人 は そ れ を 情 熱 と 呼 ぶ 「今日は先輩見に来ないんですか?」 「あ?あー…多分何にも言ってなかったから来ねーんじゃね?」 「そうですか…」 ユニフォームに袖を通した長太郎はロッカーを力なく閉め、大きな体を折り曲げるようにしてうなだれた。 そして床に穴を開けそうなほど視線を落としたまま、世界の終わりを思わせるような盛大な溜息。 とても練習前とは思えない。明らかにもう帰りたそうである。 これからすぐ厳しいメニューが始まるというのに、このやる気のなさはどうだろうか。 200名が在籍するこの名門テニス部でそんな態度では、虎視眈々と狙っている他の連中にすぐさまレギュラーの座を奪われてしまう。 シングルならまだしも、ダブルスでパートナーを組んでいる宍戸にとっちゃいい迷惑以外の何者でもない。 とばっちりもいいところである。 「お前なぁ…仕方ねーだろ、は別にマネージャーでもお前の彼女でもないんだからよ」 「それはそうですけど…」 テンション低っ。 でもそれ以上に声が低っ。 「お前怖えよ、その地の底から唸るような声」 心底疲れたように、宍戸もハァと大きく息を吐く。 何事も一直線になりがちな鳳長太郎という男が、ひとつ年上のに恋をしたのは一体どれくらい前のことだったろう。 きっかけは何でもない、3年の教室を訪ねた長太郎が、宍戸を呼んでもらおうと声をかけた、入り口に一番近い女生徒―――それがだった、という、ただそれだけのこと。 珍しくもなくもなんともない、ごくごくありふれた日常場面の一つである。 だが彼は、そのとき天の啓示を受けたかのように体中を電流が走った、あれは運命の出会いだと言って譲らない。 足でも痺れてたんじゃねーのか?という周りの冷めた意見も聞く耳持たずである。 それ以来持ち前の人当たりのよさと宍戸というダシを上手く使いながら、長太郎はに少しずつ接近して行った。 礼儀正しく素直な彼の気質はすぐに受け入れられ、最近では時々練習を見にきてくれるまでの親しい仲に―――なったのだが。 今度は、の姿がある日とない日の彼のテンションの落差が激しくなってしまったわけで。 彼女がいる日はそれはそれは「お前もういいよ」という勢いで部長のホクロあたりにスカッドを決めたりなんかする張り切りぶりなのだが、いないとなると一転、今のように空気を抜いたタイヤくらい役に立たない存在と成り下がってしまうのである。 「あーもう面倒くせぇなあ。そんだけマジならとっとと言っちまえばいいじゃねーかよ」 「言うって何をですか」 「そんなもん、常日頃お前が言ってるように好きです、大好きですとでも言えばいいだろ」 「なっ…そんなっ…」 顔を真っ赤に染めた長太郎は照れに隠しに宍戸の腕を思いっきり叩いた(オバちゃんがよくやるやつ) 「そんな簡単に言えるわけないじゃないですかーっ!宍戸さんってばっもうっ…やめてくださいよっ!!」 バシィィッメキッ 「しっ宍戸っ…!おまえ肩外れてるぞ!!」 「うおっ!腕ブラーンてなってる!誰か医者、医者呼べ医者!」 素手スカッドで先輩の肩を軽く脱臼させた長太郎だが、全く気付く様子もなく、 「でも、実は俺もそろそろ告白しようかなって…いつまでもこのままじゃ何も変わらないし、はっきり伝えようって…でも、実際どうしていいかよくわからないんですよ…考えたら緊張してきちゃいましたっ!いやぁっ何かこういうの恥ずかしいですねっっ!」 頬を赤らめたままロッカーをガンガン叩きながら、しばらく1人でえんえんとしゃべり倒していた。 もう少年の恋する瞳には、あの人しかうつらない。 見慣れたただの無機質な部室の壁も、いまや彼女の残像を写す甘い記憶のスクリーン。 それは別に勝手にやってくれて結構だが、もう少し静かに想いを馳せて欲しいものである。 時に校舎の裏、時に放課後の屋上。 さすが氷帝テニス部レギュラーといおうか、これまで数々女の子に呼び出され「付き合ってください」と告げられる―――いわゆる告白というものを長太郎は受け続けていた。 しかし、自ら誰かに対して想いを告げたことなどは一度もない。 今までテニスのことばかりでそれどころではなかったし、そういう相手も特にいなかった。 だから、これは長太郎にとって初めての恋であり、初めての愛の告白である。 だが、人間なんでも初挑戦の場合、気合や力が入りすぎて大抵コケる。 そして例に漏れず、この彼もまた有り余るパワーを加減する術を持たぬまま突き進むのであった。 若さとは無謀なチャレンジの繰り返しである。 「宍戸さんっ!メール打ってみたんですけどっ文面おかしくないですか!?どうですかっ?!」 翌日、放課後の部室には携帯片手に詰め寄る長太郎とそれに気圧される宍戸の姿があった。 授業が終了した直後で、まだ部活が始まるまでにはややしばらく時間がある。 鐘が鳴ったと同時にここへ引っ張られる形で連れてこられ、宍戸はせっかく昨日元に戻した肩が再び外れそうだった。 「他の先輩達に見られるのは恥ずかしいんで・・!でも、こんなこと頼めるの宍戸さんぐらいしかっ!!」 「わ…わかった、わかったっつーの!」 携帯の画面をグイグイを顔面に押し付けられては断ろうにも断れない。 肩を外された上に顔に電話を捻じ込まれてはたまらないので、宍戸は長太郎の手から携帯を取り上げた。 「………」 そのまま宍戸は、長太郎からへの思いが綴られた液晶パネルへと黙って視線を落としていたが、やがて画面を見たまま、ボソリと口を開いた。 「………長太郎」 「はい」 「長い」 愛が溢れすぎたのかなんなのか知らないが、えらい長文だった。 いつまでスクロールさせる気だ。 これは確実に、受け取った相手が困惑するだろう。 いや、機種によっては受信した先で文が途中で切れる。 「えっ、そうですか?」 「こんな一大巨編の始まりみたいなメール貰っても、対応に困る」 「そんなに長いかなぁ」 「下手したら迷惑メールだ、迷惑メール。速攻削除行き」 もっと短く判りやすくストレートに、という宍戸のアドバイスとともに携帯を返された長太郎は、しばらくの間うんうん首を傾げながら画面とにらめっこしていたがやがてどうにか制限に引っかからない程度の文字数に治めることに成功した。 「こんな感じになりました」 「…おぅ、まあこれなら大丈夫だろ」 なんとかそれなりに仕上がった愛のメールにゴーサインが出され、いよいよ送信である。 大きく息を吸って吐き、もう一度吸う。 神妙な面持ちで再び携帯に向かった長太郎だが、すぐに指が止まった。 「…宍戸さん」 「なんだ」 「俺、先輩のアドレス知りません」 「……俺も知らねぇ」 「…なら古典的に、手紙はどうかと」 アドレスもわからないというのに、ましてや電話番号などいよいよ知っているわけがなく、結局きのうは携帯関連での告白は中止とあいなった。 しかし長太郎はすぐに次の一手を用意したと、次の日またしても宍戸を部室に連行である。 その強引さと引きずり具合、傍目には完全に拉致だったという。 「…手紙はいいけどよ、お前」 引っ張られて来た途中で体のあちこちに擦り傷を作った宍戸は呆れたように何か諦めたようにパイプ椅子に腰を下ろし、目の前の机の上を一瞥した。 「一体どんだけ用意してきてんだ」 「色々とバリエーション豊富にそろえてみたんですけど」 宍戸の目の前には色とりどりの便せんや封筒が、いくつも並べられている。 これだけの数を昨日あれから揃えたのかと思うと、感心するやらゾッとするやら、何かと複雑な心境だ。 ひたむきな情熱をひしひしと感じながらも、宍戸はその中の一枚を手に取った。 「おい、白紙のが混じってんぞ長太郎」 広げた薄い卵色の紙の上にはなにひとつ文字が書かれておらず、ただの空白である。 「あ、いえ、それも一応ラブレターです」 「あぁ?」 「火にかざすと浮き出ます」 「ありぶりだしかよ!」 「文字が浮き出るまでがドキドキして風情がありませんかっ?」 長太郎は照れるように微笑んだ。 そんな照れられても、同意はできそうにない。 「…それより以前に何も書いてないと思われて、捨てられるのがオチだ」 宍戸がにべもなく却下すると、ちょっと残念そうに眉を下げた後すぐさま「じゃあこれはどうしょう?」と黒い封筒を渡した。 封を開き、中から現れたのはびっしりと敷き詰められた黒い文字の塊。 寄り合わさってまるでお経のように見える。 「おまっ…これっ何だよ!呪術か!?」 「そんなわけないじゃないですかっ!よく見てくださいよ、よーくよぉく…あまり瞬きしないように…」 言われるがまま、宍戸は眺めているだけで目が疲れそうな文面(と呼べるのかどうか)をじぃっと見つめ続けた。 瞳の渇きで視界がチラチラと霞み、ゴマのように細かく小さな文字が不自然に歪む。 「…オイ、なんか…浮かんできたぞ」 閉じそうな宍戸のまぶたの前に、うっすらと浮き上がるように現れた文字。 L O V E 「しばらく眺めてると愛の言葉が浮かんでくるという仕掛けなんですけど」 「すんげぇ回りくどい!!!」 それより何より目が痛い。 潤いという潤いを全部今ので持っていかれたと思われる。 これをやれというのか、好意を抱いてる人間に対して。 はっきり言わせてもらえば、上手くいくものも上手くいかない。 「あと、暗号を解くまで解読できない恋文っていうのもあるんですけど」 「いやいやいやいや、ちょっと待て」 ずい、と長太郎は次の封筒を手渡そうとしてきたが、宍戸はこれ以上ないくらい苦みばしった顔でそれを制した。 「お前、告白したいんだよな」 「はいっ」 「別にの度肝抜いてやろうと思ってんじゃないよな」 「思ってませんっ」 思ってなくてあんなもん用意してきたというのも結構どうなのかといった感じではあるが。 とりあえずに告白する、という当初の目的を見失ってしまったわけではなさそうである。 「長太郎…悪いことは言わないから普通に読める手紙にしろ」 ラブレターにインパクトは不要。 心を文字で伝えるのである。読めなきゃ、勝負になるわけがない。いきなり不戦敗を喫することになる。 懸賞に応募するわけではない、好きな相手に告白するのだ。 必要なのは愛を伝えることであって、決して衝撃を与えることではない。 「普通の…そんな手紙じゃ、つまんない男と思われたりしませんか?」 「さっきの手紙渡したら、関わりたくない男に認定されること間違いないと俺は思うがな」 2人の仲が進展するどころか、確実に後退だ。 しかもその距離は二度と挽回できないほどに果てしないものであろう。 「わかりました…」 宍戸の忠告が効いたのか、しばらく俯いて考え込んでいた長太郎は決意するように大きく頷いた。 「今夜、頑張って先輩への想いの全てを手紙にしたためますっ」 握りこぶしでそう力強く語った長太郎の姿を前に (コイツがくれぐれも読破に何時間もかかるような大作は書きませんように) 後輩思いの宍戸先輩は、そっと神に祈った。 |
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