「俺の娘だ」

誇らしげに語る張飛の緩みきった顔とは対照的に、傍らの美少女の表情はとても涼しげで硬質だった。
『星彩』と名乗った彼女は小さくお辞儀をしてみせた後、初対面のをまるで吸い込まんとするようにまっすぐ見据えた。
その黒く大きな双眸は瞬きが極端に少なく、敵意こそないが睨まれているような感覚に陥るような鋭い視線で、何か気に食わないことでもしてしまったかとその時は気に病んだものだが、後にそれが彼女の地顔だということを聞いて幾分か安心した。
 
確かにお世辞にも明るいと呼べる性質ではないにしろ、話しかければ言葉少なながらも返事を返すし、従順で和を乱すこともない。横着をして書簡を大量に抱えていたところ、たまたま通りかかった彼女が無言で半分引き受けてくれたこともある。
パッと見、あの張飛と親子とはにわかに信じがたい雰囲気だが、そのぶっきらぼうな優しさとさりげない気配りに、血の繋がりというものを感じずにはいられない。
喜怒哀楽の表現が苦手なのも、きっと並外れて感情的な父にその才を吸い取られてしまったせいだろうと思えば妙に納得できる。
とっつきにくく見えるが、根っこは純粋かつ素直で、とても可愛らしい。
本来の星彩の姿を知ったは、そんな彼女と仲良くできたらいいなと思っていた。


そう思っていたのは確かなんだが、まさか
―――  
 

「…星彩様」
「はい」
「今夜くらい自分の寝所に戻られたほうが」

 
まさか、片時も離れようとしないとは。










シュガーベイビー












その兆候が現れ始めたのは、どれくらい前のことだっただろう。
ご飯くらいはみんな一緒にねッ☆という殿の意向か、この軍は朝餉や夕餉などの時間、寮暮らしのように集まって皆で食事を取るのだが、いつの頃からか隣は必ず星彩だった。
席に特に指定などなくおのおの好きな場所を選ぶような形式だったので、もその日ごと様々な席を渡り歩いていたのだが、どこに座ろうがほぼ10割の確率で横は星彩。
だがその控えめな性格ゆえか積極的に話かけてくることもなく本当に彼女は横に座るだけという感じで、なつかれている自覚などその時はには一切なかった。
ただ、先に腰掛けていた趙雲や馬超を押しのけてまで座るその行動を多少不思議に感じていた程度で。

その後星彩は張飛がもらってきたと桃を山ほど抱えてきたり、街へゆくのに城を出たらお供しますと後ろから馬を飛ばして追ってきたりと、何かあるたび実に献身的に働いてくれた。
しかしそれは、恐らく朱雀という身分を尊んでのことだろうとは思っていた。
それというのも、彼女の幼馴染である関平に、当初(関羽の教育の賜物なのかはたまた純粋すぎるのか定かではないが )「頼むからそこまでせんでくれ」というほど敬い崇め奉られ困惑する、というわかりやすい前例があったからである。
それゆえ、星彩も蜀の武将である己の立場を重んじて丁重に扱ってくれているのだと考えていたのだが、時が過ぎるにつれ、その状況にも段々と違和感を感じ始めた。
彼女から向けられるあの好意、もしや身分や立場云々と関係ないのではないだろうか。
そう思い始めたのは、毎朝、彼女が部屋の前で出待ちをし始めた頃である。
それからというもの、朝一番に挨拶を交わすのが星彩で、茶を運んでくるのが女官ではなく星彩で、軍議の隣席も星彩で、振り向けばそこには星彩で、とにかく何かと1日中星彩の日々が幕を開けた。
だが一日中とは言っても彼女は横で読書をしているだけだったりするので、煩わしく感じたりすることもなく、むしろたまに見せてくれる笑顔をとても可愛らしく思っていたは特にその状況を打開しようとはしなかった。
それがいけなかったのだろうか
―――

様、一緒に寝てもいいですか』

ついにそれは、夜、床につく時分にまで及んでしまった。
その日以来、毎晩彼女は自分用の枕を持っての部屋へやってくる。

 




「……迷惑、ですか」

に自室へ戻れとやんわりと勧められた星彩は、その綺麗な顔に影を落とした。
普段滅多に動かぬ分、たまに表情が曇った時のその威力といったらない。
更にはそれに弱々しい声まで加わり、良心の呵責というものを呼び起こすには充分な相乗効果だ。

「いっ…いや!全然!ちっとも!」

元々下手に出られると弱い性分である。
結局は簡単に陥落し、さほど広くない寝台を今夜も星彩と共有することになった。
このお泊り会、今日で一週間連続開催である。
このままゆけば、の部屋=星彩の部屋という図式が自然なものとなってしまう日も近い。
しかしここで断ろうものなら、先ほどと同じように良心に大きな杭を打ち込まれる。まんまと返り討ちに遭って終わりだ。
そもそも初めから、星彩のことを憎からず思っているが強い拒絶など出来るはずもない。

一体なぜこうなってしまったのか、には全く心当たりがない。
意外と人懐っこい子なのかとも思ったが、他の武将への対応を目にするとそうではないことはすぐにわかる。
悪気はないのだろうが、結構絶対零度の受け答えだったりして、見ているこっちがドキドキだ。特に関平への素っ気無さは涙を誘う(仲がいいからこそなのだろうとは思うのだが)(いたたまれない)
何の取り柄もない自分などをこうまで慕ってくれるのは本当にありがたいし、素直に嬉しいとも思う。
しかし今後のことを考えると、この状態をズルズル続けたままにしておくわけにはいくまい。
今はまだいいけれど、そのうち戦が始まれば、それぞれ別々の地へと出陣することにもなるだろう。
もしその時に泣かれでもしたら
――― 考えるだけでたまらない。想像するとこっちが泣きそうだ。

(このままじゃだめだ)

スースーと幸せそうな寝息を耳にしながら、丸くなったは一人頭を悩ませた。





 
 


かろうじて朝日が顔を見せ始めた空はまだ薄暗く、小鳥すらさえずる気力が起きないような早朝のこと。
その部屋の主は突然の思いもよらぬ訪問者に驚いていたようだが、すぐに快く迎え入れてくれた。
たまたま相手が年寄りも驚く異常な早起きであったから良かったようなものの、人を訪ねる時間帯としては完全に常識外である。
他の武将ならば何時だと思ってんだと、どやされていたかも知れない。
だがも好き好んでわざわざ早朝に突撃をかましているわけではなく、星彩が目を覚ます前に部屋を抜け出してしまわねばならないというやむにやまれぬ事情がそこにあった。
彼女がそばいる時にどこかへ出かけようものなら「私も行きます」となるであろうことは目に見えている。今回ばかりは彼女について来られては意味がない。ゆえにはこんな馬鹿みたいに早い時間を選び、忍び込んだコソ泥のような足取りで抜け出してきたのである。自分の部屋なのに。 

――― なるほど、最近殿の姿を拝見できないとは思っていましたが、そのようなことに」
「はい、それで趙雲様にご相談を…と、思いまして」

本来ならば星彩の父親をまず頼るべきなのだろうが、彼はあまりにも娘を溺愛しすぎていた。
彼女の行動がここまでエスカレートする以前に何度か遊びに行ったことがあるのだが、たわいもない世間話が交わされるのは最初だけで、必ず途中から話題が「俺の子育て苦労記」に取って代わり、愛娘(要するに星彩)の成長してゆく姿へ注がれる父の深い愛情に思わずもホロリ、というわけがわからない展開に毎度陥る。
とても相談できる相手ではない。むしろ張飛の親馬鹿話でが抱える星彩への愛着が更に増し、事態を余計悪化させることになりかねない。
そこで、星彩の教育係であったという趙雲だ。教育係とは言っても家庭教師程度のものらしく、諸葛亮と姜維のような何かが間違っているハードな師弟関係とは異なるので、客観的な視野での意見を頂けるのではないかと期待したのである。
それにしてもこんな時間だというのに趙雲は寝ぼけた風もなく、実にキリリと引き締まっていた。起きぬけとは思えない。
そのことを告げたら、さきほど朝の鍛錬終えたばかりですからと爽やかな回答が返って来た。今この時間でさえ充分すぎるほど早朝だというのに、軽く見積もっても彼は更に1時間は早く起きている。
一体いつ寝ているのだろう。趙雲が持つ想像以上のエネルギッシュさに少々戸惑う。
それとも武将とは皆こう体力がみなぎっているものなのか。まさか部屋に残してきた星彩まで起きてないだろうな、と少し不安になってしまった。

「星彩にも困ったものですね」
「あ、あの決して迷惑とかじゃないんです、星彩様のお気持ちはすごく嬉しいんですよ、いや本当に」

自分から相談してきたにも関わらず彼女がわずかでも非難されると(非難にすらなっていないが)慌てて庇い出すの態度に、趙雲は苦笑いをこぼした。

「よほど殿が好きで好きでたまらないのでしょうね」

あれだけの愛の攻撃を受け続けているのだから充分にわかってはいる。が、改めてそうはっきり言葉にされると非常に照れくさい。
誤魔化すように2、3度咳払いをしていると、趙雲は手にしていた湯呑みをゆっくりと置いた。

「恐らく星彩は
――― 嬉しかったんだと思います」
「嬉しかった?」 
 
咳を止め首を傾げると、趙雲はひとつ頷く。

「張飛殿に連れられてずいぶんと幼い頃からここへと来ていたのですが……見ての通り男ばかりの世界でしょう。軍という性質上、女性が少ないのは致し方ないことではありますがね。ああいう娘ですから、それについて不満などもらしたことはありませんでしたが、やはり多少は寂しく感じていたのかもしれません。もちろん、親しい間柄の友人の関平などはいたようです。しかし、同性の友人とは何かが違うのでしょうね。ええ、ですからきっと殿の存在はとても星彩にとって大きかったのだろうと思います」
  
星彩には本当の意味で気を抜ける相手というものがいなかったのだろうか。
彼女はとてもとても愛されていたが、父でもあり同時に目標とする武人でもある張飛に全面的に甘えるということは出来なかったのかも知れない。
それが腕を磨きあう仲の関平や、戦場の先輩である他の武将に対しては尚更だろう。 
その時ふと、胸にひとつの疑問が湧いた。

「あの、女性といえば、確か月英様もいたはずですが」

その言葉で、今まで普通に話していた趙雲の声のトーンが急に下がった。

「……月英殿は歳も近いとは言いがたいですし…
その、ちょっと友人というより」
「あ、そ…そうですよね、
友人っていうかボスって感じですもんね

密室だというのに、思わずも超ヒソヒソ声である。

「ゴホン…ま、まあ、そういう事情で、殿についつい甘えてしまうのでしょう。星彩はこれまでずっと訓練や書物などにばかり時間を費やしてきましたから。なまじ優秀なだけに、周りからかけられた期待も相当なものでした」

「期待」はともすれば「重圧」となる。
それに彼女の才が、そして何より彼女自身が押しつぶされてしまわないかはひどく不安に思った。

「さすが張飛殿のご息女といいますか…どのような分野でも面白いように吸収してゆくんです。ああ、教育係などと呼ばれていますが、彼女に技や書を教えたのは私だけではないのですよ」 
「あ、そうなんですか?他にも先生役が?」
「ええ、他にもというより、蜀の武将すべてが指導役だったと言っても過言ではありません。例えばそうですね、黄忠殿からは弓術、馬超殿からは馬術、ホウ統殿からは兵法…」

次々とあげられてゆくその分野のスペシャリストに、うんうんと感心しながら聞き入っていたが、

「魏延殿からは異国語、関羽殿からは一騎打ち、姜維殿からは節約、殿からは腕相撲必勝法と喧嘩の売り方買い方…」

段々雲行きが怪しくなってきた。
 
「えーと他は、整体、気功、手品、口笛、似顔絵書き、関節の外し方、酒、暗殺、そしてその痕跡の消し方」
「…ちょっ、」
「それから呪詛、呪詛返し、危険物製造及び取扱、麻雀・競馬・競艇など博打全般とそのイカサマなどなど」
「いや、ホントちょっと…!」 

この人たちは一体星彩をどうする気なんだ。
さっきとは違う意味ではひどく不安に思った。
 
「結果、星彩は全てマスターしました」

そう満足気に頷かれても、あいにくだが「何てことしやがるんだあんた等」というような感想しか浮かばない。
は自分が考えていたものとは全く違う期待が星彩にかけられているのだと気が付いてしまった。
ヒーローを作る気だ。この人たちは自分たちが持つ胡散臭い特技を全部仕込んで、蜀最強のヒーローを作る気だ。

「あとは教えてないのは虎狩りくらい、と思ったのですが」
「もうやめてあげてください」
「いえ、すでに彼女は自ら会得してました」

手の中の湯呑みを割りそうになった。

「星彩は私たちの想像以上の逸材でした。何しろ右手の親指と中指だけで虎を狩るのですから。まさにあれは神業」

ようやくその姿を現した朝日と同じくらい清々しく趙雲は微笑む。
こちらとしても同じような表情を返したかったのだが、今のには彼の顔はあまりに眩しく、どう頑張っても引きつった笑顔しか作れなかった。