@1年1日
『力を探さなければ。 あれ を倒すことのできる力を』 その日の宴でまず一番盛り上がっていたのは、魔女三人とサムライのクルガだろう。 トロント騎士団団長、ナガイ・コーレンは一年一日のことをそう記憶している。 魔女たちは年長の、普段は落ち着いている筈のフェルフェッタを筆頭に、マルメットもアズリットも早々に酒が入ってテンションが上がっていた。 年下の魔女二人はナガイと同年にも関わらず随分な上戸らしい。 問題なのはクルガだった。 当時の団内では魔騎士のヴィレイスやアーチャーのリコルドと並んで最年長者、だというのに、幼馴染みのイワセが止めるのも構わず杯を重ねて盛り上がっていた。完全酔っ払いと化して、こちらもかなり大量に飲んだリコルドに、君はホントにサムライかい、と笑われている。 その二人を眺めながら落ち着いた様子で食事しているのは騎士のヘルン。クルガの飲みっぷり壊れっぷりには呆れているらしい。 団内最年長組でありナガイの師であるヴィレイスは、黙ってテーブルについてミルクばかり飲んでいる。彼の無類の甘党振りは団内でも有名だ。隣の席には聖騎士のクララクルルが腰掛けて、魔騎士とは対照的に蒸留酒をジョッキであおっていた。実は団内で一番の酒飲みが、素面の様子で杯を重ね続ける彼女とは信じがたい話だ。 この大宴会を企画したのはクルガとヴィレイスである。 正確にはヴィレイスがナガイの団長就任祝いをすべき、というよりしたいと云い出し、クルガがそれを盛り上げ大きくして、酒場の貸し切りにまで持ち込んだのだ。 今日は新紀一年の一日。 ちょうど百年の節目の元日であり、新王即位のこともあって王都全体お祭り気分だった。 酒場の親爺もそれで浮かれていたのか、貧乏騎士団にしては奮発した前払いの代金に心を動かされたのか、快く貸し切りに応じてくれた。 ヴィレイスの宴会開催理由は就任祝いだが、乗ったクルガの理由は、飲んで騒ぎたいからに違いない。 他に騒いでいるのは剣闘士のヴァルガとニンジャのエクレスだった。 ヴァルガはその巨体に見合った酒量で、その肴としてテーブルに盛られた料理をわしわしと掻き込んでいる。山のようだった料理も見る間に高さを減じていく。 エクレスの方は騎士のポールランに薦められて魚の塩釜焼きに手を出している。 酒は一滴も入っていない筈なのに、騎士の顔は真っ赤だ。その意味に気付いていないのは恐らく彼女だけだったろう。 残念ながら彼女は男心より久々の豪勢な食事に気が逸れてしまっているらしい。 同じくそんなエクレスに思いを寄せている剣闘士のガルゴスはというと、彼女より更に料理に夢中である。彼も育ち盛りだ。無理もない。 これが当時のトロント騎士団の顔ぶれ全員だ。 「どーした団長ぉ」 ぼんやりと皆を眺めていると、相好の崩れたクルガが後ろからナガイにのしかかって来た。 非常に酒臭い。 「せっかく酒場の一日貸し切りなんだからぁ、もっと飲まないと勿体無いだろうがぁ」 「お主は飲み過ぎだ。少しは若い連中に譲ってやれ」 機嫌よく絡んでくるクルガの後ろ首をひっつかんで引き戻し、イワセがざくりと云い放つ。彼はまだ素面のようだ。 「済まぬ団長。こいつは酒癖が悪くてな」 「いや」 ナガイはぎこちなく笑みを返す。 彼にとって今日は全ての初日である。 幼少時から本部に入り浸っていたため、面識だけならここにいる人間のほとんどに面識がある。 だが外からただ見ているだけの部外者であることと、実際入団してその輪の中にいることとは全然違う。 それはもう、天と地ほどに。 ゆえに若干緊張しているのは間違いではない。 だからといって飲めないのはそのせいではない。飲み慣れていないだけだ、乾杯のとき満たした杯がまだ三分の一ほど残っているほどだ。 イワセは少し笑う。 「酒気にあてられたのなら、外で冷ましてくると良い。その間にこの馬鹿は拙者が潰しておくゆえ」 あてられたというなら酒気より全体の熱気だろう。 盛り上がっているのは団員の半分程度なのにその熱気は酒場中を満たしている。 兎にも角にも頭がぼんやりしていることは確かなので、ナガイはイワセの言葉に甘えることにした。 酒場の外は夜だった。 霞みがかった頭でおかしいなと思う。 確か騎士団総員十四名で酒場に突入したのは昼頃の筈である。いつの間に日が暮れたのだろう。 もしかしたら途中で意識が飛んでいたのかも知れない。 (それは情けないな) これから騎士団を率いる者として、宴会の一つや二つで意識を飛ばしているようでは身体が持たない。 それにしても、夜気の冷たさでも全く熱気が抜けない。頭がまだ靄の中にいる。 何故、そこへ行ったのだろう。 少し酔っていたのかも知れない。 気が付けば本部の裏手の丘の上にいた。 くるぶしまでに刈り込まれた青草が夜露に濡れている。 ここからは王都を遠くまで見渡せる。夜景もきれいな場所だ。王城を除けば一番だろう。ヴィレイスを筆頭に騎士団の皆が気に入っているらしい。 ナガイも入団前からよくヴィレイスに連れられて来たものだ。 自然と足が向いたのは、その辺りの理由もあったのだろうか。 静かだった。 本部に人のいるときは声が聞こえてくるが、今は全員酒場に出払っている。耳を澄ませば、祭に沸く街の賑わいが聞こえなくもない。しかしそれも風の音に消されてしまいそうだ。 街が明るいので空に星はあまり見えない。月はない。 丘の上の風は意外と強く冷たく、だんだんとナガイの酔いも醒めてきた。 そろそろ戻ろうかと思い始めたとき。 「ナガイ・コーレン」 誰かに呼ばれた。 聞き覚えの無い声だ。 振り向くと、一人の女性が佇んでいた。 地面に届きそうな豊かな栗色の髪。凛とした表情を浮かべたその顔貌は絵画のように美しかった。それはそれは神々しいほどの。 奇妙なことにこの季節、この風の中では随分と寒そうな格好をしているのに、彼女は鳥肌一つ立てず平然としている。 そして、その姿には全く見覚えが無い。 ナガイは首を傾げた。 「拙者に何か?」 訊ねると、女性は全く表情を変えずに。 「やっと私の声が聞こえたのですね」 意味が分からない。 というより会話が噛み合っていない。 相手はそれを意に介した様子などは全く見せず。 「私は、女神、です」 と告げる。 ナガイは困惑した。 酔っ払っているのだろうか。 今夜はお祭り騒ぎだ。酔った女性がこんな丘の上まで登ってくることが無いとは云えない。 「ナガイ・コーレン。世界に大いなる災いが迫っています。人間にとっては長い時間ののちですが、世界にとってはそうではありません」 自称女神はナガイの思惑を全くよそに言葉を続けている。 「私は災いを止めるための充分な力を持つ者を探してきました。そしてとうとう」 そこまで云い、自称女神の女性はまっすぐこちらを見た。 目が合って、ナガイはびくりとする。 「ここに到ったのです」 女性の目は真剣だった。嘘を吐いているようには見えない。 しかし。 内容が内容だった。 もしかしたら酔っているのは自分の方かも知れないと、ナガイは自分の頬をつねってみた。 痛い。 その態度を見て、自称女神が不機嫌そうに片眉を上げる。 「女神の云うことが信じられませんか?」 信じられない、と云うのが本音だった。口に出しては云わなかったが。 しかし口に出さなくとも伝わったのだろう。自称女神は睨むようにナガイを見据え。 「いいでしょう。ではお聞きなさい」 謳うように云った。 「今からおよそ二十年ののち、世界に災いの最初の一撃が下ります。そのときになれば、私の言葉が真実かどうかが分かるでしょう」 「二十年……」 ナガイは口の中で彼女の告げた年数を繰り返す。 それは随分先のことに思えた。 「その日まで、あなたはあなたの戦いを続けると良いでしょう。私は街の外れの森にいます。そこで、あなたの戦いを見守っています」 云い置くと、自称女神の女性は煙のように消えた。 消えたこと自体に驚いて、ナガイはしばらく動けもしなかった。 どれほど時間が経ったろう。 さくさくと草を踏む音が、彼の背後から近付いてきた。 そこでやっと硬直が解けて、ナガイは振り向き。 「お師匠……」 見知った顔を見てほっとした。 丘を登ってきたのは夜より黒い全身鎧を纏った青年。鎧と同じ色の髪と目をして、顔を覆う兜は脇に抱えている。 魔騎士、ヴィレイス・ヘイル。彼はナガイの師である。 「なかなか帰って来ないから、どこかで倒れているのかと思った」 微笑みもせずに云う。 ナガイは苦笑を返した。 「ちょっとありまして」 「ちょっと?」 こくり、とひとつ頷く。 「お師匠は、女神が目の前に現れたら、どう思いますか?」 「女神……」 ヴィレイスは考え込むように呟く。表情に乏しい魔騎士の眼差しが僅か、伏せられる。 「私は会ったことが無いから、何とも云えないな」 そう云ってナガイの方を見て。 「会ったのか?」 「……自称ですが」 「……」 ヴィレイスが黙っているので、ナガイは自称女神の女性の云ったことを端折って話した。 聞き終わっても師はしばし目を伏せていた。 「実際に会ってみねば本当かどうかは分からん。いや、会ってもわからんかも知れん」 呟くように、云う。 「お師匠でも?」 「女神の何たるかを我々は知らなさ過ぎる。聞くことがあっても物語や伝承歌の中でのみの話だ。そもそも偽者か真実か、見分ける基準を我々は知らない」 「……二十年の災厄の話は?」 「ときが来れば判ろう。時期は指定されている」 ナガイは足下を見た。夜露が光っている。 二十年。 やはり長い。 「その女神とやらは、二十年は何もしないのだろう。見守る、と云うだけで」 ヴィレイスの言葉に、多分、とナガイは頷いた。 「ならば二十年、お前のやり方でやればいい」 「でも」 ナガイは俯いたまま。 「拙者は未だ一度も、戦ったことがありません」 実戦の経験は無い。 生まれたときからずっと王都で育ち、魔物の話を聞いたことはあれど見たことは一度も無い。 自称女神に、あなたはあなたの戦いを続けろ、などと云われても、続けるどころか始まってすらいないのが現実だ。 するとヴィレイスが少しだけ、ほんの少しだけ笑った。 「云ったろう。お前のやり方でやればいいのだ」 「拙者の……」 「不安なのは経験が無いからだろう。だが最初は皆そうだ。私もそうだ」 「お師匠もですか?」 「勿論だ。リコルドやクルガ、イワセ、フェルフェッタやクララクルルも、皆」 云いながらさくさくと草を踏んで、丘の頂上に歩み寄る。ナガイはその背を目で追った。 「お前が背負わねばならぬ任は十五の年には重いものだろうが、お前にしか背負えないものだ」 「……」 「だが、一人で背負うものでもない」 篭手を外し、草の間を浅く掘る。 夜露のせいか土は湿っているようだ。 そしてその小さな穴に何かの種を入れる。 上から元のように土をかぶせ、ぱんぱんと手についた土を落とした。 「後ろからでも前からでも、支える者は沢山いる」 振り返った顔は笑顔では無かったけれど。 やさしい目をしていた。 「そのために十四人いる」 篭手をはめ直した手をナガイの頭に乗せた。ずっしりしている。 それから丘を本部の方へ下って行く。 ナガイがその場に止まっていると、ヴィレイスは振り向いて、戻らないのか、と訊いた。 その言葉に促されてようやく足が動いた。 両足ともガチガチになっていた。 酒場へ戻る途中で、云っておくことがある、と師が云った。 「お前も今日から団を率いる者。私に対しての敬語も無しにしろ」 「でもお師匠」 「ヴィレイスと呼べ」 反論の余地も無くきっぱりと。 「誰が団長か、混乱させることになる。人前ではそれを貫け」 「だけど」 「傲慢になれと云うのではない。ただ示しはつけるべきものだ。頭というものは、はっきりとさせなければならない。頭の無い集団はただの烏合の衆。最初は呼び慣れんだろうが、いずれ慣れる」 ナガイは俯いた。 そしてしばしあってから、ゆるゆると頷く。 「……わかった…………ヴィレイス」 慣れない言葉を転がす。云った声は幽く雑踏に消えてしまう。 それでも魔騎士には聞こえたらしい。 ふっと頷く。 ナガイはその背で項垂れる。 結局、さっき丘の上で何を埋めたのか訊き損ねてしまった。 酒場は出る前より煩くなっていた。 年長の魔女のフェルフェッタは、酒場中央のテーブルを舞台に見立てて軽やかにステップを踏んでいる。 それに合わせてか、アズリットとヴァルガが混声の合唱を奏でている。 だが二人とも全然違う曲だ。合っているのは拍子だけである。 エクレスの方にも酒が回ったらしく、始まりから飲み続けて足腰が立たなくなりかけているリコルドの頭を抱えて、フェルフェッタの踊りを囃している。 弓使いの方はがっちり押さえ込まれて頭をくしゃくしゃにされながらも、真っ赤な顔でふわふわ笑っていた。 騒いでいるのは主にこの五人。 残りの七人のうち、マルメットとポールランとガルゴスは椅子の上やらテーブルの下でそれぞれ沈没している。クルガもイワセの宣言通りに一番奥のテーブルの上で大の字になっていた。 ヘルンはフェルフェッタたちの馬鹿騒ぎを見つつ仏頂面で杯をあけている。どうやら多く飲むと黙り込むたちらしい。 クララクルルは出る前と全く変わらぬ位置でジョッキを重ねていた。空のジョッキが倍に増えている。とんでもないうわばみである。 クルガを眠らせたイワセはその傍らで茶を啜っていた。こちらも出る前と同じで素面らしい。 入ってきた二人を見て、クララクルルがジョッキに口をつけたまま手を振った。続いてイワセもこちらを向いて少し笑う。 ヘルンはこちらを見もせずに杯を傾けた。顔には出ていないだけで相当に酔っている。 「あっあー、だぁんちょおぉ」 アズリットが歌をやめてナガイに手を振る。呂律が回っていない。ヴァルガも何か云ったが、うぉうおうっ、としか聞こえない。 気付いてフェルフェッタも踊りやめ、テーブルの上でやたらと優雅に礼をする。足下がふらふらして今にも転げ落ちそうである。 エクレスはこっちを向いて何故か万歳をした。 頭を押さえられていたリコルドがそれでぼたりと床に落ち、そのまま動かなくなる。どうやら今ので沈んだようだ。 「おかえりーぃ」 果てしない上機嫌のアズリットが満面の笑顔で云う。 テーブルをおりたフェルフェッタがナガイに飲ませるべく、何飲むぅ、と両手に酒瓶を持って迫ってくる。 「いや、拙者は……」 控えめに辞退していると、ヴァルガが大きな手でばあんとナガイの背を叩き。 「いくら飲んでもおんなしなら飲め飲め飲んじめえ〜」 空のジョッキを押し付けてくる。どうやらクララクルルのあけたジョッキの一つらしい。 助けを求めるようにヴィレイスを見ると、彼は早々に席について親爺にミルクを頼んでいた。 もう一人の頼みの綱であるイワセは微笑ましげにこちらを見ているばかりだ。 「騎士団のぉ団長たるものぉぉ、酒の一杯や二杯ジョッキでいけなくてぇなんとするぅ」 妙な節をつけてアズリットがナガイのジョッキに酒を満たす。 なんかどす黒い色した酒だ。 「飲め飲めぇ」 ヴァルガが真っ赤な顔して手を叩く。 皆の視線が一斉にナガイに集まった。ヴィレイスだけがナガイの視線を避けるようにがそっぽを向いている。 知らん振りだ。 横顔を見る限りだと、少しばかりこの状況を楽しんでいるようでもある。 逃げ場が無い。 (こ、これも試練か) 変に悲劇的な気持ちでジョッキの中の黒ずんだ液体を見る。 そうしてごくんと喉を一つならして、彼は一気にそれを飲み下した。 ぱーっと頭の中で原色の花火が散った。 あぁ、とか、大変だぁ、とか、大丈夫かぁ、とかの声がぶわぶわと響きながら遠ざかっていく。 世界が反転して天井の梁が見えた。 見えていた色がぐしゃぐしゃと混ざりながら黒くなっていって。 朔日の宴の記憶はそこで途切れている。 @1年1日 トロント騎士団、初代団長にサムライ、ナガイ・コーレン(15)就任。 @@@ 以上、騎士団初日の話。 捏造だらけの中、女神の台詞だけがまんまです。 >文字の記録 |