ここ数日、様子がおかしい。 庭園で1人ぼんやりと佇むを眺めながら、張遼は思った。 一見すると普段通りだが、よく見ると瞳がなんだか曇りがちで、どことなく沈んでいる。 上手く説明できないが、いつもの彼女の様子とは確実にどこか違っていて。 ふと見せる悲しげな横顔を、張遼はどうしても放っておけなかった。 「…いかがなされた」 問いただすのではなく、あくまで自然に声をかけると、は何がですか?と首をかしげた。 「落ち込まれているように、思ったのですが」 張遼がそう言うと、彼女は驚いたように目を見開いたが引きつりながらも首を振った。 「いやそんな、いつも通りですよ」 無理につくった笑顔が痛々しい。 「私ではお役に立てませんかな。話してみるだけでも楽になるかと思いますよ」 そう言って張遼が隣に腰掛けると、は目を潤ませながらゆっくり口を開いた。 「…トが、ブレスレットが…なくなっちゃったんです」 ブレスレットとは、がこの世界へやってきた時から身に付けていた銀色の鎖で出来ている腕輪だ。 彼女の世界では一般的な装飾品らしい。 華奢なの腕に、その細い光はよく似合っていた。 「なんと、失くされてしまったのですか?それは大変だ。お捜ししましょう」 「あ、違うんです」 急いで立ち上がろうとする張遼のマントを、は慌てて引っ張って止める。 「なんというか、失くしたというより…盗まれたというか」 風神の遣いとして現れたは、この国の民から熱烈に崇められている。 言い伝え通りに舞い降りた朱雀という神々しさに加え、その救世主が年若い娘だというアンバランスさが更に信仰心を煽った。 そんな民衆の中の一部には、熱狂的な朱雀様マニアと呼ばれる輩まで存在するという。 過熱しすぎである。 多くは、欲しいものが手に入るならば糸目をつけない金もヒマも有り余っているような富豪ばかりだ。 悪い奴もいたもんで、そんなマニアな金持ちに高額な売りつける目的でちょいちょい彼女の身の回りの品が消えている。 使った皿や、茶器。香炉。 そんなものばかりならば、だって盗難に遭ったこと自体気付かなかったのだが・・。 連中にとっては彼女が肌身離さず身に付けているアクセサリーなんてものは涎モノだろう。 ついには、そのブレスレットにまで手がかけられてしまった。 嘆くの為に、女官達や雑兵が走り回って噂や目撃情報を集めた結果 地方で私腹を肥やす官吏・李宮という男が、盗品黙認の闇オークションにおいて高値で競り落としたと判明した。 「ならば、」 取り返しに行けばいいではないか、と張遼は言いかけたが、は首を振る。 「証拠があるわけでもありませんし…」 間違いなくブレスレットはその李宮という男の元にあるだろう。 しかしその事実を裏付けるものなど何も無いのだ。 あくまで推測の域を出ない。 曹操軍を率いて李宮邸に踏み込みそれを取り上げることは簡単だが、それでは民衆の反感を買う恐れがある。 政を行う以上、権力を不当に振りかざすわけにはいかない。 我が殿・曹操の覇道の為に。 「…お母さんからの贈り物だったのに」 グス、とは鼻をすすった。 ”お母さん” 張遼は頭を殴られたような気がした。 だから、あの銀の腕飾りをそれほど大切にしていたのか。 身勝手な武将達に振り回されて困惑したり、よく泣きベソをかいたりしているだが、元の世界を懐かしむようなことは今まで一切口に出さなかった。 そういう面で、彼女は大層強いのだ。 どうにもならない泣き言は、まず吐かない。 その彼女が初めて漏らした寂しい言葉。 盗んだ方にしてみればただの装飾品でも、にとってはこの世界を生き抜くのに欠かせない支えだったのかも知れないのだ。 張遼は、はらわたが煮えくり返るのを感じた。 「でもどうしようもないことですよね、あきらめます」 力なく、は微笑んだ。 「殿…」 目尻を赤く染めた笑顔は余計に張遼の胸を痛めた。 しかし曹操の名を傷つけるような行動を取るわけにはいかない。 この小さな少女ですら、健気に殿の覇権を守ろうとしている。 ――― どうしたものか かける言葉が見つからず、張遼はただ、そっとの頭を撫でた。 草木も眠る丑三つ時。 月明かりを頼りに、何者かが広い屋敷の中を足音も立てずに歩き回っていた。 一つの部屋の扉を開けて入り、隅々まで確認するとそのまま出て行く。 そしてまた別の部屋へと忍び込む。 怪しい。 明らかに曲者だ。 その不審人物が次に開けようと足を向けたのは 今までのものとは比べ物にならないような豪華な観音開きの扉だった。 恐らくこの屋敷の主の部屋だろう。 衛兵も脇に2人ほど立っており、監視の目が光っている。 今度ばかりは、簡単に入らせてもらえないようだ。 闇夜にまぎれ、様子を伺っていた男はしばらく考え込んでいたが、ひとつ頷いた。 どうやら、突撃することを決めたらしい。 「うっ!」 「?どうし、ぐぇっ」 音もなく衛兵2人のみぞおちに正拳を決めると、扉を慎重に開き部屋へと侵入した。 室内は広く、予想通り見事な調度品が所狭しと並べられている。 部屋の奥には許チョが3人ほど寝そべることの出来そうな、無駄にゆったりとした天蓋突きの寝台があった。 忍び込んだ男は部屋の内部をぐるりと一瞥すると、寝台の横の棚に目を留めた。 貴重品入れだろうか。 見事な彫が施された、小さな引き出しが沢山ある棚だ。 男はそれをひとつずつ出し、じっくりと中の宝石やら首飾りやらを物色し始めた。 これも違う。これも… その物音に気付いて驚いたのは、キングサイズベッドで悠々と休息をとっていた部屋の主である。 すぐ近くで何かが動く気配がすると思って薄目を明ければ、漆黒の闇の中で何者かが自分の宝飾品を漁っていたのだ。 「く、曲者だ!!出合えー!!であえィィ―――!!」 曲者と呼ばれたその男は気付かれたことに驚きもせず、広げていた宝石類を元の場所へ戻すと 寝台の上で絶叫を続ける主へと体を向ける。 「…腕輪はどこにある?銀細工のものだ」 「う、腕?」 逃げ出す様子もなく、堂々と探し物を尋ねてくる男に主は素っ頓狂な声を上げた。 「何を惚けている。つい最近、貴公が裏の経路から仕入れた装飾品だ」 「な、何を言ってる!これは私の金で正当に買い取ったものだ!!」 主はそう言って、守るように右手首を左手で覆い隠した。 「ほう?」 暗くて判別できないはずだというのに、男の表情が険しくなった気がした。 「盗人猛々しいとはまさにこのこと。盗品と知りながら入手しておいて何を言われるか」 今まさにお前が盗人じゃないか、と突っ込みたいところだが、それが許される状況ではない。 静かだがビリビリと空気が震えるほどの怒気をはらんだ声とともに、刃が主の首に当てられる。 刃物の感触と男の迫力。 主の首筋と背中にヒヤリと冷たい感触が走った。 「ヒッ…」 無言の圧力に押され、主はブルブルと震える左手でどうにか銀の鎖の金具をはずす。 男はそれを奪うように受け取った。 しげしげと眺め、うむ、と頷く。 「間違いなく朱雀姫の腕飾り!」 声高らかに男がそう叫んだ直後、主の異変に駆けつけた衛兵達が扉を乱暴にブチ破った。 「どうされましたご主人様!!?」 漆黒に覆われていた室内に光が漏れ、怯える主と忍び込んだ男の輪郭がゆるゆると浮かび上がる。 朱雀のブレスレットを手にし、月の光を浴びるその盗賊の姿は。 黒装束に、大きな仮面。 そして唯一表にさらされている口元には、小粋なヒゲ。 格好いいのか悪いのか、非常に微妙な線である。 ギリギリでマスク・オブ・ゾロ。 下手するとトランプマン。 「おおお遅いではないか!早くこの不届き者をひっ捕えろ!」 主は声をひっくり返しながら、目の前の仮面男を指差しヒステリックな声を上げた。 「果たしてどちらが不届き者か、李宮」 男はマントを翻し、寝台の上をフワリと飛び越える。 「財力にものを言わせて、いたいけな少女の笑顔に影を落とすとは言語道断!!」 そして、屋敷の主人・李宮は衛兵もろとも吹き飛んだ。 彼らを吹っ飛ばした盗賊の右手に握られていたのは―――神龍鉤鎌刀。 それはまぎれもなく、魏の名将・張文遠の得物であった。 と殿の板ばさみで苦しんだ張遼は、あのあと悩みに悩んだ。 「あきらめる」とは力なく微笑んでいたが、彼女が傷ついたまま我慢する姿にどうしても耐えることができなかった。 しかし「曹操に仕える張将軍」では表立っては動けない。 そして、考え抜いた結果、搾り出した策がこれである。 「正体隠してコッソリ奪還大作戦」(そのまま) 魏を背負う武将としてではなく、1人の男として行動に出たのだ。 高潔に、そして誇り高き武人として歩んできた自分が、窃盗行為などに手を染めることに抵抗がなかったと言えば嘘になる。 張遼だって出来ることならコソ泥まがいの真似なんぞしたくはない。 だがの涙には、そんな迷いや意地を簡単に打ち砕いてしまうほどの破壊力が充分にあった。 腹を決めた張遼は私室にすぐさま戻り、部屋の奥にしまいこんである埃を被った箱をひっくり返した。 福袋に入っていた舞踏会の貴婦人か魏延くらいしか必要としないであろう使い道のない仮面。 福引で当たってしまった、西洋の王子様帽子(堂堂人生・第一でナイト風) 去年の忘年会の隠し芸に使用した黒子の衣装と暗幕←一体どんな出し物を 数々の不要品変装グッズを身にまとい、張遼は1人の乙女の為に一夜限りの盗賊となったのである。 愛の力は、実に偉大だ。 無事にブレスレット奪還に成功した張遼は、扉の前で転がっている衛兵を避けそのまま早足で部屋を飛び出した。 固い床に頭を打ち付けた兵たちは完全に目を回していたが、寝台の上に居た主人の李宮は動けないながらも意識を失ってはいなかったらしい。 「に、逃がすな!!早く捕えよ!!」 さっきよりも更に高い金切り声が、屋敷内に響き渡る。 「私のコレクションを狙う盗賊だ!仮面で、ヒゲの、」 屋敷のあちこちに配属されていた私兵達は徐々に数を増し、侵入者である張遼を追い始めた。 主のヒステリックな叫びはまだ続く。 「そうだ…怪盗ヒゲ紳士だ!捕まえろ!!」 勝手に名付けられた。 「待て!怪盗ヒゲ紳士!!」 「逃がさんぞ、怪盗ヒゲ紳士!!」 「怪盗ヒゲ紳士め!観念しろ!」 主人の声に反応するように追っ手達は連呼する。 も、もしかして、私のことなのか…!? 逃走を続けながらも、背後から聞こえる”怪盗ヒゲ紳士”コールに、張遼は焦りを隠せない。 まさか、忍び込んだ先で名前を与えられるとは。 そんな細かい設定なんぞ考えて、この役どころに臨んでない。 しかし、そんな彼の心境などお構いなしに、兵士達は声は途切れるどころか更に大きくなってゆく。 一丸となって、大合唱である。 「「「怪盗ヒゲ紳士ィィィ!!」」」 や め て く れ 至極真面目生きてきたこの半生。 ここまで恥ずかしい思いをしたのは、張文遠、生まれて初めてである。 一体何がいけなかったのだろうか。 こんなことならヒゲも隠しときゃ良かった、と張遼は心で激しく後悔した。 問題なのは、ヒゲだけではないとは思うが。 様々な思いを抱えつつ、屋敷を走り抜けた張遼はやっと正門に辿り着いた。 そこには勿論、侵入者を排除する為の門番達が立ち塞がっている。 「「「ここは通さんぞ!怪盗ヒゲ紳士!!」」」 門番までもが「ヒゲ紳士」。 すさまじい浸透力である。 「「「もう逃げ場はないぞ怪盗ヒゲ紳士!!」」 前から後ろから、ヒゲ紳士ヒゲ紳士と猛烈な勢いで呼ばれ続けた張遼はついにキれ、瀕死でもないのに、真・無双乱舞を辺り一面にぶちかました。 「ヒゲ紳士って呼ぶなァァァァ ―――――!!!」(顔紅潮気味) |
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