@序章

 次の遠征終わりには退団する。
 そう告げると、緑の目の魔女は驚いて彼女を見た。理由を話していくうち、その色が驚愕から苛立ちを込めた怒りに変わるのは、そんなに遅くなかった。
「なんてこと」
 第一声がそれだった。
「あんたの気持ちに気付けなかった、フェルフェッタ・カルフラン一生の不覚よ」
 同期入団の、自分より二つ下の魔女はそう云って背中を向けた。
 それから少し黙って、振り返り、彼女の代わりに今後キャナルの面倒を引き受ける旨を告げた。
 落ち着いた口調と裏腹に、その顔はまだ充分に怒っていた。
「早く、あの子に云ってやんなさいよ」
 そう云われた。
 まだ自分の中で惑っているのを見透かされたように。


@2年202日

「……このノースランド海から吹いてきた風が、冬期の雪をもたらすわけ。例えばレヴァス高地、ガレシア山脈、それからここ、イヴァレスを含むキーディス山脈やレイラス山脈ね。こういう高い山のあるところにぶつかったときに雪を降らせるの。ここいらになってくると、冷気も湿度も衰えてくるから、ほら、麓の方はそんなに雪がなかったでしょ」
 そう云いながらフェルフェッタは、洞窟の壁に描いた地図に山脈の印と風を表す矢印を書き込んだ。焚き火の炎がはぜ、白墨の影をゆらめかせる。
「でも本当に怖いのは、それよりずっと高いとこの風よ。はい、それでは問題。ノースランドからこのイヴァレスまで直に吹いて来る、この風をウェローの基本名称でなんというか。アズリット・ボバック?」
 当てられて、アズリットは背筋をピンと伸ばした。
「竜の道」
「正解。じゃあ同じものの俗称を答えなさい、マルメット・メルウッド?」
「ええと、天狼、塔の囲い手、白い牙……」
「他には?」
「んー」
「アズリット?」
「んん、死神の片割れ」
「正解。惜しかったわねマルメット」
「ちぇっ、あと一つだったのに」
 頭の後ろで手を組んで、マルメットは鼻を鳴らした。
 隣を見るとアズリットが頬で笑って、自分の頭をトントンとつついてみせた。
「おつむの差」
「なにさっ」
「はいはいどっちも、喧嘩売らない、買わない、うるさくしない。みんな起きちゃうわ」
 フェルフェッタの叱責に、マルメットはぶーとふくれてアズリットはぷいとそっぽを向いた。
「ああもう、この子たちは」
 白墨の図を手袋で払って消しながら、フェルフェッタは溜息を吐いた。


 セヴァリ山からイヴァレスに入って三十日弱が経った。
 これまでに遭った吹雪は三回。
 最初の吹雪に喰った足止めは五日。二度目の吹雪に喰った足止めは三日。二回とも、ここのような洞窟でやりすごした。この山には幾つもこういう場所があるらしく、吹雪の際は手近の穴に避難するのが常套だとか。
 山道は山越えの商人たちも利用するため、二度目の足止めの時は彼らと一緒に避難所を使った。人数が多くなったせいで寝床は狭かったが、楽しかった。騎士団と違って商売が稼業の商人たちの話は、流通の話、物価の話、流行の話など様々で飽きることがなかった。
 吹雪をやりすごしている間は食糧の節約のために三交代制で起きている。つまり一日の半分以上は寝ている。初めの頃は吹雪の音で寝れなかったものだが、今ではもう慣れて、すぐに眠りに落ちられるようになってきた。
 フェルフェッタの傍には、彼女の腕ほどの長さの炭がやわらかな布に包まれて転がっている。シルズ炭と呼ばれるこれは火持ちが良く煙も少ないので、長期に渡る雪山越えには欠かせない品である。ただし火をつけるのにコツが要り、その点はけっこう厄介な代物だ。
 外は延々と吹雪で時間感覚がないので、これを燃やす量で交代の時間を測ってもいる。
「今度はいつ止むのかしら」
 膝を抱えて顎を乗せ、アズリットがつまらなさそうに呟く。いつもより控え目ながら、彼女の顔にはしっかり化粧が施されている。このことについては何度となく他二人の魔女たちと議論になったものだが、彼女は譲る気は全くないらしい。
「どうかしら。明日か、明後日か」
 荷物の山に寄り掛かりながらフェルフェッタが囁き声で答える。
 当番以外の団員は数歩も行かないところで団子になって眠っている。自然、声は小さくなる。外の吹雪の音に負けねば良い。
 大の字になっていたマルメットが、えいっと起き上がる。
「ああもう、これじゃカラダがなまっちゃうわさ」
「こればかりは我慢するしかないからな」
 一番入り口近くに座ったクララクルルが苦笑して云う。
 そして彼女につかず離れず、ちょこんと正座していたキャナルが、おずおずと片手を挙げた。
「あの、質問しても宜しいですか?」
「え、何? あたし?」
 フェルフェッタが顔だけ振り向く。キャナルはこくりと頷く。
「はい、さっきの、風の話のときに気になったのですけど」
「うん」
「風とかの、ウェローでの呼び名っていうのがあるんですか?」
「あー、それね」
 そう云えばそうね、フェルフェッタは一人頷く。年少の魔女二人も、ああそうか、という顔を見合わせた。
「ウェローに魔術師やら魔女やらが、それほど腐るほどたむろってるのは良く知られてると思うんだけど、そのほとんどが何かしら調べたり研究したりとかしてるのよ。というかあそこの書庫がべらぼうにでかくて、それ目当てに来た奴らが結局、居座っちゃってるんだけど」
 魔術都市というより引きこもり研究都市よね、とアズリットがくすくす笑う。
「で、あっちこっちから人が来てるわけだから、俗称だと混乱するのよね。それで必要になるのが、共通の名称」
「確かにな。だがまずそれを覚えるのが大変だろうに」
「そうね。大変だったわよ」
 クララクルルの言葉にフェルフェッタはふっと笑った。
「でもあたしは覚えたわよ。魔女のプライドに賭けて、これくらい覚えられないとね」
 そして後輩の二人を振り向いて。
「あんたたちも頑張って覚えるのよ」
「はーい」
 だれた返事が飛んで来た。


 吹雪の音は止まない。
 まどろんでいるような時間だけがのろのろと過ぎていく。
 三度目のやりすごしだが、魔女たちの話は未だ尽きない。その話題の豊富さにクララクルルは感心している。むしろ話し続けでよく飽きないものだと、呆れてもいる。
 料理の話から今年の気候の話、寝ているのをいいことに男性陣の話にまで及び、今は遠征先であるリーヴェ修道院の話になっている。
「前に行ったのは、ええと、四年前だっけ。ねぇラリー?」
 フェルフェッタがアズリットの肩ごしに訊いてきた。
「ああ、ヘルンが入ったばかりだったからな。それで間違いない」
「ありがと。こん中じゃあたしとラリーだけだものね、こっち方面に行ったことあるの。あんときは冬近くてね、ヤバかったヤバかった」
「そうだったな。凍傷除けの油塗り忘れて、クルガの耳がもげるところだった」
「リコの説教はあんときが初だったわね。最初はあいつの師匠とイワセが注意してたけど、リコがビシバシ云いまくるもんで逆に止めてたし」
 当時の様子を思い出したのか、やや引きつった笑みを浮かべながらフェルフェッタ。
 とにかく怖かったことだけは想像がついたのか、若者三名が微妙に怯えた表情で顔を見合わせる。
「あのときはリーヴェ行ったことは行ったけど、朝入りだったから結局、お昼食べてすぐ出たのよね。魔物はスクーレに出てたし」
「一泊出来なかったのは残念だったな。帰りは旧レイラント領の方から行ったから」
「ラリーが残念だったのは聖水が飲めなかったからでしょうに」
「聖水?」
 キャナルが首を傾げた。
「そんなに美味しいお水なんですか?」
「らしくないわさ。ラリーなら水よりお酒だわさ」
「聖水って名前のお酒なんじゃないの? 修道院ぽくないけど」
「アズ正解。リ−ヴェ修道院がイヴァレス越えの旅行者に渡すお酒のことよ。通称聖水。お酒は体、あったまるからね」
「本当に山越えのときにしか渡されないらしいからな。市場にも出回らないし、そもそもそれほど有名でもないらしい。騎士団に入る前に噂で聞いて、けっこう強いというから楽しみにしていたのだが」
「ラリー……それって動機が不純だわさ」
「楽しみはあった方が良いぞ? 私は各地の酒が飲むのが一番の楽しみだ」
「あー、云い切っちゃったわ」
「アズが男目当てなのと同じね」
「あたしはっ……まぁ、そうだけど」
「もう入って一年半になるんだから、ちょっとは絞ったの?」
 頬杖をついてフェルフェッタが意地悪げに笑む。キャナルが少し頬を染めながらアズリットの方を向く。
「んんー、顔が良いだけってのはヤなんだけど、でもやっぱ顔が良い方がいいのよねー」
「去年のときは、頼れる男が良いと云っていたな」
「それは変わってないわよ。男は頼れないと。それプラス顔」
「絞ったのってそこまでなの?」
「んーと……」
 少し目をそらして頬に手を添える。顔が赤いのは焚き火のせいだけではないようだ。
 マルメットがにやりとする。
「その様子だと、もう決まっちゃってるってことだわさ?」
 アズリットは答えないでマルメットを突き飛ばす。マルメットはくるりと地面で一回転して、その場に転がったままにやにや笑いを隠さずにいる。
「アズにも春が来たのねえ」
「うるさいわね。努力する者に春は来るのよ。王都で走り込みばっかやってるあんたには一生ムリかも知れないけどね」
「いいもん。あたしはあたしのこーゆートコが好きだって人と春を迎えるわさ」
「それで、誰なの?」
 フェルフェッタが興味津々といった目でアズリットの顔を覗き込む。少し顔を赤くして、不機嫌そうな表情でぼそっと呟く。
「リコ先輩」
「え」
 四人に注視され、アズリットはさらにぶすっとした顔になる。
「……どこの辺がいいのさ」
 初めに口を切ったマルメットが訊く。
「どっちかってゆーと、あんまし頼れるって感じには見えないわさ」
「あんたの目は節穴だから分かんないだけよ」
 やや怒った口調でアズリット。
「顔は良くてもダレてる男はヤじゃなかったの?」
 からかうようにフェルフェッタ。
「あのときは、あたしも未熟だったの。見る目がなかったのよ」
「まだあれからそんなに経ってないわよ?」
「……いろいろあったもの」
 小声で云って目線を落とす。フェルフェッタは肩を竦めた。
「分かったわ。からかうのはやめにする。あんた見る目あるわ」
 そうかなあ、とマルメットは首を捻っている。キャナルはただ聞く側に回ってコメントは控えている。
 クララクルルは内心で、その通りだ、と思った。
「で、告白はいつするつもりなの?」
「あたしからはしないわ。オンナの魅力で落としてみせるの」
 アズリットは二つに分けた髪の一房を払って胸を張った。薄化粧をした顔が炎に映える。
「てことであたしは先輩狙うから、手え出さないでよ」
「出さないわよ」
 フェルフェッタの真似をして肩を竦めながらマルメット。
「後悔のないようにな」
 クララクルルはそう云って微笑んだ。
 ちら、とフェルフェッタがこちらを見た。


@2年224日

 両側を針葉樹が立ち並ぶ、木漏れ日の少ない道をてくてくと、リーヴェへと歩く。
 道のり的にはあともう間もなく到着する頃合いだ。
 前の方で、こちら方面には初めて来るというポールランとガルゴスが「修道院」という響きに過剰な期待を抱いているらしいのを、クルガとヴァルガがあることないこと吹き込んで、それをイワセが呆れた顔で訂正している。
「まだ云ってないの?」
 隣を歩くフェルフェッタが前を見たまま云った。二人とも今回、位置はしんがりで、一団から少しだけ離れている。
 全員を見渡せる位置にいるとつい、探してしまう自分がいる。
 クララクルルは彷徨う視線を無理矢理、まっすぐ前へと向けた。
「云ってない」
「早くしてよ。あの子にだって覚悟いるわ」
「……すまない」
「あたしに謝ってどうするのよ。……あんたが云わなきゃ駄目なんだから」
「ああ……」
 目を伏せ、クララクルルは溜息をついた。
 フェルフェッタはそれを見て小さく肩を竦める。
「今でも信じられないわ」
「何が」
「惚れてたこと。なんか信じられない。でも、分かる」
「……」
「あたしだって憧れはしてたもの。惚れちゃいないけどね。強い人はみんな憧れるわ」
「……」
「でも、あんたが惚れてたあいつはあんたの中にしかいない。大事になさい」
「ああ。……ありがとう」
 また肩を竦めた魔女の表情は、帽子で隠れて見えない。
「だから早くキャナルに云ってやんなさい」
 そのとき、おお、と前方の一団がざわめいた。
 数歩も行かないうちに、木の間から修道院の白い建物が見える。
 次の瞬間。
 笛のような咆哮が森に響いた。
 誰もが一瞬、それを何かと分からずにいた。
 そして気付いた数名が見上げた空の上、黒々としたシルエットが一団を追いこしていく。
「魔物だ、急ぐよ!」
 いち早く気付いたリコルドが声をあげる。
 その響きが終わらぬうちに一同は駆け出していた。


 リーヴェ修道院の魔物。鳥獣族レベル1のバジリコック。
 三角の翼と丸い同体を持った鳥のようなその魔物は、悠々と空を旋回し、不意に急降下をしては教会の尖塔や礼拝堂の丸屋根へと攻撃を繰り返している。
 広場に敷かれた石畳は、以前の襲撃の名残りか割れて瓦礫が散乱している。その広場を修道女たちや修道院に保護された子供たちが逃げまどい、年嵩の者たちや司祭たちがそれを落ち着かせようと声を張り上げる。
 騎士団が慌ただしく駆け込んだとき、ちょうど礼拝堂の丸屋根が魔物の攻撃で崩れ落ちる。そこここから悲鳴が上がった。
「ラリー、キャナル、アズ、負傷者の手当てを。フェル、ヘルン、ポール、みんなを誘導して避難させて」
 てきぱきとリコルドが指示を出す。呼ばれた面々は頷いて、各々の役目のために散会する。
 そして残った七名に。
「僕らは、あれを倒すよ」
 そう云って、弓に矢をつがえた。


「精霊よ、精霊よ」
 自らを抱くように縮こまりながら、若い修道女が口の中でひたすら祈る。その腕を体から引き剥がすようにして、クララクルルは傷のある箇所の服を裂いて消毒水をかけ、薬を塗って布を巻く。
「安心しろ、我々が来た。誰も死なせん」
 そう云ってしっかりと肩を叩いてやる。見上げてきた修道女の目にうっすら光が戻るのを確認し、強く頷いてみせ、次の患者に移る。
 負傷者たちは一番被害の少ない建物に移した。彼らの怪我のほとんどは、落ちて来た瓦礫や倒壊した建物によるもので、魔物自体の攻撃による負傷は少なかった。バジリコックが人よりも建物を壊すことに専念した結果だろう。負傷自体も現時点では、ほとんどが擦り傷のようなものだ。
 どちらかと云うと精神的にショックを受けた者の方が多い。修道院ということでそれぞれが癒しの術を使え、薬や包帯にも事欠かないというのは幸いだ。
 ちらと見るとキャナルもアズリットも、思ったよりも落ち着いた様子で包帯を巻いたりなどしている。
 入り口の方では先程から避難させた人々を、フェルフェッタと騎士たちが落ち着かせている。避難自体はあらかた終わったようだ。ちょっと見ているとヘルンは子供の扱いが上手い。面白いくらいに囲まれている。
 大体の手当てが終わった頃、外の方でどう、と地響きがして静かになった。
 魔物を倒したのか。建物の中の人々も気になるようでざわざわとし始める。
 指示を求める視線を投げかけて来るキャナルとアズリットに、ここにいろ、と云って外を見に行く。状況が分からないうちに大勢で飛び出すのは危険だ。


 もう広場は山ほどの人込みだった。
 修道院のどこからこんなに、というほどの人数が広場に集まって歓声をあげている。いつもは静々と大人しいはずの修道女たちが互いに抱き合って喜んでいる。
 その声が中に聞こえたのか、建物から人々がわらわらと出て来る。混ざって押し出されて来たキャナルが済まなさそうな顔を向けた。
「すみません先生っ」
「こんなの抑えろったって無理よ!」
 同じく押し流されて来たアズリットが声を張り上げる。
「ま、これは止められないわ。大人しく諦めなさい」
 同様の状況のフェルフェッタ。流されたときちょうど近くにいたのか、騎士二人を両側に捕まえて盾代わりにしている。された方はたまったもんではないようで、どうやらヘルンもポールランも目を回しているようだ。
 クララクルルはフェルフェッタに苦笑を返し、人並みに押されるまま流されることにした。
 確かに大喜びで舞い上がってる人々を押しとどめられはしないし、押しとどめる気にもならない。


 先程まで魔物のいた空間をぼんやりと眺める。
 こみあげて来るはずの喜びが、何故かない。
 横でクルガとマルメットが身長差をものともせずにハイタッチしているのを、感動もなく眺める。
「やったな団長」
「やったわさ」
 満面の笑顔を向けられ、けれど笑顔を返すことが出来ない。彼らはえらくテンションが上がっているらしく、それには気付いていないようだ。
 どうしてこんなに嬉しくないのだろう。
 ナガイは刀を納めて、ぼんやりと空を仰いだ。


 リーヴェの司祭長との交渉で食糧や薬類を分けてもらい、今回は昼だけを食べて出発することになった。
「また飲み損ねたわね」
 フェルフェッタが笑顔で皮肉るのをいなし、出発までの時間を利用してキャナルを呼び出した。
「あの、皆さんを手伝わないと」
 キャナルは困惑顔でクララクルルを見上げる。
 他のメンバーは瓦礫の除去作業などを手伝っている。そこをわざわざ呼び出しているのだから不審がられるのも仕方がない。
「本当はもっと早く云わなければならないことなんだが」
 兜を脇に抱え、しばし躊躇ってから背を伸ばし、まっすぐに若い神官を見る。
「私の役目は、今回の遠征までだ」
「え」
 意味が分からなかったのか、キャナルはきょとんとして聞き返した。
「今回の遠征が終わったら私は騎士団から去る。お前に教えられる時間も、そう長くない、ことになる」
「そんな、先生」
 キャナルは戸惑いを隠せずに、遊んでいた手を口元にやった。
「先生はまだ……」
「云いたいことは分かる。……だが、私はもうここにはいられないんだ」
「でも、でも、私、先生にはまだ教えていただきたいことが沢山あります」
「私の後はフェルフェッタに教わるんだ。もう話はついている。だから心配は」
「そうではなくてっ」
 顔を紅潮させ、キャナルが珍しく声を高くした。両手を胸の前で固く組んで、必死の顔でクララクルルを見た。
「私は、先生に教わりたいんです」
 そのまま真っ赤な顔のまま、涙目で俯く。
 クララクルルは何も云えずにそれを見る。手を出すことは出来ない。今、手を伸べてはいけない。
「これは本当に、私の我が侭なんだ。責めてくれて構わない」
 できるだけ感情を殺して言葉を紡ぐ。
 キャナルは俯いたまま、ふるふると首を横に振った。
 そして少しだけ怒ったような、しかしまだ泣きそうな顔でクララクルルを見上げる。
「先生、この遠征の間は、ちゃんと教えて下さいますよね」
「ああ」
「じゃあ、沢山教えて下さい。私、一所懸命覚えます。だから教えて下さい」
「……」
 クララクルルは驚いてキャナルを見る。いつもは大人しく話を聞いていることが多い彼女だが、今回ばかりは責められてもおかしくないと思っていた。
 そう覚悟していたのに。
 思わず訊く。
「私に教わりたいと? ……何故そんなに」
「先生は、とても強くて、いろいろなことを知っていて、私の憧れなんです」
「憧れ……」
「だから、私は先生に教わりたいんです。教わることができて嬉しいんです。先生に認めてもらえるように……先生に教わったことを、私、活かしたいんです」
 熱を込めて早口で述べる。
 そして一気に語ったことを恥ずかしく思ったのかまた俯いて、だから先生でないとダメなんです、と言葉を締め括った。
「あの、そんな理由じゃあ、ダメでしょうか?」
 恐る恐る顔をあげて、キャナルはびっくりした。
「先生、私、何か気に障るようなことを……?」
「……いや」
(同じ、か)
 選んだ方法は違うけれど。同じ、憧れた相手に対し。
 云えたなら自分も、もう少し楽だったのだろうか。
 不意に目にあふれてきたものを拭い、クララクルルは真顔でキャナルを見る。
「分かった。お前が望むなら、私は全力で教えよう」
「はい!」
 きちんと背筋をただし、キャナルは元気良く答えた。
 クララクルルはそれを見てふっと笑みを作る。
「しごくぞ」
「の、のぞむところです!」
 十五歳の神官は、少しだけ、怯んだようだった。


@終章

 2年、311日。
 祈りの声がはっきりとした発音で、冷たい空気を震わせる。
 自ら生んだ障壁で初撃を受けた呪術師は、長い杖を振って若い神官に狙いを定めた。
「ラリー!」
 矢を放ったアーチャ−が神官の背後を守る聖騎士に声を投げる。
 聖騎士は答えず剣を構え、呪術師の放った一撃を払う。そして無傷の若い神官のために道をあける。
 祈り終えた神官は教典を開いて掲げ、その教典から祈りを込めた光が迸る。光はまっすぐに呪術師を包み込み、緑の衣の魔物は断末魔の声を残して溶け消えた。
 数瞬の静寂の後、わっと歓声があがる。
 真っ先に魔女たちが駆け寄って来て、まだ呆然としたままのキャナルを囲んで騒ぎ立てる。体格があれば胴揚げでもしかねない勢いだ。
 他の団員もわいわいと彼女を囲んで口々に、やったな、とか、おめでとう、とか言葉を掛ける。
 そんな中でキャナルは顔を赤くして、クララクルルの方を見た。
「先生、私、やりました!」
 教典を胸に抱えて嬉しそうに叫ぶ。
 クララクルルは微笑んで。
「お前の力だ。自信持って良いぞ!」
 感極まったようにキャナルが泣き出した。若い魔女たちがそれについてまくしたてるのを、フェルフェッタが更に大声で押え付ける。女性の涙に慣れていない若い男連中が変に慌てているのが微笑ましい。
 涙の止まらないキャナルの肩を抱いてやり、ふと顔をあげるとリコルドと目があった。
「やったね」
 笑顔の言葉は、間違いなく自分に向けられたものである。
 クララクルルは微笑んで、しっかりと頷き返した。





@@@

キャナル→クララクルルの憧れと、クララクルル→ヴィレイスの憧れと。
後者は恋に発展して外に出ないまま終わり、前者は憧れに終始します。


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