ライカンウッドにて

@1年某日 ライカンウッドにて


 ライカンウッドの夜は暗かった。
 ナガイにとって夜と云えば王都ヴァレイの夜だけだったから、こんなに早くに静かに暗くなるのは不思議な気がする。
 遠征での野営中は、初日は大雨で気付かなかった。
 二日目のエクレスの戦死で、そこから先はそれどころではなかった。
 ポールランはあれ以降、泣きはしないが一人で黙って塞ぎ込んでいた。
 何と話し掛ければ良いのか分からなくてナガイは悶々としていた。気まずい雰囲気だったのは覚えている。
 しかし彼も、年長三人組と魔女のフェルフェッタが入れ替わり立ち代わり、それぞれのやり方で慰めたり励ましたりいろいろとしていたお陰で、日に日に明るさを取り戻した。
 そしてこの日、ようやく辿り着いて魔物と戦って、ようやく吹っ切れたらしい。
 勝利の際に浮かべた笑顔は以前と全く同じではなかったが、それでももう、昨日ばかりを見ている顔ではなかった。
 魔物を倒して、ライカンウッドの人たちはとても感謝してくれている。
 蹂躙された土地の少ない食糧で、歓迎の宴まで開いてくれた。
 さすがに寝場所だけは確保できずに、村はずれの小屋をあてがわれた。そこはあんまり小さくて全員は入れなかったもので、女性陣を中にして、男衆は外で雑魚寝することにした。
 結局、野営と変わらぬ星空の下となったが、野営と違うのは、ここは村の中で、寝込みを襲われるのを警戒する必要がないということだった。
 小屋の外の地べたに火を焚いて、それを囲んで車座になる。
 はぜる炎を眺めながら、しばし小声で話していたが、旅と戦いの疲れで早々に皆、一人二人と眠りについた。
 ナガイも睡魔に任せてマントにくるまる。
 焚き火は暖かくて、気持ちよく疲れてもいて、すぐに眠りに引き込まれていく。


 そしてすぐに起こされた。
「……」
 どうして起きてしまったのかよく分からない。綿が詰まったような頭でしばしぼんやりしていると、どさり、と音がして体が軽くなった。
 起き上がると、鼻先ほどの距離にガルゴスが寝ていた。どうやら寝相で転がった腕が上に乗っていたらしい。彼自身はぐうぐうと気持ちよさげにいびきをかいて寝こけている。
 見ている間にも巨体はごろごろと転がって、ナガイは下敷きにならぬよう慌てて這い出した。
 どうやらこちらが移動するしかなさそうだ。
 もぞもぞと起き上がってマントを抱えて、とりあえず焚き火に向かう。
 そこで人影を見つけて足を止めた。
 そして、それが誰かを理解した途端に一気に目が醒めた。
「お師匠」
 口の中で呟いてすぐに、聞こえなかっただろうかと抱えたマントに顎を埋める。
「ナガイか」
 聞こえていたらしい。
 観念してのそのそと隣に座る。
「眠れぬのか」
 炎を映して、黒いはずの鎧が橙色をしている。
「……そんなところだ」
「そうか」
「……」
 黙って膝を抱えて焚き火を見る。
 ヴィレイスも黙っている。兜で表情は判らない。
 もとより二人とも口数が多い方ではなく、一緒にいるときは大体手合わせやら訓練のときやらばかりで、こういう時間は滅多にない。
 物の位置だけではなく、今の距離は近い気がした。
 こういうときは名前でなくて、師匠、と呼びたいと思った。けれど咎められるだろうとも思う。
「お師匠」
 口の中だけでもう一回呼んでみる。
 魔騎士はじっと炎を見ている。今度のは聞こえなかったのだろうか。こっそりと息を吐く。
 呼んでみてから、頭の中にわいていた疑問が形になった。
 今、訊いてみようと思って、口調を改める。
「ヴィレイスは何故、歌ったのだ?」
「歌……」
「……エクレスが……死んだとき」
 こういうことは何だかとても言葉にしにくい。
 ああ、と兜の下でくぐもった声がした。
「昔、私より先に死んだ男が云ったのだ。自分のために皆が沈んでいるのは居た堪れない、どうせなら宴で送ってくれと……湿っぽいのは嫌だから、明るい歌をと」
 低い声でぼそりと答える。
 教えてくれないことを覚悟した問いだったので、ナガイは拍子抜けした。
 片手に持った棒で焚き火をつつく。火の粉がふわりと舞い上がる。
「それで行軍歌を、うたうのか」
「他に歌を知らぬからな」
「……歌って、その御仁は心安らかに送られたのだろうか」
「分らぬ。だが、私の心は少しばかり休まった。そのための歌だったのかも知れぬ」
 淡々と云うその表情は兜の下で、ナガイには窺い知るすべもない。
「もっと他に覚えておけば良かったか」
 空を見上げて云う。歌の種類のことだと、理解するのに少し時間がかかった。
「今からでも……覚えれば良いのではないか?」
「今ではもう遅い。すっかり不精になってしまった」
「……」
「まだお前の年の頃であれば、もう一つ二つは覚えようとしたかも知れぬが」
 自嘲気味に笑声を漏らす。
 ナガイは抱えた膝に顎を乗せた。
「ヴィレイスは、今日、機嫌が良いな」
「そうか?」
「今日はとても饒舌だ」
「……そうか。そういうこともあろう」
 ぱちぱちと火がはぜる。
 ナガイは大きく欠伸をした。
「もう寝ておけ。明日も、また歩く。王都に着くまでが遠征だぞ。体には充分気をつけろ。お前はいつも、丁度良いところで退くのが下手だ」
「わかっている」
 云いながらまた一つ、欠伸が出てくる。
「ヴィレイスは……まだ寝ないのか」
「もう少ししたら寝よう。今はまだ、さほど眠くはない」
「そうか……おやすみ」
「お休み」


 夜明けを待たずに、肌が粟立つ感覚がした。
 これは魔物だ。


 目覚めれば村が騒がしい。
 問うより早く、早馬が来て、バルサリオンの中継地に予感通り魔物が出たと知らされる。
 井戸を貸してもらい頭をしゃっきりさせて小屋の前に集まる。まだ夜明け前だが、皆ぐっすり寝られたようで、すっきりした顔をしている。
 ナガイは確認のために新たな魔物のことを話し、そちらに向かうことを告げる。
 バルサリオンはここから北に三十日ほどの距離にある。ほとんど目と鼻の先に出られて、放っておく手はない。寄り道をしてもアゼルには充分間に合う。
 ほとんど独断だったが、誰も異存はないようだ。
 荷物をまとめるよう指示してから、いつものくせでつい目でヴィレイスを探す。
 魔騎士はいつものようにナガイから少し離れて知らぬ振りをしている。昨夜感じた近さはもうない。
 頬をぱちんと叩いて頭を振る。
 ここまで情報を伝えてきた人に詳しく話を聞かなければ。
 魔物の出現そのものは感覚で知れる。長く魔物と戦ってきた騎士団の血がなせる業だと聞くが、相手の詳細が分からなければ対策の立てようもない。その対策も、自分では経験が浅いため相談しなくてはならない。いつものように先輩たちに意見を仰ごう。
 目的地はバルサリオン。
 ぎゅっと刀を握りしめた。
 夜明け前の空を見上げる。青とも黒ともつかない色で、とても澄んでいる。星がまだ見える。
 日が昇る前に、ここを発とうと思った。



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『泥の道程』後日談にあたります。大陸西の端、ライカンウッドでの話。


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