
 頑に返事はない。
 言葉をかけるのを諦めて、リコルドは立ち上がった。その動きを感じてヴァーサが肩を緊張させる。
(何もしないって)
 思って声には出さず、そこから遠ざかった。


 石畳を遠ざかる足音を聞きながら、ヴァーサはひたすらせっせと弦に獣脂を塗り込んだ。
 作業に専念して、彼の声が聞こえないように。
 ただの声だ。ただの言葉だ。
 忠告をするのは、彼が自分に教える立場だからだ。
 他意なんかない。
 そんなことは分かっている。
 なのに。
 声を掛けられて、顔が火照るのを抑えられない。顔を覗き込まれて、動悸が上がるのを止められない。
(なんで、あんな人に)
 あんなヘラヘラして、不真面目で、時間にも物事にも、ルーズな。
 嘘だって吐く。隠し事だってしてる。信用できない。
 クロスボウのことだって、何も知らない。
 何も知らないくせに。
(苛々するわ)
 弦に触れる指に力が入り過ぎそうになり、慌てて手を離す。
 それなのにどうして。
 何だか泣けてきて、弦を濡らすまいとヴァーサは顔を背けた。獣脂を塗ったそのままの手で涙を拭って鼻を啜る。
 私は生徒だ。あの人に教わる、ただの、一人の団員だ。
 それでいい。
 それだけでいい。
 あの人の心配なんかいらないくらい、ちゃんとした弓使いになる。
 そうすれば、きっと、こんなモヤモヤしなくて済む筈だ。


@同日 夕刻 カルランの街  それから、布石

「是非、今夜はこちらに泊まっていって下さい、勇者様」
 魔物を倒せば、一夜限りの勇者扱いをされるのが騎士団の常。
 勿論、ただでご馳走にありつける上に寝場所まで確保できるとあって、断る手はない、というのが全員共通の意見だ。
 盛り上がる街の人と、それに囲まれる団員たち。
 賑やかなうちに陽は傾いていく。
 その中で、ナガイはひとり、胸のざわめきを感じていた。
 いや、ざわついているのは胸中ではない。空気を伝わる振動にも似た、泥のように凪いだ胸中を震わせる細波のような予感。
 幼い頃から良く知っている感覚。
 これは。


 様子がおかしい、と皆が感じたのは日没を目前にした頃だった。
 夕方の、格子を下ろした街の門から見えるウォルター平原の彼方。
 凄まじい速さでこちらに向かう馬を見つけたのは、既に酒の入っていた街の男。妙だと感じて一気に良いが醒めたのか、大声を出して人を呼んで、力を併せて格子を上げた。
 騒ぎは伝わり、不穏な空気が住人たちの間に流れて行く。
「何事だ」
 妙な空気に、ナガイは隣のヘルンに訊ねた。
「馬のようです」
 街の人々の言葉を聞き取った騎士が神妙な顔で答える。
「……伝令か」
「恐らく」
 単騎なら、他には有り得ないだろう。
 行商の者なら馬車を使う筈だ。荷物が多く運べるし、徒歩よりも断然速い。騎士団も行く先が合っていれば同乗させて貰うこともある。
 単騎で街々の間を行き来するのは危険が伴う。それを決行させるのは、それ以上の危機だ。
「魔物」
 思い当たる、胸騒ぎの原因を、ぽつりと呟く。
 魔物に襲われた近隣の村や街からの伝令か、救助を求める使者か。
 この近くなら、オストかサンパロス、それからジグー。
 方向から云って、フランカからではないだろう。
 魔物の出現は肌が伝えるが、その詳細は人を介するか自ら見聞きしなければ掴めない。
 そう考えを巡らせているうちに、人を乗せた馬が門をくぐり、広場へと飛び込んで来る。街の人々は大騒ぎをしながらそれを避ける。
 馬から転げ落ちるように降りる男を、あっと云う間に野次馬が囲んだ。
「助けてくれ!」
 掠れた泣き声で叫ぶ男を助け起こし、街の人々が口々に云う。
 ちょうど良いところに来た。
 ちょうど勇者様が、この街に来ているところだ。
 男の顔が安心で泣きそうに歪む。
 野次馬を掻き分けて男の前に進み出、ナガイは片膝をついて視線を合わせた。
「トロント騎士団を率いている、団長のナガイ・コーレンと申す。魔物が現れたのか?」
「は、はいっ」
 現れた姿の若さに一瞬惑い、けれど他に信じるよすがもなく、男は縋る目でナガイを見た。
「つい、十日前のことで、ま、魔物が、山みたいにでかいのが」
「まずは落ち着け。誰か、水を頼めるか」
 前半で男をなだめ、後半を周りに呼び掛ける。何人かがばたばたとして、コップの水を男に手渡した。
 男は息を詰まらせながら一気に器を干す。
 その間に、ナガイは自分の緊張を緩めようと努力した。他の団員達は人垣の向こう。ここで聞き込むのは、それを伝えるのは、団長である自分の役目だ。
 それくらいは、一人で出来なくてはならない。
 立派な団長になどなれはしない。
「十日か。どんな様子の魔物だった?」
 男が水を飲み終えるのを待って、ナガイは訊いた。
「で、でっかい犬みたいなヤツで、でかいのに、えらくすばしっこくて」
「……もしや、二つ首の巨犬ではあるまいか?」
「そ、そうです、首が二つ! 街中暴れ回って、人なんか見つけ次第喰われちまうんで、みんな家の中にこもって隠れてるんです。でも、いつ見つかるか、家ごと潰されてしまうんじゃないかって」
 聞きながら、覚えている限りで特徴の当てはまりそうなものを思い出す。
 恐らくは、ヘルハウンド。あとでフェルフェッタやリコルドにきちんと確認した方が良いだろう。自分の把握している魔物の種類は、まだそんなに多くない。
 ナガイは大きく頷いて見せ、しっかりと男を見据える。
「ご安心を。拙者達が必ず退治してみせるゆえ。して、どちらから来られた?」
「さ、サンパロス」
 頭の地図を広げ、位置を確認する。ここからなら徒歩で四、五十日の距離だ。
「相分かった。あとのことは任されよ」
 云い置いて、男のことは野次馬に頼んで輪を出る。
 少し離れた位置に、心得たように団員たちが固まっていた。
「魔物か?」
 短く、クルガが訊く。
 ナガイは頷いて、一同を見回す。
「場所はサンパロスの街。帰還の途上ゆえ、このまま向かう。出立は明朝。今宵はきっちりと体を休めておいてくれ」
「出発は、明日の朝なんだわさ?」
 マルメットが声をあげる。勝ち気な彼女に珍しく、その顔色は蒼白だ。
 少し惑ってから、ナガイは頷いた。
「今日は皆疲れている。今から発っても、途中でへたばってしまう」
「そ、そうだわさね」
 俯いて眉間に皺を寄せ、隣のサムライのコートの裾をぎゅうと握る。
「必要な物資の交渉は拙者とリコルドで行ってくるゆえ、皆は楽にして待っていてくれ」
 皆に伝え、踵を返す。
 夜が来る前にまだやることがある。


 踵を返したナガイを、ご指名受けちゃった、と軽くおどけて見せ弓使いが後を追った。
 三々五々、思い思いの方向に立ったり座ったりする中、まだ青い顔をしたマルメットを二人の魔女とヴァルガが囲む。
 フェルフェッタが前に出てそっと肩を抱く。
「大丈夫よ、あんたの故郷は大丈夫」
 慰められて、小さな魔女はこっくりと頷いた。
 頭上にヴァルガが大きな手を置いて、ぽんぽんとやさしく叩く。
「安心せいよ。ちんけな魔物なんぞ、おいらがコテンパンにのしてやるでのう」
「そうだぞ! オレの鉄球の餌食にしてやっからなァ!」
 ガルゴスが勢いで云って、固く拳骨を作ってみせた。
「うん、ありがと」
 血の気が引いたままの顔を上げ、マルメットは勝ち気に笑んだ。
「大丈夫だわさ。みんなタフだから、きっとうまくやってるわさ」
 日の沈んでいく、彼方に霞むディアレイ山を見ながら、杖をぶんと振る。
 魔物なんかに潰されてたまるものか。
「あまり無理はするなよ」
 通り過ぎざまにクルガがぽんと肩を叩いた。
「平気だわさ」
 軽く返しながら、ちょっと嬉しくて鼻がツンとする。
 沈んでいても仕方がない。悲観的になってたって、何もいいことありゃしない。
 だけど。
 今夜ぐっすり寝れるかどうか、全然自信が涌いて来なかった。
 落ちかけた日が、カルランの街を舐めるように赤く染めていた。





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タイトルのトリトマはユリ科の多年草で、赤いブラシみたいな花です。
花言葉は「恋する胸の痛み」「あなたを想う」「恋する悩み」等々。


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