ある日、風神から力を授けられた朱雀と呼ばれる伝説の救世主を、蜀の殿様が拾ってきた。 中国全土を揺るがす予言の神の子は、という名の意外にも年若い女の子で。 今度はその朱雀の少女が、同じく中国全土を揺るがし最強の名を鳴り響かせていた猛将・呂布を拾ってきた。 (というか、ついてきた) そういうわけで、現在蜀勢力はちょっとした風の神がいたり戦神がいたりと、なかなか豪華キャスティングである。 武勇の面だけを見れば圧倒的な戦力を誇る劉備軍は、その余裕からか緊張感の欠けた毎日を送っていた。 今日もまた、いつものように平和な一日が始まるはずだったのだが。 きっかけは月英の一言だった。 「様はどんな殿方がお好みなのかしら?」 「はっ?!」 唐突な質問に、の声はひっくり返った。 まともに返事も返せないの様子などお構いなしに、月英は怪しげにグツグツと煮立っている鍋をかき混ぜながら笑顔を浮かべる。 「そろそろ様もお年頃でしょう?」 「え、まぁ、はぁ」 でしょう?と言われてしまっては、とりあえず賛同するしかない。 非常に歯切れが悪い感じではあったが、は微妙に返事をした。 ああ、おかしな事になる前に早く用事を済ませたい。 邪気のない月英の微笑みを眺めつつ、は嫌な予感を感じた。 ホウ統からの頼まれ事で月英に書物を借りに来たはいいが、ちょうど彼女は発明品開発真っ只中で待ってましたとばかりに、は半強制的にお手伝いをさせられていた。 正体不明の材料が混ざり合ったその鍋の中身はどう贔屓目に見ても、発明品というより魔女の秘薬である。 一滴で孟獲一頭分の致死量、という雰囲気だ。 「やっぱり私の伴侶のような知的で愛に溢れた方かしら?」 ほーら来ちゃったよ、狂った愛のショータイムが。 やっぱり、と自信満々に言い切るあたりが「恋は盲目」という言葉の意味を改めて実感させる。 あんな旦那、嫌だ。 「あは、は…いやあそれは」 もそう感じたらしく、ごく地味だが否定した。 同時に「あそこまでの忍耐強さは求めてません」とも思った。 「じゃあ、武に長けた方が様のタイプなのね?」 断定か。 さっきが否定したのは別に「知的」に関してではなかったんだが。 しかし逆らうのは上策ではない。 はあきらめ気分で頷いておく。 「ンフフフ〜呂布将軍なんてどうかしら」 「っっえ!」 思わず動揺し、は整理途中の書類の束を卓上にバラまいた。 「ど、どうしてそこで呂布様が出てくるんですか」 アワワ、アワワと手元で崩れた資料類を整えながらはなんとか返事をした。 焦っている為なかなか綺麗に揃わず、書類は見事に上下左右バラバラだ。 「月英のカン☆」 、一気に脱力。 自分のことを名前で呼んじゃいますか。 しかも語尾に星まで。 「貴方達じれったいから、早くなんとかならないかしらってずっと思ってたんですよ」 そう言うと、月英はさっきまでかき混ぜていた鍋の中身を、柄杓のようなもので掬い上げて杯にうつす。 どうやら完成してしまったらしい。 ポタリポタリと柄杓から滴り落ち、雫を受けた床がジュウッと嫌な音を立てた。 「これを使えば一発です〜」 「どういう意味の一発なんですか」 未だボコボコと忌まわしい泡を生み出すその液体を、月英はに使えと勧める。 呂布を殺れというのか。 「一口飲めばアラ不思議。恋に落ちてしまう、という薬なんですよ」 「うわ!ホレ薬ですか、それ」 「ええ、たぶん」 あいまい。 とても不安だ。 薬の見ためが充分すぎるほど邪悪なのだから、そこは自信を持って肯定してくれないと更に不信感をあおる。 「と、とにかく例えそれが本物のホレ薬でも、私は必要ないです」 その薬が信用できないのもあるし、そういうものに頼るのも卑怯で嫌だ。 はキッパリと月英の申し出を断った。 「自力で呂布将軍をオトすってことですか…勇ましくて素敵」 「誰もそんなこと言ってません」 勝手な想像(しかも下世話な言い方)をされ、は思いっきり反論した。 が、当然相手は月英なので、マトモに聞いてくれるはずもない。 「様がこれを使わなくても、呂布将軍の方に渡せば…」 「呂布様はそんなものを使うような方じゃありません!」 は思わず椅子から立ち上がって月英に噛み付いた。 「ああ見えても呂布様は正々堂々とした人なんです!だから、」 「だから、好きなの?」 「そうですよ!」 そこまで言って、はハッと口を閉じる。 興奮したテンションに流され、うっかり口を滑らしてしまった。 目の前に佇む月英は、ウフフ、とにっこり笑った。 「も、もう何言わせるんでスカ!そそそそそうだ、わっ私そろそろ戻らなきゃ!失礼します!」 台詞カミカミなは大慌てで、月英から逃げるように部屋から飛び出す。 「わ!」 勢いよく扉を開けた先には、呂布が居た。 突然現れたに驚き、彼は目を丸くして突っ立っている。 とっさに言葉が出てこないらしい。 あまりのナイスタイミングな呂布の登場に、もまた動揺しきっている。 先程の月英とのやりとりでの自分の熱い発言を思い出してしまった彼女は、その本人を目の前にして、 顔が赤く染まっていくのを止められなかった。 いきなり部屋から出てきたと思ったら、目が合った瞬間には何故か真っ赤になった。 一体、何がどうなっているのか全然わからない。 わからないが、そんな赤面している彼女を見てるうち、何故かつられて自分まで赤くなってしまう呂布であった(阿呆) 「!!」 特に理由もなく無駄に顔を真っ赤にしている呂布を見た瞬間、は頭の回線が一気にショートした。 聞かれてた!!さっきの話、聞かれてたんだーー!!? 大きな勘違い。 しかしもう、恥ずかしさで脳が焼き切れている彼女に、正常な判断は望めない。 「…りょ、りょ、りょ、呂布様なんて大っ嫌いだ――――!!」 そう言い放ち、赤兎馬も真っ青のスピードでは彼方へと消えていった。 自分の私室の前で起こったそのいざこざを一部始終ながめていた月英は、のんびりと呟く。 「愛のすれ違い…ですかあ」 フォローとかする気ないみたいです、この人。 「おい、早く行かないと遅れるだろ!」 「わかってるって、そんなに急ぐ…うっわ!なんだあれ!」 休憩をとっていた見張り兵2人が、交代の為に持ち場に戻ろうと足早に移動していた時、廊下の先に巨大な障害物を見つけた。 何事かと、兵士らはおそるおそる近付く。 「こ、これは呂布将軍?!」 「お、おい何か白く燃え尽きてるぞ!」 道の真ん中をふさいでいたのは、朽ち果て寸前ような体育座りの呂布奉先だった。 彼をとりまく空気はこれ以上ない位に重く憂鬱で、長く触れていると悪い夢を見てしまいそうだ。 よくよく耳をすますと、蚊のなくような声で「もう駄目だ…」と弱音を吐いている。 「ど、どうしたんですか?一体」 兵士の声に、呂布はゆっくりと顔を上げる。 目が虚ろだ。 トレードマークの触覚すら、しおれている。 これが本当に人中の呂布と呼ばれた男の姿なのか。 行き倒れたライオンのごとく牙を失くした呂布は、遠いまなざしでゆっくりと口を開く。 「・・・れた」 「え?何ですか?」 「………嫌われた…」 たった一言の短い呟きだったが、二人には即座に事情が飲み込めた。 (あー…朱雀さま絡みか…) 天下無双の荒武者を、一言でここまで撃沈できる者は1人だけだ。 この大男がへ想いをよせているということを、蜀内で知らない者はいない。 虎牢関で敵武将として出会った彼女の為に、秒速で劉備軍へと下ったのはあまりにも有名な話である。 そのエピソードだけ聞くと、呂布という男はかなり積極的で行動派のように思えるが、実はそうでもない。 というか、結構まどろっこしい。 実際この蜀軍へやって来てから彼が何をしていたかというと、気持ちを告げるでもなく、強引に誘い出すでもなく ただ、モジモジしているだけである。 影からこっそり彼女がうたた寝しているところを見守っていたり、偶然会えることを期待して、用もないのに城内をグルグル歩いたり。 デカい図体の割には、やることが小さいのだ。 戦場での勇猛さからは想像できないほど、には奥手なのである。 「嫌い、って言われちゃったんですか?」 座り込んだ子供をなだめるように、兵士は腰を落として語りかける。 「只の”嫌い”などではない…大嫌い、だと…」 そう答えた後、呂布はガバッと顔を伏せた。 自分で言った台詞に、再び傷ついてしまったらしい。 「何か心当たりとかないんですか?」 兵士の問いかけに、呂布は俯いたまま首を振るだけ。 困ってしまったのは、見張り兵2名である。 もうそろそろ仕事の時間だと言うのに、うっかり厄介なモノに関わってしまって完全に遅刻だ。 かといって、これを放置しておくわけにもいかない。 このままでは、呂布奉先・惜しまれつつ無双界から引退…なんてことになりかねないではないか。 今はただの陰気臭い男だが、腐っても一応は三国最強の武将。 その鬼神のごとき武勇は蜀軍兵士達の憧れの的なのである。 何とか元の呂布将軍に戻って頂きたい。 巨大な遺物を前に、2人声をひそめてボソボソと呟く。 「理由もなくそんなこと言うかな…あの朱雀様が」 「だよなー考えにくいよな」 「「…どうする?」」
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