「…何つーか、うん…申し訳ないね」  
「ホンマやで…冗談抜きで、さっきお釈迦さんが手振ってんの見えたわ」
「ずいぶん気さくなお釈迦さんだな」

玄関で忍足母と久々の再会を果たしたは、そのまま彼女に促され白目を向いた侑士を引きずりって彼の部屋へ足を踏み入れた。

「……どうしちゃったのさ侑士…その背は」
「どうしちゃったも何も、成長という自然現象や」
「…あと、メガネも」
「メガネくらいは普通にかけるやろ・・そんな劇的変化するモンやないぞ」

ボソボソとこぼすの言葉に、侑士は淡々と答えた。 
  
「うん、まぁ…分かるんだけどね」

分かるんだけども分からない。
最初、この目の前にいる男が侑士だと気付かなかったのは何も背の高さや、見慣れないメガネのせいだけではない。
が自分の中で想像を固めていた「中3の侑士」とは全く重ならなかったからである。
もっとガキだと思っていた。
運動部だと聞いていたから、下手したら坊主頭なんじゃないかと思っていた。
まさか、こうも立派になっているとは、夢にも思わなかった。
    
「年をとったんだね…侑士も…」
「なんか嫌やな、その言い方」   

そう呟く声も、大人のように低い。

「…で、どないしたんや。何か俺に用があるんやろ?」

侑士はそう言って、外したネクタイをハンガーにぶら下げた。
制服を着ているということは、帰宅したのはいまさっきだったということだろうか。
ずいぶんと遅くまで練習をしている部活なんだな、とはボンヤリ思った。

?」
「あ…うんうん、そうそう。実はちょっと相談がね…」

は今日の昼の同僚とのやり取りと、さっき自分の身に起きた出来事を、こと細かく侑士に話した。



侑士は、思ったよりもずっと真剣に耳を傾けてくれた。

「…それはホンマか?」
「本当だって!さっきなんか、もう怖くて死ぬかと思ったよ!」
  
が拳に力を込めてそう主張すると、侑士は表情を険しく歪めた。
  
「…よし…俺にまかしとき。何が何でも守ったるわ」
  
その時、頭に乗せられた侑士の手は驚くほど大きくて、は妙に安心した。
藁にもすがる思い。
または、枯れ木も山の賑わい。
そんな本人には失礼極まりない思いでここ忍足家へと来ただったが、充分に忍足侑士は頼もしかった。
いきなり成長した姿で現れた時は首を絞めるほどに(鬼)戸惑ったが、こうなると嬉しい誤算である。
  
「あ、そうや…ちょっと待ってな」

そう言って隣の部屋へと消えていった侑士が、数分後何かを手に持って戻ってきた。
  
「ほい。姉貴から借りてきたから使いや」

防犯ブザー。

「…いいの?」
「ええんやって」
「だって、私が借りたらさ」

侑士の姉ちゃんはなかなかの別嬪さんだ。
彼女こそ、こういった物を持ち歩いていないと危ないと思うのだが。  

「姉貴、この間スタンガン買うたんやて」
「そ、そうっすか」
  
本当に、世の中物騒である。





翌日、仕事帰りのは普段同様に暗い道のりを歩きつつ侑士から手渡された防犯ブザーを鞄の中で握り締めていた。
昨日は結局、侑士から防衛について具体的なことは何も聞かされていない。
「守ったるわ」と言い切ったあの自信は一体どこから来るのだろうか。

『まさか、これで終わりじゃないだろうな、侑士…』     

そんな不安を抱きつつも、とりあえずはこのブザーがの命綱である。
昨日の教訓もあり、本日のの足元はローヒールのスリッポンタイプ。
もうあんな走りにくいヒール靴は御免である。
逃げてる時に、足でもひねったらシャレにならない。

ペタッペタッペタッ

犬の鳴き声と、車のエンジン音が時折聞こえるだけの静かな住宅街での足音だけが響いていた。

  

  
ペタッペタッペタッ 

…ペタッペタッペタッ


足音が、増えた。


  
気が付けば、昨日と同じ交差点である。
ここが、ストーカーの待ち伏せポイントなのだろうか。
この辺りはちょうど外灯と外灯の間で、他の場所よりかなり薄暗い。
早鐘のような心臓の音を感じながらも、は勇気を出してほんの少しだけ振り向いてみた。
  
肩越しに広がるの視界に飛び込んできたのは
電柱の影でうごめく人影。 

その距離、からわずか3〜4メートル。 
  

 
「……!!」


は、防犯ブザーを思いっきり押した。
  


ビビビ――――――――――――!!


耳をつんざくような大音量。
ここまで大きい音だと思っていなかったので、鳴らした本人も結構焦る。
これは確かに防犯に効果がありそうだ。
ストーカーも痴漢も、この音には慌てて逃げ出すだろう。
たまたま居合わせた善良な住民だって、とりあえず逃げ出したくなる。
ところが、その人影は逃げるどころかこちらへ向かってきた。

「うわぁ!!なんだその度胸は!!」

ストーキングなんて真似するような奴は、どうせ臆病なチキンだとタカをくくっていたのにブザー音にもめげず、果敢に挑んでくるとはどういう肝っ玉野郎だ。
そんな根性があるんなら、最初から堂々と来て欲しい。
取り乱したは、もつれた足で走り出した。
 
…!待て…!

男の声が背後から聞こえる。

「…待てって、!どないしたんや!!」
「お前かーい!!!」

思わずは、追ってきた侑士をグーで殴った。

  



「こっちからガードを依頼しといて、殴りとばしたことは…謝る」

水飲み場で濡らしたハンカチを手渡しながら、は一応謝罪した。
  
「でも、まぎらわしいアンタも悪い」
「…だからって、グーはないやろ」

ベンチに座り込んでいる侑士の右頬は、かなり赤く腫れている。
あの後、(の勘違いによって)鳴り響いたやたらとデカいブザー音に驚いた近隣の住民が「なんだなんだ」と集まり始めてしまったので、二人は慌てて近くの公園に避難した。
  
「こんな張り込みするんなら、昨日言ってくれれば良かったのに」
「不言実行もカッコイイやろ」
「…鼻血出てるんだけど」

とは言うものの、こんな形でも誠実に約束を果たしてくれた侑士に対して、は感謝の念を抱いていた。
さっきは本気でビビっていたのでついブン殴ってしまったが、追いかけてきた侑士の顔を見た時自分でも驚くくらいホッとした。
  
「…けど、が言うような怪しい奴なんておらんかったで?」
  
ハンカチで鼻を押さえながら、侑士はを見上げる。 

「えーマジで…」
お前、なんか勘違いしたんとちゃうんか?」

そう言われてしまうと、段々自信がなくなってくる。
心底怯えた昨日の出来事も、もしや先入観から来るものだったのではないかと思えてきた。

「やっぱ…気のせいかな」

なにやら、えらい恥ずかしい。
これではただの自意識過剰ではないか。
こういう類の事件の真相が本人の思い込みだった、という時ほど気まずいものはない。
    
「ご…ごめんね、侑士…」

まさに、穴があったら入りたい心境にが陥っていると、侑士は押さえていたハンカチをはずして穏やかに微笑んだ。

「何で謝っとんのや。何もないなら、それに越したことないやん」

『なんという懐の深さ…!!侑士、お前いつの間に…!!』
  
不本意ながら、はわずかに頬が赤くなった。

もう、隣のガキんちょではない。
すっかり一丁前に、男の子である。 
いや、男である。

「それでも不安やったら、これから駅まで俺が迎えにいったるわ」

突然湧き上がる甘やかな気持ちにくすぐったさを覚えながら、は侑士の隣へと腰掛けた。
  
「…うん、ありがとう」
「大丈夫やと思うんやけどな。いっつも見とるけど、そんな怪しい奴おらかったし」
「そっか、いつも……いつも…?
「そうそう、部活が遅うなった日とかは無理やったけどな…だいたい毎日
今日みたいに電柱の影から見ててん
「…お前か――――!!!」

本日2回目となる、のグーが炸裂した。



   


「だってお前…就職してから帰りごっつ遅くなったやん。夜の一人歩きは物騒やで?」
「なら、普通に迎えに来い!」
「だからさっきも言ったように、不言実行や。人知れずっつうのが男前やろうが」

男前もなにも。
それがに要らん恐怖を与えていたのが、わからないのかこのメガネ。
不言実行も、やり方ひとつでただの不審者である。

「夏場はまぁええとして、真冬は結構キツかったで?」
「1年以上尾行けまわしてたんかお前!!」

時の流れとはおそろしいもの。
知らないうちにすくすく成長していた忍足侑士は同時に、妙な適正(ストーキング体質)をも伸ばしてしまったらしい。
意思の固さとその耐久力は立派だが、使いどころを間違っている。

「まあ、でも明日からはちゃんと迎えに行くわ」
「いらん」
「送り届けてくれるような彼氏も、この1年以上おらんようだし」
「放っとけ!」
「でも、焦ることないで?最終的には俺がもろうてやるから、安心しいや」
「やかましい!」 

ロマンティックには程遠い、月夜の下の攻防戦。
近隣住民の皆様に更なる迷惑をおかけすることになるだろう。  

色恋沙汰にもつれこむのは、まだまだ先の話らしい。
  





 あみぃ様に捧ぐ150000キリリクの忍足でございました。